第29話 剣と魔法
千を超える数の戦士達が歩を進める。
重厚な鎧に身を包んだ勇士たちが、剣と盾を手に軍列を成し、威厳に満ちた行進を続けるのだ。
その軍靴の足音は地を揺るがし、彼らの一致団結が雄々しく輝く。鋭い刃が陽光に煌めき、旗が高く掲げられる。彼らの姿は武勇と誇りに満ち、戦いへの覚悟を示している。
それは見る者の胸に勇気と敬意を抱かせ、その行進は闘志に満ちた壮観な光景となる。
――”先頭”だけは。
塔が天に突き刺さってからというもの、世はどこまでも悪い方向へと転がり落ちていた。世界的な食料不足の兆候さえ見え始めた……否、すでに始まっている。
だから食料は貴重で、この『マレクト』の軍にさえ行き渡らない。偉い人間だけが腹を満たし、後の人間は腹を空かしながら行軍を続けるしかない状況だ。
戦士長、ハインリッヒがアームズフォートに到達してから1週間後、『マレクト』の戦士軍がマルルーシャ村の近くまで進軍していた。もう巨大な鉄蜘蛛が間近に見える。見れば見るほどに凄まじい威容である。そして、当たり前のことだが、やはりそれを攻略する術などないのだ。
――目の前まで来たとして、空を飛ぶための羽もなければ、登ることだって難しい。というか、登っても大人数を届けることができないので意味がない。
勝利のビジョンなど、どこにもない。ハインリッヒにしても話をすることに何か意味があるのかという疑問はあったが……こちらの方は、もはや戦うどころではない出たとこ勝負だった。
それでも、彼は進まなくてはならない。
ただ、彼らについて一つ言うなら……そもそも勝ち目がないことを自覚していないし、勝たなくてはいけないとも思っていないのだ。
彼らはただ”勝てる”と思っている。計画し、実行して、反省する――それをPDCAサイクルなどと呼ぶことがあるが、その観点では彼は一歩目すら踏み出していない。
それをただ愚鈍と呼ぶことは容易いが……どこにでも居るだろう。自分が勝つのは当然だと思っている間抜けが。
「さあ、歩を進めるのだ! 敵の居城はすぐそこだ!」
しかし、見るべき点があったとしたら、それは全軍の前に立って兵たちを鼓舞しているところか。すくなくとも、陣の一番後ろで腰を据えている腰抜けではない。
「……そうですか。あなた方は我々【翠鉄の夜明け団】に何か御用で?」
「ずいぶんと大所帯。けれど、木偶の棒を増やして何の意味があると言うのでしょうかね?」
ふわり、とどこからともなく着地した少女二名。豪奢なゴスロリが、ふわりと風に揺れる。その姿はまるで夢幻のようでありながら、深い重みと高貴さを湛えていた。
非対称の瞳はむしろ非現実感を感じさせる。赤と黒のドレスは、透き通るような白髪に対比してとても美しい。
「――何者か!? 我らはテンペスト王国の戦士団、『マレクト』である。我が名はミーキム・マレクト! 代々マレクトの戦士団を率いてきた貴族の末裔である! 【鋼鉄の夜明け団】征伐のために参った。そこをどくがいい!」
喝破した。その一喝を前にしては、並の者では腰が砕ける。敵であることを自覚していれば、怯えて剣を取り落すだろう。
だが、ここに居るのは人間ではなかった。
「……鋼鉄の夜明け団、古い名称ね。あのお方の元に我々が帰属した今、より相応しい名前を授かった」
「新たな力、そしてあの方より授かった名は【翠鉄の夜明け団】。けれど、お笑いね。まともに歩くこともできないお猿さんが、まさかあのお方に反旗を翻したような気になるとは」
くすくすと笑い合う二人。
あの一喝をまるで気にしていない。どころか、ゴリラのドラミングでも見たように馬鹿にするだけだ。
「――何ぃ? 貴様ら、もしやルナ・アーカイブスの手の者か。しかし、子供をよこすとはな! かのハインリッヒ殿に認められながらもその行い、見損なったぞ!」
馬に乗ったまま、ただ一喝する。さすがに子供を相手に剣は抜かない。それは、呆れるまでの危機感のなさであるのだが。
「ああ、やはりお猿さんね。私たちが姿を現したことの意味が分かっていない」
「そればかりか、ルナ様のことを不遜にも呼び捨てるなど……! いえ、あの方は気にする方ではありませんがね」
冷たい目で彼らを見る。
「……? 子供をよこして、同情でも引こうというのではないか? ふん、見下げ果てたものだ。まさか、子供だから見逃されるなどと思っておるまいな?」
さすがに青筋を立てて睨みつけるマレクト。だが、目の前の少女は更に笑みを濃くするだけだ。
「何もわかっていない。あのナインスを敵だのと言うから、どれほどレベルが低いのかと思っていましたが」
「この程度では、私達が殺した三人と変わらない。誰も彼も弱すぎる……戦うというレベルではない。ああ、忘れていました。これは返却しておきましょう」
パチリと指を鳴らすと木で作られた棺が四つ、彼らの目の前に落ちてくる。
「――っこれは!?」
「ハインリッヒ様!? それに――」
近くの兵が駆け寄って棺を開けると、そこには仲間の遺体があった。彼らの戦士団とマレクト戦士団では別の命令系統にあるが、同じ国の軍だ。反骨もあるが、しかし仲間だと思っている。
その死体を見れば、さすがに黙ってはいられないのだ。相手が子供であろうと、許されないことと言うのはある。
「……どういうことだ!? いや、こちらに派遣されたのは12名! 残りの8名をどうしたと言うのだ!?」
顔が赤くなっている――怒っているのだ。腰に差した宝剣を使えば勝てるなどと思っているし、素直にはなれないが尊敬していたのだ。まだ、このマレクトという貴族は若輩者だし。
「虫の餌になりました」
「ルナ様は英雄を遇しても、負け犬を厚遇することはありません」
「何を……言っている? 殺したのか?」
「2匹ほどはそうですね」
「しかし、他の者は勝手に落ちて死にました」
にべもない少女達。武器も持っていない。頼るべき大人も居ないのに、なぜだか自信満々だ。
それだけの実力差があることなど、未だ彼らは想像もしていない。
「――全員、構えろ。弔い合戦だ。子供のカタチをしているからといって油断するな。……あれは魔性の類だ!」
彼も馬から降りる。宝剣を使うなら、馬に乗るより強い。――本気だった。子供を相手に、『マレクト』の全力を開放する気だ。
「戦う気になったようですね。しかし、私たちは戦う気などありません」
「ルナ様があなた方のために用意してくださった玩具があります。遊んで差し上げましょう」
片方が手を差し出す。魔法陣が生み出され、それを横に払うと地に着いてみるみるうちに大きくなる。
――黒鎧の腕、巨大で鋭利な爪を持つ人外が姿を表す。
「……なんだ。あれは?」
ギギギ、と凄まじい音を立てながら”それ”は魔法陣の中からゆっくりと自らの身をさらけ出す。
寒気のするような宝玉のような瞳が。鋭利な歯を持つ顎が。長く、しかし人の胴体よりも太い首が。3Mはあろうかと言う翼が。人間のものよりも分厚く太い腕が。鎧に覆われた胴体が。
――それは鎧でカタチ作られたドラゴンだった。御伽噺に語られるそれが、鉄の威容をもって姿を現すのだ。
「間抜け。この隙に私たちに攻撃を加えるではなく、ただ呆然とするのみとは飽きれ果てた怠惰に他ならない」
「その愚鈍の報いを受けるがいい。やりなさい、『鉄鋲蜥蜴』」
そのドラゴンが腕を上げる。それは鉄、ゆえに馬鹿げた重量が振り下ろされる。
剣と魔法の世界の住人、しかし彼らはただの軍人でしかない。4Mの高さから振り下ろされるそれを受け止める術などない。
「……っひ」
「うわあああ!」
どぉん、と凄まじい音が響く。ただ腕を振り下ろした。ただそれだけで数人がまとめてトマトのように潰れた。
血と肉が雨のように降り注いで、軍人たちは狂乱に陥った。
「逃げ……逃げなきゃ……!」
「――母ちゃん助けて!」
そいつから逃げようとあがき、だが味方が邪魔をして逃げられない。
「やめ……!」
マレクトが手を伸ばす。だが、間に合わない。鉄竜が尾を振った。ただ、それだけで数十人がまとめて挽肉となって宙を舞う。
「……あれ? あまりにも弱すぎると思わない、サファイア。ルナ様は蜥蜴を玩具とおっしゃっていましたが」
「戦うこともままならない弱兵であれば、逃げるのを邪魔する必要もないのでしょうね。それがルナ様のご意思です。ルビィ」
惨劇を作り上げておいて表情を微動だに変えない少女二名。いや、呆れが顔に出ているか。子供ながらここまでのことをしておいて特に思うところもない。
「貴様……! 貴様、よくも私の仲間たちを!」
マレクトが睨みつける。
「ふむ、一匹やる気なのが居ますね」
「うるさいハエなら潰すまでです」
少女が指を伸ばすと、鉄竜が動く。また、その鉄竜が腕を振り被る。その黒鎧の腕には殺した人間の血と肉がこびりついている。
「させるものかぁあああ!」
マレクトの周りではまだ呆然としている者がいる。あれが振り下ろされれば自分だけでなく彼らも死ぬ。そして、尻尾の追撃が来れば死者は倍増するのだ。
「ぐ……おおおおおおお!」
その宝剣は鉄竜の腕を受け止めた。ぎしぎしと軋む音がするが何のその。ついでに筋肉が断線する音も聞こえてきたが。
「聞け、皆の者! これは化け物だが、倒せない化け物ではない! 剣を手に取れ! テンペスト王国の敵を打ち倒すのだ! 我に……続けぇぇぇ!」
渾身の力をもって弾き返した。
「ふむ、なるほど。ルナ様が間違うことはないと知っていましたが」
「ええ、遊びにはなるようです。……けれど、経験が足りない。脇が甘い」
冷たい目で評論する姉妹。
鉄竜は体勢を崩した。だが、途中から自ら転がり、反撃に入る。宙で身体をひねり羽根で叩き潰そうと打ち下ろす。それは飛べないが、しかしまちがいなく凶器である。
「やらせ……ない!」
「戦士長ォ!」
だが、5名ほどの戦士が我が身を投げ出した。己が身さえ砕けよと言う様な全力の振り下ろしでもって打ち下ろされる羽根を打ち返す。
衝突、彼ら5名は剣どころか腕も衝撃でぐちゃぐちゃになったが――その羽根は速度を失い、マレクトには届かない。
「そこだ! 【一刀竜焔】!」
そしてマレクトは動きが止まった隙を逃さない。彼の持つ剣に焔が走る。それは戦士長の持っていた魔法の武器とは一線を画す宝物。彼の家に伝わり、マレクトの家を戦士団のトップとして支え続けてきた力。
強力な炎を纏う一撃が天さえ貫かんとでも言うように翼に突き刺さる。
「……ルナ様の被造物を壊すなど!」
「ルビィ、落ち着いて。そのために作られたものでしょう? けれど、不愉快ね」
翼が焼ける。羽根に亀裂が入る。だが、断ち切るまでには至らない。鉄竜は反撃に拳を握り、マレクトを殴り飛ばした。
「……が! ぐはっ!」
威力の元は重量だ。岩よりもよほど重いそれが、馬鹿げた威力を叩きだす。
殴られてみて、中まで鉄というわけではないのは分かった。分厚い鉄が鎧のように繋がっているのがあれの正体。その中身は空洞だ。
「戦士長が戦ってるんだ! 俺たちも逃げてられねえ!」
「そうだ、剣が通じない化け物じゃねえ。魔法部隊の攻撃だってあるんだ!」
「俺たちも行くぞォ!」
血を吐いて転がった先では部下たちが決死で戦っている。寝てるわけにはいかないと身を起こそうとするも、更に血を吐く始末。
これは、内臓の一つや二つ潰れている。
「……面倒ね」
「玩具も傷ついているわ」
その鉄の竜に一歩も引かずに戦う戦士たち。全力の一撃はその鉄の体に亀裂を入れる。そして、遠くからの魔法がその亀裂を広げる。
戦士たちが命を積み上げて、その強大なる敵を倒そうとしている。このままなら行けるのではないかと、甘い期待が――
「ポイントの破壊を確認。やるわ、サファイア」
「ええ、ルビィ」
出し抜けに鉄の竜が前線部隊の惨殺を止める。魔法部隊を見つめ、がぱりとその顎を開いた。バリバリと、雷の音が響く。
「――まさか。まさか、イナヅマを吐くのか? マズイ、魔法部隊、何をしている……ッ!」
だが、その魔法部隊はその異様な音、あからさまな動作でも逃げはしない。チャージに時間がかかっているが、逃げ切れるような代物ではないと分かっているのだ。
もしくは、戦友を見捨てて逃げるなどできなかったのか。ヒビを入れるのが精一杯な現状、魔法の力がなければ鉄の竜は倒せないのは事実だろう。それでも逃げずに立ち向かうのは勇気か無謀か。
「駄目だ。魔法部隊、逃げ……!」
間発入れずに少女の声が響く。
「「放て。【スローター・オブ・ザップ】」」
その雷撃が放射される。爆心地であった魔法部隊はもちろん、目標までの道のりまで――皆が雷に打たれて死んでいく。
焼けただれ、嫌な匂いが漂う中――
「さて、まだ戦意を失っていない者から潰していきましょう」
「ええ。この程度でなぜルナ様と戦えると思い上がったのか……」
どぉん、どぉんと嫌な音が響く。仲間は雷に焼かれ、それでもなおと立ち向かった者からその巨大な四肢で潰されていく。
「お前……! お前は必ずこのミーキム・マレクトが殺してくれる! 絶対に……!」
血を吐き、そして血の涙を流しながらも立ち上がるマレクト。内臓がつぶれている、安静にしていなければ死んでしまうのは間違いない。
だが、仲間を殺られて黙っていることなどできようか。もはや体の限界は踏破した。
「これこそ我が最高の一撃。……受けてみるがいい、竜よ!」
命の焔、その最後の一滴までも力に変えて疾走する。
「見る価値があるとは思えない」
「いくら棒を振ったとて、無意味……」
鉄の竜が全身のばねを使って爪を振るう。それは今までに見せたことのない”技”。それがもたらすのはスピードだ。
彼らでは死の瞬間さえ知覚できず、潰れたトマトになる。
「……今、だ! 力を貸してくれ、ハインリッヒ……!」
だが、かわす。子供の癇癪そのままの攻撃、読みやすい。ゆえに地に伏せ、攻撃をやり過ごした。
使うのはハインリッヒが得意とした技。鋼の剣、その重量を活かした強力な攻撃こそがこの国で言う強者であった。だが、彼だけは地に打ち下ろす一撃だけではなく、振り上げる攻撃でもそれを成した。
ゆえにこその負け知らずだ。魔法剣の底上げなしにそれができた人間は二人といない。その技こそ。
「……【伏竜一閃】!」
腕を振ったことで隙が見えた。首を狙い、切り上げる。いくら化け物であろうと首は急所のはずと、慢心の力を込めるのだ。
「ぐ……ぬおおおおおおお!」
硬い! 剣戟は入っている。はっきりと亀裂を刻み込んだ。だが、切り落とさなければ意味はない。
ゆえにこそ全力の更にその先を振り絞る。チャンスは、今しかない。これを――
「首……マズい、サファイア!」
「うん、使うしかないね。ルビィ!」
初めて動揺した声を、聞く余裕もなく……
「斬る。この……一撃でええええ!」
ぎりぎりと埋まっていく剣、その宝剣が悲鳴を上げるが……よく付いてきている。馬鹿みたいに分厚い鉄を両断して――
「死になさい、ニードルデバイス:ポイント・ネック」
「まさか、この絡繰りを使うことになるなんて」
首元の装甲、いくつものそれが重なってできた竜の首。そのずれた首の隙間にきらりと光るものがある。
そこから射出された針がマレクトの身体を貫通した。彼はボロ人形のように宙に放り出されて。
「マレクト様ぁぁ!」
部下たちの声が聞こえる。だが、もはや彼にはどうすることもできないのだ。急所とかそれ以前に、男の腕よりも太い鉄芯に貫かれて生きて居られる者など居ないのだから。
「さあ、残党を潰す作業にもどりましょうか。サファイア」
「うん、そうだね。ルナ様のために働こう、ルビィ」
もはや、全ての望みは潰えた。攻めてきたマレクトの戦士団は散り散りとなって逃げていく。