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第39話 滅び行く街で終わるはずだった兄妹 side:ルナ


 面白いことはあった、とはいえ――


「収穫はなし、かな」


 できれば、人類側の戦力をプレゼントしようかと思ったんだけど。やったことはあの名前も忘れたA級のアレに少し道を教えただけときた。

 一人救ったと言えば御大層に聞こえるかもしれないが、それだけというのも少し物足りない。そもそも奴が生きようと死のうと、人類史には影響がないだろう。


「それでも、色々やってるうちに”何か”があると思ったのだけど――」


 もはや事態が収拾しつつある。生き残りは隠し通路から脱出し、残りはほとんど死体として転がっていて生存者の姿はない。もう、ここに見るべきものはない。


「……いや」


 僕は笑みを浮かべる。そいつを見つけた。まだ戦っている人間が、諦めていない人間がいる。ならば、見定めてやろう。

 どうせ、このままでは野垂れ死ぬ以外の結末はあり得ない。万が一脱出できたところで、頼るものもない荒野に投げ出されるだけなのだから。


「へえ――よく戦っているね、お兄ちゃん」


 そう、10代後半くらいかな。そのくらいの男の子が、小さな女の子を守るために戦おうとしている。裏道とかを通って必死に逃げていたけれど、ついに犬どもに見つかってしまったというわけだ。

 ――敵を倒す以外に道はない。だが、武器はといえば棒切れを一つ持っているだけだった。ただの人間が、銃もなく魔物の群れに立ち向かうのは無謀だ。


「ならば、僕は問うとしよう」


 僕はその男の子に向かって歩を進めた。




「――力が欲しいか?」


 すべてを止める。邪魔な手出しはシャットアウトする。なに、こんなものはただの時間停止だ。

 滅んだ世界の魔物は【災厄】とすら比べ物にならない。たかがRクラスのモンスターでさえ、災厄には不可能な時間操作を可能とする脅威。それに比べれば、この犬どもなど赤子同然、耐性もない。


「……ッあんたは――」


 男の子は戸惑っているようだ。見れば、やせていて髪の色つやも悪い。どうやら、まともな暮らしはできていなさそうだ。

 孤児か何かだろうねと納得する。必死に後ろで震えている女の子を守っていたから自分は二の次だったんだね。社会の不条理や差別、そして――今は魔物から。


 けれど、悲しいね。彼の手は決して広くない。妹を飢えさせないのが精いっぱいで、それ以上は望めない。大切な人がそばに居てくれることは幸せだと思うけど、それ以外はない。おいしい食べ物も、きれいな服も。……なにも。

 そして、今はたった一つの命すら失おうとしている。ああ、とても悲しいね。


「僕のことはどうでもいい。重要なのは君だ。このままでは君は魔物どもに食い殺される。そして、そちらの妹ちゃんも悲惨な死を迎えるだろう」

「……ッ!」


 ぎり、と歯を食いしばって僕を睨み付ける。いいね、そういう負けん気は大好きだ。


「だが、もし君が力を受け取る気があるならば、僕は君にそれを渡そう。人を捨ててでも、大切なものを守る勇気はあるかね? ――少年」

「よこせ! こいつを守る力をくれるのなら、悪魔とだって契約してやる」


「よろしい。では、意識を保っていたまえ。失えば、人としての存在すら失うだろう。シチューになるか魔物になるか、どっちにしても――まあ、妹ちゃんは死ぬね?」


 どす、とその貧相な体にアンプルを打ち込んだ。


「……あ” うぎ――GAAAAAAAAA」


 ごぼりとこぼれるような嗚咽から、悲鳴がどんどん濁って行って、人間には出せないようなだみ声に変わる。それは羽化。

 人間から、人外へと変わるための儀式である。


「そうそう、君はもう人間じゃない。【翡翠の夜明け団】が開発した進化薬……こいつの原理は魔石を人に注入して強化するだけだ。けれどね、普通に考えて魔力を注入なんて真似すれば死ぬだけなのさ。あのレーベの様な異常な耐久力があって始めて回復に使えるんだよ」


「そりゃそうだろ? お腹がすいたからって、腹かっさばいて肉の塊を胃に直接突っ込む狂人はいない。もちろんクロイツの奴ならば可能だろうけど、一般人がやったら消化不良で死んじゃうよ。かっさばいた傷で死ぬし、外科治療で腹の傷をふさいでも肉の前に内臓が胃液で溶ける」


 どろどろの黒い泥と化した男の子だった”もの”は、声帯もないのにうめき声を上げ続ける。その泥がこぼこと波打つ。”変わっている”、変態の最中だ。こういう風にして、人は進化する。――改造される。

 そして、どのような”もの”ができ上がるかは本人次第だ。


「一度使ってみてわかったのだけど、こいつはそもそもその前提を覆すものだ。先の例でいうなら、胃をどうにかするのではなく、肉体と肉のブロックをまとめて処理することで対応している。つまりは胃に肉の塊があるなら、全身丸ごと溶かして、肉を栄養にして血に溶かした状態で再構成しているのさ」


「めちゃくちゃではあるけど、合理的だね。人間は弱い。なら、無理に能力を付加するよりも作り直した方が速い。壊れたものがあるなら、買いなおした方が速いし確実ってのは誰でも知ってる事実なのだから」


 苦しんでいた彼がシチューに変わる。ペースト状になり泡立つ肉体、腐ったようにとろける内臓。直視できるような光景ではない。そして、彼からは意味のある声が聞こえてこない。

 ……狂ったかな、と思う。意識を手放せば、肉体の再構成ができない。その結末は死だ。


「ああ、もちろん肉体の再構成なんて無茶をやれば痛いに決まっている。神経の集中している足指をぶつけると痛いよね。でも、これは神経そのものを溶かして、はっつけて、また剥がしているんだ。痛みは比べ物にならない――その数も、そして質さえも。これで狂えば再構成は意味のない肉塊になり下がる。そう、ただの”シチュー”になる。恨みだけ残れば魔物の出来上がりだ。……残念ながら、君はシチューになってしまったようだね」


 ごぼごぼと湧き上がる赤黒い粘液。その中に腕やら足やらが突き出ている。残念な結果になってしまった。僕はため息をつく。まあ、そうそう成功するようなものでもないか。


「どうやら君は妹ちゃんを守るナイトにはなれなかったね。……さようなら、もし万が一意識が残っていたとしても、その苦しみはすぐに終わるさ。魔物は人を殺すものだからね。もっとも、脳がとろけているんだ。どうせ意識すらもないだろうけど」


 パチン、と指を鳴らしてデバフを消滅させる。……止まっていた時間が動き出す。そう、魔物も――妹ちゃんも。


「っひ! きゃああああああ!」


 彼女は悲鳴を上げた。

 握っていた手が消えて、目の前には人体のシチューが泡立っている。正気で居れるはずがないだろう。吐いちゃってる。手に残ったお兄ちゃんの残骸を必死に地面になすりつけて。


「……食い殺されるのは苦しいかな」


 ちょっと考えて、うん。やっぱり、誰でも痛いのは嫌だよね。それも、耐えたとしても何も得るものがない。死がゴールの、意味のない苦しみだ。

 何もわからぬまますぐに犬どもに食い殺されるのだとしても……


「お兄ちゃん。お兄ちゃん……どこ? 助けてェェェ!」


 妹ちゃんの泣き叫ぶ姿はあまりにも哀れで見ていられない。

 とりあえず、毒薬をあげよう。僕が持ち込んだ品だから、苦しむ暇もなく完全に死ねるはず。……あれあれ? 取り出そうとしたら、”シチュー”が蠕動した気がする。


「お兄ちゃん、どこ!? お兄ちゃああん!」


 腕が生える。……腕。腕に刃物が生えそろっている。それは、大小さまざまな刃物が腕から生えている異形の腕だ。地をつかみ、己を引き出そうとする。頭が、腹がシチューの中から引き抜かれていき――


「俺の妹に、手を――出すんじゃねええええ!」


 ぶん殴った。殴られた犬はぐちゃぐちゃになって飛んでいき、地面にたたきつけられたところで霧に帰る。……成功、した?


「おらあああ!」


 力任せに魔物を殴りつける。全力で殴っては次の獲物を探して突っ込んで、また全力でぶん殴る。10体ほどいた犬の形をした魔物たちは瞬く間に殲滅されてしまった。今の彼は元々の身体能力とは桁が違っている。魔人はそういうものだ。


「お誕生おめでとう。君の名前を聞かせてもらってもいいかな?」


 パチパチと拍手する。……うん、僕は本当にかっこいいと思ってるんだよ。妹の助けを求める声で己を再構築した。女の子のピンチに駆けつける様はまさにヒーローじゃないか。


「……鴻上、咬牙」

「コーガ君ね。君は栄えある魔人となった。その子を、ひいては人類を守るためにその力を振るうといい」


「なに、考えてやがる? 代償とか言って、妹を奪う気か」

「そんな気はないよ。それに、代償ならもう払ったじゃないか。あの痛み、そして実際に君はあのシチューのまま死んでもおかしくなかったんだよ? 試練を乗り越えたんだ。僕は神様じゃないからね、試練を乗り越えたらご褒美くらいあげるさ」


「……てめえの名は?」

「おいおい、恩人をそんな風に呼んじゃ駄目だぜ。僕の名はルナ。冒険者ギルドに行き【翡翠の夜明け団】(エメラルド・ドゥーン)というものを訪ねてみるといい。悪いようにはしないはずだよ? せいぜい悪い人に目をつけられないようにね」


「……言われるまでねえよ。俺らドブネズミが目をつけられていいことなんか何一つないんだから」

「くすくす、あまりいい身分ではなかったんだね。まあ、これからはまとめて難民さ。それも生き残れる幸運を持っていたら、の話になるけどね。その中では君たちは幸運だよ。戦える力がある」


「お前とでも……か?」

「やれやれ、誰にでも噛みつかずにはいられない狂犬……いや、むしろこの場合は痩せ犬かな。恩人にはあまり吠えない方がいいよ」


 やれやれと肩をすくめる。彼はもう飛びかかる体勢だ。実力差を理解できていない。というか、その力は僕があげたものなのに牙を剥くとは、理解しがたい考え方だ。


「うるせえ! てめえだってガキだろうが。あんま舐めてんじゃねえぞ、この野郎!」

「君が弱いのは適正評価だと思うのだけど。まあ、かかってくるなら来てみるといい。ちょうどいい性能試験になる」


 僕はやっぱり技術を扱う人間として壊れる前に評価はやっとかなきゃだよね、などとつぶやくと彼は怒ったように叫んで、突っ込んでくる。


「俺たちは、ネズミじゃねえ!」


 全身のばねを生かした強靭で速い一撃。


「人間だね、それが?」


 拳を受け止めた。当たり前の話だが、彼の腕に生えた刃は僕の手のひらに刺さりもしない。やはり、攻撃力は僕の作った【雷黄】に劣る。もしかしたら中級魔物を一発で倒せないかもしれない。……素体が素人ではこんなものか。


「ざっけんなァ!」


 彼は遮二無二立ち向かうが、全ての攻撃を手のひらではたき落とす。ペシペシペシ。技巧もへったくれもない素人ががむしゃらに力いっぱい殴る動きじゃ簡単に見切れてしまう。それも、刃の生えた腕は一本でそっちしか使わないなら児戯だ。


「あれ――思っていたよりも攻撃力が弱いね。耐久力が弱いのは予想通りなわけだけど。それにしても切れ味が悪い。これじゃ、単なる鉄の塊だよ」


 少し勢いを込めて叩く。


「鉄のごとき強さ、その程度ではこんな簡単に砕ける」


 それだけで、腕に生えた無数の剣の10や20が砕け落ちた。


「こんなものは刃とは呼べないね。ただの棘だ」


 腕の痛み、そしてなにより頼りにしていた刃がいともたやすく砕かれたことで彼は呆然と動きを止める。止めてしまった。

 ここでやるべきは現実からの逃避ではなく、具体的な逃走だ。もっとも、戦闘訓練を受けていないからしょうがないのかな。


「君は――もしかして、失敗作かな? 失敗して、それでも現世にとどまる亡霊に過ぎないと。そう、君はあまりにも弱すぎる」


 がしりと首を掴み、締め上げる。抵抗しても無駄……君の攻撃は僕のアーティファクトには通じない。


「失敗作は処分してしまおうか」


 少しづつ力を込める。もちろん、嘘だ。命まで奪う気はない。けれど、ここで秘められた力を開放しないとかっこ悪いよ、お兄ちゃん?


「……あ」


 瞳が濁る。力が抜ける。殺しはしないけど……このまま落ちるなら見込みはないね。せいぜい小物を狩って小銭を稼いで妹ちゃんを養う日々か。ま、それもいいかもね。

 野良犬暮らしから、ネズミ掃除にグレードアップしてるだろう。どちらも明日も知れないと言う意味では50歩100歩でしかないけれど。


「ッお兄ちゃん、がんばって!」


 妹ちゃんの声。必死で、泣きそうな――お兄ちゃんを心配する声。応援する声だ。彼の瞳に色が戻った。


「っがあああ!」


 刃の生えた手が僕の腕を握る。ぎりぎりと、自らの刃が砕けるまでに力を込めて。


「それでも、英雄の器には程遠い。魔人としても不足に過ぎる。頭が良ければA級にはなれるかもしれないけど、しょせんはそれ止まり。いずれ来る脅威に対抗する戦力にはなりえない」


 この程度の力で僕の絞めあげる力は弱くならないよ?


「っぎ! いぎ――おおお!」


 掛け声。でも、無駄さ。威勢じゃなくて、力を示せよ。少しは期待してるんだからさ。


「っふ!」

 

 ごお、とあごの下が鳴った。……蹴り。


「ぶっ死ねえええ!」


 どすどすどす、と拳が突き刺さる。連撃、刃に頼るのはやめたか。そうでなくては。よちよち歩きでも、教え子が成長するのを見るのはいいものだ。


「……けひ」


 顔面に、思い切り刃の生えた拳を叩き込まれた。


「――ッやったか!?」


 小さな体が飛んで、バウンドして地面に落ちる。……そして、僕はぴょんとばね仕掛けの人形のように立ち上がる。


「すごいすごい」


 ぱちぱち、と拍手する。彼は苦い顔だ。


「よく見てよ――ほら、傷がある。君はちゃんと、僕に傷をつけることができた。大快挙だね。それは、あの【雷黄】でさえできないことだ。ま、そいつを倒したのは僕が見初めた英雄だけど」


 ふ、とくちびるを吊り上げる。……きっと、とっても凶悪な顔に見えている。


「お駄賃だ。見せてあげよう――体の使い方というものを」


 一歩で目の前まで踏み込む。獣のような本能的で荒々しい動きとは全く違う。最速、最大の一撃を生み出すために生まれ落ちた、一つの武の極致にして終点。


「――ッ!」


 彼の目にはいつ来るかわかっているし、防御のために腕を盾にできてもいる。見やすいように彼の半分程度の身体能力でやっているから当然だ。


「……殺!」


 気迫とともに体のばねを連結させ、拳の衝撃を完全に叩き込んだ。


「……が」


 悲鳴なんてあげられるものではない。そんな無駄はない。吹っ飛ぶ、なんてこともない。そいつも力の無駄。衝撃を完全に叩き込んだからには、無駄が生まれる余地など一つもないのだ。そして、気合ですらも無駄に発散すればいいというものでもない。


「重要なのは吠えることじゃない。針のように殺意を束ね、貫き通すこと。それがわかれば、君のめちゃくちゃな動きも少しは良くなるだろう。本気は出してないから、10分もすれば回復する。その間は魔物が近づいてこないようにしてあげよう」


 くる、と後ろを向いて歩き出す。空間に停止をかける。つたなくて、それこそエナが通れないようにするには不足だが、下級魔物程度なら問題なく足止めできるものだ。

 今の状況なら最強の守りと言えよう。


「次に出会うときは、もう少し強くなっておきなさい」


 聴力を強化すると、まだ隠れて生き残った人間はいるようだ。けれど、戦っている音はしない。これ以上この町でやることはない、か。

 アルカナに影武者を作っておいてもらったから、それと交代することにしよう。これから【光明】と合流、別の街へ向かう手筈になっている。


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