第6話 ならず者の襲撃 SIDE:村人の少女
――普通の、村だった。
麦を撒き、家畜を育て……硬くて味のしないパンを食べて、でもお祭りの時にだけはごちそうのお肉が出る。ただそれだけの、何の変哲もない平凡な田舎の町。
王都では夢のような暮らしぶりをする人々が居るとも聞くが、遠い世界だ。やってくる旅人の話を聞いてもピンと来ない。その人達も、伝聞のようだったし。
農具は重い、水仕事はキツくて寒い時期になると手があかぎれでひどいことになる。でも、何とか食べていけるから――どうにか毎日を生きていける。
代り映えしない日々が続いて、いつかエド君かトマス君のお嫁さんにでもなるかと思っていた。ここは小さい村で、年の近い男の子はその二人くらいだったからなんとなくそうなると思っていた。
近くの村から素敵な男の人が来て、なんて夢想したこともあったけど……まあ、そういうのは村長様のところの義務で、特権だろう。身の程というのは知っている。
麦が一杯取れておなか一杯食べられたらいい。お肉ももっと食べたい。力仕事も水仕事もイヤ。不満を挙げたら数えきれないけど、これが幸せなのだと思っていた。
けれど。
「ヒャハハハ! 逃げても無駄だぜ、嬢ちゃん。動けなくしてから犯してやるよ!」
「は、お前あんな年頃がいいのかよ。ロリコンか? どうでもいいか。とにかく、殺して壊して奪い尽くせ!」
そんな幸せは、ある日唐突に瓦解した。
突如賊が現れたのだ。奴らは家々を壊し、皆を殺して――今も、この二人が逃げ出した私達を追いかけてきている。かばった両親は殺されてしまった。
アンを頼む、とそう言われたから頑張らなきゃ。
「お、お姉ちゃん……!」
手を引く幼い少女。私の妹、アン。恐怖に顔を染めて、かわいそうに。
思えば、日常の崩壊はあの天の塔が突き刺さったときから始まっていたのかもしれない。それは天から掘り進むように姿を現し、しかし地上に着くこともなく停止した塔。
全てがおかしくなったのは”あの時”から。
「大丈夫。大丈夫だから……!」
この子の手を引いて走る。この子は息も切れ切れで、おぼれてしまいそうだ。足も千鳥足、今にも転んでしまいそうなほどにいっぱいいっぱいで転んでしまいそう。
でも。でもでもでも、彼らに捕まれば殺されてしまう。少しでも遠くに逃げなきゃ。
「走って!」
この手を離せば逃げれる? 魔が差したけど、その思いを振り切るように手を強く握って走る。
走らなきゃ。走って、走って、走って……あいつらの手が届かないところまで。
どこまでも逃げようと、思うのに……!
「――きゃあ!」
がくん、と手に伝わってきた衝撃。手が下に引っ張られて、反射的に足を踏ん張らせてもどうしようもない。
目の前が真っ暗になって、何か衝撃が走って全身が痛くなった。
「うう」
心配して妹を見れば、アンは膝を押さえて泣いている。
(転んだ……?)
現実感が湧いてこない。まるで悪い白昼夢。
でも、どうやらアンがこけて、それに引っ張られて私もこけてしまったらしいのは事実。この凶刃は現実だ。
「くっく」
舌なめずりするいやらしい顔をした男が近づいてくる。もう、逃げられない。そもそもが無理だった。
……大の大人を前に、追いかけっこで勝とうなんて。命を賭けても、その差は埋まらない。
「は。ガキに足を引っ張られたか。足手まといが居なけりゃ逃げ切れたのかもしれないのになァ!」
もう一人の男が嘲笑を浮かべている。剣を構えるでもなく適当に持って、近づいてくる。その様は戦士どころか狩人にも見えないけれど、私たちに抗う手段はない。
「……いや」
アンを両手で守るように包み込む。それでどうなるとも思えないけど、でも……それが私のできる精一杯だった。
ここで終わる。いや、終わるなら良い方だ。薄汚れた格好の、意地の悪い笑みを浮かべた男たち。これから受ける仕打ちはきっと、死ぬよりも残酷な……
絶望の一幕に乱入者の声がかかる。
「――ははは、良いねえ。まさに勇気だ。文明レベルとしては猿同然でも、誰かを守るために敵の前に立ち塞がることができる。それが無知ゆえのことだとしても、しかしそれこそが英雄の意気である。人間の持つ意思という輝きだ」
とても高い声。幼い声が聞こえた。
この場においてはとても異質で場違いな子供の声が降ってきたのだ。悪い夢にしても脈絡がなさ過ぎて何が現実かわからない。
「しかし、そっちの略奪者は随分と貧相な装備だ。いや、その立ち振る舞いからして兵士のそれでもないね。……どこかの村から追い出されて、奪わなければ食べていけないほど追い詰められたか」
声に釣られるようにそっちの方を向いた。
「――え?」
異常、異質。状況を忘れるほどの衝撃が頭に走って、頭痛がする。
「なんだ、テメエ?」
「……化け物?」
声の主はとても美しく、しかし幼い少女。同じ人間とはとても信じられないような美貌の女の子が、目もくらむようなきらびやかな衣装を纏ってそれの肩に座っている。
そう、座っている”それ”は人間じゃない! 四つ脚の、金属の化け物だ!
「神様、どうか――どうか、アンだけは」
もう何も分からない。ただ妹を抱きしめて、居るのかも分からない神に祈る。
「剣。まあ、この世界の技術の”程度”は知れるかな。どうせ底だろうが、経験から言わせてもらえば質の悪すぎる武器を作ろうとするとどうにも不経済でね。無理に作るより、それなりで作ってしまった方が安くすむんだ。そういう意味で、下限が分かれば上限の方もある程度の検討は付くと言うものだね。……【ギア】、やりなさい」
幼女はとん、と軽い音を立てて跳び上がった。何層もフリルの重なったスカートが夢のように広がる。
瞬間、鉄の化け物が消える。
「――なっ!」
「マレコ、気を付けろ!」
ならず者の前に出現、その真っ黒でねじくれた鋼鉄の腕を伸ばし――――
「ぎゃあああああ!」
隣の男の警告に何も意味はない。腕ごと武器をもぎ取り、また姿を消す。とす、と軽い音とともに幼女が化け物の身体に着地する。
そして、もぎ取った腕を恭しく渡した。その化け物のなんと恐ろしいこと。目にも止まらないほど早く、人の身体を簡単にもぎ取れるほどの力を持つ。人の腕をもぎ取るなんて残虐なことを、ためらいもなく。
「ふむん。やはりこの世界の人間は魔力が身体になじんでいないね。まあ、身体構造が特に変わっていないのは霊長として進化の方向性が出ていて面白いのだけど。ねえ、ギア。この腕さ、魔力耐性さえ度外視すれば移植も可能だよ。肉体ではなく、環境を作り上げる能力を進化させていくのが人類と。中々興味深い考察が立てられそうだ」
「……ルナ様がご満足であれば、それ以上のことはありません」
化け物がしゃべった。あの幼女も見た目通りの人間というわけではなさそうだ。受け取った腕を平然といじくりまわしている。
興味を失ったのか、血の滴る腕を放り捨てた。あのような行いにもかかわらず、豪奢な衣服には血の雫の一滴たりとも付いていない。
「さて、進化学に関わるデータ蓄積はまた今度にしよう。本来はこちらの方を調べるために来たようなものだ」
その細くしなやかな指を伸ばし、その小ぶりな手には似つかわしくない剣を手に取り、折ってしまった。
「「――ッ!?」」
息を飲む声は、誰のものか。こともなげに剣を折るなど、あどけない幼女の所業ではない。化け物の主は、どれだけ美しい少女であろうとやはり人外であった。
「ふむ。やはり鋼とすら呼べない鉄屑だ。こんなものを精錬技術と呼んでもいいものかね。これではオリハルコンすら作れまい」
露骨に期待外れという顔をする幼女。折った剣も、腕と同じように捨ててしまう。
「――しかし、哀れなものだね」
そして、興味は二人のならず者に移った。紫の瞳が射貫くように、ぼろきれのごとき山賊衣装を纏う二人を見つめた。
一人はもぎ取られた腕の断面を抱えて喚き散らしている。そして、もう一人は剣を構えている。
……そんなものが通用しないのは、先ほど十分に分かったはずなのに。
「人の英知というものは結局、個人に依存した”頭の良さ”なんてものじゃない。もちろん頭の良いやつは居るし、そういう奴が素晴らしい発明を生み出すことは世の常だ。だが、人類の価値の本質はその積み重ねにある。一言で言えば、教育だよ」
幼女が愉快げに紫紺の髪を揺らす。ふわりと揺れた髪は夢のように舞う。枝毛の一つさえない、非現実的なほどに美しい髪がさらさらと流れた。
「碌な教育を受けていないのなら、ただのサルに過ぎない。人間は本の開発により霊長の資格を得て、そして双方向のデータ通信による情報量のビッグバンを経て”真にヒトとなった”と僕は考えている。輝かしく偉大な人の意思というのは、知恵という背景がなくてはならない」
傲岸に言い切った。
ただの村人の私には何も理解できなかったけど、これは……あの二人も合わせて私達のことをサルと呼んだのだろうか?
「ひるがえるに、君たちはどうだろう? 略奪は悪いことなのは分かっているだろう。その悪いことをするにも、実は意思を発揮する必要があるのだよ。マイナスの方向ではあるが、人を殺すのは大した思い切りがないとできないことだ」
「だが――どうせ、お前らは大して悩むこともできなかったろ? 背景が、考える”言葉”が足りないんだ。本を読んでいるなら幾つかの物語と自分を照らし合わせることもできただろうが、あの剣の製造レベルを見るにインク印刷ですら夢のまた夢ではねえ。寝物語の一つか二つが知恵の精々だろう」
「結局畑を継げなくて、村に食い扶持もないから追い出されて、似たような奴が集まって仕方なく野盗なんかをやってるに過ぎないんだろうさ。そこには何も”意思”はない。ただ食うのに困って他人を襲う以外になくなっただけのこと。獣同然の生き様だ」
鉄の化け物は微動だにしない。幼女の言葉に聞き入っているのだろうか?
「ふざけるな」
「……ん?」
「俺達はサルじゃねえ! 人間なんだ、見下すんじゃねえ!」
――え? そこ? まだそれなんだ?
無事な方の野盗が剣を振り上げ、足を踏み出した。サルというのは話が一巡する前の話だったと思うけど、そこだけを理解するにも時間がかかったのだろうか。
「哀れだねえ。そんな有様でも一丁前に感情があるものだから――幸せになる未来がないのなら、最初から感情などなければ良かったものを」
幼女の顔には哀れみが浮かんでいる。絶対強者としての立ち位置からくる余裕。あの化け物に対抗できる人間など、居るはずがない。
「おおおおお!」
だが、その哀れみが――彼にとっては何よりも許せない。力強く足を踏み出し、剣を握る拳に満身の力を込めて化け物に立ち向かおうとする。
もはや勝てる勝てないの話じゃない。視界が真っ赤に染まって、敵を倒すことしか考えられない。
「蛮勇。状況の理解すらおぼつかないとは、まさにサル程度のお粗末な知能だ。ゆえに救ってやろう。他人を不幸にして溜飲を下げることしかできないみじめなその生き様、せめて最期は幸福のうちに閉じるがいい」
幼女が化け物の上で手を差し伸べる。桃色の煙が広がった。
「……うあ」
剣が手からすっぽぬけてあらぬ方向へ飛ぶ。そして、彼は力を失って転んで――起き上がらない。
「え……」
死んだのか? と、思ってよく見るとトロンとした目で眠っている。まさに恍惚といった表現が似合う。
もう一人の腕を失った方も、同じように眠っていた。
「”恍惚”の状態異常を付加した。状態異常の魔力が脳を焼くまで三日三晩といったところかな。殴ると起きるから、そうだね……腹の虫がおさまらないようなら縛ってから起こして拷問でも何でもするといい」
幼女はけらけらと笑っていた。
「え? え?」
いきなり私に語りかけてきた。何を、言えば良いのか。
「ふむ、状況を理解できていないようだね。さて、どうしようかな」
ルナと呼ばれた幼女は後ろを振りむく。
「――増援、到着致しました。ルナ様」
音もなく表れた男たち。総勢9名、身体の輪郭が人間じゃない。仮面を被っている者、肩や腕に妙な膨らみがあるもの。そもそも鋼鉄を隠そうともせずに義手を晒している者。
天からの助け? そんな馬鹿な、化け物の集まりじゃないか。
「ルナ様、周囲の走査を完了。なにもないよ」
幼い少女が現れた。なにか不満そうな顔をしている。
「ギア」
ぽつりと呟いた。
「……」
鉄の化け物が身体を傾けた。満足そうに頷くと、既に座っていた幼女の隣に座って身体を摺り寄せる。
「む、そいつじゃ妾の座るスペースが空いておらぬな」
いつのまにか現れた色気のある少女。鉄の化け物を一人と数えるなら総勢13人。
最後の彼女は妙齢とは言わずとも、女でさえ惹きつけるほどの色気がある。そんな女が蠱惑的に胸を強調するようなポーズでちろりと指を舐め上げた。
「僕の設計が悪いって言ってる?」
話しかけてきた方の幼女が唇を尖らせた。言葉とは裏腹に妙に機嫌がいい……というより、甘えているのか? その意味は分からないけど。
「ま、こだわりの玩具に口出しはせぬがのう。……さて。ナインス、元々お前が言い出したことであったな? では、これからどうする? お前が決めれば良かろうさ。ここに危険がないことは妾とアリスで確認した」
くすりと意地の悪い笑みを漏らし、胸を反らすように振りむいて唯一のまともな男に水を向けた。
ただ軍服を着ているだけの、何も変哲のない男。どこまでも異常な彼らにおいて、人間らしいただ一人。
その人は、少し息を切らせて必死に息を整えていた。
「村に向かいましょう。今も、悲劇は続いています」
ルナを、しっかりと見つめて言い放った。
「良いだろう。それに、この二人の仲間も救ってあげないと不公平だからね」
ふわりと笑みを浮かべて、鉄の化け物は村の方向に向かっていく。