第28話 無為の褒賞
鋼の蜘蛛を登り切ったのは戦士団10名の中でも4名のみだった。やりとげた彼らは白に彩られた瓦礫のようなそこを進んでいく。
コツコツと高く響く靴音。これは彼らにとっては馴染みのない感覚だ。無限に続く通路も、豪邸といった文化のない彼らには奇異に映ることだろう。
「迷わないのは良いことだが」
「……誘導されている、な。これは」
「だろうな。だが、これ以外の選択肢はない。……む?」
「扉? 嫌な予感がしますね」
5分ほど進んでいくと、扉が見えた。物理鍵自体が存在しない、よくわからない扉だ。そもそもアームズフォートは最新鋭兵器で基本的に電子錠だが、彼らは知らない技術だ。
「嫌な予感って言うか……これ、どう開け……おや?」
戦士長が特に警戒もなくその扉に触れようとして……シュン、と扉が横にずれた。扉が消えていく、出し抜けに部屋の中身が彼らに明かされる。
ロックがかかっていない自動扉、当たり前の挙動だがもちろん彼らは経験したこともない。
「戦士長、危ない!」
何かが居るのかと、副長が押しのけて前に出る。扉は開いた時が危険だなどと、教科書に載せるまでも当たり前のことだ。だが……
「何もない……?」
近づいたら扉が開き、しかしその中から何かが現れるようなことはなかった。矢が飛んできてもおかしくはないタイミングだったが。
「魔法か? しかし……ただの扉にそのような……?」
「ま、開いたんならいいじゃねえか。入ってみようぜ」
戦士長は普通に入る。警戒しない……という訳ではない。自然体で警戒しているのだ。たとえば犬がとびかかって来ても、剣で返り討ちにできるだけの技量を持っている。自分が先んじて入るのが最も被害が少ないと知っているのだ。
「お? なんじゃ、こりゃ――」
戦士長は目を見開く。まず目に入ったのは、柱状の建物の遠景だった。建物の絵であれば、まあ珍しいが異常ではない。
だが、しかしそれは”動いている”のだ。
「魔術? いや、呪術か……」
動く画像なら見たことがある。それは神官が何人も必要な大儀式、敵の陣を見透かすか、それとも攻撃のための準備か。
いずれにせよ、碌なものではないのは確かなのだが。
「こんなものを、何のために……」
それは移り変わっていく。建物の全景を映したかと思えば、それは建物の中に。そして、中――中には無数の文字がずらりと並んでいるのが見えた。
実際のところは、それは夜明け団の秘宝……ゴールデン・レコードである。ルナの元で戦った英雄たちの名を永遠に刻む意義深い、しかし意味のない宝物。オリジナルは元の世界にあり、映っているのは方舟の中にあるレプリカだった。自慢したいルナが延々と動画を流しているだけなのだが……彼らにはそんな事情など知るはずがない。
彼がそれに目を奪われている外で、仲間はかぐわしい匂いを感じ取っていた。
「え? 料理……」
入って、そこにあったのは目も覚めるようなご馳走だった。食べきれないほどのそれが、テーブルの上で湯気を立てている。
……それ以外、誰も居ない。ただご馳走だけが並ぶ異様な光景が広がっていた。普通に考えれば罠以外の発想はないが。
「いい匂い……うおっ! こいつは……」
「こんなもの、食ったこともねえぜ!」
金箔で輝くローストビーフ、香り高いハーブが香るローストチキン、緑と赤のコントラストが鮮やかな野菜料理。大ぶりな肉が転がるシチュー。芳醇な赤ワインが注がれ、ガラスの器に盛られた果物のデザートが目を奪う。
煌めくキャンドルの明かりの中、その美食の誘惑が部屋に広がる。ご馳走を見て、腹を鳴らして我慢することもできずに――
「こいつぁうめえ! こんな柔らかくてジューシーな肉なんて初めてだ! すげえ! なんて言うか、すげえ!」
「こっちのシチューもうめぇ! 肉がたっぷり入ってて、すげえ濃厚な汁! こんなんいくらでも入るぜ!」
ばくばくと食べてしまう。それの意味を考えることもなく。
「お、おい。お前ら、毒が入ってるかもしれねえのに……」
「こんなご馳走を食べれるなら、毒だってかまいやしねえ!」
まったく止まらなかった。
「……」
戦士長が頭を抱えていると。
「あなた方は食べないので? ご心配なさらずとも、あなた方にも毒にならない特別な食材を使いましたので」
建物の映像が切り替わり、映ったのは女。声は頭上から響いた。
「……貴様、誰だ? ナインス殿の部下か?」
「ナインスの? いいえ、違います。なぜ私が彼などに従わなくてはならないのか。そして、”それ”はルナ様のご厚意です」
「ルナ……ルナ・アーカイブス……様、か」
「はい。労えと、私に命令いたしました。脚を登るなどという馬鹿な真似をするようなウスラトンカチが世に存在するなど驚きだったのでしょう。ましてや、達成してしまう様な馬鹿などと。……馬鹿は、ただの馬鹿かと思いますがね」
「……ッ! ま、まあ、そう言ってくれるなよ。俺たちは王からの使いで来た。この手紙を見てくれ。ところでナインス殿は……」
戦士長が懐から金糸で刺繡を施された、豪奢な手紙を取り出す。それは王の刻印が記された蜜蠟で封がされている。
この国の人間であれば、見るだけで平服してしまうほどの権威であるのだ。
「ルナ様はあなたたちの国に興味はありません。あなたたちがなすべき方策は何もない。ただ無意味にそこで朽ちるがいい。……登ってきたように降りるなどということも、どうせ無理でしょうから」
とはいえ、彼女はこの国の人間ではない。どころか、この世界の人間を原始人だとか見下している。そんな権威など、通用しない。まるで虫けらを見るような目で、モニター越しに視線を向けている。
「待ってくれ! それでは駄目なんだ。王国は、従わぬなら排除する道を選んだ。千を越える『マレクト』の戦士軍が準備を始めているのだぞ!」
「低俗な虚仮脅しが通じるとでも……! 我らを愚弄するか!? ルナ様はなぜこのような者らに過ぎた待遇を与えるのか。さっさと殺して打ち捨ててしまえば良いものを……ッ!」
アリでも見るかのようだった女の目、今は細く睨みつけるかのように変わった。
「まあまあ、落ちついて。ザクロ、それにダークニス殿も」
「……ナインス殿!?」
戦士団が入ってきたのとは別の扉からナインスが姿を表した。
「しかし……まあ――何という愚かな真似を。レミングの群れのごとき愚行で何を成そうというのか。王とやらも、よほど頭が悪いのでしょうね」
「……ナインス……殿?」
滅茶苦茶なことを言い出したので、戦士長は驚愕する。軍が向かっているのだ、いくらナインスが強いとはいえ多勢に無勢。交渉の余地はあると思っていた。
まさか、このような言い方をされようとは。よもや、王に向かって頭が悪いなどと。
「ふむ。ダークニス殿が来たのは交渉のためですか。……ですが、我々としてはあなた方に求めることは何もない。それで用意したのはその手紙だけですか?」
「交渉が決裂すれば軍が派遣されるのだ。いや、もう出発しているかもしれない。だから、早く……」
戦士長は苦慮の表情でナインスを説得しようとする。
彼らが強力な力を持っているのはわかる。だが、それにしても……国とことを構えるなどと馬鹿げている。
ここで話が決裂して戦争になれば最後……どのような最悪な事態が起こるかも分からない。
「――ナインス、何を遊んでいるのです? そんな奴らは早く始末してしまいなさい。もしや、彼らを助けようと? ルナ様の偉大さを理解できない虫けらに、助ける価値はない」
「ザクロ。待ってくれ、もう少し話を……」
「ナインス殿、あなたから言えばあの子供とて無下にはできないはず! 彼女は分かっていないのだ、王は本気なのです!」
「……ダークニス殿。少し、黙ってくれ」
「いいや、ここで黙っていることなどできようか! テンペスト王国そのものを敵に回すということが、どのような意味か! 子供の遊びではすまないのですよ!」
「――」
ナインスも流石に言葉を失った。
「……ルナ様のことを、子供と? あの方に分からないことがあるとでも? なんという無礼、目に余る大言壮語。――虫が吐く言葉としては、大層すぎる」
彼女はモニターの向こう側で静かに戦士団を睨みつけている。
「ここで冥府へと旅立つがいい。いや、虫けらには三寸の命すらもないかな。……ナインス、それらの死骸を前にして考え直しなさい。ルナ様の慈悲にも限りがある」
タタタ、と音がする。キーボードの打鍵の音だが、もちろん戦士団には何の音か分からない。
「ザクロ。ルナ様の慈悲は遠大だ、ただの悪口くらいであのお方が機嫌を損ねることなどあるわけがないのだ……」
ナインスは必死に説得しようとするものの、彼女は考えを曲げる様子はない。ガシャン、と扉が閉まる。シュー、と音がする。
「何の音だ……?」
戦士長は剣を構え、壁に向き直る。それは四方から聞こえてくる。……まあ、空調システムに手を加えただけなのだから、壁から音がするのは当然なのだが。
しかし、毒が流されてくるとかそれ以前に、空気を流すシステムの存在すらも知らない。なら、馬鹿みたいに壁に向けて剣を握り続ける他ない。
「空調を……? だが、毒を流すなど……そのようなシステムは聞いたことがないが……」
ナインスも怪訝な顔だ。まあ、魔物……奇械に毒など通用しない。強力な汚染を兵器に変えたキャメロットの騎士が居たが、あれは接触が必要だった。空気に乗せて流したところで意味がない、だからこのアームズフォートにそのシステムはない。
「……うぐっ!」
「おえ……うぎっ!」
料理をたらふく食べていた二人が腹を押さえる。まあ、あれだけ食べていたのだから毒を受ければ苦しむのは当然だろう。
青い顔をして、せっかくのごちそうを戻してはたまらないとばかりにやせ我慢をしているが。
「ナインス殿!」
戦士長は口元を覆い、未だ剣を構えている。だが、やはり顔色が悪い。ご馳走を一つも食べていなかったからまだもっているが。
しかし、彼に打てる手など何もない。ドアを蹴破ろうとキックしても弾き返された。横に番号を打ち込むキーが付いているが、そもそも数字を入力して開く鍵など知らない。
「この様子ではその二人はあまり持ちませんね。だが、私は何も感じていないぞ……?」
そして、開けないのはナインスも同じ。まあ、ぶち破ろうと思えばできるが、しかしそれはさすがにルナへの反逆かと思って実行はできない。
鍵もザクロにロックされてしまった。オペレーター席に居るならともかく、こんな場所では電子戦などできない。
「開かん……! 何か、何か……!」
戦士長は何度もキックするが、次第に威力が弱くなってくる。ならばとばかりにかじりつかんばかりに扉を調べるが……電子錠の存在さえ知らない男に何が出来るというのだ。
「そうか。ザクロ、排気されるはずの瘴気をここに集めたな? それならばこの状況にも納得できる。俺には何も影響がないしな。そういうことか……!」
ナインスが状況を看破する。このアームズフォートには内部を動かすシステムがある。そこで発生する瘴気を一か所に集めれば、この世界の人間はひとたまりもない。
すぐに許容量を超える瘴気を受け、蒸気病にかかってしまうのだ。ご馳走をがっついていた二人が吐きそうなのは、その初期症状。
「まさか、こんなところで……何も成し遂げられずに死ぬなど……!」
「……ダークニス殿」
うなだれる戦士長、そしてその様子を見たナインスは魔導人形を纏って扉をぶち破ろうかとまで思い始めて。
「何の騒ぎですか、これは」
「ルナ様の御元です。説明しなさい、ナインス」
だしぬけに扉が開け放たれた。子供特有の甲高い声とともに姿を表したのは。
「子供? 二人……」
ルナよりは少し大きい、だが……やはり子供だ。そして二人は似ている、姉妹だ。その二人は傲慢そのものと言った様子で、ナインスを含めた全員を見下している。
「あなたたちは……【紫彩の双祭祀】。翡翠の連中め、このアームズフォートを我が物顔で……!」
ザクロの暗い情念が入り乱れた声が静かに響く。
「ルビィ様、サファイア様……お見苦しいところをお見せしました。何の御用でしょうか?」
ナインスが跪き、問いを投げかける。それは、アルトリアに向けて行うのと同じように。彼女たちはそれだけの立場を、ルナ直々に与えられている。
「……〈この壁を登ったところで益はない。落ちたら死、しかして目指すべきは天高く。……ならばこそ、その行為に意味はない。だが、前人未踏の偉業は称えられても良いだろう〉」
「ルナ様のお言葉です。そして、そちらの彼女、ザクロ・アンタジェリに命じてその料理を作らせました」
まるで神の言葉のごとくルナの言葉を諳んじる二人。まるでルナこそ、全てが跪くべきただ一人の偉大なお方とでも言いたげに。
「木登りには満足しましたか?」
「それでは、遠慮なく餌を満足行くまでその腹に詰めれば良いでしょう。降りられないというのなら、手段は私たちの方で用意しましょう」
これぞ、世の理と言わんばかりの不遜な声である。
「ルナ様と同じ紫色の瞳。だからと言って、このような……」
「ザクロ、私たちの瞳はプレイアデス様の鑑定を受けております。アーカイブスの方々を疑う気ですか?」
「そして、コロナ様よりアダマントの名を許されました。私たちはルナ様の側近なのですよ?」
ルナに従う者の中でも色々あるのか、険悪な雰囲気が漂っている。
「――だが、王の命令だ。逆らうなど、許されるはずもない」
その中に戦士長が踏み込む。ここで待っていても何も意味がない。ただ下ろしてもらっても、それでは前に進むことができない。
だから進むのだ。……そこがたとえ、地獄でも。
「何か、勘違いをなされているようですね」
「ルナ様は誰かの許しなど必要としません。それは神へ唾吐く行為と知りなさい」
少女二人の視線が殺気に変わる。
「――」
ナインスはやれやれと嘆息した。耳ざとく聞きつけたのか。
「ナインス、その猿どもを始末なさい」
「まさか、反逆など考えていないでしょうね?」
「いくらあなた方であろうと、その言葉は許せません。取り下げていただきたい。それは、決してルナ様の言葉ではない」
そしてナインスはぴしゃりと返して――しかし、その瞳に殺気を宿して戦士長らを見る。手を掲げる。
それは刀を抜くのではない。あの刀よりもよほど強力な……何かが。
「――ち。私がナインスを抑える。お前たちはそちらの子供達を捕まえろ!」
戦士長が剣を抜く。吠える。今度こそ勝つのだと、燃える心を宿して――まっすぐにナインスに向かって疾走する。
「前回は負けたが、今度は決して負けられぬ戦いなのだ!」
「そうですか。しかし、今回ばかりは遊びも許されないようなので手段は選びません。――鋼の決意にて人類に夜明けを……『カッパー・ソルダート』」
詠唱。そして身に纏うのは鋼の鎧。それは魔導人形、この世界の人間では決してたどり着けない究極域の決戦兵器。
「鎧か? だが、負けん!」
「……ロード」
ナインスが横に手を振る。言葉と同時に指を鳴らす。直後、横に出現する黒光りする鉄の棒。……落ちる銃を掴まえて、敵へと狙いを定める。
ロード直後にオーバードウェポンを撃ち放ったファーファと比べれば、初心者クラスの稚拙な技術でしかないが。
「――」
それを見て、戦士長は必死に頭を動かす。自分に鎧はない、けれど相手にはある。ただ一言で不利というには卑怯なまでにその装備に差があった。
そして、銃の存在。戦士長は銃を知らない。だが、戦ってきた経験がある。
(あの棒は何だ? 魔術? 確かに強力な魔力を纏っている。あの刀よりも大きい。殺気が来る。今? まだ剣の領域ではないぞ。だが、来る……!)
「ただの銃ですよ。それも自決用で威力も無ければ装弾数も足らない。ですが、あなたが相手ならこれで十分役を果たせる」
「――ッ!」
殺気を感じて剣を動かす。甲高い音が鳴って、後から爆発音が耳を揺らした。銃撃の一発目だが、銃すら知らないまでも防いでみせた。
(腕が痺れる……! 痛い! 何らかの攻撃、遠距離攻撃だ! だが防いだぞ。……前へ。前へ出て反撃を!)
痛みに耐えて、前に歩を進める。
「ほう、防ぎましたか。すごいですね。けれど……」
二発目。これも防いだ……が、ベキリと嫌な音とともに剣が砕ける。割れる。魔法を付加しているとはいえ、その剣はただの鋼である。
その武器は銃撃で砕け散る脆い剣でしかなかった。筆頭貴族の国宝とまでは行かずとも、疑いようもなく最上位の代物であったはずなのに。
「……え?」
呆然とした声。出せたのはそれだけだ。剣が折れた、対抗手段がない。頭が真っ白になって――攻撃が来る瞬間は分かる。けれど、かわせなければ腕を盾にしたくらいでは意味がなく。
「無意味な抵抗だ。さようなら、ダークニス殿」
3発目、体に打ち込まれた。ボロ雑巾のように宙を舞い、意識が途切れる一瞬で仲間を思い出した。あちらはどうなっているのかと、こと切れる前に視線をやる。
「ナインス、何をまごまごしているのです」
「ルビィ、仕方ありません。彼は戦う者ではないのですから」
ルビィと呼ばれた少女の手には見慣れぬ形の剣があった。見れば、仲間の三人の首が撥ねられていた。一切の抵抗も許さずに、ただハエを払うように殺した。
「……あ、申し訳ありません。ルナ様」
「はい、前線に出る者でなくとも彼は決戦を戦い抜いたと……」
少女二人は宙に向けて謝っている。その言葉の意味を考えることすらできずに……
「ナインス、下の二人を殺しておきなさい」
「私たちはルナ様のもとに帰ります」
戦士長は死んだ。