第55話 初めての敗北 side:ルナ
不意に【災厄】とフレアドラゴンに挟み撃ちにされてぼこぼこにされても、僕は他に仕事がある。
動ける人間と、要塞にいた人間から人員を補充し、車両と物資も調達して別の場所へ”商談”に行く。行くはずだったあの場所はもうダメだ。今から行ったところで、すでに蹂躙は終わっている。
用意を終えて出発して、三日ほどトラックに揺られると着く。基本的に街というものはどこでも塀で囲まれ、孤立しているものだ。でなければ魔物に食い殺されるからだ。
それがないのはよほどの小さな村くらいに限られる。そして、砦の規模を見れば町がどれだけ豊かなのかがわかる。
「今度の街は栄えてるんすね」
怪我を押してついてきたルートが言う。休めばいいのに、と思いつつも僕はやる気があるなら止めはしない。ともに塀、というかすでにもはや砦と言えるそれを見上げる。
「そうだよ。いまだに夜明け団との関係を避けている街の中では最大級に属する。手柄が欲しいのなら彼らを説得してみるといい。僕ほどの大物にとってはそう重視するほどのものでもないけれと、君なら幹部の道への試金石くらいにはなるかもしれないね」
兵が常駐して、しかもあちこちに兵器が搭載してある。しっかりと守られていることが見て取れる。
僕が参加しなければ、だが――連れてきた部隊でここを真正面から落とすのは困難なほどだ。そんなもの、国か夜明け団の肝入りを除けば有数だ。
この街の支配者はよほど才能に恵まれているらしい。
「いえ、僕は戦士なので。そういった交渉はお任せします」
「うん、研修が終わって他の場所に行っても、交渉はその手の人間か上がやるからね。君が覚える必要もないよ。やる気があればそっちの道に行ってもいいけど」
「……で、俺たちはお留守番ですか?」
「そう嫌な顔をしない。積み荷の見張りも立派な任務だよ。護衛なんてもの、僕より強い奴がいないんだからそもそも破たんしているし。それに、君も怪我がまだ治りきってないでしょ。なんでそんなに仕事をしたがるのやら。そもそもドンパチがあると決まったわけでもなし」
「先生にだけは言われたくないです、その言葉。……どっちも」
仕事の虫、そしてドンパチ好き。身に覚えはあるけれど、前者は別に眠る必要がないからそこでやってるだけ、後者につけては――何かとハンデを付けて戦いまくっている僕の言うことではない、か。
「……僕も休んでるつもりなんだけどね」
ただ、休日というものはちゃんと取っている。箱舟に帰って、みんなの相手をしなくちゃいけないしね。
「アリス様とアルカナ様に家族サービスですか? 思ったんですけど、先生にプライベートな時間ってありますか」
「――え? ちょっと待って。あるはず。……あれ? あれれ? そう言えば、僕が一人になる時間なんて――あれ?」
一人? アリスとアルカナが隣にいない時間……今みたいに二、三歩後ろでもなく、くっついてもいない。一人。その、時間は――
「やめません? ドツボにはまりそうです」
「うん」
考えるのをやめた。
「あ、お迎えの人が来たみたいですよ」
「ああ、では行ってくるとしよう。けれど、どうするのかはこの町の人間が決めること。……僕は、ただ選択肢を示すだけ」
銃を持った衛兵がやってくる。警戒されている――当たり前の話だが。
僕から見れば護身用くらいのちゃちな銃だが、けれどこの街では立派に実用品なんだろうね。確かに人間相手なら不足はない。
「……ルナ・アーカイブス様。こちらへ」
こんな子供が? という猜疑の目が向けられる。
僕がかわいらしい服を着た女の子にでも見えるらしい。兵の身体は筋骨隆々というわけでもないが、ひょろいわけでもなく発達した筋肉が見て取れる。ごく普通に肉体的に発達した筋肉だ。
……夜明け団ならばもう少し効率的に育てるが、まあそこは口を出すことでもない。
「ありがとう。では、案内してもらおうか。誰が会ってくれるんだい?」
まあ、気にしない。たかが一兵卒であればそんなものだろうし、それでいい。期待されるのは魔物相手に逃げないこと、仲間を撃たないことくらいのものだ。
……それが難しいのだけど。さて、こいつは――そうだね、仲間は撃たないかな。訓練は受けている、錯乱するほど心が弱くもなさそうだ。
「姫様です。それに騎士団長も同席します」
「……姫?」
「頭の良いお方です。王様からも信頼されています。……ご期待には沿えるかと」
彼はなにやら、姫という単語を出すたびにびくびく怯えている。その姫様とやらは国民に好かれる性質ではないらしい。
「ならいいけどね。ま、直接会う気になるなんて、それなりにいい度胸をしているらしい。僕の立ち入りそのものを認めないところも多かったんだぜ。どうせ――その気になれば壁なんて意味がないのにね?」
「それは――」
「夜明け団は無意味な殺戮などしないから安心していい。たとえ君たちが唾を吐きかけようとも、僕たちはここから去るだけさ。”何もしない”から安心していい」
「え。……あの――」
「ま、この辺のことは君に話してもしょうがないね。君たちの敵はあくまで魔物さ――僕らではないのさ。最近目立ち始めた人類軍とやらがどうかは、僕らも知らないがね」
「あ、そうなんですか。はい」
「で、君らの持ってる”それ”はこの街では最新式のものだったりするのかい?」
「ええと……これは私どものところで正式採用されている銃ですが」
「なら、僕が来た意味もあったというわけか。古いよ、それ。その装弾数じゃあ魔物の数に対応できない。……僕に言わせれば、そんなものは自決用だね」
対人用、というのは黙っておく。魔物にいつ殺されるかわからない昨今、国全体を見渡してもどうもそちらの意識は沸きづらくなっている。はずなのだが――人類軍とやらの気は知れない。
「ええ……と。そうなんですか」
まあ、そんなことは一兵卒にはわかるはずもない。インターネットがないのだ、上の思惑など知れたものではない。
この旧時代の封建的な世界ではそもそも手掛かりを求めようとしたら、それは支配者に対する反逆だろう。SNSのノリで貴族に話しかけようものならテロ容疑で射殺だ。
「君たちはまだ本格的な暴走に出くわしたことがないようだ。まあ、そういう幸運な街はいくつもある。こっそり教えておくが、暴走相手に有効なのは手数と火力さ。押し寄せる魔物をぶっ飛ばし続けなきゃこっちが喰われちゃうからねぇ」
「あの……着きましたよ。姫様はここでお待ちです」
扉を示す。豪華というより、堅牢かな? まるで中にいる人間を恐れているように見える。
そして、その恐怖の痕を隠そうとして無駄に豪奢に飾っている。……あの犬の像は狛犬か何かかな。6体くらいいるけど。
ふざけてはみたけれど、ゴーレムの類――女、子供の相手をするには過ぎた代物だ。少なくとも、門兵が持っていた銃で相手をできるような代物ではない。
「ああ、ありがとう。君は同席するのかな」
彼は扉の横につく。
「いえ、外でお待ちします。どうぞ」
示され、こんこんと扉を叩いてから返事を待たずに開ける。
「入るよ」
「お待ちしていました。ルナ・アーカイブス様」
流れるような艶やかな金髪。鈴のような綺麗な声。鮮血のように真っ赤に染まった唇。――”美しい”と以外に形容できない少女がそこに居た。
なるほどこれは、まごうことなきお姫様だ。まあ、目が死んでるのが気になるけど。
「……こんにちは。君の名前を聞かせてもらえるかな?」
けれど、そんなものはしょせん人間の美。支配者然とした圧倒的な美しさではあるものの、僕のアリスやアルカナにはかなわない。
あの子たちこそ真正の人外。――世界樹が内包する全ての平行世界の管理者としての役割を負う、いわば”神”であるのだ。この僕も。ゆえ、その美しさに心を奪われることはない。
「姫宮凛々須です。よろしくお願いいたしますわ」
ふわりとほほ笑んだ。まるで邪気のない――歪んだ笑顔。
「うん、よろしく」
僕も微笑む。きっと、魂のこもらない顔を歪ませただけの――彼女と同じ笑みを。
「……ふぅん。”そういうこと”ですか」
うなづく。彼女の瞳は吸い込まれそうなほどに深い。……汝が深淵を覗くとき、深淵もまた汝を覗いているのだ。誰の言葉だったか、ああ――これは深淵だ。この僕でさえ覗けないほどひたすら奈落のように深い。光が返ってこない。闇、虚無……深淵。
「――何が、わかったと言うのかな」
基本的に終末少女には本能などない。
分析を行い、インストールされたプログラムを実行する機械にちかい ”神性”だ。だから僕における反射と呼ばれるのは、前もってそう〈設定〉しておいたものに過ぎない。
だから、これは論理的な結論。直観でもない。そうだ、”これ”を前にしてこの僕は……!
「分かりました。後で人をやって性能試験を行いましょう。どうせ不良品などないとわかり切ってはいますが、手順として必要ですので」
僕は何も言っていない。いや、これくらいならわかっていたことと言っていいだろう。僕は多くの街に武器を売りつけている。手順というのが広まっていても不思議はない。……だが。
「私には武器というのはわかりかねますので、次の取引にいたしましては騎士団長が専門のものを連れて予算などを決めたうえで改めてお伺いさせていただきます。伺わせていただく場所は玖利洲地区の山椿の街でよろしいでしょうか?」
……霊感の種の一つにコールドリーディングというものがある。卓越した人間観察力によってそいつを見抜き、あたかも霊感でも持っているように見せかける。
おそらく、こいつの”これ”も同様のはずだ。直接見て、さらに事前の情報を組み合わせて予測する。言葉にすればそれだけだが、うまい人間にやられると本当に自らの心を見透かされている心地になる。
「すみませんが、そちらの要求は認めるわけにはいきません。どこの国も今は人手が不足しています。その中であなた方の組織が大手を振って街外への勧誘は多くの反発を呼ぶでしょう。王の太鼓判を得ようとしても、他の貴族からの追及が紛糾して時間を取られてしまいます」
確かに、いつもの会話の流れならそうなる。単刀直入に武器を売りつけ、勧誘の許可を取る。何度も繰り返した手順だが、この女は僕が言うことを最初に顔を合わせた瞬間に”理解した”。
そして、会話の体で一人で”話し合い”を続けている。全て予想済だから、僕の言葉を聞く必要がないんのだ、この女は。
「そういうことで、よろしいですね?」
ニタリと笑う。ああ、こいつは化け物だ。僕らは肉体的に化け物で、だから精神も獣寄りになる。だけど、こいつは頭脳の化け物だ。もはや、精神構造がどうなっているのか予想もつかない。
「……こわいね」
呟いた。




