第39話 瘴気に沈んだ村
鳥人達に襲われて滅びかけた村が救いを求めて旅をして、しかしスパイが入り込んでまたもや利用された。隠れ蓑として利用された彼らはスパイと争い、そして全滅した。運良く死を免れた村人達も、希望はないと葉を呑んだ。奪われ、利用されたその末路には何もなかった。
利用された者は骨までしゃぶられて終わるだけ、救いなど空想の中にしかなかったということだ。
勝ち残ったのはスパイだったが、結局その場に居た鋼鉄の夜明け団が始末した。彼らとしても非道を働き、村人を利用し尽くしたまでは良かったが、相手の夜明け団は無辜の人々を利用した程度では倒せない。
それでどうにかなるような甘ちゃんではない。敵を殺すのに、巻き込まれた者たちなど考慮しない。相手がたとえ、赤子の首をひねるほどに弱かったとしても。
痛ましい事件ではあったが、ルナは何も変わらず巡業を続けていた。長く生きてきたのだ、それくらいのことで心は痛まない。そもそも惨劇など世界のどこかで起きているもの、今回は目の前で起こっただけで少し遠くに目をやれば毎日起こっていることだ。
そしてやって来た病に沈む村。寂れた村、破壊された村を訪れては救いを撒くルナだが今回はそこだった。
そこは”瘴気”に覆われた村。えてして悪いものが溜まりやすい場所というのがあるのだ。そして、今の閉塞した世界ではそれは増え続ける一方だ。
「……ふむ。中々に興味深いね、なぜこんなところに村を作ったのか。それとも、ここまで瘴気に塗れたのは今になってのことかな? どう思うかな、サーラ」
ルナは神輿の上でいつもと変わらない笑みを浮かべている。だが、サーラとしてはたまったものではない。
据えた臭いがここにまで届いている。忙しく働いている人たちが見えるけど、その人たちも目に光がなく、明らかに調子を崩している。病人が病人を世話する、救いようもない村だ。
「彼らに救いが必要だと、そう言うのですか?」
あまりにも酷い光景の前に、サーラはそっと目をそらした。ずっとサーラはこの巡業に付き合わされていて、王様自らが襲撃してきたときも端の方で守られていた。
存在感を消して全てを見ていた。救いを求めてクスリに手を伸ばす人も、求めているのはそれではないと手を振り払った人のことも。
明日はわが身、とても心穏やかでいられはしなかった。それでも壊れなかったのは……そこで壊れるようならアルトリアやらレーベやらが気に入るほどの器ではないということだ。
「ただただ苦しんで、そして死ぬ。まあ、そのような生に何らかの意味があったとも思いませんがね」
「……レーベ様」
サーラをからかいに来たのか、レーベまでが姿を現した。夜明け団、それも上位層の行動範囲は非常に広い。どこに居ようが、興味の一つくらいで飛んでくる。
特にレーベは、サーラが苦境に陥るとどこからともなく姿を表した。サーラにとっては楽しんでいるとしか思えない。
「この村に、何か御用ですか?」
弱弱しい声で村娘が聞いてきた。かなり村まで近づいているのに、今さらこれとは危機感が欠如していると言われるかもしれないが、この惨状を見れば分かる通り奪うようなものなど何も残っていない。
どれだけ野盗が居てもこの村には近寄らないだろう。病気をうつされてはたまらないから。ここはそんな終わった村だ。
「……ふむ、サーラ」
「レーベ様!? 私に話せと?」
「ええ」
「……分かりました」
深いため息をついてサーラが前に出る。この村の少女は特に気にした様子もない……というか、何かを思うだけの余裕もないのだ。
こんな……滅びかけの村では、外の者がどんな反応をしようと対応するだけの元気がない。
「……」
サーラが目の前に来ても、ただ首をかしげている。
「あの……私たちは苦しんでいる人たちを救うために旅をしています。でも……それは、死んで楽になるということで……あの……」
「死ぬ……ってことですか? みんな、病気で苦しんでいるけど、頑張って生きているんです。だから……死ぬのは、今はいいです……」
「あ……そうですか。……では……えと……」
「……?」
会話が終わってしまった。ルナが神輿の上から声をかける。
「ま、不要ならば押し付けることもないさ。とはいえ、通りがかった以上はたださよならはあまりにも芸がないからね」
「おや……治療する気ですか?」
「悪いかな? レーベ」
「いえ、お好きにすれば良いと思いますよ。ただ、別に長期的な治療データを取る気まではないでしょう?」
「うん、使うのは2,3日かな。もっとかけるかも……それに救いは不要とは言え、薬の処方なら個人で”調整”するべきだろう?」
「ああ、なるほど。まあ、無理やりだろうが何だろうが抵抗などできないと思いますが」
「……人の意思は尊重されるべきだよ、レーベ。まあ、所詮は冷たい現実の前に木っ端みじんに砕け散るものではあるが」
「お優しいことですね、我らの神様は」
レーベとルナがいつものように諧謔と冷たい世界の真理とを織り交ぜながら話していると、サーラが顔を向ける。
「ルナ様、それはどういうことですか? この方たちは、病気と向き合って生きると、そう決めています」
「全体意思としてはそうだね。けれど、個人としてはどうかな? まだ助かるだなんて、馬鹿みたいな希望を持っているのかもしれない。それが無為と分かった時、死を選んでも仕方ないと思うね」
「……治療するというのは、嘘ですか?」
「まさか! やるさ、ただそれほど意味がないけどね。どう見ても栄養失調だ、手遅れは3割ほどで他の者は栄養のあるものを食べてゆっくりと静養すれば治るだろう。ああ、それとここから出なくてはいけないね。悪いものが溜まっている」
「悪いもの? 何が……この薄気味の悪い空気……?」
「ふふ、気付くか。だが、君は”これ”を至る所で感じていたはずだ。そう、アームズフォートの中でね」
「それだけじゃないです。あのケーキ……あれも」
「ああ、あれはかなり魔力を貯めこんでいたからね。見れば分かる、というのも一介の村娘としては大したものではあるけどね」
「あまり嬉しくないですけど……」
睨み合う様な、不穏な会話をつづけた中で。
「――あの、それで……どうするんですか?」
この村の娘が不思議そうな顔で聞いてきた。
「はい。ルナ様はお医者様の知識もお持ちです。皆さん、診ていただけますよ」
「本当ですか!? みなさん、喜びます。こんな場所にお医者様が来ていただけるなんて! 知らせてきます!」
村娘はぱっと顔を明るくして駆け出した。
「どうするんですか? 本当に信じちゃいましたよ」
「別に超一流くらいの知識と腕はあるよ。ただ、彼らについては良いもの食べなきゃ治るものも治らないだけでね。そういう意味じゃ、医者を神様と誤解されると困るね。医者の仕事は、石をパンに変えることじゃない」
「……え。そんなこと、可能なんですか?」
「僕には出来ないさ。神話だよ、誰かの頭の中にだけ存在する神様さ」
「あの……ちゃんとやるんですか?」
「治療ならやるさ。医者を名乗ったのだから、その分の責任は果たすよ。医者にできることくらいはね」
そう言ってからのルナの動きは素早かった。テントを張って、何かの煙で消毒。白衣に着替えた後に村人たちを一人ずつ呼んでいく。
「ふむ。ううん……君は肺のあたりが悪いね。ごろごろと音がするだろう? 処方箋は……こいつかな」
「君は……栄養状態が悪いね。たまにふらついたりするだろう。ああ、膝のあたりに鈍痛もあるかな。ま、まだ動けるならビタミンをたっぷりとれば問題ないさ」
「ううん……君はだね、単に酷い栄養失調だね。たまに意識を失ったりしてるだろ? 他の者に食べ物を譲りすぎ。それと過労だね」
どんどんと患者をさばいていく。その幼ささえなければ、名医にしか見えない。
病の症状をズバズバ言い当て、実際に解説までして見せるのだ。迷いなく薬を選び、つらつらと効能を述べていくのだから。まあ、子供であることを差し引いても信じられないはずもない。
ただし、すぐに息詰る展開が待っていた。そこで診たのは自分で歩ける患者……つまりは軽症者だ。
歩けない患者に対しても、ルナは特に変わらなかった。自ら赴き、淡々と診断し、もう少しちゃんと食えと言ったその口で君に助かる見込みはないと言う。そして、薬をひそかに渡す。それほどの重傷者であれば、意識を失って帰らなくても――不思議はない。
「……ルナ様。あなたは、そんなこともできたんですか? 私は、てっきり」
「あはは。武器を作るのと滅ぼすことしかできないだろうって?」
「い、いえ。そのような……」
「ま、そこまで間違っちゃいない。あれは副産物さ、人を改造するならば人体の知識も必要だろう? なら医者の真似事だってできるさ。本職ではないけれど、素人が手を出せる範囲じゃない」
「あ……」
「ま、病人のデータを取っておきたかったのも事実さ。はいさよならは気が引けたのもあるけどね。本当に寄り添うつもりなら、この村に骨を埋める覚悟をしなきゃならない」
「……それは。無理でしょうね」
本当の聖人のような行為に目を白黒させていたサーラは目を伏せた。納得した。ルナは一線を引いている、それが常人ではありえないほどの割り切りなだけだった。
助けられないものは、特に気に留めない。だって、できることなどないのだから。
「――ええ、それであなたに聞きたいことが」
「レーベ様」
「あなたは曲がりなりにも助手として治療に参加しました。あなたの性格であれば彼らに愛着が涌いたことでしょう。ただし、彼らまでは助けられない……本当に? 大量の物資さえあれば、病に苦しむ彼らをも救えるような可能性があるかも。……見捨てられますか?」
「私が……答えなきゃいけませんか? 救えるのはあなたたちで、決めるのもあなたたち。それではいけないですか?」
そうだ、このことだ。だからもやもやとした気持ちを抱えていた。ルナは何でもできるのに一線を引いて見捨ててしまう。けれど、できると言うなら……自分の村を捨ててこの村を助けてもらうことだってできたはずなのに。
けれど、そんなことが万が一にでもないようにと口をつぐんでしまう。
「いいえ、それは思い違いですよ。マルルーシャ村への支援を続けているのはあなたが居るから。団員ではないといえど、団に置く価値があると認められたのです。あれらは全てあなたへの報酬ですよ。リストは必ずあなたのもとへ送られているでしょう?」
「……な……ええ? でも、私には……そんな……決めるだなんて」
「――駄目だよ、レーベ。あまり虐めちゃあ。……この世界は終わっている。せめて安らかに死を迎えられるように僕らは旅を続けている。幼気な女の子に残酷な現実を見せるためじゃない」
「ま、そうですね。ここらでやめておきましょう。ああ、そうだ……ルートがあなたに星印の強化をしてもらったので調子に乗っているようですよ。面白いものが見られるかもしれません」
「あは。あの子は調子に乗るところがある上に上昇志向も強いからねえ。【紫彩の双祭祀】が上に来て、気が気ではないのだろうさ」
「まあ、遊びの範疇ではありますが……見れるものにはなるでしょう」
くすくすと化け物が笑いあっている。多少理解できたと思うのは勘違いで、やはり彼女たちは人外なのだとサーラは思い知った。