第3話 旅立ちの日
ルナは団員を率いて決戦跡地へ向かう。
「さあ、いよいよだ」
微笑とともに儀式へと臨む。この世界とお別れの時だ。決戦の時は人の一生分程度の時間を過ごすかと思ったものだが……結局は3年が限度だった。
元々が明日も知れない衰弱した世界だった。根本から魔力に侵された世界は、延命以上の治療はできない。機関の力がなければ水も食料も手に入れられない終わりかけた世界だ。
「――皆、配置へ」
団員を各所に配置、儀式の補助とする。あの時より3年――大きな癌細胞は隔離したが、それでもなお世界はますます弱っていくばかりだ。
ゆえにこそ、”我々が外に出る”ための儀式は慎重に慎重を期さなくてはならない。癌細胞の方は、外に出しさえすればどうにでもできる。
「そうとも。僕の力は腐った世界を終わらせる『ワールドブレイカー』、世界を余さず噛み砕く力は違わず有毒だとも。だが、悪い影響があるからやらないなど――夜明け団の総帥としては相応しくない態度だ。病巣は切除すべきだ、死んでしまうかもしれないけれど、そこは成功率を上げることだけを考えるのが筋だろう」
オペレーターがあわただしく指示を飛ばす。ルナは無策で挑んでいるわけではない。こういうことも考えて、3か月前から計666本の【世界杭】を用意した。
要するに錬金術的な保護具である。具体的には世界を外科手術する際にできるだけ血が流れないように傷口を保護する器具とする。
「カータレット、転送した座標に世界杭を打ち込んでください。1㎜もずらしてはなりません」
「分かってるさ。我々はルナ様の神託を実行するのみ――ポイントに着いたぞ。カウント3,2,1――発射、設置完了」
「では、次のポイントへ」
「了解」
魔導人形を纏って空を飛ぼうとも、それは大変な作業だった。なにせ数が多い、一人当たり10本以上打ち込む必要がある。
ルナは玉座に座るアルカナの上でくつろいでいるように見えるが、その実は残りの座標を1秒ごとに更新する作業の真っ最中だ。世界も生物だ、微調整が必要である。
「さて、ナインス。一人慌てんぼうが居るようだ。そろそろ通信が来るよ」
「は――? ルナ様、シャルロット様から通信です。魔道人形の通信機能です。繋ぎますね」
《ルナ! 私を置いて行こうだなんて許しませんよ!》
通信から叫び声が聞こえてきた。
「シャルロット。今は作戦遂行中、外側への扉を開け始めるのは現状6時間後の予定になっているよ。多少は前後するし、トリのお姉ちゃん次第でいくらでも伸びるだろうが……零時まであと3時間。僕は星読みではないから零時に合わせるつもりはないし、急がせる気もないよ」
《ならば良いのですが――いえ、すぐに指令室まで行きます。そこで待っていなさい》
「うん。後ろの飛行船にはゆっくり来るように伝えてあげて。……じゃ」
《待ちなさい。3人、追加することにしました。かまいませんね?》
「――」
ルナが、少し黙る。ナインスと呼ばれた女がルナの方を見る。火器のコンソールへと手を伸ばそうとして、やっぱりやめる。
「……ああ、かまわないとも。君の民かい? 古の王国の復興は諦めたのかな」
《私たちの王国はあの決戦で終わりました。お爺様と兄様が居ない以上、王族の血だけ残ろうとも無意味です。そして、彼女たちは教国、民主国に帰属することを拒否し私の元に残ると言った。あなたがあの戦いの生き残りに責任を感じているように、私は私の戦いの生き残りに責任を持たなくてはならないから》
「ふむ。そうだね。本当に、その通りだ。僕も君も、”王”なのだから」
くすり、と感傷を漏らした。
「ナインス、作業に戻れ。予定から20秒の遅延……ま、正確性の方を優先してもらうよ。遅延してもいいさ、作業を続けなさい」
「は、承知しました。ルナ様」
そして、シャルロットが来て少し話す。
敵はいない。敵対勢力が『フェンリル・ラグナロク』を叩き込みたくても、まだ完成していないこの時期に行動を起こしたのだから無理な話。遠巻きに兵が監視しているが、彼らに交戦できるほどの戦力はない。
――8時間後、もう少しで夜明けになる時に作業を終了した。全員の帰還を完了。作業は遅れているが、誰が邪魔することもなく作戦は最終フェーズへ移る。
「666本目の世界杭の敷設を確認。いよいよ新たな旅立ちの時だ」
全員が会議室に集まった。ただ、全員とはいえたったの65名が総勢だ。
そもそもオペレーターも兵士との連絡に使っているだけで、この広大なアームズフォートの運用はアルカナが一人でやっている。もともと多人数で動かす想定で作られていたアームズフォート。全ての管理をアルカナ一人に押し付けることで成立している歪つな大要塞だ。
がらんとした殺風景な部屋の中、人から外れた異形たちが騒いでいる。
「さて。景気づけというにはささやかにすぎるけど、おにぎりを用意したよ。味わって食べてね」
悪戯気な微笑を浮かべてルナは机に並んだおにぎりを指さす。三角というよりまん丸で、多少崩れている上に不揃いだが……
無論わざとだった。やろうと思えば機械のように正確に握れるが、そちらの方がかわいいという理由の行動だ。
「ファーファも手伝ったよ!」
ぴょんぴょんと自己主張するファーファ。年齢的には大人の仲間入り――とまでは言わずとも、アルカナくらいの年頃になっているはずなのだが。
身長も行動も、子供っぽいままだった。
「――うむ。いただこう」
おごそかにおにぎりを掴み、口に入れて感動するアルトリア。ちなみにここまで感動しているのは彼女一人だ。
ルナが料理を振舞うのは特別なことでもない。慣れている。
兵士たちもそこここで仲の良い者と談笑しながら、おにぎりを口にしている。
やはり兵士。いくら食べても足りないのか大量にあったおにぎりは机の上から姿を消した。
なお、一番食べていたのがアルトリアなのだが。
「……うぐぐ」
腹を抑えて脂汗を流していた。
「いや、お姉ちゃん。いくら僕とファーファが握ったからって、別にそんな大したものでもないんだからそんな無理して食べなくても」
あえてこれが王族の姿か? などとは言わないが。ルナは呆れた目で見る。
「大丈夫? アルトリアお姉ちゃん。ルナちゃんがやってほしいことがあるって言ってたけど、できる?」
ファーファは心配そうに背中をなでている。対処法としてあまり正しくもない気がするが、まあ少しずれているのがファーファだ。
そこが子供らしくてかわいらしいのだけど。
「――すぅ。はああ。ああ、問題ない」
ただまあ、食べすぎなどで『黄金』の所持者を鈍らせることができるわけがない。治癒能力を応用すればこの通り、すぐに元気になる。
普通はそもそもそんなことにはならないと、ルナはジト目で見ているけど。ルナは思考を切り替え、次のステージに行動を移す。
――ダン!
足を踏み鳴らし注目させ、宣言する。
「さあ、この世界へのお別れだ。作戦は最終フェーズへと入る! アルトリア・ルーナ・シャインが世界の壁を破壊、そしてアルカナがこの世界への外側へ流されゆく方舟を守護する。僕の仕事は封印していた奇械帝国の完全消滅だ。壁を破壊するのは僕でも出来るけど、君がやった方が世界の損傷が少ないね、お姉ちゃん。あなたに任せる」
す、と手を差し伸べる。
「当然、任されよう。お前の言葉を疑いはしないよ、ルナ。お前がそう言うならば、私は全力を尽くすのみ」
その小さな手を握り――
「最終フェーズ開始! 各員は所定の位置に着け!」
そして握った手を離し、空気を切るように振り上げた。
「「「「我ら、鋼の誓いと共に!!!」」」
兵たちが散って行く。このアームズフォートを維持するためには様々な仕事があるのだ。少数精鋭、皆の動きに迷いはない。
「では、私の出番だな」
ただ一人アルトリアのみが外へ出る。魔導人形を纏っていなければ数秒も耐えられぬ瘴気に満ちた地獄の中へ。
上空に着いた。詠唱を開始する。奇械帝国は既に封印した。その儀式を逆転させ、さらにその先へ到達するために。
「黄金錬成、逆位――相転換開始……! 81元異世界方程式の連結を解除、黄金の概念方程式を閉じ一つより二つに分かれよ」
アルトリアが呪文を唱える。これは儀式、ただ高めた力をぶつけるのではなく正確かつ所定の手順を持って異能を具現する。
「3*3の9重黄金方程式を6から3へ、3元3変数絶対方陣錬金を6重錬金方程式へ、三重錬成――『時間転移・タイムリバース』! 黄金錬成、解除!」
強力な魔力が巡る。扱う力の桁は既に『白金』の領域にまで至っている。例えば夜明け団が殺して来た黄金の操者であれば、力に飲まれてミキサーになっていた。
アルトリアは不敵にくすりと笑った。
「お前の言う通りに黄金錬成を開いてやったぞ。ゆえにここからは、私の好きなようにやらせてもらう!」
大笑し、宣言した。
「おやおや。ならば、見せてもらおうか」
アームズフォートの奥底でルナが微笑む。
「未知なる道へと旅立とう。未来への旅路を司る運命よ、我らが前に姿を顕せ。幽世を旅する者よ、我が呼び声に応えるがいい」
アルトリアが手を広げる。
「大地より生まれし、大気より創造されし、水より流れ出でし、3種の力よ。今こそ私はお前さえ掴んで見せよう。我こそは重力遣い、世界を形作る力なり」
「我に与えよ。彼に与えよ。友に与えよ。今此処より我らの運命は散逸する。敵に挑む既知から、未知の世界へと導いてくれ」
「大いなる旅路の道を今こそ我が力にて切り開かん。新たなる旅路の道、重力の底の更に下――真理すらも我が手にて貫かん!」
これは彼女のオリジナル詠唱だった。戦いを超えて、旅立ちを迎えるための祝詞。
「人のため、人類の未来のため故郷をも捨て去る我らが覚悟。道よ開け! 【シンギュラリティ・グラビティホール】!」
世界の外側への門が開く。本来ならば世界の表裏が裏返り、全てが飲まれて滅ぶ終末。この世界に開いた傷を治すだけの体力はない。
だが、世界杭が傷口を押しとどめる。このまま帝国を外に放逐、さらにアームズフォートを世界の外側へ押し出す。
「さあ、僕の出番だ」
アルトリアの横に姿を表すルナ。その先に見据えるのはアームズフォートよりも強力で果てしない暴力を備えた要塞。……奇械帝国の本体だった。
殺すのではなく封印。でなければ、いくらでも遊星主は復活していた。そして、封印を解いた”今”は自由の身だ。世界の外側に放逐されてたまるかと、ルナたちへ敵意を向ける。
「はは、何も分かっていない。やはり魔物の脳は飾りだな。既にここは世界の外側、座標的には内側だが――切り開いた時点でこの世界への影響はないぞ。世界に終わりを告げた焔をその目に見せてやろう。その炎熱のツルギもて、天地を縊れ【破滅炎剣レーヴァテイン・ラグナロク】」
それは龍。遊星主最高位の【神源竜ハイ・ドラゴン】など及びもつかないような破滅の具現。これこそ真なる”滅んだ世界”の魔物。それをルナは自らの力と変える。
刀だの徒手空拳だのでなく、それを使うことが終末少女にとっての”戦争”。莫大な熱量を伴う焔が、帝国を焼き尽くす。
「――すさまじいな」
敵が跡形もなく焼かれるのを見ながらアルトリアがぽつりと感想を漏らす。遊星主の攻撃など、これに比べればつむじ風同然だった。
とはいえ、こんなものを大地の上で使えば大陸ごと沈むのだが。というか、沈むのすら数秒先の未来であり。本当にヤバイのは世界へのダメージだが。
「皆には見せてない力だ。お姉ちゃんは怖がったりしないのかな?」
「確かに私がどれだけ鍛えても無意味なほどの圧倒的な力だったが……ルナはお姉ちゃんに使ったりしないだろう? 今も、誰にも影響が出ないように準備して使っていた。ならば心配などあるまいよ」
「……ま、無事な世界が長生きできるように僕らが居るからね。この世界も腐って死にかけている、腐れば――”ああいう”のをばらまく害悪になる。それでも、生きていける可能性があるのなら残そう。これは僕の判断でしかないけどね」
「そうか。優しいな」
ポンと、ルナの頭を撫でる。
「さて、帰るぞ。あいつらも心配しているだろうからな」
「ふふ。僕は問題ないけど、本来なら『黄金』を纏おうがこの世界の外側は苦しいはずなんだよ? ま、お姉ちゃんのことだから今更驚かないけど」
そして、アームズフォートへ戻る。通信で全員へ語りかける。
〈さあ、旅立ちだ。もしかしたら君らの寿命が来るまで何もないかもしれないけど……それでも良いから来てくれたんだろう? とはいえ、やはり最初は大切だ。各員、所定の点検を実施せよ。時間はいくらでもある。ゆっくりとやってくれ〉
玉座に戻り、アルカナの膝の上へと戻った。