第5話 緑溢れる世界
無限に広がる世界樹、その枝の一つに発生した異常……静寂に満ちるはずの”外側の世界”に流れが発生していた。
その空間を一言で表すなら暗い虚数空間の海にぽつんと球が浮かび、その球にはぼんやりと光る支流が繋がっている。その”球”こそが世界だ。見渡せないほどの広い虚数空間の中に世界は無数にある。
ゆえに終末少女は英雄たちを引き連れて流れの発生源を目指す。そして、その発生源はすぐ目の前にある。――突入する。
そして、全員が”それ”を目にする。
「”世界”に塔が立っている? あれは魔物の一種かな」
世界を表す球に突き刺さっている黒いもの。それはまるで侵略だった。あのように世界の殻を突き破り、侵入――魔物は世界を汚して殺す。
ルナがぼそりと口にすると、アルカナがくすりと笑ってルナの頭を撫でる。さすがに非常事態の今は膝の上には載せていない。
なにが起こるのか分からないから、終末少女11人で『エッダの方舟』のコントロール室に集まっている。事態の予想は大体ついているが、それでもデータにない事象――いざとなれば下にくっついているものを破壊してでも方舟の安全を確保する気だ。
「そのようであるな。予想通り、といったところかの? 無数の枝葉、その世界の一つになにか起きているなら原因は魔物しかないものな」
「うん。若い世界に穴が空いたのがオチかと思ってた。まあ、別に予想から外れたところで動かない理由にはならないのだけど。いや、けれどこれは掃除屋のやることじゃない気がするね」
横に立つアルカナに身を寄せた。そっと抱きしめられる。アルカナの柔らかい身体を全身で感じて目を細める。
「……”他の”終末少女が居るとでも? 腐った枝葉の切除が我らの役目なら、若葉の世話をする役目もある、と。そんなものが存在すると言うのか。方舟に残されたデータには、記述はないが……」
「僕も知らない。ただ、そもそも神といっても終末少女に限ったことじゃないだろう? 掃除屋以外にも何かが居ても不思議はないはずだ」
ルナは自分ひとりが特別だと思っていない。当然、終末少女だって他に居るはずだと思っている。そんなデータはどこにもないが、しかし自分という実例があるなら2つ目がないとおかしいはずと妄信している。
「とはいえ、ここまで近づいても何も気配を感じぬのはおかしいな。いや、ここには居ないというだけか? 妾達以外の終末少女、などやはり存在しないのではないか?」
「そうだねえ。世話係はここに居ないことは確かだ。居るのはただ掃除屋だけ。ならばその掃除屋は、あの塔ごと世界を焼却すべきかな? だが――」
「だが? あれは枝にまで影響を与えているようだぞ。だからこそまとめて剪定した方が良いのではないか? 一体いくつの世界が巻き込まれて消え去ることになるのかは知らぬが、枝より本体の方が大事であろ? な、ルナちゃん」
「傷口を見る限り、あれは昨日一昨日の話じゃない。ちゃんと診ておかないとね。兵は拙速を尊ぶというけど――医者の真似事をやりたいなら何でもかんでも切ってしまえは急ぎすぎだ。治療ではなく掃除が僕らの本職と言えど、ね」
「なるほど。まあ、我らはルナちゃんの願いに従うのみ。幸いかどうか、我らの本能はこんな時にどうすればよいかは教えてくれぬようだ。横着せずに頭で考えることとしよう」
「あれに嫌悪感を感じる限り、何かの方舟でないのは確定事項だからね。どうあれ壊すことは確定しているけど、腐りかけた世界の処遇はどうしようねえ?」
「――まあ、下のあやつらもやる気のようだ。適度に遊ばせつつ、こちらで本命の調査を進めるか。そうしようかと、思っていたのじゃろ? なあ」
アルカナが抱きしめたルナの頭を撫でる。腕の中でルナが微笑する。
「さあ、突入だ」
ルナ含め11人の終末少女でその時を迎えた。塔は世界に穴を開けた。そして、吸い込まれている現状――そのまま流れに身を任せて突っ込んでいく。
世界の壁を突破した。内部へと侵入する。アリスが呟く。
「……また、みどり」
アリスにとって緑は忌々しいものに他ならなかった。
あれからルナは自分にかまってくれなくなった。緑あふれる世界、翡翠の夜明け団を生み出した世界。そちらは人類の領域にしか残っていないが、しかしアリスの記憶には苦々しく残っている。人間と関わっているとき、ルナはそちらに夢中になるから。
ルナはそんなアリスの頭を撫で、指も使わずに計器を操作する。
「ふむ。空気中の瘴気濃度が低い。ここは……本当に若い世界だね。魔物が生まれるレベルにすら達していない……か」
「ルナちゃんや、下のがあと5秒で墜落するぞ。浮かすか?」
「いいよ、お姉ちゃんが何とかする。あちらは放っておく。――さて、この状況にあっても未だ滅びぬ世界。興味深いサンプルだ。団員は自由に動かして、僕らはデータ収集に勤しむとしよう」
「この瘴気のレベルであれば、枝切りは必要ないと言うことかの?」
「おそらく、枝まで切る必要はないだろうね。この世界を焼却するのはやっておいた方がいいけど、まずはそれで処置を済ませて良いかを確かめよう」
「方舟のシステム稼働を開始。……システムの番はケテルにでも任せるかの? あやつなら否やはないであろ。なにせ、真面目が服を着たような奴。定時情報収集は大好物のはずじゃ」
「別に僕が片手間でやってもいいけれど。そうだね、あの子に任せようか」
「うむうむ」
アルカナがくすくす笑う。アルカナはルナが機嫌良さそうにしていたら何でもいい。ただし、アリスの方は別だ。
「ルナ様、また人間達のために働くの?」
「それは見解の相違かな。僕は人間のために働いた覚えはないよ。僕は観客として見物料替わりにちょっとした支援者を買って出ているだけ。……ふふ。さて、ケテルに指示も出した。我が英雄たちに顔を出してこようかな」
「……」
アリスがジト目で見るが、ルナはその意味を理解できずに下に降りる。アリス、アルカナは当然のように横に着く。
「――ルナ、来たか」
指令室で迎えたアルトリア。やはり席にも座らずに壁に背を預けたまま。表情の一つも動かすことなく、このアームズフォートを着地させた。
重力制御は健在だ、地響きの一つすら起きることもなかった。
「ルナ様、現在全センサーを用いて環境を探査中となります。また、アルトリア様のお力により『スピリット・オブ・フルメタル』の損傷は軽微。現在兵を派遣して修復作業中です」
オペレーターのナインスが状況を伝える。
ルナはざっとデータを頭の中にダウンロードする。元々このアームズフォートを動かしているのはアルカナだ。その程度のデータ量は何ほどでもない。
「うむ、よろしい」
鷹揚に頷き、一番上の席――に座ったアルカナの上に座る。一応アルトリアの席も横の方にあるのだが、常に空席である。
「――ルナちゃん、ルナちゃん」
ファーファがとことこやってきてルナの服のすそを引く。
スクリーンを指差す。緑あふれる大地、そこは有り体に言って深い森だ。森ははるか昔では妖精の住みかとして人々から恐れられて来たが……森など見たこともない人間にもその威容は背を震わせるには十分だった。
「なんで食べ物がいっぱい落ちてるの?」
もっとも、ファーファにとっては稲だのと見分けが付いてなさそうだ。それもそうだ、アルトリア達の世界は滅びに瀕している。霊長たる人類のみが生き残り、生き残ったのは人類にとって有効な種だけが工場の中で生き残っている。
ゆえに、木だの森だのは昔語りのおとぎ話。しかし、そのおとぎ話がここにある。
「食べちゃダメだよ。まあ――食えるなら、どうと言うこともないだろうけどね。体内の保有魔力量が違いすぎる。言ってしまえば君たちの方が強い”毒”だ、逆にこの程度の毒にやられることはない」
兵士全員の身体データをざっと見る。特に問題はなさそうだ。魔導人形『鋼』を纏う精鋭兵、ゆえにアルトリアとは及びもつかないレベルだが刻印そのものは刻まれている。
それは強力な魔力を備えた”強化された”人類種”だ。見知らぬ世界では、ただの空気すらも毒かもしれない? そんなもの、より凶悪な毒の蔓延した世界の人間から見れば鼻で笑ってしまう心配だろうさ。
「さて、皆を集めようか。アームズフォートの修理はほどほどでいい。……お姉ちゃん、何か感じるものはある?」
「――人が居るな」
「……なに?」
ルナが胡乱な声を出すと、ナインスがデータをスクリーンに出す。方舟は強力すぎて、ただの人間一匹一匹を精査するようなことはできない。
「村があるぞ。私が抑えたとはいえ、地響きの一つも聞こえただろうな。……向こうからやってくるんじゃないか?」
「僕が衝撃を消した方が良かったかな。ただ――あまり力は使いたくないのだけど」
ルナが気だるげな様子を見せると、アルトリアはその意味をすぐに理解する。ルナは人間よりも魔導人形に近い。兵器というカテゴリだ。
ゆえに、力を使えば瘴気が発生する。それは魔導人形を動かしても同じこと。人間の文明には瘴気の発生が付き纏う。ルナはそれを嫌っている。
「ふむ。妙に空気が薄いかと思ったが……なるほど、そういうことか」
「アルトリア様?」
「ああ、悪いなナインス。我々の世界は瘴気の蔓延した世界だった。だが、ここはどうやら違うらしい。違和感を覚えないか? 蔓延しているはずの瘴気がどこにもないぞ。だが、清浄であるがゆえに我々が使えば使うほどに”瘴気が増える”という訳だな。ルナのあれはできるだけ汚したくないといった意向のようだ」
うんうんと頷いている。
妹のことは私が一番よく知っているんだ、みたいな顔をしているが。ルナは妹になった覚えがなかった。まあ、お姉ちゃんとは呼んだりお兄ちゃんだのはからかい半分言ったりはしているのだが。
「ま、そういうこと」
ルナはやれやれと肩をすくめる。
後ろにはどんどんやってきた兵士たちが整列してきている。指令室は広い。それは、このアームズフォートは数十人のオペレータで稼働させるものだからだ。……アルカナ一人で補えるものではあるが。
「では、皆――どうしたい?」
くすりと笑い、60余名に問いかける。
「僕は、この世界にいくらか滞在する必要がある。あの塔を今すぐ破壊できない理由があるのでね。あまり魔道人形を使うのは謹んで欲しいが、まあ使っても構わないさ。どちらにせよ、この世界の末路は決まっているのだから」
アルカナに背を預けた。ルナの態度はこの三年間のいつも通り、何もしようとしない。このまま状況が動かない限り、時折姿を消しては指令室でくつろぎ続ける。
そして、皆がアルトリアに目を向ける。ルナがこの有様であればアルトリアしかいない。なにせ鋼の夜明け団としてはルナが頂点だが、一応は双首領としてツートップの形である。
「……ルナ。いつまでかかる?」
「さあ? ただ、1年どころではないね。100年はかからないと思うよ? あの塔とこの世界の状況を見る限り、事態が急変する可能性は低いと見ている」
「――なるほど。私とお前が出会ってから決戦までは1年もなかった。そして、その後の穏やかな3年。それを考えれば、長い時間になるのかな」
顎に手をやり、わずかながら考える。
「確認したい。ここに……そして、あそこにも遊星主は居ないのだな?」
スクリーンに映る向こう側。天から地上に向かって突き出している塔。悪魔の意匠とでも呼ぶべき禍々しい赤と黒が彩っているが――それは、ただそれだけだ。
地上に向かって魔物も毒も吐き出していなければ、地上に向かって掘り進むわけでもなく。危険なことなど何もない。ただ、塔として天の中途から地上に向けて突き出しているのみ。地に着かず、しかし天にも根本は見えない。半端に刺さっている。
「うん、居ないよ。あれはただの殻だ。あの抜け殻に、それに類する存在を作り出すほどの力はない」
「お前がしてくれたように、この世界の人々に力を貸す。……なんてことも、無用かな。魔物が居ないのであればな」
「さて、僕は力を貸した覚えはないよ。試練を与え、乗り越えた者に対価を与えただけ」
「ふふ」
アルトリアは微笑で返した。ルナはぷっくりと頬を膨らませてアルカナの胸に顔を沈めた。
「まあ、時間はある。今のうちにアームズフォートの修理を進めるとしよう。方針を決めるのはそれからでも問題あるまい。ナインス、破損個所をモニターに示せ」
「了解」
ナインスが手を動かし、モニター上の表示が切り替わる。アームズフォートの全体図と、幾つもの光点。
足もしかり、でかい光点は修理しないと決めた箇所だから無視で良い。ただ、そこを除いても8点ほど対応が必要な場所がある。
「壊れているのは歩行動作部分のようだね。そもそも八本足を修理途中で4本で止めてたから、バランスを取りづらいのは元からだけど。まあ、アルカナなら重量バランスの制御と歩行ルーチンの逐次修正で何とかなる範囲だけど――さすがに補修は必要かな」
「だが、中央のプラントは無事。水も食事も、そして何より我々の生命線である改造パーツの生成も問題ないな。特に急ぐべきことはない、か」
「だから頑丈な中央に集めて更に各種安全策まで取っている。あれが壊れるようなら、真ん中から引き裂かれてるよ」
「ぞっとしないな。私がミスればそうなっていたかな?」
「そうだね。お姉ちゃんが失敗するとは思わなかったからフォローの準備もしてないし」
「はっはっは。こいつ」
ガツン、とかなり本気でアルカナの頭を殴る。ちなみにアルカナは特に話も聞かずに膝の上のルナに頬ずりしていた。
「痛いんじゃが。というか、おぬしどうやって6重の防壁を抜いたのじゃ? 貴様の人間形態の出力で抜くなぞ、ルナちゃんでもできぬぞ」
アルカナは恨めし気に見るが、どちらかというと妙な生物を見る目だ。ルナの見出す人物は不条理で底が知れない。
「痛かったね。よしよし」
くすくす笑うルナに頭をさすられて、すぐに機嫌を直すアルカナだった。
ちなみにいつものことなので、兵士たちはそれぞれ持ち場に行って修理する作業を開始していた。