第11話 桃色の追憶 side:状態異常(陶酔)者達
兵士の一人。そいつは、一山いくらの兵士であったが幸せな人生を送っていた。”あの時”までは。
特別な技能などなかった。才能もなかった。生きていられたのは運が良かっただけだった。ただそれだけで、自分が強くなんてないことは本人が一番よくわかっていた。
それでも、幸福だったのだ。
安月給だけれど、長年兵士を勤めていたから後方に回されて。とある裕福でもない村で嫁ももらえた。
お世辞にも生活が楽だとは言えなかったが。嫁も体が強い方ではなかったから。それでも娘もできた。後方に敵が来ることはめったにないから絶望的な防衛戦に駆り出されることもない。
魔物の氾濫はそう低い頻度ではないが、よく起こることではない。自分の運ならば大丈夫だと、疑いもせずに信じていた。この幸せな生活が続くと信じていた。
妻と娘が蒸気病にかかるまでは。
そんな話はないだろう。
なぜ、自分たちがそんな目に会わなくてはいけないのか。悪いことなんてしていない。むしろ人間を守るヒーローの側に立っていた。
活躍なんてしてないし、華々しい冒険者の活躍に隠れてしまうものだとしても、変わることはない事実だ。
だというのに世界で一番不幸になった。世を恨み、理不尽に涙した。
努力したのだ。愛する妻と娘のためならどんなことでもやった。方々から金をかき集めて、慣れない初級冒険者の仕事までして、最後には借金までした。それでも、届かなかった。金が足りなかった。
商人は、頭を下げても、必死に集めた金を積み上げても。さげすむ様にこう言うだけだった。
「金が足りんよ」
散々笑いものにして、なじって。しかしビタ一文すら負けてくれない。金は用意するといっても聞かない。金を受け取ったら、仕入れてやるよとゴミでも放るかのようにたたき出された。
娘はよい子だった。あんな不幸になってよい娘ではなかった。優しい子だった。あの子はクッキーが好きで、誕生日には必ず妻がクッキーを焼いていた。
わがままなんて言わない子だったけれど、それだけはよくねだっていた。
あの笑顔を覚えている。夢は家からあふれるくらいクッキーを焼いてもらうこと。と、照れたように笑う笑顔。多くを望みなんてしなかった。ただ、妻と娘が元気でいてくれたらよかった。
けれど、目に焼き付いているのは別の光景。
痩せ衰えた娘の姿が消えてくれない。最後の瞬間、せめてと用意したクッキーを口に入れてやったら、ほんの少しだけ口の端を上げて――そのまま意識が戻ることはなかった。
そのクッキーには、歯形すらついていなかった。
妻が生きていてくれたら、彼女のために生きることができた。けれど、後を追うように。一晩も持たなかった。その日、全てを失った。
それからはもう、転落のストーリーだ。
自暴自棄になった彼は部隊で衝突を起こし、流れに流れて最後は懲罰部隊に配属された。自分のことなどどうでもいいと思っていたから、逃げもせずにここまで残っていた。
もはや自発的に何かをするだけの気力も残っていない。言われたからやっているだけだった。
だが、今は違う。
「おかえりなさい、パパ」
目の前に娘がいる。死んだはずの娘が。やせ細って二度と目を開けることのない姿が目に焼き付いているのに。元気になってくれた。笑顔を見せてくれる娘が。
「どこ行ってたの? 今日はお祝いよ」
娘の後ろから妻が話しかけてきた。すでに引き払ってしまった、引き払わざるをえなかったあの家で。甘い香りが漂っている。嗅ぎなれた匂い……クッキーを焼く香りだ。
「なん……で」
死んだはずだ。あの日、全てを失ったはずだ。なのに、なぜ――
「どうしたの、パパ。お医者様に行ってね、もう大丈夫だって。だから、そのお祝いだよ」
幸せいっぱいの表情。もう二度と見れないと思っていた笑顔。
「思ったよりもお金がかからなくて済んだの。だから……ね?」
いたずらっぽい笑顔。ああ、ここには笑顔があふれている。確かにここは現実ではないのだろう。夢か幻。そんなものに囚われてはならないとわかっている。でも。
「ああ、ちょっとパパ嬉しくて、わけがわかんなくなってたんだ。おめでとう○○」
頭をなでてやるとくすぐったそうに身をよじる○○。愛しさがあふれて止まらない。
「うん、ありがとう。さ、パパ早く座って。パパがいないと食べられないもん」
どこまでも無邪気に笑っている。そんな顔はもうできないはずなのに。
「良くなってくれてよかった。本当に――」
ああ、ここは現実ではないのは分かっている。
これは夢だ。こんな優しい現実があるわけがない。だけど――これはいい夢だ。願っても叶わない夢。なら、それでもいいのではなかろうか。絶望しかない現実など知らない。夢か幻でもいい。この幸せが続くのであれば。
甘いバターの匂いに紛れて、桃の香りがした気がした。
そいつは、貴族の三男だった。
家は才能のある長男が継ぎ、次男は芸術の才能が有って実家よりも上の地位の貴族のパトロンを得た。けれど、そいつには何もなかった。貴族の世界を生き抜く才能も、芸術の才能も。
家からも見放された彼は、長男のスペアとしてぞんざいに扱われ、ついには軍に放り込まれた。とりあえず、そこならば家の名誉は傷つかない。失敗なんかしても責任を押し付けられるのは平民出の兵士で、そして本人が死んだところでむしろ名誉の戦死。不祥事の心配が減るというものだ。
つまり、彼には何も期待されていなかった。ゆえ、愛を受けることもなかった。だからこそ絶対に見返してやると決意したのだ。
軍に入れられると、精力的に活動し完璧な作戦を立てて手柄をあげるため奮闘した。しかし、下についた者が悪かった。どいつもこいつも文句ばかり。いざ実戦というと失敗続き。もう少しマシな部下がいたらと、何度歯を食いしばったか。
むろん、その完璧な作戦とは特攻して他の部隊の手柄をかっさらってこいくらいが関の山の、失敗しない要素を探す方が難しいものではあったが。それでも彼は完璧な作戦だと思っていたし、自身の成功を疑うこともなかった。
そもそも彼は戦術というものを知らない。誰にも顧みられることのない状況で育った歪んだ自尊心がそうさせた。教えを受けたことがないのだ。
だが、今はもうそんなことを思う必要はない。
英雄の凱旋だ。とある重要な任務を大成功させて帰ってきた。
国中にとどろく大々的なパレードを行うほどの大手柄だ。そして今は実家の門を叩こうとしている。王からも直接のお褒めの言葉をいただき、そいつの名は国内外にまで知れわたった。
もはや俺のことを無視できる人間など一人もいない。と、そいつは一人ほくそ笑む。
「よく帰ってきた」
迎えに来た長兄の目には感動の涙が浮かんでいる。
「お前は俺たちの誇りだ。お前の活躍は後世にまで残るだろう。よければ、その活躍を遺す手伝いをさせてもらえないかな」
次男は興奮して頬が上気している。懐かしい。よいモチーフを見つけるとこんな目をして食事を忘れて絵に没頭していた。そいつをその目に映すことはなかったが。
「まあ待て。弟も疲れているだろう。歓待の準備は終わっている。父上とお爺様も首を長くして待っている。英雄の凱旋を待ちわびている」
「ああ、そうだった。あまり独り占めしていると怒られてしまうね。さあ、案内しようじゃないか。とはいえ、その必要もないか」
羨望の視線を投げかけてくる兄たちの視線はこの上なく心地よい。ああ、認められたのだ。すべての苦労が報われたと知った。もはや、そいつは誰からも顧みられることのない”要らない子”などではない。
「お願いします。いや、あの事件の時に少々記憶が頭から飛んでしまいまして」
兄たちとこのように談笑するなど初めてで。そう言えば、自分はどんな手柄を立てたんだっけか。浮かんだ疑問は桃の香りに溶けていった。
ここは現実ではないとすぐにわかった。
体が縮んでいる。僕の身体はこんなに小さくはなかった。この身長であれば10歳ごろ、といった頃合いか。
このくらいの年齢の時は、そう――孤児院にいた。と思えば、目の前にあの孤児院がある。一瞬、自分の名前を忘れた。だが、思い出す。
「……新城、鋼」
だんだんと思い出してきた。
そう、この時分のころはまだ拳闘の大会にも出ていなかった。ただただ体を鍛えていた。将来の展望があったわけではない。だが、それ以前に頼れるものなど自分以外にあり得ないと見切りをつけてしまった。
信頼できるものは己の身体一つ、ゆえに鍛え上げると。単純だな、我ながら。
しかし、才能はあった。
華々しい舞台に登れるほどのものではない。そもそも、そういう才能でもない汚い裏技のようなものだ。だが、戦うことに関して無能であることよりはよほどいい。
孤児院は兵士の養成機関の側面も持っている。だからこそ、国も金を出している。決して十分とも、必要なだけの量もないが。だからこそ、力がなければ生き残れない。
一年に何回か、決まった時期に孤児が集められて戦わされる。推薦制で、良い成績を出せば孤児院に金が入る。
それは兵士養成の一環だ。僕はそれに選ばれた。もっとも、この体で言えば未来のことだが。騙し打ちの才能はあったみたいで、フェイントや相手の気をそらす戦術はうまくはまった。
大人になってからは兵士になり、色々とやっていくわけだが。
「……どういう効果だ、これは」
これはあの幼女のやったことで間違いない。
そして、状況から考えるに攻撃以外の何物でもない。だのに、なんだこの和やかな光景は。孤児院も破壊されているわけではない。
むしろ、少しだけきれいになっているような気がする。……記憶そのままというわけでもないらしい。
「敵が潜んでいる……様子もないな」
身体能力を衰えさせる意味でもあるのかと思うが、しかしアリがミジンコになったところで何も変わらないだろう。
昔の記憶を見せて何の意味があるのかわからない。後ろから何かが近づいてくる。ぼすっと背中に抱き着かれる。
「兄ちゃん、どうしたんだよ。家の前で立ち止まってさ。今日は待ちに待ったあの日じゃないか」
人なつっこい男の子。名前は確か――
思い出せないのに、思い出せたみたいに納得する。その矛盾を自覚できない。
「あの日? 大会でもあったか」
「何言ってんだよ、ほんとうに忘れちゃったのか」
「何だ?」
「ノリわるいなー。今日は△△様が歌を披露しに来てくれる日じゃんか」
誰だ。一瞬そう思ってそういえばそんな人がいたかと納得する。絶対に聞き覚えがない名前のはずなのに。
「ああ、そうだったな」
設定が変わっている。記憶にある限りではそんな催しはなかったはずだ。少なくとも僕は孤児院で何かのショーを見た覚えはない。歌と言ったら国を称える合唱を歌わされたことしか覚えていない。
「早く行こうぜ。まだ来てないけど、絶対に遅れたくないかんな」
「わかったわかった」
手を引かれる。意味が分からない。この風景を見せることに何の意味がある。これが攻撃と呼べるのか?
シーンがスキップされた。
時間を経た実感だけがある。しかし、記憶には一切残っていない。
感覚としてだけ過ぎた思い出がある。幸せだったと――中身の思い出せない幸福な思い出。身体はもう少し大きくなった。あれから2,3年程度か。とりあえず、流されるままにやっていくしかないだろう。
ただ違和感がある。
のどかな光景。戦いの影など何一つないというのが分かった。訓練の時間などなく、それに関連したものはすべて遊びや芸術の時間にとって代わられていた。
どころか、絶対に耳にするはずの魔物の被害のニュースも聞こえてこない。ああ、確かにそんな世界で生きるのは幸せなことなんだろうさ。なのに、この違和感は何だろう。
違和感を感じる心が抑えきれない。なにが不満なのかわからない。これは違う、確信だけが先にあって後付けが何もない。
”とにかく、ここを出なくては”。しかし、当てもない。敵がいるなら倒せばよい。閉じ込められているなら、起点となる場所を叩けばいい。
だが、これはどうなのか。どうしたら、この幸福な幻覚は消えてくれるのか。
ゆえに。
「うせろ」
目の前の、名も知らぬ親友を殴り飛ばした。




