第16話 【災厄】『怒れるモノ』アスモデウス side:九竺
【災厄】の初撃が村を飲み込んだ。あらゆるすべてを炎が包み込むのだ。しかし、その地獄の炎の中、生きている者らがいる。
爆心地から外れた場所、そこに結界を張って。
「……っぐう! まだ。まだよ――結界は持つ。……九竺ゥ!」
人に到達可能な極限の結界でもって仲間と村人を守った彼女は、次に気合いを見せるのはお前らだと発破をかける。自分の仲間なら絶対に応えてくれると信じているから。
「任せろォ!」
仲間たちは一瞬の迷いもなく直進する。
一歩踏み込んだら皮膚がただれ、肺が焼ける炎熱地獄の中でも恐れはしない。そう、まだ災厄の攻撃は終わっていないのだから。
村を飲み込んだ炎はいまだ健在。ありとあらゆる全てを焼いて焦がし続けている。家族のために食糧を運ぼうとしていた男衆も骸となって焼かれ、灰と砕け散る。
「『炎熱耐性付与』。あんたらも行きなさい、霊。輪廻ェ!」
息は合い過ぎるほどに合っている。彼らは個人の武勇を頼みにする冒険者とは違う、仲間を信じて共に戦う【光明】だ。だからこそ、できる戦い方がある。
「は。赤い人影、人様の形を気取りやがっていい度胸だ……っ破ァ!」
リーダーたる九竺の戦い方は魔法戦士だ。
雷を纏った剣を振り下ろした。その応用能力こそ虚炉に劣るが、突破力では随一。両手に剣を持って戦い、魔法をもって貫く。
動きにくい鎧などつけていない。防御魔術のみを鎧と編んだアーティファクト級の外套を纏い、雷のような形をした二振りの剣を振り下ろす。
「GIAAAAA!」
叫ぶ。魔物は魔的な叫び声を上げて……激高する。ダメージなぞ受けちゃいない。ただ羽虫が目の前を飛び回ることに苛立ちを覚えて、ただ拳で殴ってそのうざったいものを潰す。
「虚心流――『首飛ばしの太刀』」
するりと滑り込んだ刀が、人の影をそのまま立体化したかのようなそいつの人間であればちょうど首の部分に、音もなく飛来する。
虚心流、それは心を無にした最速かつ最大の一撃でただ”殺す”だけの剣術。それだけに特化した刃。
そもそもが硬く、さらには動物的な勘まで併せ持つ上位魔物を屠ることは容易ではない。だが、この流派の上位者はやすやすと殺してのける。
その類まれなる殺意を秘めた刃、完全に決まった刀は魔物の表面で止まる。刺さりもしない。威力が足りない――それは紛れもなく人類の中でも最高峰の力なのに。
「GAGAGAGAGAGAGAGA!」
笑い声? そう思った瞬間に炎が吹き上がった。逃げられない。後ろに跳んで威力を減衰させたところで、これは耐えられない。死んだ……そう思うところだ、一人なら。
「得意じゃないんだが、ね! 『炎熱耐性付与』」
そう九竺が唱えた瞬間に彼を引っ張るものがいる。攻撃役の三人目、霊。九竺の意図を読み取って、全員が生き残るために行動を起こす。
このままで耐えられないなら、二重に減衰させれやればいい。魔法で耐性を重ね掛け、しかし後ろに跳ばないと死ぬから魔法の行使で動けない九竺を霊がひっつかんで後方に跳ぶ。
「GI――GIGIGI?」
これはわかった。疑問だ。なぜこいつらは生きている? という疑問。決めたつもりだったのだろう。殺せたと思ったのだろう。
確かに一人一人の力では、あの一撃を防ぐことはできなかった。だがな、俺たちは生きてる。俺たちは魔物じゃねえ、だから仲間が居るんだ。
「人間を舐めんな。てめェなんざ屁でもねぇんだよ!」
剣を横に握り拳を魔物のほうに向けて、中指だけ立てる。魔物と人間で言葉が通じるはずもない。だが、意思疎通はできたのだろう。すなわち、馬鹿にされた。と。
まばたきなどしていない。格上相手にそんなものができる余裕などあるわけがない。だが、一瞬だけそれをしてしまったのかと思う。
だが、違うのだ。敵の動きが速すぎる。土台からしてスペックが全く違う。動きが目で全く捉えられなかった。
「――ッガ!」
衝撃を感じた。さらには熱。炭と化した家々をぶち抜いたところでようやく気付いた。……殴られた、と。
異空間と化したバッグの中から試験管を取り出して飲み干す。ポーションで回復しなければ動けない。次に攻撃を受けるまでもなく、フィールドの炎熱に殺される。
「っへ。使い捨ての結界系の魔術を込めた魔導布――高かったんだぞ、くそったれが!」
意識を失ってすらもいないのはそれのおかげだった。もっとも、その防護も一撃で砕けてしまった。
だが、欲しかった一瞬は作れた。切り札の一つを切ってまで作った好機。攻撃直後の隙を逃さず、霊と輪廻は全力の一撃を放っていた。
結界の中で絵奈利がつぶやく。
「……『怒れるモノ』アスモデウス」
彼女は戦闘能力よりむしろ情報収集やトラップの解除、感知能力などに優れている。ありていに言えば彼女の役割はローグ=盗賊である。ゆえにこの炎熱の中で災厄と対峙するだけの防御力はない。
「知ってるの? 絵奈利」
こちらも魔術詠唱者だけあって、即時の反応力には劣る。そもそも村人を守るために結界を張っていなくてはならないのだから、攻撃側に参加できるはずもないのだが。
「少しだけだけど。12体の【災厄】の中でも防御力に優れていると聞いたことがある。いいえ、違うわ。人類は災厄を打倒できていないのだもの。正しくは他より攻撃力に劣る、ということになる。もしくは虐殺に特化しているのかしら。うちの奴ら、しのげてはいるけど――仮に束になってかかっていったところで楽にはならないでしょうね」
「ここはあいつのフィールドというわけね。けれど、これだけの炎熱を反対属性で打ち消すにはどれだけの術者が要るか……!」
「いいえ、違うわ。これはどうしようもないもの――災厄。あれを打ち消すのは人間には不可能よ。そんなことを考えるのはただの無駄。狙うべきはただ一つ……極大規模の攻撃を一つに束ねて貫通させる。あの強固な外装をぶち抜かない限り、勝機はない!」
「……私はどうするべき?」
「結界を維持して。そして、三人同時に最大規模のエンチャントを」
「水属性?」
「雷よ。反対属性は密度が違い過ぎて打ち消される。まったく関係ない属性でやるしかない。それに、雷はあいつの十八番でしょ?」
「そうね。九竺ならやってくれる。なんたって、私たちのリーダーなんだから」
「タイミングと位置は私が指示する。あなたは魔術の構築に集中して」
一方、近接戦闘を挑んでいる三人はため息をついていた。
「――おいおい」
「一応、全霊の一撃だったんだけどな」
「……硬てぇな」
三人が見つめる先にはこきこきと首を鳴らすような動作をするアスモデウス。
まったくもってダメージを与えられちゃいない。やせがまん、などと希望的観測をしたいがそれは無理だ。手ごたえから言ってまったく入っちゃいない。
ただ外殻をはじいて”飛ばした”だけだ。ボールのごとく。
「あれ以上の規模の攻撃なんぞ、溜めてる暇はないぜ」
「だが、通さなきゃどうしようもねえよ」
「いくらしのいでもじり貧だしな。ならば」
「俺たち三人の攻撃を一点に集中させて突き破る他に方法はない」
奇しくも相談したわけでもないのに同じ結論に達していた。さすがはパーティ。息が合っている。それでも。
「っちぃぃ」
九竺は迫る火球を紙一重でよける。
かすってもいないのに熱が肌を焼いた。耐性こそ得ているが、しかしそれすら超える災害。汗はだらだらと流れ、肌のいたるところが痛々しく赤くなっている。
山くらいは涼しい顔で汗一つ浮かずに走り抜ける彼らでさえこうなのだ。
これは根本的な戦力差からくるものだから、ポーションでごまかしごまかし戦うしかない。最初から絶望的な戦いなのは知っている。
それでも、おびえる暇などない。そんな無駄をしていたら戦いにすらならないのだ。
強引に前に出て技を放ち、死中に活を見出さねば0.1秒で死に1秒が過ぎるころには骸から灰になる。受けに回ればそのまま焼き殺されるのは確実だった。
「『ライトニングダガー』! ……炸裂ォ」
本来は雷を纏った剣で突き刺し、内側から焼き尽くす技。けれど威力が足りない。突き刺さらない。走るイナヅマすらも、アスモデウスの外装を焼けてはいない。ただ――それでもA級冒険者。通常の人類とは一線を画す存在。なんとか押し出すことには成功する。
「霊ィィィィ!」
信頼する相棒に声をかける。
あいつは俺がこうすることをわかっている。時間を稼がねばならない。必殺技を出すにはいくらかの時間が必要なのだから。
それで九竺にできるのは、吹っ飛ばすことくらい。これでは足りない。時間稼ぎにもならない。それでも――
「無茶ぶりすんな! 馬鹿リーダァァァ」
焼け残っている家屋の下から声が。結論を出した時点で霊は即座に動いていた。殴るのは効かない、なら重りで動けないようにするしかない。
そう、九竺ならこうするとわかっている。長い付き合いだ。性格も能力もわかっている。相棒ならこっちに合わせて何とかしてくれると思って無茶をするのがあいつなのだから。
「っらあああああ!」
めきめきと全身の筋肉が悲鳴を上げる。そして、熱はいまだに家屋を焼いている。それ自体が高熱を発している。手が、腕が焼けただれていく。だが、それでも――
「おねんねしとけやァァァ!」
ぶん投げた。ダメージを与えることなんて期待していない。けれど――何秒か動きを止めるくらいは期待してもいいだろう。祈るように見つめる先でアスモデウスは投げつけられた家屋に埋もれていった。
いくらかの静寂が満ちる。ぱちぱちと燃える音。嵐の前の静寂。ただ一瞬、世界を切り離し己が内に力を貯める。
「行くぞォォォ!」
九竺が叫ぶ。すでに輪廻は裏に回っている。
「GULULUAAAA!」
敵は上に乗っかった焼け焦げた家屋を蹴り飛ばした。空中でバラバラに分解していく。ただだけの動作でアスモデウスは自由になる。
最初から十秒も持つことなんて期待していない。最初からそうなると予想して動いていた。
「虚心流――『影縫い』」
どす、と取り出した脇差を奴の陰に突き刺した。もちろん止められるのは1秒の10分の1にも満たない。存在としては向こうがはるかに格上なのだ。
「「行けええええ!!」」
後方の二人の応援。そして、死力を振り絞ったエンチャントが三人にかかり、溢れ出しそうな力を感じさせる。
「おおおおお!」
そして奴は防御などというこざかしいことはしない。
そもそも急所などあるのかすら疑わしいが、しかし狙いすませたように三人の動きは人間でいう心臓の部分を狙っていた。魔術詠唱者の全力のエンチャントを乗せた三人の必殺の一撃が突き刺さる。
凄まじい衝突音とともにボールのように吹き飛んだ。
【災厄】が家屋のほうにぶっ飛んで行って埋まったことを確認して九竺が言う。
「……やったか?」
「これでだめなら終わりだな」
「3人の必殺技を収束して一点に鎧通した。さらには虚炉の力までのせた。これで貫けぬようなら、どうしようもないな」
緩い空気が流れる。
実際問題、彼らの限界が近いのだ。戦闘時間こそ3分にも満たなかった。だが、激しい炎熱地獄の中、災厄相手に短期決戦を狙って神経をすり減らしたうえで死力を尽くした一撃を針の穴を通すようなタイミングで放つ。
その極限戦闘は、ただの3分で一昼夜も休みなく全力で戦い続けたような疲労を彼らに与えていた。
そして、破裂音が響いた。アスモデウスよりも向こう……誰かの攻撃だった。あまりなじみのない音だが、一応は分かる。これは、この音は。
「……銃か!」
正気とは思えない。冒険者がそれを使うことはない。威力が弱すぎるし、何より補給が必要で装弾数も少ないと採用する理由がない。
それを使うとしたら理由はたった一つ、もろい生き物を相手にする……軍隊の人間だった。
「……ッ!?」
九竺は逆方向からの殺気を感じて跳びのいた。
……ほおが抉られた。唇まで火傷が広がっている。今まで使っていた火球とは訳が違う。収縮させた分だけ威力は上がり速度は別次元、それはアスモデウスの攻撃だった。
気が緩んだままであれば、頭がなくなっていた。どうにも銃声が気付けの役目を果たした。銃声がなければ死んでいた。【光明】もそのままアスモデウスに全滅させられただろう。背筋が冷たくなり腰が砕けそうになるが、ぐっとこらえて相手に怒鳴りつける。
「来んな! 逃げろ!!」
命の恩人なだけあって、邪険にはしたくない。
だが、ここでそいつの力を借りることなど何もない。九竺らはダメージこそ与えられはしないが、吹っ飛ばすことはできる。
まだあれをどうにかできる希望があるとすれば光明だけなのだ。しかしそいつは銃などを使っているのを見るに、それすらも不可能である。多少うるさく騒ぐだけでは何もできない。
だが、それでも人影はこちらに来る。そいつ以外にも何人か隠れていることを看破する。……無駄死になのに。
来るな、と繰り返しても意味はなかった。そいつらはこっちにどんどん近づいてくる。




