第38話 風見町の滅び side:ルナ
【雷黄のツヴァイシュヴェルト】と【光明】の戦いを見届けた後、ルナは上空に待機させている箱舟への転送を利用して風見町に戻ってきた。
そして、その感想は「なんだこれ?」というものだった。
「町が壊滅した。いや、現在進行形かな」
眼下の建物のいくつかから炎が上がっている。そして、大通りは赤と黒で染め上げられている。それは魔物と犠牲者の血でできた地獄絵図。
「どうなってんのさ。まだ魔物のお客さんは行列待ちしているんだよ……?」
誰も見ていないのにおおげさに肩をすくめる。
妙な言い方をしたが、つまりは魔物は続々と到着している最中である。群れの先端に壁をこじ開けられたとしか考えられない。中級の到着を待つ必要もなく陥落していたとすれば、もうがっかりだ。
……だが、下級魔物では壁を破るのは無理なはずだ。厚い土の壁を叩き壊せるほどの膂力はない。掘ればいいのかもしれないが、鉄板がかぶせられているし――なによりもその方法では数時間は要る。援軍の到着まで持ったはずだ。
「こういうの、人対人なら内部に内通者がいて、門を開けたと考えるのが自然なんだろうけどね。たださあ、裏門ならともかく何で表門が空いてるのさ」
本当に、わけがわからない。表門は普通に外側に開いている。魔物に破壊されたらこうはならない。
裏門はただ逃げるために開けたとすれば自然だけど、表門はどう考えればいいのやら。相手の魔物はあれだけ下級なら野犬と変わらず策を擁するような知能はないのに。
だからこそ、壁と銃があれば対処可能だったはず。そういう目論見で方針を立てたのに、町のやつらがダメダメ過ぎて完全に予定が狂った。
「う~ん?」
首をひねってしまう。いや、ほんとうにどうしてどうなった? ちょっと僕の想像を超えている。もちろん下の方に。光明のように想像の上を行ったわけじゃない。
無関係な僕はとっとと去ってしまってもいい。契約はしていない。約束は、中級以上は何とかするといったがそれは果たした。【光明】も、戻って来るためにはもう少し時間がいることだし。
「――それに、僕は別に謎を解かなきゃ気が済まないって性分でもないしね」
銃の音がパラパラと聞こえるのは、まだ抵抗している人間がいるということだろう。
けれど、それを覆い隠すほど多くの悲鳴が響いている。この段階までくれば僕にできることは何もない。もろともに吹き飛ばして安楽死させてやることは――それは”できること”には含まれないと思う。可能不可能で言えば可能でも、きっとそれはやってはいけないことだから。
「……あれ?」
なにか、見知った顔が見えた気がする。あの、弱そうな割に自信に満ち溢れていた――
「ああ、あのA級か」
記憶を探ると、すぐに思い出した。
「やあ」
ぴょん、と跳んで彼の前に着地して声をかけた。
「……っひ! き、貴様は――」
後ろの5人の女をかばうようにナイフを構える。震えている――さすがに、あれだけボコボコにされたのだから僕に勝てるとは思ってないらしい。学習能力、あったんだね。
「くすくす、君はなかなかに男前だったんだねえ。まさか勝てないのを理解してなお、僕の前に立ちふさがるとは――ね。手が震えているよ」
「何しに来た! まさか――」
「いや、僕の仕事が終わったからこちらの様子を見に来ただけだよ。もう、残っている魔物は下級だけさ。ああ、戻るのが早すぎるって? それは企業秘密で、僕にしか使えない手段なのさ」
「じゃあ、俺を殺しに来たんじゃないのか……?」
「いやいや、無益な殺生はしないさ。……ああ、助けに来たわけでもないから」
「そんなものを誰が貴様に期待するか」
「おやおや、ひどい言い草だ。でも、間違ってはいないね。ところでちょっと質問。君たちは裏門から突破するつもりかな?」
「……ああ」
「それはやめておいた方がいい。なぜか表門が開いているから、一本道は全部地獄絵図だよ?」
「な……あ――」
驚いている。どうやら何も知らないらしい。まあ組織だった抗戦ができなかったからこそ町はあっけなく壊滅したのだろうけど。
「まだ横は魔物が群がっていないから、一人一人上に持ち上げてやれば逃げられるよ。その前に周辺の魔物を駆逐しておくことをお勧めするけどね。そのくらいなら、お前にだってできるだろ?」
「できる、が――お前、何を企んでる?」
「なにも。ただの行きがけの駄賃さ。生き残れたらいいね? そっちの恋人ちゃんたちも」
ニヤリ、と笑って飛び上がる。
「まあ、気張ってね――僕としては、誰も知らない英雄の物語も、復讐に狂う男の物語も好きだから」
少しアドバイスをしてやった。得られた情報はないが、まあ頑張っていたようなので多少優遇してやってもよいだろう。
そして、もう一人。いや、グループ、かな。一応抵抗できているグループがある。それも、大通りから少し離れたところで。それは激戦区に突っ込んだ上で、犠牲を出しながらも横道に撤退できた証だ。
「……こんにちは」
時の止まった世界で笑いかけた。種明かしはとても簡単。そいつら以外に停止のバッドステータスを付加した上で結界を張っただけのこと。一番の得手はアルカナでも、僕が魔法を使えないということじゃない。
「……ぎゃああああ!」
銃声。……小型の機関銃――というよりもサブマシンガンか。流石にこの世界の人間とは言っても、携帯できる火器はそうでかくないか。銃弾が迫る、けど何もしない。
「なんでそう怯えるかな? あれ、そっか。君は――アレだ。一昨日会ったよね? うん、その時やりそこねちゃったから、だからか」
けらけらと嗤う。
うんうん、納得した。僕が君たちをわざわざ殺しに来たと思ったのか。自意識過剰だねえ、本当のところは目立ってたから首突っ込んだだけだよ。当たった銃弾の音が少しうるさい。まあ、目くじら立てるほどのことでもないけれど。
銃はおそらく一番イイのを貰ったのだろう。そして精鋭の護衛が犠牲となって逃がしたからこそ、まだ生き残れている。まあ、そんなことに精鋭を無駄死にさせたから陥落したのだろうけど。
「なんで――なんで、お前がここにいるんだ!? お爺様が、最前線に送ったって」
「ん? ああ、いや。そんなことできるわけないじゃん。根回しとか、得意そうではあるけどね――僕はこの風見町の人間じゃないんだぜ。そも、僕は冒険者組合に恩なんてないんだぜ。だから、たとえ組織の方から押さえたって無駄なんだよね」
そして組合の黒幕である【夜明け団】からもそんな指令はもらってない。
もしかしたら扉の前でたむろっていた男の一人は何か鍛冶屋ギルドからの文でも持っていたのかもしれない。まあ、どうせ拒否するから無駄だったけど。
「……ひィ! じゃあ、お前は、僕を殺しに――」
ついに弾丸がなくなる。弾が尽きても無駄に引き金を引くものだから、カチカチと音がする。
「違うよ、でも――助けに来たわけじゃないという点では正しいかな」
「ッくそが! お前ら、こいつを殺しちまえ!」
弾丸が尽きた銃を捨てて、叫ぶ。
「」
そう命令された奴らは、震えてうずくまっている。……やれやれ、心が折れたか。ま、戦いも経験していないチンピラだ。無理もない。
「僕という魔王と相対し、心が砕けたのさ。そいつらはもう、犬の餌でしかない」
こうなれば、もう――ここを脱出できる可能性などない。戦う気のない者は地獄で生き残れはしない。
「……犬?」
「犬っぽいだろ、あれ。少し話がしたかったから止めてるけどさ、アレをどうにかするのも、この窮地を脱するのも君自身なんだぜ」
「……なにを――」
「ああ、安心してくれていい。僕は君の死刑執行人じゃない。いや、そうだね。選択肢を上げよう。君は力を求めるかい? たとえ人を捨てたとしても――」
「誰がお前なんかに!」
「そう、それが君の選択か。それじゃお別れだ。忠告だけど、さっさとその銃はリロードした方がいいよ。お前はまだ弾倉を隠し持っているじゃないか」
「ぐぐ……言われずとも!」
そいつらは、あふれ来る魔物どもに抵抗むなしく食い殺された。
次は、比較的銃声が多く聞こえる場所に足を運ぶ。そこは門周辺どころか町の中心、もっとも大きく煌びやかな豪奢な建築物だ。
「……ああ」
なるほど。表門に戦力が見えなかったのは、兵をどこか偉いところの家の護衛にあてていたからか。
――って、本当に馬鹿かコイツは。壁を破られた時点で、もはや守り切る手段はない。盾がなければただ数に押しつぶされるだけなのだ。これほど簡単に陥落したのは、戦力運用を完全にミスった事情も大きい。
なぜなら冒険者で言うC級以下が銃でもって魔物と相対するならば、壁が必要だ。だって、敵のほうが多いに決まっているから。相手が自由に動けたら数に飲まれるのみ。
「失礼するよ、と言っても聞こえていないだろうけどね」
高速で侵入する。魔物の相手に必死な彼らは気づきもしない。全員まとめて雑魚ばかりだ。
「さてさて。上から見てみると、ここが周囲から頭二つは抜けてる豪邸だってわかるね。悪趣味かつ、一番広くてしかもごちゃごちゃしてるだけが、まあ金はかかってそうだな」
ボスはどこだろ、と考えて。ま、馬鹿と煙は高いところが好きって言うし、上の階かな。足を向けて、耳を澄ますと音が聞こえる。ここか。
「……おやおや、君かい」
そこにいたのはうずくまってガタガタ震えるおじいさん。僕を会議の場でコテンパンにしてくれたあの老人だった。そして、先ほど会った僕を襲った無軌道な若者の祖父でもある。
「ひ! うわああああ!」
銃声。銃声。銃声。何度も何度も――そして、それが聞こえなくなって、ガチガチという引き金を引き続ける音だけが響く。
祖父と孫そろって同じ反応をするのだから。なんて無駄な真似をするのだろうと憐れむ他ない。
「ひどいね、可憐な少女に向かって撃ちまくるなんて」
一歩進む。もちろん、体どころか服の繊維に傷一つもない。あんな小さな銃では、ね。こゆるぎもしない。孫が使っていたのはもっと大口径で弾数も多かった。
「うわ。わわわわ……たすけ……誰か、たすけ……」
「無駄だよ、時間を止めてるからね。もちろん、時間停止のデバフをこの部屋全体にかけただけなんだけど。停止した物体に音は伝わらない。外に声は届かない」
「……貴様が、貴様さえいなければァ!」
「どうにもなってやしないよ、いや。そもそもいなかったら【光明】も【夜明け団】の二人もこの街には来ていなかった。僕が居なかったら、彼らは協力してくれなかったんだぜ。それでも君らは負けたんだ――結果なんて変わらない」
「何を言っている? お前が状況をかき回したりなどいなければ、手は打てた! 光明をうまく使って、そして冒険者などという鼻つまみどもを利用してやれば、暴走など簡単に対処できたはずなのだ」
「それが無理だった、って話だろ。今起こってることはさ」
「何が目的だ!? この町を滅ぼし、私を殺し――果てに何をするつもりなのだ、貴様は……ッ!」
「滅びと殺しねえ。君と町の滅びは同列に語れるようなものでもないけど、うん。君の中ではそうなってるんだね。……まあ、いいさ。僕がここに来た目的はただの暇つぶしさ。強いて言えば落ち稲拾いだよ。君が実かはこれからわかることだけどね」
「っ何を――」
「音を遮断してるから君にはわからないだろうけど、さっきから銃声がまばらになってきていてね? 魔物がここに来るのもそう遠くない」
「……やめろ! 貴様、魔物に私を殺させる気で――」
「いや、君の運命に干渉する気がないだけさ。さあ――来るぞ!」
結界を解く。と、同時に扉に重いものが当たる音がする。
「……ひ。やめ……やめろォォォ!」
ドンドンドンドンドンドン!
「あ、そうだ――忘れてた。はい、これ」
さっき僕を撃ったのは装弾数の少ない小型のピストルだった。ここではあまり見ない型式で、おそらくは人間相手の護身用だろう。まあ、僕ほど意地が悪ければ自殺用という裏の用途も見えてくるが。
「それじゃ威力が足りないし、なにより弾を撃ち尽くした。これじゃ僕が無駄撃ちさせて謀殺したみたいになるから、これを使いなよ」
ご老人の足元に放り投げたのは、チンピラのリーダーにしてこやつの孫が使っていた銃だ。死んだ後に回収した。もちろんリロード済みで、安全装置は下ろしてある。ま、さすがにそこまでは言わないけど。
「あ――ああ――ああああああ」
ドンドンドンドンドンドン! ……バン! 扉に重いものがぶつかってくる音が何度も響く。それは絶望の足音、精神を狂わせるような恐怖の音が部屋を満たす。
「さあ銃を取れ、死にあらがって見せろ。人間」
「うぐ……おのれ! おのれぇぇぇ」
空になったピストルの引き金を引き続ける。カチカチカチカチカチ。
「ルナ・アーカイブス。この恨み、忘れてなるものか。私は、私はァ――絶対に生き延びてやるぞ! そして、殺してやる。地の果てまで追い詰め、仲間もろとも凌辱してくれる……ッ!」
カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ。生き残りたいなら使えるほうの銃を取ればいいのに、と僕はあきれ果てるばかりだね。
「私は、生き――
犬の吠える声。そして、人が食われる音。くちゃくちゃ。
「いや、僕は単なる傍観者なんだけど――」
恨まれても、ねえ。知ったこっちゃないとしか。老人を食い殺した犬は引き上げる。新たな犠牲者を探しに――
「いきる。……イ……き……」
そして、ずりずりと這いずる肉塊が残された。
「あれ? 生きてたの、君」
肉の5割くらいが食われて無くなっている。血が多量に噴き出て部屋を濡らしている。致命傷だ。間違いなく生きているはずがない。
「生への執着。英雄のそれではなく、魔的なそれ。そう、君の妄執はまさに魔の領域にまで踏み込んでいる。……君はそんなに死にたくないかい?」
問うても、垂れ流すのは生きたいという醜い欲望だけ。あれはすでに魔に堕ちている。輪郭だけではなく、心が人から外れている。
「ふむふむ、なるほど。魔物の性質が裏目に出たといったところか。魔物は食い殺すのであって、食うために殺すわけじゃない。殺すために食っているんだ。だから食べ残しがあって、ゆえにこうなった。肉の器があったからこそ、肉塊となり果てても生にしがみつけた。さすがに骨だけに意識を残すのは難しいだろうね。だが、ゆえにこそ避けえない寿命がある。腐って活動停止するときが君の終わりだ――だいたい3か月ていどかな」
彼を見る。すでに瘴気を発している。間違いなく、人の目に触れれば討伐対象にされる状況だ。まあ、もっとも、それまでにくたばっているだろうが。
「だが――だからこそ、君には機会を与えよう。これは拷問で、ただの利敵行為かもしれないけどね……まあその分この町に肩入れしてやったんだからいいだろう。活かせなかったとしてもね」
レーベにもらったサンプルを取り出す。あれに使うというのは、サンプルという意味では不適格。普通のやつに使ってこそ、どういうものかわかるというものだが。けれど。
「こういう、賭けもいいだろう」
アンプルを刺した。
吐かれ続ける声がやんだ。ブルブルと肉塊が震える。……あれ、弾ける? だとしたら、魔力の変化の様子をしっかりと観察させてもらわなきゃね、などと思っていると。
グちゅリぐチュりと変形する。悪臭がひどい。触手のようなものが何本も生えては腐って落ちる。もはや”人”のカタチを保ってはいない。これは――そう、【煉獄】とでも呼べばいいのか。
「あは。ずいぶんと面白い形になったものだね、ご老人。そのまま成長を続けるとどうなるのか、見てみたい気もするけど。しかし、この煉獄が広がるスピードはずいぶんとノロい。君の領域がどこまで広がるか、後の楽しみにさせてもらおう」
僕は、”それ”をそのままにして立ち去った。




