第74話 到来する厄災
次の『雷の騎士団』の騎士団長に任命されたのは名もなきその他大勢の一人だった。叩けば叩くほど強い人材が出てくるなんて所詮は幻想で、上位陣が一掃されたときに補充される人間は地位には相応しくない程度の力量でしかないのが当然である。
そもそも、人とは育っていくものであり――地位にふさわしくなれるように努力して力を身に着けていくものだから。
ゆえに、軍の中でも最高位かつ最強の座に居る”王”……それ以外が死に絶えたなど、もはや考えたくもない悪夢であるのに違いない。
国体が揺らぐほどの損傷。それは屋台骨が折れた、もしくは倒れ行く塔と称しても間違ってはいない。
「――やはり、テンペスト方面は酷いものだな。封印柱が起動していてもこれか」
その彼は、テンペストの国境地帯に派遣された。アルデンティアは、各騎士団に人が補充されて形だけ取り繕ったそれらで自国の治安維持を行っていた。
もっとも、”主戦力”は戦を仕掛けてくるクリムノートとの国境地帯に行っている。共に手を取りあって巨悪を倒した後は内輪もめというお決まり的なアレであった。まあ、クリムノートは自国の王を失っていて、拳を上げた先の黄金帝国は滅んでいるのだから事情はあるのだ。
「……うーい」
つまり、騎士団に任命されたのは貴族の関係者か黄金帝国の決戦に参戦できなかったもの。まあ、どちらにしても弱いのだ。
この酔っている彼は強いからと派遣された老境に入る男だが……手には酒、吞んだくれていた。
騎士団長は痛む頭を抑える。こんなんでどうしろと言うのだ、と言うのが本音であった。
「ふぅ。まったく――まともな人材はいないのか」
呟く彼だが、彼は彼とて平民出身だが権力を求めて軍に入った小物の類に入る。試験の成績こそ上位であるものの、実際の戦場すら経験していない。
細々と媚びを売って少しずつ偉くなっていくという小賢しいことをしていたのだが、この状況に当たって大抜擢された。中途半端に偉くなったのが裏目に出たのだ。
……こんな状況では、騎士団長の座など外れくじだろう。
だって、彼自身も己が強くないことを知っている。こんな世紀末では、ちょろちょろと得点を稼ぐこともできやしない。
どころか――明日の命さえも危ない。だって、強いのはこの酒飲みだけで、他は雑魚だ。騎士団などとは名ばかりなのは、自分が一番良くわかっている。
「こいつらを連れて調査任務か……テンペストに踏み込めとまでは命令されてはいないが」
国境の更にその先を睨みつける。そこは滅んだ土地で、ただ何もない砂漠がずっと続いているだけ――
だが、どことなく禍々しい気配が漂っている。
「団長……ここ、大丈夫なんですか? 現れるかも……あの、化け物とやらが」
「ふん……魔物と、正式名称は決まっている。騎士の位を頂く者であれば、1対1で負けるはずがないとのことだよ」
それが、騎士団が派遣された理由だった。テンペストから来た魔物が民を襲い、兵士がそれに対応した。要するに見てこいとのことだ。まあ、碌な調査を行う能力など持っていないが。
「え……でも、そいつって人を丸飲みにできるような虎みたいな化け物だとか」
「お前、それを誰から聞いた? 馬鹿が……適当な噂に踊らされるんじゃない。犬みたいなやつだよ、膝下くらいの大きさしかない。お前がまともに剣を振れるなら倒せない相手じゃない」
「いや――上がそう言って俺らを騙そうとしてるとか」
「資料はきちんと見ろ。あれが怖いのは、確実に人間の命を狙ってくると言うことだ。――この数なら、大した相手じゃない」
そう。どこかで避難民を殺し尽くしていた魔物が居たが……それは、相手が戦う者ではなかったからだ。
騎士であるなら、倒せないのはむしろ恥であるまであるくらいには弱い。
そう、魔物などと言っても、たったそれだけの強さでしかないのだ。
「……団長! 団長、大変だ!」
ばたばたと、高い建物の上で見張りをさせて居た奴が慌ただしく降りてくる。酷い狼狽ぶりだ、騎士団長は思わず目を覆った。
「どうした!? 報告はその場で行え! 持ち場を離れるな!」
「団長――ま、魔物が来た……!」
「チ……まあ、来るだろうな。全員、戦闘準備だ」
「ち、ちがう。違うんだ、団長。敵う訳がない、逃げないと……」
「敵前逃亡は死罪だ。貴様も、この場で殺されたくなければとっとと持ち場に――」
「無理に決まってるだろ! 魔物は、数えきれない数でこっちに向かってくる! 勝てる訳がない!」
「……は? 数え……切れ……」
「少なくとも20匹は居るんだぞ。もっと居るかもな、30を越えるかもしれん。たったの9人で、勝てるわけないだろ!」
そいつは彼にも直属の上司、騎士団長を怒鳴りつけてきた。実のところ、残り者の質が良い訳がない。
「くそ……どうする……!?」
最初に現れた魔物の数が少数だったというだけで、魔物の本質は数である。とくに、この犬のタイプの魔物であれば。
ゆえに、これほどの数であれば前提はひっくり返る。1対1を3回と1対3では、まったく話が別だ。
座って酒をかっくらっていた老人が、嫌らしく口を歪ませて呟く。
「くはは。確かに、逃げるしかないわな。お前の腕では1対1でさえ、油断すれば負けちまうもんな。それで相手の方が多数であれば、どうしようもあるめえよ」
「……お前! 何を勝手に……!」
「うぐぐ……うおおおお!」
そして、怖気づいた彼は踵を返して逃げていく。
「黙れ! 待て!」
追いかけ、背中を斬った。
「っひ! ぎゃああああ!」
「五月蠅い、深く斬っていない。撫でたくらいだ。立ち上がって、戦え。それとも、ここで死ぬか?」
垂れる血をそこらへんの地面になすりつけながら転がる彼に向けて、団長は剣を突き付ける。
まあ、あり合わせの急造部隊だ。信頼関係などあるはずがない。
「だが――どうするよ? 数匹くらいなら俺が相手してやれば良かったんだがな……まあ、何十匹も居るとなるとそりゃあ無理だ。どうすんだよ、団長様?」
嫌味をたっぷり混ぜて、老人が口を開く。団長はその男を睨みつけて命令する。
「言ったとおりだ。全員出撃準備……命に代えても奴らを駆逐する」
とはいえ、何か凄い作戦を考えられたりもしない。この男は権力の犬になっておこぼれを貰うだけの小物。上が消し飛んだという理由でこの座に着いた小物に、この状況を打開する力はない。
最初から、団長に相応しいだけの力などありはしなかったのだ。
「――はは。良いねえ、肉盾の一つもねえとあの数は俺でも無理だからよ。まあ安心したぜ、あんたも勇敢だな」
「ほざけ。貴様もサボれば王に報告する」
「生きていられりゃ、な。まあ生き残ってりゃそのうち助けてやるから、精々恩に着てくれや」
「その時は感謝してやるよ。……行くぞ」
そこらへんの家屋の屋上で、単眼鏡で敵の姿を確認した。向こうが敵ならば、会敵までそう余裕はない。
バリケードを築く余裕はない。だから、何もない国境付近まで歩く。家屋が並ぶ中では思うように動けないからだ。
「……来た」
目の前には無数の黒い犬が走って来ていた。その影のような黒さは自然界にはありえない。なによりも、その目。
人類を殺すためだけに存在する魔物の禍々しさが、肌に突き刺すように感じられる。
「迎撃だ」
団長がぼそりと呟く。つい先ほど仲間の背中を斬った彼に逆らえる者など居ない。斬られた彼も、恐怖に震えながら剣を握っている。
「……ぐびっ。まあ、祝杯の分を残しておかねえとな」
老人だけは、常の通りの有様でその場に酒瓶を置いた。
「「「GuRUuUuOooO!」」」
大挙する敵が魔的な叫び声を上げる。無数の犬どもが飛び掛かってきた。
「うわ――」
「ひぃっ!」
弱気な者は自らをかばうように剣を構え――しかし、犬は足に噛みついた。鉄の鎧を噛み砕き、そいつを地面に引き釣り倒す。
「このぉっ!」
だが、団長は食らいつこうとする二匹の犬を斬撃で弾き飛ばした。
無数の敵? それは勘違いで、30匹と少しだ。そして、こちらは9人だし、敵も全員が一斉に飛び掛かれるはずもない。
次の瞬間にまた1匹が飛び掛かってくるが――
「お……らあ!」
拳を振り抜いた。犬は悲鳴を上げることなく飛んでいく。そして、次の攻撃のために構えを取る。
「おおおおお!」
そして、狙い澄ました突きで魔物の一匹を葬り去った。
「さあ――次だ!」
仲間が居るなら、3匹か4匹までを一人で受け持つのなら十分倒し切れると――咆哮を上げて気合を入れる。
「……くはは。なるほど、魔物ねえ」
老人のもとには、その実力を警戒したのか5匹もの敵が一度に飛び掛かってきていた。だが――
「しょせんはケモノだねえ。連携も何もない……」
ゆらりとかわす。それは幻惑の歩法、そして宙をスカした相手を一撃で斬り捨てるのだ。
「くはは。儂の前ではこんなものじゃ。儂の相手をしたいのなら10匹くらいは用意せい……と言うたが、それ以上居るんじゃったなあ」
斬、ともう一匹切り捨てた。
「時間との戦いか? あの頼りない若造どもがどこまで持つか……」
誰よりも危険地帯に入り込み、誰よりも魔物を切り捨てる。だが、それで勝てるのか……この老人の耳に入るのは悲鳴ばかり。
そして、戦闘が続いて行く。
「はぁ……はぁ。残ったのはお前と俺か」
「おい、小僧。疑問には思わんか?」
背中合わせになり、互いに背中を守る団長と老人。そして、獲物を狙う10匹を越える魔物の群れ。
生き残った敵がじりじりと迫ってきているのだ。
「疑問だと?」
「……儂は、20匹以上殺した。お前は?」
「7匹……8匹だったか? おい、数が合わんぞ」
「しかし、援軍が来た様子はない。これは……なんじゃ?」
あいまいな言葉。とはいえ、死んで行ったとはいえ他の者も何も成せなかった訳ではない。6人合わせて数匹は殺したはずだ。
その合計は攻めてきた魔物の数より多いし、なによりも……では、今取り囲んでいるこいつらはどこから湧いて出た?
「な……ッ! おい、冗談だろ」
「どうした? 小僧」
「あいつら、増えた。空中から、溶け出すみたいに……!」
「ほう。……なるほど13匹から14匹に増えておるな。……今、15匹に増えた。複製だが復活だか知らんが、小癪な手を使いおる」
「……なんだ、音が?」
「音ォ? 小僧、案外余裕があるのお。儂はどう逃げれば良いかとばかり考えとるぞ」
「はは、笑うしかないな」
「おい、小僧? 狂ったか?」
「援軍が来なかった? ああ、来なかったさ――今までな」
「何を……なッ! 馬鹿な!」
ドドドド、と聞こえてくる音。あの30匹は先遣隊だった。そう、アルデンティアを滅ぼすため、魔物の本隊がやってきたのだ。
その数にして100を優に越える軍勢だった。
しかも、姿形はまったく同じ。であれば、あの増えるのも使えるのだろう。まあ、死んだ分を補充するというのが本来と、信じたいところだが。
どちらにしても救いにはならない。今目にしている16匹でさえ、倒し切れないのに。
「この数……アルデンティアが終わるぞ。私に任された『雷の騎士団』……しかし、本物の騎士団長――マティルス・サンベルタ様さえ居たのなら……ッ!」
「よせ。あやつは死んだ、もう居ない。だが、今のアルデンティアにこれと対抗できうる者など……!」
押し寄せる絶望。
ただ少しばかり数を削ったところで元に戻るだけなのは彼らが実証した。もはや、彼らに生き残る手段などなく――
アルデンティアにも、希望はない。




