第55話 アルデンティアよりの提言
そして、更に時間が経って――秋に入る。それまでの間、夜明け団は何もしない。この世界では、今までもずっとそうだった。
敵は殺すという不文律。けれど、そうでないなら殺さない。滅び行く世界で、懸命に生きようとする努力を無為にするようなことは慎むとルナは言った。ゆえに、彼らが来るのなら、ただ相手をしてやるのみ。ものを知らぬ人間が相手でも、会話くらいはしてやろう。
「……ふむ。ここまで来るとは、何用ですか?」
「アルデンティア、そしてテンペストをも喰らい尽くした悪魔。その強欲たるや見上げたものですね。けれど、大樹をも手に入れようと?」
テンペストに居る生命の火が全て尽きたその頃に、アルデンティアの特使は『フリムニルの白羊宮』にやってきた。
その特使は、政治ではなく宗教側の人間だった。あるいは独自の判断で来たのか……しかし、彼は確かに人を従える種のオーラを持っている。一般人ではないのだ。
「げほっ。ごほっ。――荒ぶる神にお願いしたいことが」
そして、その特使は咳をしながらも跪いた。咳をするのは瘴気に侵されたからだ、『瘴気封印柱』は実際には何も封印しない。ただ瘴気を外に押しやっているだけだから、”ここ”は汚染された土地である。
高濃度の瘴気に1日も晒されれば健康な人間でもそうなる。他についてきた5人ほども健康を害している。
「ふむ? 今さら何の用でしょう?」
「もう封印柱は捨てられないでしょうに。何をすることがあるのか」
そして、宮殿にまでやってきたそいつらを姉妹が相手をする。だが、相手をすると言ってもその視線は冷たいものだ。
ナインスあたりが応対すれば別ではあるが、そもそも姉妹はただルナに仕えることを喜びとするだけの秘書だ。他人を助ける、など思いもしない。
「……この汚染。その根源は『フリムニルの白羊宮』と、我が国の魔術師が突き止めた。この宮殿の稼働を……止めてください」
ただ跪く。そいつは自分の言葉を何も疑っていない。その大義のためならば、自分の命を生贄に捧げても構わないと本心から思っているのだろう。
――それは真に正義と呼べるものだった。
もっとも、その根拠が事実とは異なっていたけれど。
「……? この人間は何を勘違いしているのでしょう。別に白羊宮は何も生み出してなどおりません」
「それとも、封印柱を破壊せよと? 我らがわざわざすることですか?」
姉妹はこっくりと首を傾げた。言葉は通じる、なのに通じ合わない。まあ、この姉妹に分かってもらえるようまで事細かく、粘り強く説明するような謙虚さなど存在しえない。
ただ切り捨て、結論を求める。それは合理主義者を標榜するルナを主とするゆえの悪癖かもしれない。
ただ、説明もせずに結論を求めるのはこの男たちも同じだ。
「ご勘弁ください。私の発言が気に障ったなら――」
「は。私の首を、どうかお納めください」
後ろで跪いていたお供が一人、静かに立ち上がる。そして、ナイフで自らの首を裂いた。――噴水のように血が飛び散り、倒れ伏した。
「地面が汚れましたね」
「なぜ、その男は自害を?」
言葉の通りに汚いものを見る目の姉妹だが、彼らは土下座しているのでその表情は見えない。それは、献身では足らないはずだが……結果がこれでは、果たして誰に向けられたのやら。
「死の神への、捧げものでございます。ご入用であれば、我らの首ならいかようにでも」
その言葉に揺らぎはない。ああ、なるほど彼らは善性なのだろう。滅びゆく国のために立ち上がった勇士なのだろう。
――誰かのために自らの命を捧げることも厭わない、勇者なのだろう。
「別に人間の首など、何の勲章にもなりませんが」
「そこまで瘴気に弱くては、なんの素材にもできませんね」
やはり、姉妹は首を傾げるだけだ。彼らの勇気に、欠片すらも感慨も抱いていない。意味の分からないことを、理解する必要もないとただ冷たく見やるのみ。
「……どうか、伏してお願い奉ります。この世界の、瘴気からの開放を」
そして、両者の理解は交わらず――彼らはただ神への言葉を繰り返す。
「は?」
「不愉快ですね、我らが――忌むべき瘴気を垂れ流しているように言われるとは」
そして、姉妹の拒絶も彼らに伝わらない。
それは”前提”がずれているから。これは決して交わることのない平行線。なぜならば、互いに組織の論理で動いている。組織は内部で自らの正当性を主張しない。
中で働いている者にとって、〈上が正しい〉のは絶対の論理であるのだから。上こそ絶対、欠けたところなど一つもない”完全”であるのだ。
そこは彼らも、姉妹も何も変わらない。同じムジナで、どちらも譲る気は欠片もない。
――どちらを悪者にするか、という話でしかないのだ。
むろん外側から見れば、これは夜明け団の方が正しい。なぜなら技術が進んでいる。誰一人として救う気もないのだから、気楽に正しいことを言える立場でもある。
”強い”のだから、こちらが正しい。向こうが間違っていることなど、科学的手法を用いればいくらでも立証できる。これは、ただそれだけの事実でしかない。
「神よ、荒ぶるならば――」
「次は、私の首を」
す、と二人目が立ち上がった。そして、ナイフで自らの首を切り裂こうとして。
「いや、不要だ」
「止めておけ、その首に我らは価値を付けん」
二人が落ちてくる。彼らにとっては青天の霹靂だが、姉妹は接近を感知していた。空を飛ぶ円盤が、彼らにとっては常識外れの機動力を可能にする。
「ようこそおいでくださいました。ベティヴィア様……そして、ナインス」
「ですが、このような些事は我らにお任せ下されば」
姉妹は杖を突く老人に向かって礼をする。いや、実はその老人は若者なのだがクスリの後遺症によってこのような姿に変わった。
ほぼ隠居でキャメロットの座を失ったとはいえ、鋼鉄の夜明け団の中ではアルトリアやファーファに次ぐ立場だ。姉妹ですら偉そうにはできない。それでも夜明けの方ということもあり、明確に下というわけでもないのだが。
「……ふむ。ここからは私が話そうか」
ベティヴィアが己の瘦せこけた頬を撫でる。見た目は重病人だ、だがどこから現れたのか、そして着地のとき感じた衝撃。
――彼らからはまるで妖怪のように見えた。
「承知いたしました。どうぞ」
「ルナ様も後で来られるようですね」
「ああ、アルデンティアが終わる前にな」
ふ、とかすかに皮肉気な笑みを浮かべてベティヴィアが結論を下す。そこだけは変えようのない真実。
「――それは、どのような」
彼らがどれだけ悲壮な覚悟を固めて来たとしても、変えようもない未来。この世では食う者と食われる者が居る。
アルデンティアは、テンペストを喰らった。だが、いつまでも捕食者で居られるかと言うと、それも違う。いつか捕食者の地位から転がり落ちる時がくる。
「さてな」
ベティヴィアは表情を消す。話が通じているように見えるのは、なんのことはない。子供の姿をした化け物ではなく、爺になら多少は譲るということでしかない。
もっとも、ベティヴィアはベティヴィアでそう見えるというだけで、上澄みに居る化け物だ。
「我らは、瘴気を止めてもらうためにここに来ました。たとえ命をかけてでも――」
「意味がないな」
ベティヴィアとて夜明け団の一員。合理主義であることは変わらない。姉妹と何も変わらない。しかも、姉妹よりも人の話を聞かない。
ただ、変わるとしたら見た目の話。幼女が話すが、爺が話すかは……彼らにとっては大きな問題だった。
「意味がない、とは?」
「瘴気はこの世界が終わった証左。あらゆるところで生まれるそれを、お前たちは『封印柱』によってテンペストに押しやった。全ては、ただそれだけのこと――神でさえ、止めることはできない」
「馬鹿な! それでは……それでは、封印柱が悪のようではないか」
「そうだな」
話にはなる。だが、話になったところで何の意味がある。話相手が幼女から爺になったところで、組織の論理は変わらない。
敵を倒せばハッピーエンド、それ以外の結論など認めることはできないのだ。アルデンティアの上層部は、夜明け団に罪を着せなければ未来はない。
「違う! そうではないのだ。この『フリムニルの白羊宮』が瘴気を生み出しているのなければ、話が通らんだろう!?」
「ふん。為政者らしい傲慢な物言いだ。国が傾くのは誰かが悪意を持って攻撃しているから? 馬鹿な――そんなもの、お前たち貴族や聖職者が贅沢を貪ったツケを民衆に払わせているだけだ」
だが、話の相手はむしろ悪くなった。ベティヴィアは元々反政府思想だ。アルトリアと共に国に反逆し、そして国を追われた。
ゆえに政府に関わる人間のことを嫌悪さえしている。アルトリアだと、自分は出来たぞとの同族嫌悪になってくる。
「な、なにを……」
その敵意を感じ取り、彼は言葉をくぐもらせた。自分を、為政者を否定する視線。そういうのにはとんと関わってこなかった。
なぜなら、彼は”善良な為政者”だ。それも聖職者の側である。そもそも民衆に殺したいほど恨まれるようなこともやっていないのだ。そして、そういったテロリストを相手にしたこともない。
「なるほど。封印柱はお前たちにとっての生命線、元凶だと認めることはできないか。真実など簡単だが、お前たちはよほど自分の都合に世界の方を合わせたいらしい。お前たちがそんなんだから、世界が歪むのだ」
「な、なんですと!? 何度も言っておりますが、この白羊宮が瘴気を吐き出しているのは、高名な魔術師の正式な見解ですぞ」
「正式? そんなもの、お前たちならばいくらでも歪められるだろう。黒を白、白を黒にするのが権力だ。そして……信じられないというのなら、封印柱を一つや二つ壊してしまおうか? 今の封印柱は、そうだな。扇風機のようなものだ、瘴気を押し出している。壊せば今のバランスが崩れるぞ」
「な……なにを……!?」
彼はパクパクと口を開閉させるしかできなくなってしまった。ベティヴィアは出来るし、やる……そう理解した。
もっとも、それで正義や悪、ましてや正しさを語るなど論外だろう。
これはただ、ベティヴィアがアルデンティア王国をも上回る武力を持つという、それだけの話。
ゆえに、この議論に勝利したとも言える。討論の勝敗が腕力で決まるとは悲しいことだが、それこそ世界の真理だろう。
「もうよろしいでしょうか? ベティヴィア様」
「ルナ様は、彼らの王と話をすることに決めました。我々はそちらに行きます」
そして、姉妹が話を終わらせる。話を次の舞台へと持っていく。
「ああ、そうだな。……では、これらも連れて行くか。ナインス」
「は。承知いたしました」
そして、ナインスは残った彼ら全てを一気に掴み――飛ぶ。そして、他の者も飛び、飛んできた円盤に乗る。
一路、彼らの王の下へと向かう。




