第70話 えんげき(下)
ルナ、そしてアリスとアルカナは忍び込んだ避難民たちが集まる場、広場にて気まぐれに演劇を開く。演じるのは自分たち、演じるのが楽しいからと、ただそれだけの理由で。
演じる物語は佳境に入る。英雄のアリスが人類の敵を演じるアルカナと戦う。そして、名もなき戦士を演じるルナが場に現れ、神の力が姿を表す。天空に描かれた魔法陣は災厄すら殺し尽くす力である。
自らを倒せる力が来た事に気付いたアルカナは本気を出す。そして飛び込んできたアリスの剣を断つ。瞬時に炎の剣を真正面に構える。……振り下ろす。
「危ない!」
ルナが飛びついて押し倒す。間一髪、炎の剣が回避されたのを見て観客たちは胸を撫でおろす。
だが、アルカナが逃げたその場所を見ている。脅威は去ってなどいないのだ。すぐに、再び剣を振り下ろす。
「――飛べ!」
「うわっ」
くるんと身体を丸めたアリスが足でルナの胸を押す。ルナは高く跳び上がって、アリスはそのまま後ろに回転して難を逃れた。
素早く立ち上がる。
「とと。――はは! どうだ、災厄! 脆い人間一匹をこうも殺せない有様は!?」
「なるほど。……殺す」
ルナは挑発する。それは、少しでも時間を稼ぐため。
「……」
アリスは折れてしまった木の棒を見る。この劇では、それは勇者の剣。人類の敵、災厄に抗うための力である。
それが折れてしまった絶望は、余りある。
「弱い彼でもああまでしている。……俺が諦める訳には行かない!」
ひゅん、と折れて短くなった木の棒を振るう。それは水の刃を纏い、欠けた剣長を補った。観客はもはやアリスまで魔法を使えることに驚くよりも、熱い展開に歓声を上げる。
「行くぞ!」
そして始まる大立ち回り。信じられないほどの身体能力。噂に聞く、王に仕える騎士ならばこの動きができるのかと驚くばかり。
「おおおおお!」
多少の棒読みも、勢いで誤魔化せてしまえる。アリスは叫びながら遠慮なくアルカナを打ち据える。
しかし、アルカナは痛がる素振りすらも見せない。
不気味なまでに強い彼女は、しかし上空を気にしつつ一向に当たらない様子に腹を立てる。演者としては三流でも、こと戦闘ならばこの世界の人間とは比べ物にならない。戦いならば、魅せられる。
「おのれ、おのれおのれおのれ! なぜ当たらぬ!」
かわすかわすかわす。アリスの縦横無尽の動きは、炎の剣にかすりもしない。観客の目にはまったく手加減しているように見えないのに、水の中の魚のようにするりとかわす。
それが達人の技、すさまじい練度の武術であるのだと分かる。
「――あは! 面白いねえ、『災厄』がここまで手玉に取られようとは!」
「……チィ!」
そして、ルナ。その動きは精彩を欠いている、アリスの武術には遠く及ばない。けれど、命も恐れぬその動きは――かの敵にとってはとんでもなく”邪魔”だ。
まだ生きているのは運が良いだけ。そちらに気を取られた瞬間にはすぐにアリスからの攻撃が飛んでくるから構っていられないという理由だった。
どうにかカウンターを当てようにも、アリスはそれほど甘い相手ではない。片手間に殺せないけど、真剣に相手をするまでの相手でもない。
「――」
「――」
どれだけの時間が経ったのか。いや、この白熱した戦いがそう見せる。……けれど、タイムリミットは迫っていた。
天にある魔法陣に光が充填されていく。それごとにアルカナは顔色が悪くなる。明らかにそれを恐れていることが分かる。
――ついに、光が溢れた。
「ぬ……おのれ、脆き者どもめ! いかに我と言えど、あれを喰らったなら……! こうなれば、手段を選ばず殺してくれるぞ!」
「上等だよ」
「はは……今までやってなかったの、それ」
歯に衣着せぬ彼らにアルカナは青筋を浮かべる。
「疾く死に晒すがいい!」
どん、と地響きがするほどの踏み込み。瞬く間にアリスの前に移動したアルカナはアリスを切り捨てる。
倒れた彼女にトドメを刺そうとして。
「まだ……私が残っているぞ……!」
ルナがアルカナの足にしがみつく。アルカナはわずらわしそうに払いのけ、炎の玉を生み出して撃った。
「……」
ルナは動かなくなる。
「ぐ……ぐぐ」
アリスは重そうに身体を起こす。けれど、アリスにもはや戦う力は残っていない。
「――」
アルカナはその炎の剣を突き刺した。だが、アリスはあろうことかその剣を掴む。アルカナは、その剣を抜こうとするが表情が一転焦りに変わる。……天空の魔法陣の輝きはいままさに頂点に達して――
「1秒、あいつを殺すのにお前が無駄にした時間だ。たったのそれだけだ。だが、その無駄をしていたから……間に合わなくなったな」
アリスは皮肉気に告げる。あの弱い奴にトドメを刺すような、それだけの時間があれば逃げられていたのに。と。
「――ッ!」
アルカナは天を睨む。その天から、極光が降ってくる。
「ぐおおおおおおおおおおおおお!」
叫び、苦痛に呻き……そして倒れた。
その様子を見て、倒れたままアリスが告げる。
「……俺の。いや、俺たちの勝利だ」
アリスが呟き、目を閉じる。軽く胸が上下している。……眠りについた。微動だにしないアルカナとルナ。その結末は想像に難くない。
一人を犠牲に、世界を滅ぼす人類の敵を倒したのだ。
「「――」」
しん、と沈黙が落ちる。そこに集まった皆が見入っていた。終わってしまった、とえも言われぬ寂しさが広がる。
そして、三人はバネ仕掛けのように跳び上がって直立する。
劇は終わり。ルナがステージの正面に立ち、アルカナとアリスは後に控える。……ルナが重々しく口を開く。
「さてさて、皆さんどうでしたか? 敵は『災厄』、人類を滅ぼす彼らはまさに絶望という形容が相応しい強大な敵だった。けれど英雄、そして名もなき戦士が倒して見せた。あの感動を君たちにも届けられたなら、僕は満足だ」
ふわりと笑い、一礼するルナ。それを拍手喝采が迎えた。
「素晴らしい演目でした」
アルカナと話していた男が前に出る。ここのリーダーは彼だから、広場で演劇など開けば彼が来るのは当然だ。
そして、無邪気に喜ぶ避難民たちの中で彼だけは訝しげな顔をしている。
「くふふ。面白かったか?」
「ああ、アルカナさん……旅芸人の方だったなら言ってくれれば」
微妙な顔には理由がある。他の難民たちは面白かった、よかったで済むのだが彼だけはそうは行かない。
あれだけのものを見せられたら、彼らはもう何でも言うことを聞いてしまうだろう。娯楽もない、余裕だってない状況だ。
縋れるものならなんだって良い、そんな苦境だ。だから簡単に奪えてしまう。まあ実際には1か月分の食料を手土産にすれば王様顔だってできるだろう。彼がリーダーとして集めてきたこの者達を乗っとるなんて、容易い事である。
「いや、違うぞ」
「……はい?」
アルカナはどうでも良いと言う顔。彼が苦労して集めた者達を乗っ取るのは容易い。あんな演劇をしたのならなお更に。
けれど、そんな気は毛頭ないのだ。
「ほれ、少し素人芸を見せただけじゃ。散れ散れ、おひねりなんぞは受け取っておらんよ」
ひらひらと手を振って、お金などを取り出して近づいて来た難民たちをしっしと追いやる。
「あ……では、街ではそういうことをやっていたのではないと?」
「ふむ。戦いに関することであればそれなりに、とは答えておこうかの。声を張り上げるのは戦場の常よ。……もっとも、誰かの真似も歌もそうそうせぬがな」
「そうですか。あの――」
アルカナが適当な対応をしている横で、ルナは物陰に隠れて見ている女の子を手招きする。
「ねえねえ、お姉ちゃん」
その子はおずおずと近づいてくる。
「とってもおもしろかった。次は、いつやるの?」
照れながら、はにかんで聞いてきた。ルナとは違い、薄汚れて日焼けだってできている。それはどこにでも居るような子供だ。
まあ、どんなに美しかろうとルナが手を出すことはないけれど。こういう村娘らしい普通さではなく、人外の美しさを好んでいる。
「……ふふん。君も楽しんでくれたかな? 英雄の物語は心を打ったろう。僕たちがここに長居することはないけれど、明日は違うものをやろうかな」
とはいえ、それなりに好ましい存在であるには違いない。その手を取ろうとは思わないけど、それでも明日もやってあげようかと思う程度には。
何より、心を許した存在。アルカナとアリス、二人と好きなように演目を組むのは楽しかった。
今回は適当に演じた。けれど、また同じ演目をやるなら終末少女の子達を前にやるのもいいと思った。ルナは自分一人で満足していた。まあ、反応も中々良いものではあったけれどそれを気にするルナではない。
「ほんと? 新しいのをやってくれるの?」
「うん。楽しみにしてな」
けらけらとルナは笑う。まあ、演劇としての完成度を見れば低いだろう。そもそも準備すらしていない。
それは、木の棒を勇者の剣に見立てていたところからも明らかだ。
それに、銃を出せないからといって炎熱のところに雷を放り込んだから、九竺の魔法属性が水になってしまった。本当は雷だったのに。
もっとも、飛び回って殴ればそれなりに見ごたえのある劇になる。武術の正しい使い方と呼べるのかは分からないが、元々ルナは自分が作った月読流を見世物にするのに躊躇うことなどない。
「――それは、どうもありがとうございます」
「くはは。ならば、もう少し嬉しそうな顔をしたらどうじゃな。村長クン」
ルナの話を横で聞いていた村長は、微妙そうな顔ながらも礼を言った。アルカナは馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
「村長……? まあ、私はそのようなものだと言えますか」
「さてさて。ま、望外の幸運と思っておぬしも楽しめばよかろう。そう、こんなものは神の気まぐれに過ぎぬのだから」
「神様ですか……? この出会いも神様の思し召しだとすれば。いえ、こんな世界に神様が果たして居るのでしょうか」
「ふん。すでにくたばっておるのかもな? あの天空の塔とやらに貫かれて」
「……笑えませんよ、その冗談」
「くっく。さて、どうであろうな……」
アルカナが見る先で、ルナはおばさんやら子供やらに囲まれていた。しゃちほこばって、木の棒を一人の子供に与えている。
アリスはルナの影に隠れているが……人見知りの振りをしているだけで、人の相手をするのが面倒なのだとアルカナは見当を付ける。
「ふむ。では、妾はルナちゃんを迎えに行かないとな」
人ごみをかき分け、アリスごとルナを抱き上げる。
「皆の者、すまんな。ルナちゃんもお疲れのようでな、また明日じゃ」
手を振ると、ばいばーいと笑顔が帰ってきた。




