第12話 もう一つの夜明け団 SIDE:サーラ
翌朝に戦士団の人は出発した。皆、気のいい人だった。ああいう人たちが居ればこの王国は安泰なのだと、そう思えた。
けれど、ルナ。鋼鉄の夜明け団のボスの女の子。あの子はその幼い顔で愉快げに笑いながら、80年を生きた長老よりもなお人を見透かしたようなことを言う。
「王国の屋台骨はすぐにでも折れるさ。すぐに世界中で戦乱と虐殺が吹き荒れるようになる。彼らがどのレベルの戦士か知らないが正規軍人があの程度の認識では、王国の動乱をとどめることなど出来んさ」
今日は、うねうねとした触手を出している紫色の鎧に乗っていた。それはルナの髪色とは違う、毒々しい赤紫の鎧。
邪悪さをどんどん隠さなくなってきている。その幼い顔には嗜虐的な笑みを浮かべていた。【ジェリーフィッシュ】というこの鋼の化け物に感情があるのかも分からないけど。
「いい人達でしたよ。あと、私に何か用ですか?」
「軍事力と人の良さは関係ないがね。昨日見た彼らに民衆を押さえつけるほどの力はない。そして、ナインスが集めた情報によれば去年と比べておおよそ40%ほど収穫量が落ちている。食べ物がなくなるんだよ? 君達は特に何も考えていないだろうけど」
頭を、があんと殴られたような衝撃が走った。皆は気楽なものだけど、やっぱりずっとただ食べ物をくれ続けるなんて都合の良い話なんてなかったのか。
「……食べ物を、貰えなくなりますか?」
「今はその予定はないね。視点が狭いよ、国の話さ。村だけに限定するなら、そもそも人数が減った今では食料不足はまだ問題にならない。今心配しなきゃいけないのは外から襲われることだろう?」
「外……! 野盗がまた来るなんて……! でも、ナインスさんが何とか、してくれる」
「目をそらしてるだけだね。トラウマから目を背ける人間心理は知っているけど、それで状況が良くなることはないぞ。全ての村が、国が、君たちと同じように収穫の減少に悩んでいる。――そして、彼らには食べ物をくれる”僕ら”は居ないのだよ」
「……そんな。そんなこと。でも、襲われなくても取れる作物が減って冬の心配をしていたのは事実……なんですね。私の知らないことを言ってるわけじゃない。あなたは、何が起きると思っているの?」
「分からないかな? 国の崩壊、そして戦争が起きる。自分の、そして自分よりも大切な人のために誰かを殺してでも食べ物を奪うのさ。ああ、雨量も減少して飲み水も不足するようになるね。これから目減りしていくだけで増えやしない」
「土地が……死ぬとでも? 空に塔が突き刺さったあの時から、畑は元気がなくなっていった。でも、凶作の年だって今までにあったわ。その時は、来年には恵みが戻ったから誰も死ななかった」
「そう。冷害に天候不順、収穫量が減る要因は数多くあるし君の言った年もそうだったろう。だが、何のせいか君は知ってるだろ。寒かった? それとも雨が降らなかった? そんなところじゃないかな。しかし、今日を振り返ればなぜ不作か分からない。何が悪いのかわからないのに明日改善するとで思うかい?」
「それは……それは、塔が現れたから。天空の、塔が」
ルナはおかしそうに、その小さな手をぱちぱちと叩く。
「塔! なるほど、塔か。ご明察だね。その通りだとも。ならば、あの塔はいつ消える? 消えた時が不作の終わりだと思うのは自然だね。あとは塔が消えるまで何日かで、その日までの食料が蔵に入っていれば生き残れるねえ。なあ、その日は”いつ”?」
「いつ? だって、突然現れたから……誰もわかるはずない。あんな塔、早く消えてしまえばいいのに……」
「そして、消えることはないんだよ。正確には引き抜こうと世界の傷が癒えないのが問題なのだが、ここまでは君では理解できまい」
「……あなた、何を言ってるの?」
睨みつける。確かに私は彼女の言っていることの半分も理解できていないのかもしれない。
けれど、彼女の言うそれは悪い運命。誰一人逃れられない、この世界に住む人に平等に降りかかる悪い未来。それは分かる。
食べるものが無くなる。そして、争いが起きる。それは予言などよりもよほど確実な予想。大人を怒らせれば殴られるのと同じくらい確定した未来。
その中で、この幼女は何をするつもりなのだろう。
「ああ、何か勘違いしてるね? 僕は特に何かをするつもりはないよ。そもそも僕にだって、人々に食料と水を行き渡らせることなど出来ないしね」
「では、何を?」
「見物に回るよ。この世界がどう滅んで行くのか興味がある」
「――ッ!」
能天気な言葉。本当に、この子は物見遊山で世界を回る気だ。……え? 世界を回る気?
「ああ、長く話をしてしまったけど、本当はこれを言いに来ただけなんだ。年を重ねると話が長くなっていけないね?」
「いや、あなたそんなに生きてないでしょう」
幼女が長く生きると、なんて言われてもギャグにしか聞こえない。
「くすくす。ま、そう思うかもね。ナインス君も連れて旅に出るから宜しく。ノーマルな人間の輪郭がある人間は数が限られてるから連れてくことにしたんだ」
「――そんな、ナインスさんを! 困ります!」
「決めるのは君じゃない。ナインスに選ばせたら僕の方に付いて行くと言っていたよ」
「うそ……そんな。本人に聞きに行きます」
そんなことを話していると、足音が聞こえてきた。話に割って来る影が二つ来た。
「ああ、その必要はありませんよ。私がルナ様に付いて行くのは当然のことです」
「それと、サーラもお連れください。わずかなりとも役に立つでしょう」
「ナインスさん……!? それに、村長さんも何故!? というか、え? 待って、なんで私!?」
話が急展開過ぎてついていけない。ナインスさんが村から居なくなるのだけでも衝撃なのに……なぜ私がついて行くことに?
「サーラを? 不要だが……」
ルナだって不審な表情になってる!
「そう言わないでください。特に知識もない村娘ですが、何かの役には立つでしょう」
「待ってください、村長様! なんだって私は付いて行くことに!?」
そうだ。なぜ私が村を離れなければならないのだ。というか、この子について行くなんて……絶対に胃が痛くなりそうで嫌だ。
「何故って……ほら。ここでルナ様のお役に立てねば、食べ物を恵んでいただいたご恩を返せないではないか。村の皆も納得してくれる」
「……ッ!?」
頭が真っ白になる。村を引き合いに出されては反論できない。言葉を探していると、あの子の囁き声が聞こえてくる。
口を近づけている訳じゃない。なにかの方法で私にだけ聞こえるようにしているんだ。
「おやおや、これは先手を取られてしまったね。彼はこのままだと村を掌握されかねないと恐れたんだ。年喰った連中だけ味方につけておけば地位は安泰、などと言う甘い目論見が崩れて焦ったんだろうね。君も怒ってた通りに老けた連中があの様で働かないから」
「今の村の中心は若者たちに移った。そう、復興を推し進めている君を中心としたグループだ。このままでは村を若者たちに乗っ取られてしまう。彼には都合が悪い。年寄りでやる気があるのは彼だけだが、しかし復興なんてしてなかったろ? 働いているように見えたのだって、自分の勢力圏を死守するための活動でしかなかった」
「まあ、僕がどこかに行くなら同行させた方が恩は売れるという単純な考えもあるだろうね? これで恩を売れば、畑に頼ることなくずっと食べ物を確保できるという思惑もあるかもしれないし」
村長様、いや元村長が動きを止めた私を不審げに見ている。……なんで、そんな目で見るの? まるで、敵みたいに。
彼が口を開く。
「君にもその方が良いだろう? この村でくすぶっているより、都会を見てみたいと言っていたじゃないか」
そんなこと、言っていない。いや、友達には冗談で言ったことあるかもしれないが……この元村長に言ったはずがない。
ルナを見やると、やれやれと肩をすくめていた。
何を言いたいのか、言われずとも分かる。この男は何か理解したような振りをしているだけ。元村長は、ただ厄介ごとを押し付けたいだけだ。しかも、私に恩を着せて。
本当は、私の意思なんて聞く気もないのに。もちろん借りを作ったとも思わない。だから、”君にもその方が良い”なんて気楽に言う。
「……さて、どうするサーラ? まあ、付いてくるのなら放置はしないし食い扶持を自分で稼げとも言わないよ。ただ村娘の方がいい場合は君に働いてもらうけどね。ま、戦いに出すことはないし偉い人と話させもしないから安心するといい」
ルナはケラケラと軽い感じで笑っている。この子はいつもこうだ。女の子とイチャつくか、機嫌良さそうに人の苦しむ姿を見ているか、あとは興味なさげにしているかのどれか。
こんな風に笑っているときは大概、碌なことにならない。
「――分かりました。付いて行きます」
だが、選択肢はこれしかないだろう。きっと、これが一番いいはずだ。元村長だって、一度村を出たからと言って私を邪険にはしないはず。
ここでルナと一緒に行けば皆が飢えることがないのなら、きっとその方がいい。
「ナインスに色々と用があるみたいだから、出発は明日にするよ。また迎えに来る」
指をパチリと鳴らすと夢幻みたいに消えてしまった。まるで白昼夢だ。まあ、とんでもない力を持っているのは分かっていたから今更驚きはしないけど。
元村長を見ると腰を抜かしていて、少し笑ってしまった。
そして次の日、私たちは村を出発した。ルナは相変わらず化け物に乗っていて、幼女と女の人の2人に囲まれている。
他には8名が護衛として付いている。そして中心に馬車があるのだが――戦士団のものより大きく、しかし飾り気のない無骨な印象を受けるそれだった。それを四つ脚の化け物が引く異様な光景だった。
「――気付いておられますか、ルナ様」
二人ほど前を歩いているうちの一人。長袖と白い手袋、さらにマスクで全身を覆い隠しているけれどヒトの姿をした人が言った。
屋根の下で女の子二人と戯れていたルナが楽しそうに笑う。
「おや、気付いたんだ。ラーヴァ」
「はい。向こうに――この世界にありえざるほどの魔力を持つ者が、我らの様子を伺っています」
言われて御者台の上に行ってきょろきょろと辺りを見渡すけれど、何の変哲もない風景が広がっているだけだった。
そして、それを話している側は指を差したりもしなければ足を止めたりもしない。
「そうだねえ。あれは魔人の類だ、この世界に存在していいレベルの技術じゃない。とはいえ、魔物でもない。人の意思を持っているぞ」
「ならば、我々と同じく他の世界から来たと?」
「まあ、犠牲を覚悟すれば魔導人形クラスの技術を持っている世界ならば可能か。ただ、向こうが先に見つけたのは彼が先遣隊だからだよ。実力ではなく意識の違いさ。彼らはアームズフォートを見てやってきたんだね。……大きいからね、遠くからでもよく見えるさ」
「警戒意識の差ですか。しかし、向こうの方が気付くのが速かったのも事実。精進いたします」
「それも特に問題ないさ。けれど、今の時点では敵対はしたくないかな。……あの術式、どこか見覚えもあることだし――試してみようかな」
「承知しました。では……!」
「ああ、ラーヴァ。鋼の意思を見せつけてやると良い」
「ははっ!」
その言葉を発するやいなや、地鳴りのような踏み込みが走る。機械の足はただの一歩で凄まじい距離を踏破する。
何もないはずの草むら、だがそこに降り立った瞬間。
「――ッ!」
ガギン、と音がする。白手袋と小刀がつばぜり合いを演じる。魔人は気配を草むらに溶け込ませて隠れていた。
まったく気付かなかった。草と見分けがつかなかったのが嘘みたいな黒い軍服。
「我こそは【鋼鉄の夜明け団】のラーヴァ。この鋼鉄の身体を恐れぬならば、かかってくるがいい!」
「……私に名乗る名前はない。しかし、夜明けと……? 貴様の力が夜明けの名に相応しいかだけ、確かめさせてもらおうか」
二人の戦闘は加速する。手足と小刀が空を切る凄まじい音が聞こえる。……だが、一合目とは違ってつばぜり合いにはならない。
両者、完全に当たらない。まるで抱き合うような距離で何一つかみ合わず空ぶる音だけが宙に消える。
「ふむん。魔導人形を開陳すれば勝負にはならない程度の実力……生身でこそ均衡しているね。魔人の方はあれで最高値か。まあ、見れる勝負ではある」
ルナがくすくすと笑う。
「なるほど。中々に速い。だが、鋼の四肢に傷はつけられぬと知れ!」
「関係ない……! 翡翠の知恵が貴様の心臓を貫くのだ!」
戦闘がさらに加速する。ラーヴァが防御力を頼りに傷を恐れぬ攻撃をすることで攻撃がかすり始めていた。
血の赤が咲く。轟音とともに、機械の手が魔人の身体をわずかに抉る。
「クハハハ! この程度か!?」
「チィ……!」
鋼の拳が敵の身体を削り始めたのだ。赤が舞い、足元の草木が染まる。だがそれは消耗を強いたと言うことではなく、敵が負傷を覚悟したということであり。
「さあ、ノックアウトしてその身体を調べてくれようか」
「……隙が見えたぞ」
このままごり押そうとした一瞬の油断に必殺が入り込む。魔人がその手に持つ小刀でもって心臓を突き刺そうとして――
「残念だが、そこも鋼だ」
「……ッ!?」
金属音が響いた。刃が通らない。まさか、心臓を刃で突かれて死なない人間が居るわけないと思うけど、それは現実だった。まるで悪い夢のような戯画的な光景。
心臓に小刀を突き刺した方が恐怖を覚え、そして突き刺された方は狂笑を浮かべている。
「捕まえたぞ」
そして、機械の腕が魔人の腕を掴む。スピードタイプとパワータイプ、掴まれたら逃げ出せない。まさか、夜明け団が人の腕を潰すことに抵抗などありはしない。
「……凄まじい強さだ、夜明け団を名乗るだけはある。そして、そこの紫色の髪を持つ少女。突如出現した巨大な魔導機械――貴様らも”外”から来たか」
「やはり知っているな。この世界では知り得ない外の理を。ゆっくりと聞かせてもらおうか」
「その顔、覚えたぞ。だが、勝負は預けさせてもらう」
「……チィ――」
彼は躊躇いもなく掴まれた腕を斬り飛ばし、逃げた。あっという間に見えなくなる。
「ルナ様、敵の落とした腕でございます」
「うむ、大儀である」
そして戻ってきたラーヴァは切り落とされた腕を捧げ、ルナは物怖じもせずに血の滴るそれを調べ始めた。
「……あの、追いかけなくて良かったんですか?」
「ん? 本当に捕まえる気があるならこの子にやらせたよ」
あっさりと言い放った。
「――」
絶句した。そう言えば、と思う。ずっと気になったことを聞いていなかった。この人、人の腕とかは平気で触るのになんでずっと誰かの上に乗っているのだろうと。
歩けないわけじゃないと思うけど、歩いている姿を見たことがない。今だって馬車の上だ、地面に足を付けたことがない。
「……何で歩かないんです?」
「だって、虫を踏むのって気持ち悪いだろう?」
きょとんとした顔で返答を返された。そして、弄っていた人の腕が灰になって崩れていく。その幼く美しい顔を含めて、つくづく人間的ではなかった。