第14話 翡翠の夜明け団 Side:ルート・L・レイティア
【翡翠の夜明け団】。それは瘴気に満ちた世界で【災厄】をはじめとする魔物を相手に戦い続け――その果てに勝利を得た秘密組織である。
だが、その勝利もつかの間の休息を得るだけに過ぎなかった。【災厄】との決戦を避けても人類は1年も持たなかっただろう。プロジェクト『ヘヴンズゲート』を強行したのは、災厄とドラゴンに人類が食いつぶされる前の先制攻撃が目的だった。それは達成したが……50年後には別大陸から魔物が大挙してやってきたという試練のつるべ打ちだ。
第二の試練はそれだけでは終わらない、とある場所から亀裂が発生して世界が”割れた”。ゆえに彼らは方舟を建造して滅びゆく世界から外側へと旅立った。
――そうして、この世界へやってきた。
「……」
白髪の幼女が闇夜に黄昏ている。幼い体躯に反した、その達観したような疲れたような目はこの類の魔人には特有の表情だった。
その開けた場所に続々と魔人たちが集まって行く。そこは草原だ。滅びた世界では失われた緑が、この世界では当たり前のように存在する。
翡翠の夜明け団は実力のみを重視する改造人間の巣窟である。元々秘密組織であったことなど関係ない。潜む気などない。ゆえに、暗い場所に集まる意味はない。
幹部に、ネズミに気付かないような間抜けは居ないのだから。
「――これからどうしますか? 黎明卿」
その名はルナ亡きあとに王国との戦争を主導した女の名前だった。だが、紛れもなく女であったはずの彼女が、こんなに小さく可愛らしくなってしまっている。災厄を降しルナと再会するまでは大人の姿だった。ゆえに、幼女になってのはそれ以降。
そしてこの女は幼女化にもめげずに常に狂笑を浮かべる女帝だったものだが、どうにも行き詰ってしまったこの状況では考え込むことが多くなった。
ああ、この世界に敵はいないとも。雑魚ばかりだ。……ゆえに、我々の望みは敵わない。夜が、明けない。昼夜と言う意味ではなく、達成すべき目標がない。
「この世界は、あの塔が突き刺さったときに終わりを迎えたのでしょう。そして、我々もまた人造子宮の研究施設であった6番艦を失ったときに未来は尽きていた」
「何をいまさら。6番艦を失ったのは昔のことでしょう。この弱者ばかりの世界で我々がどうあるべきか、重要なのはそれしかありません。我々にはもう血を残す術がない、それでもこの世界までやってきたのです」
「あなたに意見はないのですか? かつてルナ――ヘルメス卿の右腕を勤めていた【金剛卿】。あなたならば、彼女がこんな世界で何をするか分かりますか?」
「ヘルメス卿? 彼女は人類に反旗を翻し、鎮圧された。あなたが言うにはあれは偽物だったと言うことでしたが……我らの元から去った以上、思考実験に過ぎないと思いますね。さて、彼女ならこの世界でも見どころのある人間を見つけようとするでしょうね。飽きればアリスやアルカナと共に引き籠りを決めるかと思いますが」
「……まあ、そうなのでしょうね」
彼女は上の空で突き立った塔を見つめている。
まあ、心労は理解できる。今の翡翠の夜明け団のトップは彼女だ。星将としての地位は2位だが、O5の後継として全てを統括している。
彼女以外に適任が居ないという消極的な理由で。そんなだから、どうしようもないこの状況でこの先のことを考えあぐねるのも分かる。
「黎明卿、どうされました? 翡翠の夜明け団には、純粋な人間はもう居ません。世界の狭間にて人間は生きていけず……あらゆる策は尽きました。6番艦どころか生き残ったのは1番艦のみ、最も強力な艦と魔人だけが残りました。けれど我々では生命を繋ぐことはできません」
「……ええ、分かっていますとも。子をなすのはあくまで人間の特権でした。だからこそ、この世界に翡翠の夜明け団の生きた証を刻みつけようとした。この世界の文明は我々が託すに足る存在か、あなたに見て来てもらいましたね。2週間ほどの成果はどうでしたか?」
実力”だけ”あっても意味がない。魔人はその生命力が尽きない限り生き続けるが、生殖能力がないのだ。そもそも遺伝子情報すら滅茶苦茶に書き換えるのが魔人化であるため当然だが。
ゆえに託す……が、誰でもいいわけではない。これは我がままだが、相手にはそれなりの”格”を求めたいのだ。そして、この世界の人間は。
「――駄目ですね。彼らは弱すぎる。そして、幼すぎた。かつてヘルメス卿は学もなく働く気もない人間を獣同然に扱っていた。分類上人間だからと、目をそらして無視した。……注視する価値すら認めなかったのでしょう。私も同意見です」
「我々が提供する”ブリック”を貪り、粗末なあばら家で何もすることなく日々を過ごしていた者たち。――あのろくでなしとこの世界の人間では事情が違うのでしょうが。……しかし、事情があれど託すに足りないのは事実ですか」
「文明レベルの差を考えれば必然かもしれませんがね。それで、暴力の方はどうなのです? 期待する価値もないと思いますが……カレンとクインスはそちらを担当したのでしょう」
黎明卿は微笑する。ぞっとするような肉食獣の笑みだった。……が、その笑みもすぐに力なく消える。
「――ええ、報告は受けていますよ。面白いものはあったようですが……」
「術式の刻印すら禄に刻めない有様で、まさか『アーティファクト』を作り上げたというのですか? 信じられません」
「アーティファクトというのは我々の文明での名称です。別の方向へ特化した結果なら異なる名称になる。……それは『機関刀』と呼ばれているようですね」
「機関? 機関技術がこのような幼い文明世界にあると? ですが、機関があれば瘴気が共にあるはずですよ。この清浄な世界にそれは見当たりませんでした」
「……もしかしたら、原因はそれかもしれませんね。おそらく機関刀は別の世界から流れ着いて来たものでしょう。もしかしたら、あの塔もそれに引き寄せられた可能性がある。そして、我々もまたあの塔を目印にこの世界にやってきた」
「ええ。……そうかもしれませんが。一体何を言っているのです? 状況確認ですか? しかし、どうにかするにも光明はなさそうに思えますが」
もしかしたらボケたのかとルートは心配する。誰に説明しているのか、状況は分かり切っているはずだった。わざわざ話す意味はない。
「これは雑談です。私は待っていただけですよ。……戻ってきましたね、【無明卿】に【永劫卿】。あなたたちもこちらへ来なさい、サファス、そしてクーゲル」
凄まじい勢いで空から降ってきたのは第三星将【無名卿】ことカレン・L・レヴェナンス、そして第五星将【永劫卿】ことクインス・L・オトハ。
そして階位は6に7と、異名を貰っていないサファスとクーゲルは後に控えていたが姿を表した。ちなみにルートは第四だ。
「そして、もう一人……星将の中でも格の違う、災厄の魔石を宿す存在」
空に視線を向ける。その先で虚空が割れた。
「――私を呼ぶなんて珍しいですね。半ば引退したような立場に居させてもらっていたはずですが」
そして、悼ましいほどの凶悪な気配が出現した。そいつは空間転移で移動してきた。強力に過ぎる存在、根源星将はただ立つだけで周りの草木を死に至らせる。
立った場所の草木は腐り果てるように黒ずみ、やがて荒野と化した。
「ええ、あなたにも関わりがあることですので。……そして、もう二人ほど呼んでおきました。来たようですね、新しいアダマント姉妹」
「お呼びにつき参上いたしました」
「ルビィ・L・アダマント、サファイア・L・アダマント。ここに」
二人の少女がかしづいた。美しい白髪の少女、一つ特徴的なのは目の色が両目で違う、赤と紫のヘテロクロミアだ。
……年を取らないこの場の魔人どもとは違って、実年齢に即した姿をしている幼女である。悪く言えば幹部ほどの経験を積んでいない。緊張している様は年相応で愛らしくさえある。
「あなたたちこそ新世代の翡翠の夜明け。ヘルメス卿の遺した毛髪を組み込み、ヘヴンズゲートの中心だったアダマント姉妹の卵子から作り上げた人造人間。夜明け団の技術の粋を集めた到達点。あなたたちがどこまで通じるかが試金石となるでしょう」
「「――」」
二人は顔を上げない。指令をこなすことが喜びと、少女たちはただ次の言葉を待つ。
「意味のない経験は逆に害と、座礁した艦の守護を任せていましたが……修理ができないアレはもはや不要。生き残った魔人の全てをここに集めます」
黎明卿が傲岸に宣言する。
「何をするつもりですか?」
ウツロが幽鬼のような声色で問う。彼女はもはや”こう”だった。冒険者チーム【光明】に所属していた頃は、人見知りながらも目には希望の光があった。
そのチームは世界の滅びに際しても勇敢に戦い――そして瘴気に侵されて死ぬ末路を迎えた。年齢にして60を超えた辺りでのことだ。
恋仲であった式子規九竺。同姓で友達、頼れる情報通の交渉役の咲裂絵奈。ぶっきらぼうだけど優しい、故郷の村で幼馴染を娶った九嵐霊も。伴侶は居なかったが、たくさんの弟子を作った輪燐輪廻も。
……前線で戦う者としては、良く生きた。人間は年老いて、そして死ぬのが習わしだ。一度ルナの誘いを断った手前、誰一人として改造手術を受けなかった。
そうしてウツロだけが残された。ルナはあの場に居た全員を何の手品か生かして返したけれど、魔人化は元に戻してくれなかったから。
だからウツロだけが死んでいない。ルナから貰った命を無駄に散らす気はないし、そもそも自分が死んだら制御不可能な巨大魔石が遺るから死ぬに死ねない事情もある。
それでも、彼女は生きてもいなかったのだ。
「面白いことに、この世界には我々と同じようにしてもう一つの勢力が来ています。西に巨大建造物が落ちたという情報があったためベルナーシャを派遣したのですよ。そこで彼は交戦したのです。【鋼鉄の夜明け団】を名乗る者達と」
「「……」」
息を吞んだのは誰か。夜明け――それはとても大切な言葉だ。実力も意思もない者にその名乗りを許すことはない。
その相手がどれほどのものなのか、次の言葉を待つ。
「ベルナーシャは逃がして貰ったようです。1対1、その他は見物に回っていたとのことですからね。ならば、夜明けを冠す資格はあるでしょう」
声を出さずに色めき立つ。実力を至上とするからこそ、力のない相手は認められない。最期に全力で戦えるなら、それ以上の散り様はないのだ。
なぜならば、ここに居るのは魔人。戦うためにヒトを捨てた彼らが、ただベッドの上で死ぬなど何という屈辱か。
「夜明けを冠すに足る者たち。……ならばこそ、戦いを挑まねばならない。我々の技術も、力も――勝ち取って貰わねば。負けるようであれば、彼らの方舟を奪い次の世界へ行くまで」
その思いはこの黎明卿も同じ。所詮は選択肢がないから上に立っているだけ。本来なら上に従わず、下にも迎合せず秘密警察のように内外の膿を駆除する役目を負っていた。
だからもういいだろう。最期の戦いの興奮に身を任せ、全てを終わらせても。
「ええ。我々は全てをかけてそれを打倒する。戦いこそが人類を次のステージに押し上げるのだと信じて。再び夜明けを掲げんがために」
「「「――人類に、翡翠の夜明けを!」」」
全員で叫ぶ。……いや。
「夜明け。だけど、私にそんなものは」
ウツロ。ただ彼女だけが死んだままだ。生きる理由はないが、死ぬことは許されない彼女。そんな彼女に、端の方に佇んでいた【殺戮者】がしゃがれた声をかける。
幼女化などととんでもない変貌を遂げた黎明卿と違って、彼は順当に年を取り老人となった。もっとも、ただの老化ではなく負荷の表層化、瘴気による弱体化ではあるが。
「……彼らの主は、透き通るような美しい紫紺の髪の幼女だったそうだ」
「――ッ! ルナ、ちゃん……?」
振りむいた。目に移るのは枯れ果てた老人の姿。彼は魔人としては特殊で、純粋な魔人としてのランクが低い。
触れば折れてしまいそうな枯れ枝。だが、その瞳はどこまでも苛烈な炎を宿している。
「誰にも譲らん、俺の獲物だ。……そして、奴はお前にも試練を与えるだろう。会いたいならば、突破して見せよ」
「……ふふ。そうだね、ルナちゃんはそういう子だった。あれから52年と5年、何も変わらないままであれば失望させてしまうものね」
ちらりとそんな会話を耳に挟む。私は私でアハトに声をかける。彼は彼で、殺戮者とは別の場所で一人佇んでいた。
とはいえ、こちらは黎明卿の言葉すら聞いていたのか。彼はただ破壊するだけの舞台装置。星将としては黎明卿より上の序列だが仕切っているのは彼女、そして彼女の命令しか聞かないというよくわからないことになっている。
「あのお方が生きていたという話、どうやら本当らしいですね」
「……信じていなかったのか?」
珍しく口を利いた。
「いえね。割かし無礼な口を叩いていたので、そっちの方が都合がいいかなと」
「安心しろ。俺たちの方が遠慮がなかった」
「ルナ・チルドレン。プロジェクト『ヘヴンズゲート』の時の最強部隊――ですが、それも昔の話です。今、誰が最強なのかを今度の戦争で証明して見せましょう」
「そうか」
それだけ言って彫像のように動かない。こうなれば、もはや作戦開始まで一歩も動かないし口も利かない。
「あなたに言っても張り合いがありませんでしたね。しかし、本気です。かつてあなた方は実力で選ばれた。対して私は雑務をやらせるにちょうどよいからと副官の位を与えられた。証明しなくてはならないのですよ。あの時、災厄に虫けらのように殺された。傷を与えたのは快挙? 倒したのは結局【光明】だっただろうが。得られなかった勝利を、今度こそ手に入れるため……!」
静かに決意する。翡翠の夜明け団はもはや組織としての体裁さえ保てていない残骸だ。だが、諦めて死ぬなど犬の散り際に劣る無様である。
あの時の後悔を払拭するために。ただの自殺志願であろうと、それでも何も成せずに死ぬなど認められないから。
必ずや敵を殺して見せようと気炎を燃やすのだ。
「全員、準備を。【翡翠の夜明け団】の総力をぶつけます」
黎明卿からの号令が下る。最期の戦争が始まった。