第50話 賢者の石 side:白露白
見上げるような要塞、そこには荘厳で物々しい道が続いている。
道の前に立ちふさがるのはたった二人の少女。同じ顔、姉妹。手を握り合っている。反対側の手には魔導書。……どくどくと、毒々しい魔力が滲み出す”それ”は、とても人の手により作られたものとは思えないほどに禍々しい。
まるで闇の深淵からはい出した混沌――病み。
「行くよ、サファイア」
「うん、行こう。ルビィ」
「「人の手により定義されし闇よ。今こそカタチなして空の支配者を地へと引きづり堕とせ!」」
ぐずぐずと滞る闇が可憐な少女の手を侵食する。……顔をゆがめる。
とてもではないが年頃の少女に耐えられたようなものではないし、ぎりぎりと歯を食いしばっているのが見える。それでも耐えるのは、まっとうなヒトとしての感性すら残っていないのかもしれない。
「喰い潰しなさい! 〈ジャイアントワーム〉」
「引き裂きなさい! 〈グランドモール〉」
凝ったような闇の中からミミズ、そしてモグラが召喚された。
鋼のような材質に包まれたそれは、もはや兵器と言っていい。一般市民の思う上級魔物くらいなら一ひねりできる頼もしさ。まごうことなく強力な魔物だ。けれど……
「これでは……!」
白は震える。
そう、あの少女たちが制御する魔物は強いのだ。流石は【夜明け団】。優秀なA級冒険者――それすら超える能力者をポンポンと繰り出してくる。小規模の都市なら壊滅させてしまえるほどの戦力。
けれど、”それだけ”。空の覇者、ドラゴンを相手にするには不足に過ぎる。
「心配はいらないさ。しょせんはトカゲの知能だよ」
ルナはくすくす笑っている。今にもポップコーンを要求しそうな顔だ。まあ、本当に要求したら運ばれてくるのだろうから、それをしないのは彼女なりの礼儀なのか。
「グオオオオオ!」
一匹のドラゴンが舞い降りてくる。……突進! 見ているだけで背筋が寒くなる。空中から地上へのダイブだ。
技もへったくれもないが、それでも見てるだけで漏らして動けなくなりそうだ。普通の人間ならそうもなる。けれど、ここにいる奴らはそもそも人間とすら認めていいのか。
「ジャイアントワーム!」
タイミングを見計らってカウンターを放つ。
よくやる……魔物相手とはいえ、大した胆力だ。流石は魔人。まったくもって、びびりなどしていない。――心が壊れてでもいるの?
「グランドモール!」
ドラゴンがぐらついた隙にモグラが爪で殴り飛ばした。……わずかの乱れもない連携。姉妹ならではの阿吽の呼吸というわけか。
「ガアアア!」
ドラゴンの返しの一撃。モグラはジャンプ、ミミズは地面に潜って避けた。カウンターはほとんど効いていない。むしろ怒らせてしまっただけのようだ。――それもそうだろう。地力の差が違い過ぎる。
「グルゥ」
ドラゴンはほおをぷっくりと膨らませる。攻撃の前動作、魔人二人は目ざとく見咎める。
「ルビィ、足を崩すわ。ジャイアントワーム!」
「うん、サファイア。狙うのは足の関節、だよね。グランドモール!」
ミミズとモグラがドラゴンの膝の裏を狙い撃ちして転がす。ブレスはあらぬ方向に跳んでいき、上にいるドラゴンたちは仲間の炎が届くのを嫌ってさらに上へとはばたく。
「やはり、馬鹿だね。僕なら集団でブレスを放って要塞の中身を蒸し焼きにするよ。ま、実際にやるかはブレスのコスト次第だけどね」
「ええ、ああいう風にすれば相手するのは一匹で済む。すでに実証されておりますからね。夜明け団にはドラゴンを相手にした記録も多くございますので。まあ、さすがにあれだけの数に真上をうろつかれては生きた心地がしませんがね」
「だが、だからこそやりがいがあるというモノだろう? なにせ、あの脳無しどもですらわかるほどに大きなかがり火、それですら序曲ですらない開演予告に過ぎないのだからね」
「では、精々ここは慎ましやかにやらせていただきましょう。その方が本番が映えるというモノ――あなた流に言えば、こうなりますかね」
「ふふ。だとするなら、あの少女二人は予告で使いつぶすには惜しい人材かな……」
けっこう可愛いしね。とルナはつぶやく。のんきなものだ――確かに彼女たちはうまいこと二対一の状況に持ち込んだ。
「グオオオオオ!」
ドラゴンが雄たけびを上げて、ぐるりと振り向いて背中を見せる。……逃げる気? そう、白が思った瞬間。
「サファイア!」
「ルビィ!」
悲鳴のような声で同時に、互いに注意をかけた。姉妹はなりふり構わず後ろに跳ぶ。
「……え?」
白は一瞬呆ける。そして、ドラゴンの尾が二人が操る魔物を地に叩きつけた。……攻撃の予備動作だったのか。あからさますぎて一瞬分からなかった。
「「ッああああ!」」
魔物だけでなく、2人も吹き飛ぶ。痛痛しく血が流れて、服を赤く染める。
「……あれは」
「ふふん。一瞬のミスも許されない……それはなんて優しい状況だろうね。強大な敵の前では正しい判断を続けていても、ただ圧し潰されるのみ。それが冷たい現実。こうなるのは当然ともいえる。けれど、なんで二人はダメージを受けているの? 道具が壊れて術者も傷つくというのは欠陥だと思うけどね」
「あの魔本は神経ごと融合しています。あそこまでのフィードバックを覚悟しなければ操ることさえできないのですよ。半同化することで魔力の運用効率を上げる効果もありますしね」
……なんて、理性的な会話なんだろう。……反吐が出る。
「う……だいじょうぶ?」
「うん。まだ生きてる。……戦えるよ」
「じゃあ、まだいっしょにやろう?」
「うん、やろう」
「起きなさい、ジャイアントワーム」
「立ち上がれ、グランドモール」
ふらふらと立ち上がる。……目から血の涙を流す凄惨な顔で、しかし表情は穏やかだ。でも、魔物たちはひびが入って――とても戦えるようには見えない。あれではもはや肉の盾だ。
「……完成した」
ルナがつぶやく。
「術式発動! 封印作業、急げ!」
男が叫んだ。光が目まぐるしく動いて、術式が回転する。脳が潰れそうになるほどの膨大、かつ複雑な術式だ。
「封印が……完了した?」
速い。としか言いようがない。もう終わってしまったのか。……しかし、あれだけの悼ましくも膨大な魔力の波動が消えている。実際に封印工程は完了した。
「さて、終わったね。けれどあのトカゲ、あの一匹だけは居座るつもりだよ?」
上で待機していた集団は散って行ったが、戦っている一体だけはまだ怒っている。そいつは少なくとも生意気な獲物を始末するまでここに残る気だ。
「そのようです。しかし、一匹程度ならば、あの二人で対処できます」
「へえ、立つので精一杯のようだけど?」
「ええ、それも想定通りです」
画面の中で、2人の少女は小瓶を取り出していた。……繋いだ手が離れている。なぜか、白は悲しくなった。
「「賢者の石よ、今こそ引き継がれし力を解き放て!」」
パキ、と握りつぶした。染み出すようにあふれる闇。間違っても健康に良いものではなさそうだ。
「地を這うミミズよ。天空の王に、その牙をもって毒の贖いを下せ! 進化せよ〈ジャイアントワーム・レクイエム〉」
「光見えぬモグラよ。天空の王に、その牙をもって瑕の贖いを下せ! 進化せよ〈グランドワーム・レクイエム〉」
指の隙間からあふれる闇を、おもむろに魔本になすりつけた。
「「……ガ。ああああああああ!」」
少女たちの悲鳴。魔本から溢れ出した這いずる闇が、少女の体の表面を黒く染めていく。だんだん悲鳴が甲高く――人間とは思えないようなものになっていく。
「グオオオオオ!」
何かを感じたのか、ドラゴンが火を噴いて。
「無駄よ、消しなさい。グランドワーム・レクイエム」
「喰いつけ、ジャイアントワーム・レクイエム」
爪の一振りで火焔を散らし、円状にずらりと並んだ歯がドラゴンの足を食い潰す。二人の少女はそれを見上げて――見下すような傲岸な視線を投げかける。
「ギャアアア!」
たまらず叫び、空に逃げようとして。
「逃がさない」
モグラの爪で片方の羽を引き裂かれて落ちる。爪は大きく禍々しく、足に至っては別物。瞬発力強化のためか蒸気が噴き出す管がいくつも絡み合うように交わっている。
「その首、ぐちゃぐちゃにしてあげる」
頭を狙ってミミズが矢のように飛んでくる。……あれはもはやミミズなどと呼んでいいのか。触れれば傷つく返しのついた装甲板で覆われ、口は削岩機のようになっている。
もはや兵器ですらない虐殺のための処刑器具だ。
「グルルゥゥゥゥゥ!」
さすがにトカゲの頭でも危機感を覚えたのか、突進するミミズをかろうじて捉え、両手でもって必死に押し返そうとする。
「「……っごほ!」」
二人そろって少女の方が大量の血液を吐いた。これは――そう、”チキンレース”ですらない。崖から落ちないようにブレーキを踏める地点はとっくに通り越してしまった。
だから、あとは終わる前に敵を倒せるかどうか。
「いい加減、諦めなさい!」
モグラがドラゴンの片手を切り落とす。ゆるんだすきにミミズが頭に食いつく。二度、三度と残った手で殴りつけて離そうとする。
「負けない。最期に勝つ。そのために私たちはどこまでも堕ちると誓った」
「うん、最期に勝ちを望んで何が悪い。だって、私たちは勝たなきゃ」
どろりと濁った4つの瞳が怪しい光を放つ。
「「何も遺せない」」
モグラがドラゴンの心臓を抉る。ミミズが頭を食い潰して血をあたりに散乱させた。
「「……」」
もはや言葉を発することさえできやしない。使役していた魔物たちも姿がほどけ、魔石に還元されていく。莫大な強化による自滅、それは術者とて同じこと。
「なるほど、素晴らしい戦果だ。でも、まだ君たちが死ぬには惜しい」
尊大な声が――モニターの向こう側からする。……ルナ・アーカイブス! いつの間に。
「今日のところはお疲れ様。また、次の舞台も期待しているよ」
神速の抜刀。二人の腕ごと切断して魔本を斬り離した。倒れる二人の少女をその小さな体で抱きかかえて治療室へ連れ込むのだった。




