第77話 終わりの訪れ
魔物が現れたのは、無論テンペストのみではない。そもそもルナが会った避難民たちを襲ったのはアルデンティアから見て反対方向に離れたネメシスという国のことだった。
その災厄は、この世界に生きる限り誰一人として例外で居られない。
だが、しかし――最も厳しい場所を一つ上げるなら、マルルーシャ村以外にない。テンペストの端の方にあるその村である。
そこは、もはや村から出れば1秒とて持たない魔境と化した。
ルナが建ててやった封印柱……しかし、その守護も頼りない。じりじりと、目に見えるくらいに境界は下がり続けている。その封印柱も、中からギシギシと不穏な音が聞こえてくる有様だ。今にも崩壊しそうなほどに揺れているそれを見て安心することなど出来ようか。
村人は、今にも暴動が起こりそうな有様であった。ゆえにサーラは妹とともにアームズフォートの中に避難していた。
「さて、サーラ。状況は分かっているね」
ルナに呼び出された部屋には、目もくらむような豪華な食事が待っていた。
「ああ。これは君のために用意したものだ。妹の方も、遠慮なく食べてくれ」
ルナはクスリと笑って促す。妹は、見たこともないご馳走の前に喜んで飛びついたが……
「……うう」
サーラの目からは、はらはらと涙がこぼれ落ちる。その裏が分からないはずなどない、レーベから色々と知識を与えられている。
……その知識は望んだものでなかったとしても、理解できてしまう。
「ああ、レーベには来ないように言っておいた。さすがにね」
「それは……ありがとうございます」
「別にいいよ。君も、最後まであいつの顔を見たくはないでしょう?」
「そうですね。……やっぱり、最後なんですか」
サーラは悲しそうに顔を伏せた。
ルナは、ううんと微妙な顔をする。それは……どうでもよいけれど説明に困った時の顔だ。
「君の村は終わりだよ。あの様子を見れば分かるね。別に、君が責任を感じる必要はないと思うよ。村人達は感情的で怠惰な人間だったと、一口に言ってしまうがそれもどうなのだろう。無論、夜明け団としての視点からはそのように捉えるのが一般的だがねえ。しかし寝て起きて喰うだけで居たいと言うのも、それは団員には理解できずとも一つの欲望の形に他ならない。そいつを僕の仲間に迎え入れる気はないけれど、それで責めるのはお門違いさ」
「……はい。みなさん、もっと頑張ってくれれば良かったとは思います。村も、まだ壊されたまま残っている場所もありますし」
「しかし、結末がこれなら壊された場所を直す意味はあったかな? 村人は多く死んだから、住む場所には困ってない。ま、畑を修復して収穫できるようにもなってないのは言い訳のしようもないがね。ただ、怠惰に生きたいなら正解だったかもね」
「正解ですか? サボるのが?」
「そいつはサボりたいんだろ? ちゃんとサボれたじゃないか。来年の食料に困る未来があったかもしれないが、現実ではここで終わりだ。結果論だが、それに意味はなかったぜ」
「そう……ですね。村は野盗の被害で滅ぶ寸前で、私は一生懸命できることをしようと思って……けれど、結果はこれでした」
妹の頭を優しく撫でる。こんなご馳走を食べる機会なんてないと、必死に口に詰め込んでいた。
無邪気でかわいらしい子だ。
「アン、誰も盗らないから、ゆっくり食べなさい」
「……うん!」
にっこり笑って、けれど食べる勢いは変わらなかった。自分も少し食べてみる。……久々に口にした保存食以外の味は、とてもおいしく感じた。
「くく。だが、意義がないと言えば元村長のことだ。はは、あいつ村人たちに殴り殺されちまったんだぜ。笑えるだろ?」
「……笑えませんよ」
「おやおや。村長になった君が村の外を駆けずり回って、酸いも辛いも味わいながら村を復興させようとする中。そんな君が村を復興した後に手柄を横取りしようと、そのために彼は村の中で奔走していたんだぜ。憎くないのかな? 手柄を横取りしようとする愚者は目障りだと、僕は思うね」
「あの人は……」
サーラはアンを抱きしめる。ご馳走に夢中で聞いていないけど、妹の耳に入れたくもない現実の話だった。
「その末路は、味方にしようとした村人たちに殴り殺された。ああ、理由など”殴りたかったから”以外にないだろうね。村への救援物資は君宛だ、君を殺してしまうほど彼らは愚かではなかったらしい。ゆえに、拳を振り下ろす先は色々と目立っていた元村長君だ。痛快だね?」
「――そんな気持ちはないとは言えません。けれど、やっぱり……私はただただ悲しい」
「悲しい、ね。やはり君は僕たちと違うね。もちろん、愚者どもとも違う。それは思いやりというものかね? 僕らの感情は基本的に怒りから発露するから」
「夜明け。明けない夜を切り裂いて朝に到達しようとする者。あなたたちの本質は英雄なのでしょう。……英雄を従える神様は、私に何をお望みですか?」
サーラが鋭い質問を向ける。切り返されるとは思わなかったルナは、ふむと首を傾げる。
「実のところ――何も。君を夜明け団に迎えたのは、その価値観が奇特だったからだ。我々にとってはとてもユニークで、聞く価値のあるものだった。……もっとも、その関係ももう終わりだ。恨み言の一つもあるのなら聞いてやろうと思って招いたんだよ。僕にはその責務がある」
「――そんなこと。私と少し話すだけでここまでして頂いたのです。恨むことなんて、できませんよ」
「人間と言うのは、いつしか支援を当然のものと思う傾向がある。ビンタを喰らうことも、まああるかと思っていたよ。僕たちから見れば逆恨みだが、君がそうする理屈はあると思うね」
「私は……誰かに暴力を振るったりしたくないので」
サーラはただただ悲しそうに震えていた。
それは、やはりルナから見れば興味深い。自分が苦境に落ちた時は、貶めた誰かを探して殴りかかるものだ。それが真実巨悪であれば、それは英雄的行為となる。
サーラはどこまでも夜明け団とは合わない思想を持っている。あえて怒りを自らの内に封じ込めておくのも違った形の勇気ではあるだろう。
「なるほど、暴力への忌避か。あれの影響かな? あえて言うまいよ。ちなみに言っておくと、まあ痕まで残すと暴走する子が居るけどビンタの一発くらいなら受けようと決めていたのだけどね」
「……えと、謝った方が良いですか?」
「ハハハ、困らせたかな? 僕としては君が満足するならどちらでも良いさ。もう僕としても君は知らない相手じゃない。最後に話しておこうと思っただけだからね」
「――そうですか。こんなものまで用意してくれて、ありがとうございます」
目もくらむような豪華な食事。最後の晩餐にしても、やや過剰だと思うくらいに。
「予定よりも余ったからね。実際、こんなに早く滅ぶとは思っていなかった。いや、僕は100年程度は待とうと思ってたんだぜ? そのくらいの気長さはあると自負していたけど無意味だったね」
「アルデンティア。いえ、黄金帝国の帝王が。……こういうことは、考えられるようになりたくはなかったです」
「――クハハ。ま、君はそうだろう。レーベの奴も酷いものだ。あいつに関して何かあるなら聞いておくよ。実はあいつ勝手なことをやりすぎて、団員からも敬われていない節があるからね。僕と違って」
「……ごめんなさい、最後の時まであの人のことを考えたくないです」
「あはは! そうか! ごめんね、君はそういう考え方をするんだったね。よし、もうあいつの名前は出さない」
「はい」
「ああ、遠慮なく食べるといい。休める部屋も用意してある」
「……ありがとうございます。――えと、葉っぱも」
「いいや、せめてもの救いには誰でも縋る権利があると思っているよ」
けらけらと笑うルナ。サーラは、アンに声をかける。
「アン、もっと食べる? あっちの魚、アンは食べたことないでしょう」
「ヤ! このお肉がおいしいの!」
アンは必死に塊肉にかじりついていた。まあ、普通に生きていたら食べられなかったようなものだ。
ステーキなどと、辺境の村娘が食べられるような代物じゃない。
「そう。じゃあ、たくさん食べて。今日は、何も遠慮しなくていいから」
「ふふ、アンはおいしそうにものを食べるね。どれ、僕も少しいただこうかな……」
ルナも、適当に手を付けられていない料理に手を伸ばす。彼女たちはルナの食事を食べられないが、逆なら問題ない。一味足りないような感はあるけども。
「……アンの食べたもの、私ももらおうかな」
「うん、これすっごくおいしいよ! お姉ちゃんも食べるといいよ」
姉妹はしばし料理に舌鼓を打つ。
村では、今まさに封印柱が壊れようとしていた。村人が全員集まって祈る中 ――無情にも崩壊していく。
ビシビシと音が走り、端から砕けていく。封印柱が崩れ落ちるのだ。
祈っても何も意味がない。ただ村の中で与えられるまま怠惰に過ごした。その結末は……瘴気に飲まれ、1秒とて耐えることもできずに死に絶えたのだった。




