第30話 商売人からの招待状
マレクトの戦士団を破ったアダマント姉妹はルナの居る謁見の間に戻ってきていた。ルナはそこでいつものようにアルカナとアリスに甘えている。
まあ、そんなんでも常に夜明け団の全てを支配しているのだ。ネットワークは翡翠の夜明け団とて持っていて、アルカナならその二つを繋ぎ合わせることなど容易い。ルナを頂点とする組織体系、ルナとアルカナのスパコンを鼻で笑う処理能力があればこそ可能な支配体制だ。
配下も喜んで受け入れているとなればなおさら。
この謁見の場に常駐することを許されているのはモンスター・トループとアダマント姉妹のみである。
ルナは人が多いのはあまり好きではないから。
とはいえ、アルトリアやレーベなどは好きに来て好きに帰っていくわけだが。まあ、この辺の上位者どもはルナも管理しないし出来る気もしない。
今日は、いかなる偶然か常駐の4人だけでなくレーベが居て、更に横の方でファーファとアリスが手遊びをしてそれを後方でアルトリアが見守っているというカオスな絵面が生まれていた。
いや、カオスということであれば別に良い。ここに居るのは、どいつもこいつも偉くて自分勝手な奴ばかりだ。誰が居ようと遠慮するような奥ゆかしさなどない。
……けれど、足を踏み入れなければならない人間が居るのなら話は変わってくる。
「――ルナ様! ……ひっ!」
悪い星の元に生まれてしまったのか、足を踏み入れたのはサーラだった。彼女は緊急事態の直談判を認められてる。
サーラは夜明け団ではないが、しかし色々と気に入られていて我儘も利く立場になってしまった。今日はその権力を使った訳だが、まあ不運ではあるだろう。
「おや、サーラ。今日は村の方に行っていたと思いますが、どうかしましたか?」
後ろの方に放置されている様々な失敗作を物色していたレーベが顔を上げる。
以前は【爆炎の錬金術師】と恐れられ、今は【黎明卿】として夜明け絵団を統率する錬金術師。以前は妙齢の女だったが、今はルナと同じくらいの年恰好としている。その彼女はルナと同じ錬金術師として、教えを乞うこともその作品を研究することもあるわけだ。
その作業を中断してまで話すのだから、よほどサーラを気に入っているらしい。ただし、レーベの浮かべているそれは嗜虐的な笑みであるが。
「……レーベ、様。い、いらっしゃったんですか?」
サーラは彼女に世界の真実を教えられたことを忘れていない。ただただ滅びに向かっていくだけの回答のない絶望。何もかも、方法はない。
教えてくれなどと言った覚えはない。彼女について思うことがあるなら、それは顔を見るだけでも怖いということだけ。事実なのだろう、だけど教える必要なんてなかったのではないかと。
「ええ。実際のところ、今はもう目的も何もないのですが、しかし錬金術師として何もしないのも手持無沙汰なのですよ。ですから、こうしてルナの技術を探ったり研究したりしている訳ですが……」
「……で、ではどうぞご自由に……と言う訳には……」
怯えるサーラとくすくすと笑うレーベ。毒々しい緑色の液体が入った瓶を弄んでいる。ぽん、と後に放り投げると軽い音を立てて着地する。
……割れたら、などと思うとサーラとしては気が気ではない。
「ふふ。これはまた後でやればいいことです。面白そうなことを見つけたので、今はそちらに集中しようと思うのですよ」
「……ひゃい」
息の音が聞こえるほどまで近づいてくる。それは、そう……とても怖い。
「あなたもそれでいいでしょう? ルナ」
「どうぞご自由に。……ルビィ、サファイア。ポップコーンでも持ってきてくれるかい?」
「はい、承知しました」
「それと、コーラなどはいかがでしょうか? ……はい、承りました」
サーラに向けて「こいつ気に食わねえな」という顔をしていた姉妹は、仕事を与えられて嬉しそうに出て行った。
「私の分と、サーラ用の水もお願いしますよ」
「……はい」
「承知いたしました。黎明卿」
「レーベでも良いのですよ。今はルナの元で仲良く大幹部をやっているではないですか? 同格と思ってもらって構いませんよ」
「いいえ、黎明卿。私たちは」
「私たちはルナ様より直々に認められた。……それだけで、貢献ならば比べることもおこがましく」
言葉こそ謙譲して、しかし声色は慇懃そのものといった様子。くすりと笑んで出て行った。
「おやおや、地位は気に入っているようですが……しかしスネているようですね」
「ふふ。まあ、ゴールデンレコードに載るのはその母だ。しかして新たなゴールデンレコードの創造も難しい。舞台がないからね、逸る気持ちもわかるさ」
「そこは、本当に申し訳ないとは思っているのですよ。遺伝子的にも縁はなく、研究も畑違いなため監査程度にとどめていましたが……それでも余計なお世話を止められないのですよね」
「あはは。孫のような気持ちかい? 意地らしい子で、それに健気だ。可愛く思う気持ちも分かるよ。そういうので良いんじゃないかな。あの子たちとて、年頃らしくうとう気持ちはあれど憎く思われてはいまいよ」
「……ふむ。そういうものですか。まあ、私の気持ちとしてはひ孫くらいなものですよ。だからこそ、余計な口出しも止まりませんがね」
「長く生きると口が止まらなくなってくるよねえ。年寄りの長話など面倒なだけだと自戒してはいるけれど、皆が目を輝かせて聞き入ってくれるものだから忘れちゃうね」
「あなたの言葉を聞き逃す者などおりませんよ。翠鉄の夜明け団の総帥様」
「それだけ地位を得たということだね。黎明卿」
くすくすと悪戯気に老人のようなことを言い合っているが……サーラとしては子供が何を言っているんだとしか思えない。
「――お持ちしました」
「ああ、ありがとう。サファイア、それとルビィも」
「いえ。黎明卿も、どうぞ。そちらの方は勝手に取れば良いと思います」
二人が恭しく盆に乗ったポップコーンとコーラを渡す。サーラの分の水は……宙に浮く盆の上に置いてあった。
それにしても、とサーラは思う。黒くてボコボコ言っている液体、よくあんなものを口にする気になるものだ、と。
ポップコ-ンは作りたてなのか湯気を立てていておいしそうではあるけども。ただ、やはりあれも自分にとっては毒なのだろう。
「さて、話を聞く姿勢は整ったようですね」
そう言うレーベはそこらへんの椅子に座り、コーラを口に含む。ルナはというと、絵画の鑑賞でもしている気分なのか、アルカナにポップコーンを口に運ばせている。
聞く姿勢が整った。馬鹿にしているのかと思うけど、偉いのは確かだからまさか口を出すなんてことはできない。
「……はい。今日は、村に帰らせて頂いたんですけど」
「ああ、それ使えてる? ただの村娘にデバイスを使わせてもとは思ったけど、やっぱりそれがないとアームズフォートの中は不便でね」
「あ、はい。絵に見えるけど、ボタンが四個あるんですよね? ナインス様に教わりました! それで、ボタンの形が出たら押す。……はい、降りる時も上がる時もできました!」
スマホのような機械を見せるサーラ。もちろんルナの許可あって与えたものなのだが、それは真実スマホと同等の機械である。
……詳しい説明は諦めて四つの機能に絞ったと見える。ふんす、と得意げに見せているそれには円盤の上下操作、電子錠の解除、連絡機能のアプリが見える。連絡機能もオペレーター室に繋ぐだけに使うのだろう。
「ああ、そういう風に教えたんだ。ナインス」
「……まあ、そうでしょう。私たちの世界でも通信機器は教育を受けなければ使えませんでしたから。そういう意味では、サーラはよくできている方だと思いますね」
「……ええ、と」
「ああ、気にしないでください。一人で上り下りができるようになったのですね。それで村に行った。何かがあって帰ってきたということでしょう? 何がありましたか?」
「あ、はい! あの……ええと……たくさんお酒を飲む人が……ではなく……あの……客人が村の方まで来たんです」
サーラは口をとがらせている。どうやらその客人とやらを嫌っているらしい。ただの村人を自称するだけあって、感情を隠す術というのを身に着けてはいないのだ。
「ふむ……酒、ね。我々はあまり興味がないものですね。それなりに嗜みはしますが、吞まれるなどは論外」
「はい、そうなんです! 元村長様が相手してくれているんですけど、いくらでもお酒を飲ませてしまって! タダでもないのに! 私が会ったときなんて、呂律も回っていなかったです! 信じられません!」
「――その程度の相手なら、あなたたちで処理することはできなかったのですか?」
「え……処理って。だって、その人はあなたたちに用があるって……」
くすくすとレーベは笑う。からかい半分ながらも教えてあげている。老婆心、そして嗜虐心が半分だろう。
「サーラ。我々にとっては考慮すべき事柄など、とても少ない。それが、人の都合のものであれば皆無としか言いようがない。あなたの村は、その客人によりどのような利益を得ますか?」
「……そんな。いえ、ないと思います……けど。誰かの頼みを聞いてあげるのに、利益がなきゃ駄目ですか? わざわざ遠くから来てくれたのに」
「今、あなたは私たちに対応を迫っている。最初の時、見返りを求めずにあなたたちの村を救いましたが――それは、私たちが求めるに足るものを何も持っていなかったからですよ? 対価を払わなくても良い、と勘違いしているのではないですか」
「――あ、う……」
呼吸が止まる。目の前が真っ暗になる。サーラがここに居るのは役に立つためだ。それで、近い将来村がピンチになることがあれば救ってもらうために。ならば、逆に”借りを増やす”など論外で……
「ふふ。まあ、いいでしょう。やはりあなたは面白いですね。その客人とやらのこと、聞いてあげましょう」
「……え。あ……ありがとう、ございます?」
笑っているレーベを見て、からかっていることに気付いたのか頬を膨らませる。表情豊かだが……
「「――」」
冷ややかな眼で見つめている姉妹を見て、その気持ちは萎んだ。その姿は、この方々を前に無礼な真似は許さないと全身で主張していて……
「ふふ」
あでやかに笑うレーベが、事前に言い含めておかなければどうなるかわからなかったということでもある。
本当に自分が特別待遇なのだという嫌な予感、そしてだからこそ助かったという背中に冷たい汗が流れる感覚で頭がおかしくなりそうだった。
「……は。……あ」
息が苦しい。自堕落に遊んでいるだけの彼女たちに見えるが、その本質は戦場で明かしたあれなのだ。
ただの人間がここに居るのはほんの気まぐれで、目の前の美しい少女たちはちょっとした癇癪で命を奪える化け物なのだ。
「で、どうしました? ああ、手紙か何かがあるのでしょうね。紙はそれなりに貴重ですし、格式というものもあります。ようは格好付けですが、それさえ取り繕わない者を相手にするとこちらの格が堕ちますから」
「……え。あ、その通りです。手紙を預かってます。ええと、お酒におぼれていた人も何か言ってましたけどよく分からなくて……」
「見た?」
ルナが口を挟んだ。
「え、いや――そんなの、見れるわけないですよ」
「役得だから見ればいいのに。そんなだから利用されるんだよ。元村長だって、君に責任を押し付けて適当にやってるじゃないか。僕なら物資を無駄にした咎で牢獄にでも入れていたけどね」
「いや、ルナ様……私の村は戦争をやってるわけじゃないので、もう少し穏便に……」
「統制できていない証だね。そんなことしたら反発が出るんだろう? 君の地位など砂上の楼閣、この夜明け団で苦しい思いをしてまで村に尽くす価値が果たしてあるのかね」
「あの……私にそんなこと言われても……」
「そうですよ、ルナ。そこが面白いのではないですか。どこまでも己のために苦難を乗り越える我々ですが、一方で彼女は苦難を厭い避けながらも周囲に迎合して辞めるなどとは言い出せない。これが彼女ですよ」
「……レーベ様?」
言われていることは分からないが、姉妹がクスクス笑っているため、褒められていないことは分かる。
「しかし、中々に面白いことが書いてある。こいつら、どうやら眼も見えないらしいぞ」
「あ……ええ!?」
ポケットに入れておいたはずの手紙が消えている。いつの間にかルナが手に持ってふりふりと振っている手紙は、まさに預かったはずの手紙だった。
「ふむ……なるほど。我々を舐めているようですね。小さい規模の商売人が神様気取りとは呆れ果てたもの……」
侮蔑の表情のレーベ。だが、彼女は手紙を見てもいない。実際にはルナはインターネットで画像データを上げているだけなのだが、サーラはネットすら知らないのだ。
ただまあ、サーラもいつものことと流すくらいの経験があった。何を言っているか、何をやっているか分からないのは常だ。
「小さい……って。私でも知っているような国内でも有数のギルドですよ。噂ではここに手を出すと国が干上がってしまうから王様も手が出せないって……」
「箔を付けるために大仰に言うのはよくあることだね。結局は武力がある方が言い分を通すだけさ。ただ、こいつらは勘違いできるだけの力はあるのかもね」
「え……そりゃ、うちの村にも来てくれたことがあるくらいですし。組織の人は、そりゃとてつもない人数になると思いますので……力はあるんじゃないですか」
胡乱な表情のサーラ。だが、埒が明かないと見たのか姉妹が歩み出る。元々幼さ、もとい若さらしく過激な気のある姉妹だ。
「ルナ様。商売人ごときがルナ様を呼びつけるなど、不敬でございます」
「一言命じてくだされば、この【紫彩の双祭祀】が踏み潰して参りましょう。ご用命とあれば、あの玩具でも使って」
アダマント姉妹は怒っている。その姿からは幼い少女らしい無垢な怒りがにじみ出ていたが、実際にはそんな程度ではない。
この国の戦士団を一つ潰した、サーラはそれを見ていないがウソを言う理由こそないだろう。疑ってなどいない。かわいくて小さな子でも、人の命を簡単に奪う化け物のトップだ。
「……待って。待ってください。そんなのおかしいですよ。ただ手紙の一つで、人を殺すことなんて……」
「サーラ、戦争によって人が死ぬのは当たり前です。そして、その発端が一つの手紙であるのもよくあること。人は殺し合いによってその歴史を紡いできたのですから」
「そんな……の」
「まあ、いいじゃないか。会ってみよう。商売人なら珍しいものでも持っているかもしれないしね」
くすりと笑みを浮かべたルナがそう言い放つ。
「はい、承知いたしました」
「すぐにご用意を……」
姉妹はルナに絶対服従、逆らうなどありえない。即座に反応する。
「いや、いいよ。今すぐ行こう」
「……え。こういうのは、相手に知らせてから行くものじゃ……」
「「――」」
「ひうっ」
また姉妹に睨まれて小さくなるサーラ。
「ふふ、それは同格か下の相手に対する礼儀だよ。偉い人というのはね、好きに抜き打ちをしていいのさ」
けらけらとルナが笑う。それで、すぐに行くことになった。……なぜか、サーラも連れていかれてしまう。