第19話 ”軟体”のモンスター・トループ
次の場所、紫色の機体は穏やかなまでに静かに空から着地する。飛行技術を用いた軟着陸である。
突進などで勝てる相手ではないと分かっているのだ。いや、それを望みたい。その程度であってくれるなと願うように声をかける。
「太陽が空に輝いている。あれこそ光輝、今日は死ぬには良い日だと思わないか? 我こそはルナ様の直属部隊。全身を鋼に変えしモンスター・トループ……【ジェリーフィッシュ】。この鋼の身体に魔人の技を刻んでくれ」
紫の機体が舞い降りた。毒々しい色だが、その実は大した毒は持っていない。そちらを担当するのはブラッドの方だ。
その本領はその鋼鉄からは想像もつかない柔らかさだった。人体の関節などない自在の動きが、敵手を予想できない動きで襲うのだ。
「そうか。私はルナ様より星将騎士団の地位を許された第五星将【永劫卿】クインス・L・オトハである。貴様を倒す……! 次こそ、必ずや……敵も倒せぬままに散るなど……冗談ではない!」
そして、待ち構えていた魔人は殺意を露わに睨みつける。クインスはルナ・チルドレンではないためにヘヴンズゲートでは重要な役目は任されなかった。
ドラゴンを殺す任務こそ達成したが、結局は乱入してきた災厄を、相手取ることすらもできなかった。ドラゴンの相手で精も根も尽き果てて、ただ寝ていたのだ。
雪辱と挑んだ最終決戦、拾い物の白露白が災厄撃破に成功するも、肝心の星将の方は各個撃破の憂き目に会った。結局は根源星将が全てを倒したが……それで納得できるものかよ、そもそも彼女は団員じゃなかっただろう。
ゆえに次の機会を待ち続けたのだ。相手が何であろうと関係ない。今度こそ、”勝利”をこの手に掴むのだ。焦がれてやまぬ”勝利”を今度こそ手にしようと希うのだ。
「その殺意は心地が良い。さあ、究極の戦いを演じようではないか!? この鋼鉄の心臓に、その刃を突き立てて見せるがいい!」
「言われるまでもなく。……その心臓に刃を突き立て、抉ってやるさ」
クインスが目にも付かない速さで疾走する。クインスの強味は超高速域のスピード、周りが凍り付いたかのような速さなのだ。
対してジェリーフィッシュは速度に優れてはいない。直線距離であればスティール、ジグザグならばギアがその辺りの担当だ。
「……速い!?」
「そうとも! 私より速い者など星将にも居ない! 何も成せぬまま、切り刻まれるがいい!」
ギィン、と胸の箇所で火花が散る。連続する。真正面から来たのに、斬られた後にしか分からないまでの凄まじい速さ。宣言通り、人であれば心臓の場所を狙った。
魔人としての力も考えれば、ただの鋼であれば簡単に真っ二つになっていた。バラバラ死体が転がるはずが――今は、ただ幾多の火花を散らすのみ。
「だが、残念だったな。ルナ様より頂いた我が鋼の身体はナイフなど通さぬ!」
「ぬぐ――ッ!」
剛腕が振り下ろされる。回避し、後ろに下がったクインス。互いに相手の脅威を認める。クインスの速さはこの剛腕を寄せつけぬほどに速く。そして、ジェリーフィッシュの機体は切り裂けないほどに強固だ。
暫し睨み合い、互いに結論を出す。そうだ、敵が強いから逃げるなど御免被る。そんなことをするためにここに来た訳ではない。
全力を出せる好敵手を求めてここに来た。……ならば、そうこなくては面白くないというものだ。
「永劫卿よ、その速さは見せてもらった。では、返礼だ。ジェリーフィッシュの本領を見せてやろう!」
機械鎧は轟音を上げて突進する。ルナが一から設計した機械鎧は、ナイフを通す隙間などない。
その機械の四肢が当たれば、それがただまぐれ当りでも抉れる。強さとして、現実的に永劫卿は下位である。
「――簡単には、させんよ」
ふ、と横に回り込む。突進をまともに喰らうような馬鹿なことをするものか。今日、己は勝ちに来たのだ。
横から懐に飛び込めば敵は対応など出来まい。無防備な横腹を突き刺して、そして即座に離脱する目論見だった。
「鋼の英知をみくびるな。ルナ様より与えられし我が機能を見るがいい」
その目論見は、突進中に横方向に殴るという不可思議によって打ち崩された。単にフックで横方向に攻撃したわけではない。そんな予備動作の要ること、あくびしながらでも避けられた。
例えるなら、走っている最中に横に向かって正拳突きを繰り出すようなありえない動作が、敵の予想を覆し速さを打ち破った。
「……な!? かは――」
虚を突かれ、拳がクインスの腹を抉った。まるで爆発したかのような破壊力。あの質量にプラスして軟体の身体が衝撃を伝えてきた。
クインスは血を吐き、もんどりうって二度三度と毬のように地面を跳ね飛んだ。
「これこそ、ルナ様より賜わし我が身体。軟体の身体には、前後左右などという概念など存在しないのだ」
誇るように己の身体を示す。どろりと腕が溶け落ちた。要するに中身に詰まっているのは関節でもなければギアやバネ等でもない。
いかようにでも姿を変えるスライム状のそれは、どのような体勢からでも攻撃を可能にする。そしてそれは力を貯めるバネでもある。
「……チ。だが!」
「ぬ――」
ダメージなど知らぬとばかりに血を吐きながらクインスが立ち上がり、ナイフを飛ばす。憎悪にすら似た殺気を放ちながらも高速の斬撃が関節を断つ。
馬鹿みたいに見せたそのスライム、伸びた関節部を切ればいいのだろう? ご丁寧に自分から鎧を分解してくれたのだ。
「やはり、無駄か」
「そうとも。切り離せば済むと言う話でもない。自在に動き、繋がるこれは切り離されたところで再結合するだけ。さあ、これで終わりか? いかにお前が速かろうとも、鋼を貫けぬ以上勝利はない。それとも……」
しかし、分断された腕はまたくっついた。切断すれば良いと言うものではない。中身のスライムを消し飛ばす強力な攻撃を通すか、堅固な鎧を破壊しなければ意味がない。
「それとも、敗走を選ぶとでも? 冗談ではない。俺は絶対に勝つ。勝たねばならない。ただ納得できるだけの死を求めるあいつらとは違う。俺はまだ、手にしていない。この手に、勝利を! 勝利を掴むのだ!」
だが、どれだけ絶望的な局面にあってもクインスの目に宿るのは強烈なまでの勝利への渇望のみだ。
雑魚を相手に勝つことに意味はない。強大な敵を打ち破る、ただ一度だけでもその栄誉を手にするために叫ぶのだ。
「……くく、なるほど。凄まじい執念だ。だが、第五星将――お前は、他の者ほど力はない。最初の根源星将とは立っているステージそのものが違う。そしてブラッドの戦う彼よりも、お前は弱い。察するにあちらが第四か、実力差は歴然だな」
「奴か。あの男――ルナ・チルドレンでもないのに副官気取りの奴! 忌まわしきおべっか男が。星将の座を得ようとも、ルナ様はすぐに去ってしまわれた。あの方に教わったことなど、彼らに比べれば僅かで……」
ぎりぎりと歯を食いしばり、血が口の端を伝う。そこには妄執と呼べるまでの執念があった。
主と定めた者に認められたいと思うのは、万人共通であろう。そして、得られるからこそ更に強く渇望するのだ。
「劣るのは認めよう。だが、勝てぬなどと認めてたまるか。今度こそ! 今度こそ、勝利の美酒に至るのだ。勝利を、この手に掴むためならば――命など惜しくはない!」
懐から取り出した黒い何かを噛み砕く。
「……それは」
「ルナ様が作られしエメラルド・タブレット。それを黎明卿が研究した劣化コピー、『コンタミ・タブレット』。性能は足元にも及ばず、しかして副作用は甚大だが……構うものか」
ガリリと奥歯でかみ砕いたそれを飲み込む。気配が膨れ上がる。汚染を引き起こしながらのブースト、脅威は1秒前とは比べ物にならない。
だが、悼ましいまでの強大な魔力は陽炎のように揺らいでいた。ここで逃げれば、数分も持たずに彼は死を迎えるだろう。戦わずして勝てる。
「なるほど。……その覚悟、受けて立とう!」
この戦いで、死しても勝利を掴む覚悟は見せてもらった。ゆえに全力で答えねば失礼だろうとジェリーフィッシュに引く気はない。
そも、すでに症状の出ているブラッドを考えれば次は己なのは確実。寿命はすぐに尽きる、それが数分後であるか、何日後かの違い。ならば、ここで散らすのが定め。
「行くぞ!」
クインスは血走った眼で敵を睨みつける。ともに”後”がない二人、長く生きることなど興味はない。ただ、”納得”を掴まないと、死にきれないのだ。
命よりも大事なものを掴みたいと、そう願うから。
「ルナティックコード【海嶺月華】!」
「――【疾風震羅】!」
ナイフと変幻自在の触手がぶつかり合う。ぴき、と触手にヒビが入る。まったく攻撃の通じる様子がなかったそれがいとも簡単に食い込んだ。あと一撃、同じ場所に入れば断てる。
だからこそ面白いと、両者はただ戦意を燃やす。ああ、そうだ。掴みかけているのだ。命を捨てても欲しいものが。
「ルナティックコード【呪珂輪連】!」
「【風凛正征】!」
完全な軌道を描き敵手を絶滅するはずの触手が、超高速かつ超威力のナイフの前に叩き切られた。
黎明卿の作ったそれは鋼を断つだけの力を与えるブーストである。そして、機械鎧の力を十全に引き出すルナティックコードを跳ね返すだけの理由は。
「貴様、ルナ様の戦い方を知っているとでも?」
「知っているとも。これでも教えは受けたのだ」
ルナティックコードはルナが作った、モンスター・トループに使わせるための月読流の劣化技だった。
ならば予想できる、対応できる。完全なそれを目にしていたのだ、いくら鎧で覆うとも不完全な肉体では月読流は使えず劣化のまま。
アーカイブスの完成された肉体でなければ完成しない流派だ。本人が作成したとはいえ、オリジナルより何段も劣るのだから。
「ならば良し! ずっと決めていた。最期はこの技だ!」
「存分に使え! だが、勝利は私が貰っていく!」
両者、夢に見るまで憧れて使えるようになった技。
「月読流……【月影】!」
月影はアルトリアの天堕刻印の劣化。ルナが作った、アルトリアでなくても出来る必殺の踵落とし。
「月読流……【桜花】!」
桜花は舞い散る桜のように無数の斬撃を繰り出す。クインスはただ一つ……自分が喰らった技を再現するために磨き続けたのだ。翡翠の夜明け団の勝利、その象徴とはルナ・アーカイブスその人であるがゆえ。
「「――」」
影が交錯した。
「まさか、一つとは言え月読流を修めるとは……!」
「あのお方こそ絶対なる指導者。かのお方に間違いはなく、その足元には勝利のみ。ならば勝つためにやることなど一つだろう。真似、学ぶことが人類の足跡であれば」
切り刻まれ、崩れ落ちていくジェリーフィッシュ。いかに軟体の身体とは言え、耐久力を超えるほどにバラバラにされれば壊れるのだ。
……それはアルトリアやウツロ、それに伍するだけの力を待つ魔力を保有する強大な魔物を倒すのと同じ方法だった。
「くはははは! 最期がルナ様の技であれば良し! ああ、私はルナ様に全てを捧げ――最期まで、あなたの元で……」
ジェリーフィッシュは崩れ行く身体で、ルナの居る方角へと身を投げ出し――そして、崩れ落ちた。
軟体のぐずぐずした黒色が廃液のように地にしみこんでいく。そして、中身が空になった鎧はばらばらと転がった。
「勝った。はは、勝ったぞ。俺は……勝てたんだ」
安堵の笑みを浮かべて座り込むクインス。砂が崩れる音がする。全身の崩壊、それはコンタミ・タブレットを使ったことによる副作用だった。
ここで終わりだとしても、まあ――
「夜明け団はかつて災厄に勝利した。そうだ、俺たちは既に勝っていた。そして、最期にまた勝てたのなら思い残すことなど何もないさ……」
さらさらと、崩れ落ちて行った。