第53話 蛇が出るか、鬼が出るか。答えは両方 side:ルナ
人間の襲撃は退けた。しかし、不完全な発動とはいえ『フェンリル』の使用を許してしまった。垂れ流された汚染された魔力は魔物を呼び寄せる。……そして、それがよりにもよってフェンリルのものとなれば。
「さあて、蛇が出るか鬼が出るか」
ひとりごちる。トラックは二台壊されて残りは三台。帰ったら新しいのを用意しなきゃ、だね。でも、その前にやることがある。
まだ帰りのことを考えるには早い。
「さて、第三ステージの皆にはここに集まってもらったわけだけど」
荷台の上に集合させた彼らを見渡す。……かなり消耗している。地獄の消耗戦じゃないんだから、休ませてあげたいところではある。人間同士の殺し合いで心も削られただろうし。
「まさか――休ませてもらえるとは思っちゃいないだろう?」
全員、悲壮な表情でうなづいた。そう、僕はそういう風に教育を施した。
促成栽培ではあるけれど、本物の死の恐怖を刻み付け、それを克服させた。彼らはそれができる。疲労も心が削れても戦い続けるということが。
で、なければ――死ぬだけだと無理やりにでも理解させた。
「さてさて、不完全ながら『フェンリル』を発動させてしまった。これではもう、敵が来ることは確定している。疑問はないね?」
全員がうなづく。一人の生徒が手を上げる。
「先生は、どちらが来ると思いますか?」
「難しい質問だね。限度があるとはいえこの一年間、【災厄】の襲撃頻度は増加の一途だ。一方で、成果を出せないとすぐ帰っちゃうんだけどね。もはや統計が意味をなさない状況と言える、予想はできない。……ま、もし【災厄】が来たらその時は僕が対応するさ」
あからさまに安堵してため息を漏らす。人は死ぬ、それを経験として知っている。強力すぎる敵に挑む蛮勇は死に直結すると、かつて隣にいた仲間が死をもって学ばせてくれた。災厄は今もなお最悪であり、最凶なのだ。人類の戦力であれを打倒しようというのは無謀である。
「とはいえ、だ。武器商人の真似事とはいえ、武器をごっそり二台分も失ったのはもったいなかったね。最新兵器は指揮車に乗せてたから無事だけど」
苦笑する。内情を率直に言うと、僕は全体を統括する親会社から武器輸出と一部の幹部育成を任せられた子会社の社長と言ったところだ。
方針そのものはO5が決めるし、そもそもの武器も育てる人材も【翡翠の夜明け団】から提供されたものである雇われ社長だ。
そして、親会社……夜明け団が武器輸出を行う目的は人類に魔物に対応する術を与えること。
滅びに対抗する中で才能ある人物をスカウトするのが本命だ、営業は二の次で赤字が出ても問題ない。ヘヴンズゲートのための資金集めはあくまで”できれば”のついで――武器の喪失は汚点にはならない。
ま、そこまで気にする気もないし、今はまだこの子たちもそこまで気が回らないだろう。死者を出したのも、僕はそういうやり方をすると上も理解している。
「さて、ドラゴン相手に走らせておいても転ばされる危険があるし様子見かな――」
〈先生!〉
悲鳴のような声が通信機から届く。ふむ、この声の子はかなり冷静で、言ってしまえば達観しているところがあるのだが――【災厄】かな?
〈10時の方角に【災厄】。16時の方角にフレアドラゴン2頭! どうしたらいいんですか!?〉
お手上げという声がする。文字通り、ルナによって死線を潜り抜けさせられた者たちが怯えている。【災厄】という絶望は死の恐怖よりも濃い。
天災に見舞われたら人は逃げ出すしかない。だが、しかし人類の天敵”ドラゴン”に逃げ道すらふさがれた。逃げ場はなく、希望もない。
〈転移術式用意!〉
けれど、ルナはどこ吹く風だ。あらかじめわかっていたという顔をしてよどみなく指示を出す。……まあ、本当にわかっていたのならもっと前から用意しておくが。
〈え? 転移術式――〉
〈レン、そこは任せる! 300秒でやれ〉
夜明け団においても空間転移などという芸当は相当の難易度を誇る。そもそも幹部でもなければ、技術の概要すらもうかがい知ることはできない。
実際、ルナはプロジェクト『ヘヴンズゲート』の総責任者のようなことになっているが、それでも持っている転移の術式は二回分でしかない。そして使ったこともなかった――少なくとも、生徒の前では。その貴重さゆえに練習もできないのだ。
そして、たった2回分では荷を回収することもできない。だが、人間だけは確保しておくべきだ。また作ればいい、とはならないのだから。
ああ、こう言っておかなくちゃいけないか。と、つぶやいて。
〈別に失敗してもいいけど、発動までの時間は伸びないからね?〉
と、いたずらのようにつぶやく。
ここで二つ消費ははっきり言って痛いし、代えもないが、しかし焦らせてもしょうがない。ずっと僕についてきてくれたレン、古強者の彼女に任せるとしよう。
いたるところにガタが来ているとはいえ、あの子も幹部の一人だ。ここで大失敗など出しはしない。
「さあ、命がけの防衛戦だ! 天国の扉に至る予行演習を始めようじゃないか」
ニヤリと笑うルナ。それを見る生徒たちは安心する。
ああ、全力を出し切れば乗り切れるんだな。と。ルナは何をやっても死ぬなどという理不尽な教導を施したことはなかった。
もちろん、頑張り切れずに死んでいった者も、再起不能にされたものも大勢見てきたが。それでも、生き残った者は力を得た。【夜明け団】に居るのは戦うためだ。進むことを選んだのだから、今更後ろを見たりはしない。
「アリス、アルカナ。君たちは【災厄】の足止めをお願いね」
「……うん」
アリスはルナに離されて機嫌悪げにうなづく。常に金魚のフンのようにくっついているくせに、少しでも離れると不機嫌になる。
まあ、そういう奴だと生徒たちも知っている。徹頭徹尾、彼女たちはルナの従者でしかなかった。
「くく。アリスはわしに任せよ。期待以上の働きをしてやろう」
アルカナはルナにいいところを見せようと張り切っている。ルナが言ったのはこの場合、”倒さず”に足止めしろという意味だ。終末少女として見るならば、災厄クラスでどうにか雑魚と認められるていどなのだ。
ルナとしてはむしろ倒してしまわないかという危惧の方が強い。
「さあ――ルート、エピス、レイテア、サファス、クインス。今回も変わらず頑張って行こうか」
全員がうなづく。こいつら以外は待機だ。ドラゴン相手では力不足だし、逃げるときに足を引っ張る。
残したのは技術の粋を集めて改造された第三ステージの生粋の強者だ。第3ステージの第一人者たる僕が言うのだから間違いがない。ドラゴンだろうと相手できるだけの力はある。
「エピス、君の役目はまず突進してくるドラゴンを受け止めること。僕も前衛で盾をやるから、他の4人は攻撃だ。囮になるし、弾ける攻撃は弾くけど、それでも僕以外が喰らったら一発でおしゃかになるのは変わらない。みんな、避けてね?」
悪戯気に笑う。
「……先生といっしょに戦うのは初めてですね」
生徒たちは皆、不安な顔をしている。当然だ、いかにルナの付き人のあの二人とはいえ、実力は完全に未知数。そして、自分たちと言えば人類の天敵と戦わなくてはならないのだから。
「そうだね。そういう状況はなかったね。ま、でも僕”と”戦うのは何度もやってる。そう気にせずともいつもどおりでいいよ。攻撃はしっかり避けて、僕の言ったとおりに戦ってくれればいい。君たちの呼吸は知ってる」
「あの、誰も死にませんよね?」
「――さて。まずは君がドラゴンの突進を受け止めきれないとお話にならない。僕は死なないけど、君を含めた5人が踏み潰される。……気張れよ、盾役。さあ、出番だ!」
ちらりと炎が目に映る。瞬く間に巨大化してこちらにぶつかる。空を飛ぶドラゴンは速く、重い。炎を纏い、全力で突進してくる。
「滅びし竜よ、骸のままに尊厳を踏みにじられ屍を晒せ。朽ち果てよ! 『スカルドラゴン』」
骨の竜がドラゴンの突進を受け止める。勢いが完全に殺されるのと引き換えに骨の竜がぼろぼろと壊れていく。
こちらではドラゴンの頭を鞘でぶっ叩いて地面に沈める。
「……っがは!」
エピスは血を吐いて倒れる。死んだんじゃないか、と普通なら思いそうだ。この生徒たちは冷静に胸が上下しているのを見て、問題なく生きているのを見て取ると暇な人間が治療を始める。
「「……ガアアアアアア!」」
その場で口を膨らませる。炎を吐く気だ。あれは炎纏うドラゴン。一年前に見たただのドラゴンとは一線を画す。
しかし、こちらの戦力も一年前とは違う。たった一匹のドラゴンに秘蔵っ子を出して、死を前提にしたブーストアイテムまで使わなければならなかったあの頃とは。
「レイテア、サファス! 相殺しろ」
二人が全力攻撃により一部を相殺、相殺した隙間に身体をねじ込んだ。
これも、一年前には叶わなかったこと。あの子たちはただの最新鋭――あの【殺戮者】のような、そもそも再現どころか解析すら不可能なんて言うある種の化け物とは違うのだ。ごく、よ枕詞を付けると違うからもしれないが……そう”一般的”なエリート兵なのだ。
それが、人類の天敵に対抗している。それはまさに快挙と言えた。
「……あは。エピスも男を見せたことだしねえ。僕もいっちょ、タンクらしく挑発してみようか――ねえ!」
刀と柄の二つを同時に投擲する。目にジャストミート、潰せはしなかったが――怒って僕を食い殺そうとして口を開く。
「ば~か。……さあ、ルート、クインス。喉ががら空きだ、狙え」
噛みつこうとした牙を、逆に掴んで止めた。幼女がドラゴンに喰われそうになっている凄惨な絵面だが、こいつらは僕を心配してくれやしない。
ドラゴンに即座に判断してあごを引き、僕を上空に打ち上げる知能があればどうにかなったかもしれないけど――
「「――ッらあ!」」
喉元から鮮血が噴き出す。ドラゴンの脳みその詰まってない頭では戦況の判断などできやしない。
それでも、相手はドラゴンなのだ。人間の天敵にして空の支配者。なるほど確かにのどは生物の急所の一つに数えられるだろう。
しかし、渾身の一撃くらいでは、急所であっても貫けない。……ただそれだけの簡単な事実。急所でこれなら、腕や足を落とすなど不可能だ。
「「グオオオオオ!」」
怒る。そう、効果と言えばこれだけだろう。いくらなんでも血が流れているからと言って即座に体力の喪失を表すわけではない。
だって、ほら、もう――血が止まっている。全力の一撃は単なるかすり傷だった。
「さてさて! 効いてないね、これ!」
「って、どうするんですか、先生。これじゃーーッ!?」
暴れる、という表現が似合う。2匹のドラゴンが滅茶苦茶に足を振り回しているだけ。それでも、当たれば死ぬんでしまう。
……皆、必死に避けている。よく見れば避けることなど簡単なはずだがね。
「関係ないね。効いていようがいまいが、時間を稼げばいいだけだ!」
いつの間にか投げた刀と柄を再装備していたルナが隙を縫って斬りつける。……血さえ流れない。急所でもなければそうだろう。
「……」
斬りかかられたドラゴンが、ルナに視線を向ける。
「……あれれ?」
などとケラケラ笑いながら避け続ける。10、20――ついにはもう片方のドラゴンに、ルナを狙って外した爪が叩きつけられた。
「――おお!」
と、一人が歓声を上げる。この二匹が注目しているのはルナだ。強大なアーティファクトに反応している上に、ひときわちょろちょろしているうざったい奴だから。
「っこの馬鹿!」
一瞬、注意がそれた。生徒たちは”化け物”とは違う世間一般の感性を残している。極限の集中を一昼夜続けるなどという狂気は持ち合わせていない。
だが、それを見逃してくれるほど、この世界は甘くない。
「――え?」
暴れるドラゴンのしっぽがそいつに向かう。それはただの偶然だった。適当に暴れていたら尻尾がそいつの方に行っただけだ。
それでも、当たれば死ぬ。もうかわせない。ルナがそいつの前に出て受け止める。
「――っぐう!?」
みしみしと腕がきしむ音がする。さすがのアーティファクトも威力を殺しきれない。今の時代にあっても圧倒的な性能を誇るそれが悲鳴を上げる。
「……あ!」
ルナが見たのは爪。動きが止まってしまったそこに、好機と見たドラゴンがその巨大な爪で上から殴りつけてくる。
「……く。――おお!」
二体のドラゴンを、ただの一人で、それも純粋な腕力によって押し返そうとするルナ。本来の性能ならともかく、現在の能力では何秒も持たない。
「くふ。……あは。獲物はね、確実に殺すものだよ。ゆっくりいたぶろうだなんて無駄、知恵どころか脳みそもない駄トカゲどもめ。人間の力を見るがいい」
四人の生徒たちが集まる。窮地と好機は表裏一体。確かに僕は窮地だが、隙だらけだぞこのマヌケ。
「くたばれ……!」「おおお!」「倒れろ!」「……終われ!」
【コード:ブレイクダウン】――本来ならエピスのスカルドラゴンで押さえつけておいて、そこに四人分の全力を叩き込む大技だ。一匹の獲物に夢中になって警戒をおろそかにするから、合体技を無様に喰らう羽目になる。
「ガアアアルグウアアアア!」
目を貫かれたドラゴンがのたうつ。とはいえ、こいつでも死なないか。中々に強敵。今となってはスタンダードなフレアドラゴンでさえ、これか。
やはり、ドラゴン。強力だねえ。厄介としか言いようがない。
「とはいえ、やることはかわらない。ダメージも入る。うん、問題ないね。さて、みんな――近くに寄ろうか」
ルナはからかうような調子でのたうつドラゴンの間合いに入り、また他のメンツもためらうことなく入っていく。
「――ふふ」
危なかしげなところはあるが、かわしていく。そして、無事な方のドラゴンはぎりぎりと歯ぎしりして隙ができる時を待っている。
……こいつらは同族を攻撃できない。絶対というわけではないにしろ、密着すれば一匹を相手にすれば事が済む。
「――うん、あっちもよくやってくれてる」
ルナに至っては向こうの【災厄】との戦闘を確認する余裕まである。アルカナが主体になって頑張っている――ように見せかけている。率先して苦戦してるように振舞っていてくれる。
〈撤退開始!〉
転移まであと5秒。引けばそのまま別の拠点まで転移できる。が――
「しんがりは僕だ! 気を引き締めろ、演目はこれからだよ」
最も過酷なのは撤退戦と相場が決まっている。気を抜けば自分だけじゃない、仲間も死ぬ。へまをすれば仲間を殺すと教え込んだから、下手は踏まないはずと信じているがね。
「さあ、全開だ。月読流抜刀術――【風迅閃】」
弱ったドラゴンの頭を斬り落とす。そして、残りの一匹……仲間を殺され怒り狂ったドラゴンの爪をあえて受ける。
「っづ! でも」
注意は引きつけた。手が痺れたが、まだ動く。問題ない。
「……ッガアアアア!」
咆哮、次の瞬間に炎が来る。
「っち。正しいね、まぐれ当たりには違いないが」
横に走る。位置を調整してトラックの方角に弾き飛ばさせたが、今度は後ろが炎に巻き込まれる。そして、もちろん撤退する4人にも炎は迫るのだ。
「っふ!」
炎を切り払う。が、そう意味もない。僕のアーティファクトならこれだけ拡散した炎ならダメージを受けないが、逆に4人のアーティファクトでは一撃死もあり得る。
それでも――僕は、その程度で諦めていいなんて教えた覚えはない。それぞれ持ちうる限りの魔術で威力を相殺する。
なんとか全員で車両までたどりついた。その瞬間、迫るドラゴンを後目に転移が始まる。




