第32話 協定を結ぼう side:グリューエン・レーベ
グリューエン・レーベは「この幼女は油断ならない」と警戒を強めている。
そもそもが団の改造人間の例に倣ったところで、幼い容姿の奴は性格がひん曲がっているのがお決まりだ。表の意図すら解さない狂犬も困るが、こういう輩は裏の意味を見通した上でいやらしい笑みを浮かべながら土壇場でとんでもないことをやらかすから信用ならない。
「で、ここなら誰にも聞かれない?」
ルナはアルカナに抱かれながらもニヤニヤと笑っている。……お見通し、ということだろう。
「ええ。盗聴器はどの部屋にも仕掛けてありますが……切っておきましょうか? この部屋のブレーカーごと落とすことになりますが」
ちなみに大きな町では魔力を動力にしている。魔力炉で生成した魔石を小型機関に放り込んで、そこからケーブルで魔力を機器に供給して明かりや暖を取っている。
魔力がなければ文明的な生活など送れない。全ての文明の礎が魔石から供給される魔力に頼っている。だから建設から関われば盗聴し放題である。
「ふぅん、まあそれはいいや。お互い、見えない程度で戦えなくなるわけじゃないけど」
余裕ぶっている。いや、実際に余裕なのだろう。……この子は頭がとてもいい。そして、高等教育を受けているはずだ。でなければ、先の会談で1を聞いて10を知ることなどとてもできない。
私ならば水銀と聞けば錬金で言えば薬の材料になることも知っているし、いくつかの材料を聞けば何を作ろうとしているかまで――つまり10が分かる。
けれど、素人ならそれは液体金属ということくらいしか知らない、もしかしたら蒸気に毒性があることも知らないかもしれない。水銀と聞いて、水銀という名前の銀色の液体ということしかわからない――つまり1だ。1を聞いて1しかわからない。
前提となる知識があること、それが本当に頭がいいということを示す。この子には知識がある。応用できる頭もある。それは――十分に警戒に値する。大人以上に”やらしい”幼女だ。
「もちろんです。ですが、暗い中で会談を行う趣味も持っていませんがね。このままでやりましょうか」
けれど、付け込む隙はある。このガキの場合、それすらも折り込み済みであることもありえるが――その余裕ぶった面の皮は一度彼が剥がしている。
先の戦闘で、あの人に恐怖したのを私は見た。あの人を圧倒した実力は、確かに最強であるかもしれないが万能ではない。絶対者とはなりえない。
「そうだね。で、君たちはどんな条件を提示してくるわけかな?」
「……私たちの方針はお分かりいただけていると思います」
「うん、魔物殲滅だろうさ。そのためには錬金の業で人を改造さえしてしまう。それは、君の”三本目”
みたいに」
「いえ、私みたいなのはあまりいないんですけどね。なぜでしょう? 便利なのに――」
不思議だ。便利じゃなかろうか。まあ、戦闘方面にはあまり優秀ではない私にはわからないことがあるんでしょうけど。
あくまで私の専門は錬金。腕は、あくまで研究の副産物に過ぎない。
「なんでだろうね? まあ、人間ってのは前例踏襲――前と変わらずが好きみたいだから、そういうことじゃないかな。君たちの組織にすら保守派はいるだろう」
「ああ、いますね。昔は人体実験に手を染めなどしなかったとうそぶく老人どもが。しょせんは主流から外れた日和見主義に過ぎません。まあ、彼らは彼らで金策のために奔走してくれていますが」
「どこでもいるよね。昨日と同じことを今日もやってる方が楽だから。でも、そういうのは君たちの組織の方針ではないんだね」
「ええ。我々は革新を求めています。人類進化のためなら人体実験すらも躊躇することはない――そのような理由で危険視されているわけですが」
「そして、魔物を殺す力を育てるためなら割と手広く何でもやるわけだ。人体実験という闇から、冒険者組合という夢を売る仕事まで」
「ええ、この冒険者組合も数ある中の一つです。そして、あなたとの協定もその一つとなる。我々の示す条件はたったの一つです。――”我々と敵対しないこと”。この条件が守られる限り、団はあなたたちに力をお貸しします」
「なるほど、うまい言い方だ。それなら監視もできるね?」
やはり、わかるか。力を貸す――借りたときには何かの痕跡が残る。
当然、それをたどれば行動も把握できる。さらにうまくすれば行動の誘導すら行うこともできる。しかし、ここでそれを言い出すということは。
「はい。……何か不満でも? あなたのような極大戦力が制御も観測もできずにうろつかれると戦略に狂いが生じるので」
この少女は鋭い。――だが甘い。本音で話してしまえばなびく。なびいてしまう。お互いがお互いに利益を与えられる状況、そして話す言葉に裏がなければ信用する。
裏の意図までは推測できても、裏の裏まで見通す心眼は持っていない。
「まずはその戦略とやらを教えてくれない? 齟齬があると困るだろう。ほら、さっき僕も殺されかけたわけだし」
よく言いますね。
あの鎧を突破など不可能に近い。少なくとも、町中ではそんな火力を出せたものではない。だからこその、この余裕でしょうが。
鎧を突破されないから、どういう風にこちらが上を行っても逃げることは可能と甘く見ている。確かにその通りだが、それならからめ手を使うまで。
「魔物の殲滅――では納得できませんか」
「納得できないね。それは目的だろう? 戦略じゃない。今、人類はどういう事態に陥っていて、何とどう戦うつもりかな。それが分からないとどうしようもない」
そこまで踏み込んでくるとは思わなかった。
だが、ここまで聞くというのは乗り気になっているということでもある。この幼女は酷く他人への共感に欠ける幼女だが、同情心はある。人類の絶望的状況を聞けば協力する! とほくそ笑む。
「実際、あまり詳細を確認できておらず、いまだ決めかねている部分もあるのですが――」
内心を隠し、つとめて深刻そうな顔をする。もはや落ちたも同然。この場は収めたといってもいい。なぜなら、嘘など一つも付いていない。
多少は脚色したかもしれないし、表情は作っているが全てが事実だ。
「かまわない。僕は状況を何一つ知らないんでね」
「団では、すでにS級冒険者パーティ6組の全滅が確認されています。さらに2つの重要拠点の完全破壊すらも。これは【災厄】の、周期から外れた突発的襲来によって発生した被害です。今まで見向きもしなかった重要拠点を破壊されたと言うことは大きな意味を持ちます。今までは人的被害のみでしたからね。ああ、それと【災厄】に限ってはこれのみですが、こことは別の町でも暴走現象は確認されています」
「なるほど。思った以上に人類は追い詰められているようだ。人類に逃げ場なし、そう言って良いね。……質問。暴走のいつもの規模と、今襲われている都市の数は?」
「通常は1000以上が大規模と呼ばれます。小規模では200以下ですね。5000もあり得ない数字ではありませんでしたが、このような小規模都市が体験するものではありませんでした。そして、暴走の総数はいまだ確認が取れていません。少なくとも20以上の街が襲われていると思っていただければ」
「……ぶっちゃけると、人類はどれくらい生き残れると思う?」
「この大陸の人類の総人口が7割も生き残ることができれば良い方かと。5割を失えば我々の戦略を見直す必要があるでしょう」
「君がここにいるのは僕の対処のため以外に何かある? さっさと逃げる選択肢もあったように思えるね」
「今はその意味もありますが、【災厄】が撃退されたと――ええ、噂を聞いて来ました。それは真実でした。そして、今は彼らから離れるわけにはいかなくなりました。彼らこそ文字通り人類の希望となるかもしれない。そんな人間にあの壊れかけのアーティファクトを着させてはおけません。こちらで手配が進んでいるので、それまで事故があっては困ります」
「なるほど。じゃあ、君は今僕らのお目付け役と【光明】の護衛、二役を果たしているわけか」
「はっきりと分けているわけではありませんが、クロイツに後者を頼み、私が前者を担当しています。彼はあなたを見ると抑えきれないなどと言っておりましたので」
「くすくす。そんなことされたら、僕の方も抑えきれないかもね。そういえば、僕は君たちのフルネームを聞いてなかった」
「私はグリューエン・レーベ。彼はヴァイス・クロイツと言います」
「……ん、と――それ、本名?」
「ああ、西洋風な名前には訳があります。団では身体を兵器として改造した際には名前を変えるのですよ。その際には西洋風な名前を付けることが慣習になっています。私にはそれほど大きな変化はありませんでしたが、骨格から変わる場合も多いのでそれ以前に会った人間でもそれとわかる人は少ないですね」
「あれ、そこまで変わるの? 僕たちが変わるのは衣装グラくら……いや、中身が変わっても外見は変わらないけど」
「高い適性を持っていた時には年齢の固定は往々にしてある事態とも聞きます。絶世の美男美人に変わるとも聞きますが。あなたは――まあ、両方では? 姿が幼いままで固定されるというのも珍しいですが、ままあることです」
「そう。把握したよ。まあ、ここら辺の話はあとでしようか。人口の三割で済むならいいと、そう組織は考えているのだけど、それでは二次災害が起こらないかな? 難民の発生、衣食住のリソースの不足。七割生き残っても、残った人に希望がなくちゃ戦えないよ」
「それは問題ありません。リソースなど、魔物さえ倒せば余るようになりますから。人類の隆盛は魔導技術とともに――燃料があるならいくらでも増産できます。そのための設備はありますから。むしろ、人が足りなくなることが課題と言えますね」
「……都市は小規模でも完全に自給自足できる?」
「その問いにはイエスともノーとも。理想的な状況で動けば何十年でも閉鎖した都市の中で生きていくことは可能です」
「つまり?」
「壊れて修理部品が不足すれば直せません。機関などはすべて王都で生産されています。王都とのつながりが断たれれば、町は何もなくとも緩やかな滅亡の道をたどるでしょう。そして、武器弾薬もすでにして足りません」
「ああ、小規模暴走にしか備えてないから、並外れた大規模暴走の前には何もかも足りなくなるってわけね。ところで、君たちとしてはこんな町の10個や20個滅んだところでどうでもいいと思ってるんじゃないかな」
「まさか。人類の文明の結晶たる”都市”が滅んでいいなどと思う人間など、団にはいませんよ。しかし、現実を言えば我々は王都だけは何としても守る必要があるのです。逆を言えば、王都以外は切り捨てられる」
「そして、英雄の存在を望んでもいる」
「その通りです。人は支えがなければ生きていけない。そして、光を見ればまた己も光たらんとするのが人なのですよ。それが急ごしらえの時限爆弾付きだったとしても、人は生きていける」
「人類の総改造人間化――なんて計画は進んでいないの?」
「それは不可能ですね。戦う気のない人間は改造に耐えられない。強い意志を持つ人間、高い素質を備える人間だけが力を得ることができる。でなければ”シチュー”になる。説明もなく実施して生き残れるのは本当にごくわずかの一握り、説明して行えばそれは虐殺です」
「そんな甘い話じゃないか。改造薬のサンプルは持ってる?」
「ええ、どうぞ」
「うん、ありがとう」
彼女は受け取ったそれをしげしげと眺める。試験管から栓を外して手で煽ってにおいを確かめる。無味無臭のはずだが。手の甲に一滴落として反応を見て、それから舐めまでした。
今渡したのはしょせん初級。あれらに効果をもたらすほど強くないが、しかし勇ましいことだと思う。
薬物の扱い方は完全に理解している風。やはり、あらゆる方面に造詣が深い。
しかも、基本的に人を疑う姿勢を崩さないものだから騙すのも難しい。もっとも、騙されなければ利用されないと思っているのであれば、子供らしい甘さという他ないが。
「この町を救うかどうかを決める必要があるか。まあ、九竺たちには見捨てることなんてできないだろうから選択肢はないかな。とはいえ、住民に改造を安易に行うわけにも行かないと――素質は調べることは可能?」
「本部の施設があれば。または専門の技術者に来てもらえれば大まかにはわかります。しかし、この状況ではいくらあなたの要請といえど派遣するわけにはいきませんね。それと、進化薬は貴重なのでおいそれと使わないでください。先ほど人類の総改造と言われましたが、こちらで用意できるのはこの町の人間分もありませんから」
「じゃあ、本格的に運用可能な特記戦力は君ら二人、そして僕ら三人、【光明】の五人。たったの10人でこの町を守り切らなければならないわけだ」
すっくとアルカナの膝の上から立ち上がって、言う。
「いいだろう、協定は結ばれた。この絶対的絶望に対して我々は手を取り合い、ともに未来を切り開くことを誓おう」
彼女の差し伸べた手を握る。
「ありがとうございます。ルナ・アーカイブス。そしてその仲間たち。厚かましいことではありますが、団員ナンバーとこれをお受け取りください」
情報端末機器、現代風にわかりやすく言うならばiPadのようなものを渡す。
「あなたのナンバーはS-010、そしてお二方にはS-011、S-012を。あなたがたは特例的にO5と同等の情報閲覧権限を有することになります。現在のこの町の詳しい状況についてはこのチップを。とはいえ、あまり分かっていることもありませんから、そこは光明の方々の手腕を期待するところですが」
ルナはピ、ピ、ピとなめらかに端末を操作する。
さすがにチップを入れるところは少し探したようだが、その動作によどみはない。……このような情報端末を扱えるのは団内部の人間、もしくは王都の貴族くらいのものだろう。やはり、この少女は得体が知れない。
「了解。僕は先に休ませてもらうよ――明日、作戦会議を開こうか」
アルカナに抱っこされて扉から出ていく。その少女への視線に殺気が混ざらないように抑えながら漠然と思う。
……アレを素材とし錬金の窯に放り込めば、人類の進化はさらにその先へ行けると確信した。
会話ばかりでわからなかった人向けのまとめ
1.翡翠の夜明け団が、何でもするからルナに自分たちに手を出さないでほしいと頼み込んだ。
2.ルナは快く了承。
3.現状は光明を襲ったアスモデウスとは別の【災厄】がSクラス冒険者パーティ6組を全滅、主要拠点2つを陥落せしめた。さらに魔物が大量に押し寄せる現象が同時多発する絶望的な状況であることが判明した。




