第26話 戦士長の帰還
王国の中でも最強とも語られるハインリッヒ・ダークニス。彼は庶民の出ながらも、その武芸により強力な戦士団を築き上げることまで成し遂げた。それは、王からの信頼の賜物でもあった。
たとえ黒翼共和国の悪名高い『ハルピュイア猛禽騎士団』が相手だろうと倒して見せようと気炎を上げていたものだ。
が――国の東端に出現した鋼鉄の夜明け団のリーダー(と、彼は思っている)、ナインスの前に呆気なく破れてしまった。
負けて、そして夜明け団に敵意がないのをいいことに王の御下まで逃げ帰ってきたという有様だ。屈辱? そうだろうとも、命を使い尽くしてでも彼に勝ちたいと思う気持ちもあるのは確かだ。
――だが、そのような私心は許されない。王に彼らのことを伝えねば、もっと酷いことになると確信している。伝えねばならないのだ、夜明け団の真実を。
そして、翠と鋼がぶつかる数日前に王の場所まで帰還したのだtt。
「……ただいま、帰還いたしました。王よ」
草原の上で膝をついた。ここは吹き抜けどころか野原だった。テンペスト王国は農耕と遊牧の国、豪華な王宮の建設など先祖に申し訳が立たないという文化がある。
こうして草と土の上、開かれた場所で意見を交わし合うのがしきたりであるのだ。
とはいえ天気は曇天、天に塔が突き刺さったあの日からめっきり晴れの日は減ってしまった。しかし雨が降ることもなく、戦士長の心のようにどんよりと曇ったまま光明は見えない。
「敵を目の前におめおめ逃げ帰るとはな。それでも戦士長の席を与えられた者の姿か」
ぼそりと呟く声、壇上の横の方で誰かが呟いた。偉いからこそ好き勝手言えるのだ。王も無視できない発言力を持つからこそ、こうして誰にでも聞こえる”独り言”を呟ける。
それも間違っていない。鋼鉄の夜明け団など誰が予想できるのか。野の人間に負けたとなれば、この反応も頷ける。
「――」
戦士長もそのことは重々承知だ。相手が強いなど、言い訳にならない。頭を地にこすりつけたままひたすらに耐えて次の言葉を待った。
「頭を上げよ」
王が、宣言する。木で作られた壇上、豪奢な椅子にどっかりと座った威厳のある初老の男性。若い頃はそれこそ武芸でもって勇名をはせていたらしい。
年寄りの冷や水、などと言えない雰囲気がそこにある。下手なことを言えば、杖のようについた剣で真っ二つにされてしまうような緊張感がある。
「……は」
「話せ。盗賊どもを処断したことは聞いておる。人から奪い私腹を肥やすなど我らの民ではなく畜生よ、ゆえに処断ではなく駆除と言うべきか。……それは良い、お前が手間取るような相手ではない」
「その通りでございます。戦士団の中には負傷者も出ましたが、幸い死者も出ずに……」
「そして我らが国の東端にあるものを見つけたと。……それは、巨大な鉄の蜘蛛のように見えたと?」
「はい。我らはそこで巨大な鉄蜘蛛を拠点とする者たち、【鋼鉄の夜明け団】と出会いました。我らの国の民ではない、どこか異なる種の人類……」
「――で、倒したのであろうな」
ずん、と圧力が大きくなる。戦士長は、ぜえぜえと息を荒げ――しかし跪く体制は崩さない。とんでもないほどの鬼気だ。
だが、気圧されていてはいけない。
「…………申し訳ありませぬ」
深く、深く頭を下げる。だが、伝えなければならない。
「お前でも倒せない者が現れたか。黒翼共和国の……というわけでも、なかろうような」
「は。彼らは鋼の義手、義足をその身に宿した者達です。黒翼共和国の連中とは毛色が違っておりました。大地教導国も違います。あの鉄蜘蛛、空でも飛べなければ入ろうにも入れませぬ」
「巨大な、と申したか。どれほどであるか?」
「山のような、と言っても良いほどかと。登るにしても相当の覚悟が必要とされるでしょう。それこそ空を飛ばなければ、ですが――黒翼共和国も鉄を生み出す国ではありません。いえ、文字通りに山ほどの鉄を作ることなど、一体どこの国であれば出来ましょうや」
「ゆえ、異なる種の人類か。噂に聞くネメシス帝国……いや、あれならば戦乱を起こしているはずか。あちらでも争いが起こっているとも聞くが……」
「王? 何か心当たりでもありましたか」
「いいや、彼らは我らの常識では測れぬに違いない。――勝てていないのだろう? お前ならば善戦したのだと、信じてはおるがな」
「ありがたきお言葉です。ですが、鋼鉄の夜明け団……手足を鋼と変えた化け物ども。その中でも一人、人の身を残す者がおりました。化け物どもを統括する立場にある者――ナインス・ペーペル。私は彼に模擬戦を申し込み、剣にて語り合いました」
「ほう? では、彼らをどうすべきと申すのだ」
「彼らとは協力ができます。あの塔の出現以来、あらゆるものが枯渇していく今ですが……彼らは食べ物を作る術を心得ております。……どうにか、分けていただきたいと」
「譲ってもらう……か」
「……王?」
周囲にさざめきのごとく嘲笑が広がる。何をおかしなことを言うのだ戦士長よ、と――肌で感じる。
そうだ、頭を下げて”頂く”などは王の有様ではない。
「よいか!?」
王はダン、と剣の鞘ごと壇上に叩きつける。木のステージは良く響く。その怒気の前に、戦士長だけでなく他の者たちまで身をすくませる。
「この王国は我らが父祖より受け継いだ土地! 代々馬を育て、山羊を育てた……種を育てた者らも居る。古くから根付き、支えてきたこの土地を明け渡すなどまかりならぬ!」
一喝した。凡百であれば頭を地にこすりつけること以外に何も出来なくなる。
だが、戦士長は凡百ではない。ただ己の才覚と努力のみによってこの地位まで上がった者だ。ここで退きなどしない。
「ですが、王よ! 彼らの力は強力です! 特にナインスの手にあった秘宝、あの刀は我らが手にする鋼とは全く違う神秘の力が宿っております。彼らと争うのは危険です!」
めげずに言葉を返した。そうしなければ王国が滅ぶと信じている。あのルナという子供は、子供らしく我慢が効かないだろう。
敵対すれば何を命令するか想像するなど、たやすい。そして、ナインスをもってしても化け物どもの進軍は止まらないだろう。
「くどい! 戦士長よ、お前が何と言おうと譲歩することはまかりならぬ! このテンペスト王国の地を汚す者どもに、死と言う報いをくれてやれぃ!」
「…………ははっ!」
凄まじい覇気、戦士長すらも跪くしかない。
「ふふ、かの戦士長も落ちたものだ。そもそも最強というのが疑わしい、決闘などと言っても所詮は命もかけぬお遊び。実戦とはほど遠い」
自信に満ち溢れ、肩で風を切って進み出た若者。ハインリッヒが道を切り開いた者であるなら、彼は定められた道を正当に走ってきた貴族。
血統、そして代々伝わる宝物に恥じぬようにと鍛え上げた肉体だ。お遊びというのは、決闘では木刀を使うのが習わしであるから。
「……ミーキムか」
ハインリッヒが呟く。同じく戦士長、決闘でも優勝争いをする仲だ。その実力はよく知っているとも。とはいえ、所持する宝物についてはよく知らないのだが。
「だが、お前でもナインス殿には勝てぬよ」
……しかし戦士長であるからこそ、そのような”魔術を付加した品”について知っていることがある。いかにテンペスト王国の大貴族と言えど、物理法則を覆すような代物ではない。
簡単に剣を断てるような、ナインスが使った業物の足元に及ぶような”それ”ではないと断言できる。
「はん、どこまで腑抜けたよ。かのハインリッヒ・ダークニスともあろう者が、まるでお化けを怖がる子供じゃねえか。――俺は違う、お前にはない真の宝物でそいつらを倒してきてやるよ」
「……ミーキム、お前は何も知らない。ナインス殿の強さも、ルナ・アーカイブスの残虐さも」
「――こりゃ、重症……」
ミーキムはやれやれと天を仰ぐ。
実のところ、何もわかっていないのはこちらの戦士長も同様だった。なにせ、オペレーターでしかないナインスを戦闘職、それもリーダーなどと勘違いしているのだから。
他の者が指示を仰いでいた、という事実はある。言い出しっぺだからということでしかなかったのだが、まあそれでリーダーと勘違いするのも仕方ないと言える面もあったろう。
「第二方面軍【マレクト】……戦士長のミーキム・マレクトよ。お前ならできると言うのだな」
その不毛な言い争いを王が止めた。静かに問いかける。
「は。必ずや、かの【鋼鉄の夜明け団】とやらを壊滅させてご覧に入れましょう」
ミーキムが歩いていってハインリッヒよりも前の方で跪く。
「……ッ王よ。どうかご再考を。鋼鉄の夜明け団は敵を許しません、私にお任せいただければ必ずや協力を取り付けて見せます!」
「――ほう? 貴様が……一度顔を会わせて叶わなかったこと。それが二度目ならできると?」
「必ず成功させて見せまする」
「必要ありません、王よ。我がマレクトの戦士団であれば、恐れるべきものなどありません。このハインリッヒを打ち破ったと言う人間なら、我が家に伝わる秘宝にてお相手しましょう」
二人が王に宣言する。
「……良かろう。ハインリッヒよ、貴様はすぐに旅立ち彼らに協力をとりつけよ」
「拝命、承りました。この命に代えても」
「王!?」
「マレクト、お前は『マレクト』戦士団の全軍をもって彼らを打倒す準備をするがいい。ゆめ、油断するな」
「は! 承知致しました!」
「家畜が瘦せ細り、畑が枯れ果てていく中……奴らに食料を生産する術があるのなら、必ずや手に入れるのだ。行けぃ!」
王命が下った。
そして、ハインリッヒは副長のモルゴス・ブレイドレイジと他10名を率いて数日かけて馬を飛ばして元の場所へやってきた。
村に着いても特に反応がなかったから、さらに馬を飛ばして巨大な鋼の蜘蛛の元まではるばるやってきた。
「知ってはいたが……改めて見ると……デケぇな」
「デケぇ……じゃありませんよ。こんなところにまで来て、何かアイデアでもあるんですか? あの村に近づいてもコンタクトがないんじゃ期待薄ですけど、それでも向こうからのアクションを待つしかないですよ」
彼らの見ている前で、それは一度も動いていない。ゆえに、彼らではそもそも動くことさえ想像がつかない。
それでも文字通りに高すぎる壁……というよりも、山である。それも、四つ脚で天高くそびえる山だ。
もちろんそんな形の山は自然には存在しない。目の前のこれは登頂ではなく、断崖をよじ登るようなものだ。
単純に、すさまじい苦難であるとしか言えない。超えることができるとは、思えない。
「それはどうかな? さすがの俺もナインス殿に頼りきりではない。あのルナ・アーカイブス……子供らしく、興味のないものには触れんだろう」
「まあ、確かに。あの子は私たちにそこまで興味がなさそうでしたし。……ナインス殿も、もしかしたら止められているのかも」
「……それは、さすがに都合が良すぎるだろう。だが、ナインス殿に話を聞いてもらうためにも登らねばな」
「ええ、登らないと話すこともできな……って登るゥ!? ここを!? どれだけデカいと思ってんですか!?」
腹黒で冷たい男で通っている副長でも、襟元を掴んでがっくんがっくん揺らすほどのことを言い出した。
「ちょ……おいおい、待てよ。そんな怒るなって。まあ、結構辛いことだと思うけどさ、別に無理なことじゃねえと思うんだよ。ほら、雨降ってねえし、風もそんなないだろ? 山登りの訓練はやったじゃねえか。俺達は精鋭だ、だからできるさ」
肩をつかんで止めて、軽い顔をしている。そんな簡単に言われるとできるような気がしてくるが、山をもう一度見るとそんな気持ちは一瞬でどこかへ消えた。
「分かってないと思ってんのか。その顔……やってみればできると思ったけど、いざ目の前にして後悔してるけど言い出せない顔だろうが。見てみろ、あの垂直の崖を。――あんなものに登れると、本気で思ってるのかよ」
それは火に油を注いだだけだった。今にもぶん殴りそうな顔で戦士長を睨みつける。
「……はは。やっぱりお見通しか。ま、おまえさんとは長い付き合いだしな。だけどな、見てみろよ」
「――?」
戦士長は鉄蜘蛛の足をコンコン叩く。それはひび割れ、ぼろぼろの有様になっている。ゆえにそれは、真の意味での断崖ではない。掴めるだけの欠けが、至る所に存在するのだ。
……それだけを見るなら、登れると思ってしまうほど。
「な? ほら、登れるぜ」
ひょいひょいと登っていく。滅茶苦茶に崩れているというのに、廃墟じみたひび割れは、しかし体重をしっかりと支えてくれる。
めくれるような壊れ方をしているのに、全体重をかけても壊れやしない。
「――お。けっこうイケるじゃねえか。ほれほれ」
片手をひっかけた状態でポールダンスのごとく身体を垂直に持ち上げて、足をぶんぶん振る。手で振る代わりに足で、ということなのだろうが。
「危ないから降りろ。馬鹿が」
副長の視線は極寒のそれだ。そんなことは分かり切っていると言わんばかりだが、まあ見れば分かる。
大人3人で囲んでも余るほどに太いその脚、しかし上部の胴体に当たる部分に比べると細いなんてところではない。それでも安定しているのだから、その細っこい脚はよほど頑丈に違いない。
「なんだよ、冷てえなあ。つっても他にどうしようもねえぜ。それとも、ここで叫んでみるか? 降りてきてくれる……とは思えねえが」
「――まあ、それもそう……か。村の人には挨拶してるし、伝わっていないことも……まあ、ないか……」
絶妙に歯切れが悪い副長。考えれば考えるほど、この絶壁を上るというクソみたいなアイデアが合理的に思えてくる。
「……いや。いやいやいや――それはないだろう。だが……」
副長は頭を抱えて唸り出す。
元々が無理な話なのだ。鋼鉄の夜明け団は国の権威を気にかけている様子がなかった。訪ねても姿を見せずに上で引き籠っているのは予想するべきだった。
そして、引き籠っているのだとしたら……手段はない。村を襲撃すれば、とも思うがそれは完全に敵対行為だ。『マレクト』の連中はそれをやるつもりだが、こちらはそれに反発して先んじて行動している立場だ。
「な? これしかねえだろ」
いけひょうひょうと言う戦士長に、副長は震える拳を握りしめることしかできないが……
「まあまあ、お二人とも。メシが用意できたんで食いましょ? あまり考えすぎてもいいことなんてないっすよ」
部下が椀に汁物を盛ってやってきていた。