SS11話 愚者のゴール
「ルート」
レーベがぽつりと呟く。自らの改造を重ね、何十年と生き抜いてきたレーベの精神はもはやまともではなくなっていた。老化と言うよりも劣化、よって休みたいのにできない躁鬱の症状を呈している。
その幼女に見える老人は、ただ鬱々と新たな敵を睨みつける。ドーピングを使ったためにレーベの残り時間は少ない。ルナの前にたどり着きさえすれば、ストンと首を落としてもらえてそれでお終いにはできるけれど。
――しかし、その前に終わることだけは我慢ならない。翡翠の夜明け団の統率者として、最期の敵は相応しいモノであってもらわねば。
「ふん、軟弱な。あなたはずっと夜明け団を守ってきた、それは賞賛しよう。だが、余計な事ばかりを抱え込んだな」
「……余計? あなたに何が分かるというのです。結局、誰も導けなかったあなたに」
「――ふ。ただ一つの望みに生きる、それが人間というものだろう。俺は昇り詰める、そのために生きている! 疲れなどするものかよ、すべてが上に行くための踏み台だ」
「ふふっ。くふ。あっははははは!」
ぞっとするような冷たい声で嘲笑った。ぐるぐると躁鬱が切り替わって、今は完全に躁だ。カレンの前でやったように取り繕うこともできない。
レーベは大仰な身振り手振りで演説する。それは、ルナが抜けた後で身に着けた処世術。ルナの真似っこだ。
「くだらない! なんと馬鹿げた生き方だ! 貴様ほどの馬鹿はついぞ見たことがありませんよ、ルナもさぞ呆れていたことでしょう。まあ貴様こそがアレの蒙昧の証明か。神に、人を導くことなどできやしない! 何を言おうが上滑りするだけ。そんな体たらくを見るくらいなら、そりゃアルカナの胸の中で目を閉じたくもなるだろうさ!」
「……貴様、レーベ! いくら翡翠の元首領、俺よりも高い位置に就いていようともその暴言は見過ごせんぞ!」
ルートは怒る。まあこれだけボロクソけなされれば怒るだろう。反逆を決行し、そして大幹部の一人を今まさに倒す犯行を見られてこの言動なのだから。
「これを馬鹿と言わずになんと言う!? あの幼い姉妹はともかく、貴様なら人生に答え合わせなどないと知っているはずだ! 報われることもない操り人形どもを、貴様とて始末してきたはず! 人間は、目標すらなく無為に死ぬ悲しき生き物に過ぎない!」
「ああ、そんな愚者は何万と見てきた。だが、俺はそんな人間どもとは違う。舞い上がって立ち止まる、怠惰な姉妹ともな。俺ならその程度で満足しないぞ。そうだ、決して満足などできん。どこまでも昇り詰めてやるのさ……!」
「改造の苦痛も、遊ぶ時間すらもない鍛錬も、すべてはルナに仕えるためにあったという答え合わせ。けれど、それはルナが姉妹を哀れに思って与えてやったレアケースだ。誰も、答えなどもらえない――お前もな」
「当然。誰よりも偉い”地位”なら言えばくれるのだろうがよ。自ら掴むのでなければ意味がないのでな」
ルートは自信満々に返す。レーベはニタリと笑う。笑って、人の傷を抉る。
「お前にそれがあれば、貴様が掴むことに誰も文句などないよ。だがお前に未来の展望などない。貴様の”答え”は不正解だ、手にした宝石を顧みればゴミだと気付く。果てに待つのは何もない空虚に他ならない!」
「貴様は何を言っている? 容易に掴めないからこそ、人は努力するのだろうが! 俺は必ず――昇り詰める」
ルートは権力を追い求めている。その過程を楽しんでいる。ゆえに、権力をもって”やりたいこと”などないのだ。その座に着いたところで幸せになどなれない。手に入れた、その瞬間こそは嬉しいだろう。そう、その瞬間だけで終わる空虚。
「……矛盾に気付くこともできんか。くだらん奴め――お前はあまりにも愚かだ。カレンは勝手に苦労すればよいと生かしたけど、あなたは哀れなのでここで死なせてあげましょう」
「ふっ。ドーピングは我らの十八番だ、持っているのがお前だけと思うな」
銃型の無針注射器で首筋に薬を撃ち込むルート。ニヤリと笑って姿勢を低くする。自慢の脚力で突進する。
小細工で上を行けるなどと思いあがってはいない。それに、ドーピングだって使った。
「そう」
「行くぞ!」
「――」
「……ッ! な、速……!?」
互いに跳んで真ん中で殴り合う、はずがルートは出遅れてほぼスタート位置で対峙することになる。
拳の応酬になるはずが、機先を制された。それでルートが勝てるはずもない。
「疑問に思う必要などないでしょう。それはただの興奮剤ですから」
「ガッ! あ――」
レーベの小さな拳がルートにめり込み、壁に叩きつけられてめり込んだ。特に副作用もないそれでは、レーベの強化率に及ぶはずもない。
それは単にステータスの差だ。武、などと言ったところでただの人間では熊に敵うはずがないのだ。
「やはり素手は苦手です。……ああ、苦しまないで。すぐに首を切り落としてあげますから」
「馬鹿な。馬鹿な。――なぜ」
ルートは血反吐を吐いて立ち上がれもしない。まだ戦えると、目で訴えているが意思を肉体に反映させることはできなかった。特別なクスリであれば別だろうが、それに神経を興奮させて活性化を促す以外の効能はない。
「言ったでしょう。あなたがルナに貰ったクスリは、『フェンリル』などではないのよ。アレはもう、団員に強いクスリを渡さない」
「――」
黙ってしまったルートに刀での一閃を放つ、だが。
「まだ、来るの? いい加減にしてほしいのだけど」
切っ先が溶かされた。レーベが手に持つ刀はルナの作ったおもちゃ、簡単に壊せるようなものではない。それだけの力があるのは団員の中でも頂点に位置する者に限られる。
「余計なお節介かもしれないけれど」
それをしたのはウツロ。居室から動かないはずの彼女が、ここまで来た。
「……私の人望はどうなったのでしょうね」
「それを私に聞くのは間違いでしょう。ですが、死んでほしくないと思われてたのではないですか。――少なくとも、カレンはそのように見えましたよ」
ウツロは穏やかな表情でレーベを諭す。もっとも、人付き合いの少ない彼女にまともな説得は期待できないけれど。
「な……ッ! だとしても、手遅れです。私はもう、終わりにしてしまいたい……!」
「だとしても、それを認めたくないのだから。――領域展開」
レーベは炎のフィールドに閉じ込められる。ウツロの適正は炎、本気を開陳するときにはその炎を表出させる。
「……領域。使うとは」
「私のこれは相手を閉じ込める術式を付加してあります。別に、こんなものは使わずとも良かったのですが」
ウツロは目を閉じる。領域などと大仰に呼んでも、実際には余った魔力を外に吐き出しているだけ。ただの余禄で、それを使うことに意味はない。象と蟻ほどの戦力差、それが可視化されるだけ。
「使えないのを、知って。嫌味ですか」
「『フェンリル』によるブーストでは領域に至らない。それに、幼女化の改造は随分と堪えていたようですね」
「……フフッ。ええ、本当に具合が悪いのですよ。行き当たりばったりで、この身体は”完全”とはほど遠い。遠ざかってしまった。だから、もう」
「終わりにはさせないと言いましたよ」
レーベが刀を投げる。雷を生むおもちゃだが、ウツロに届く前に溶け落ちた。ルナの作ったおもちゃは、しかしおもちゃの域を出ていない。それで本気のウツロと戦うことなどできやしない。
「――!」
試験管を投げる。だが、それは爆発しない。レーベが精魂込めて作った爆薬も、起爆する前に焼き尽くされてしまえば炭と消えるのみ。
純然たる実力差だ。先のルートとの戦闘と同じ。武や小細工が意味を持つのは、あくまで通用する範囲においてだ。
「諦めなさい。いくらあなたでも、私が相手では戦いにはならないのだから」
「ハハッ。さすがは最も神に近きものね。【災厄】の魔石を取り込んだ規格外のゼロ・オーダー。けれど!」
レーベは刀を抜いて切りかかる。だが、刀は抜いた瞬間に燃えて灰になる。領域を展開できる相手にとって10mや100mなど、目の前と変わらない。その存在規模はエレメントロードドラゴンと変わらない。
「届きませんよ」
「それでも! この身体は動けと言ってくる!」
ならば殴るまでだと拳を繰り出しても結界に止められる。それは手加減だ、炎で止めたら燃え落ちる。
「どうすれば止めてくれますか?」
「そんなもの、この身体に聞いてください!」
右から左から、上からも殴り蹴る。けれどすべて止められる。ただし――
「そんなことをすれば死んでしまいますよ」
「アハッ! ゼロ・オーダーが相手であれば……それで満足するしかないッ!」
レーベの身体は限界を迎えつつある。元々バランスを失いつつあるその身体、ドーピングによる生存限界。内側から崩れ落ちつつある手足を叩きつけるように振り回す。
それで、レーベ自身の拳が砕けて血が流れる。
「私を相手に。……ふむ」
「シャアア!」
戸惑うウツロをよそに、レーベはさらに加速する。そんなものでウツロに渡り合えるようになるわけもない。
だが、戦って死ぬだけなら十分だ。レーベが戦うのは倒すためではなく、死ぬためなのだから。
「さて、これは」
「――おおお!」
戦いの展開とは別に、ウツロはゆったりと首をかしげる。レーベは手足を血まみれにしながらも凶悪な笑みを浮かべて戦い続ける。
「やはり、破れかぶれ」
「何を今さら! でなければ、神に挑む不遜など考えるものか!」
「なるほど」
「……何がなるほどだ!」
拳が砕ける。足が折れる。だが『フェンリル』の強化が彼女を生かす。その分だけ死が近づくけれど。
それこそが目的。まったく歯が立たずとも、相手にその気がなくても、そのうちに身体は限界を迎えて死に至る。
「まあ、止めておけばいいでしょう」
「か……は……!」
レーベに深海のごとき圧力がかかる。炎なら焼き尽くしてしまう。けれど純粋魔力で圧迫すれば失神させられる。ただ戦って死ぬことさえも許されない実力の差というものだった。
「死ななければよいでしょう」
「こんなことで……止めたところで」
「さて。ヴァイスあたりにでも放り投げておきましょうか」
「――後のことも考えずに……」
がくりと項垂れ、気絶した。




