第86話 白金の少女
次なる戦い――地球上全ての生命を絶滅させる星の竜。対するは人類を生存させてきた神、『白金』を纏う人形のような少女が相争う。
彼女には既に名前も人格すらも残っていない。遠い過去に人類の守護者となる運命を受け入れ、長い時が経つうちにすり減ってしまった。それはただ命令されたことだけをこなす非人間、”神”。定められた機能を永劫に全うする守護神である。”破壊”を使命とする終末少女とは正反対ではあるが、しかし存在的には近しいと言えるだろう。
「目標確認、戦闘態勢に移行します」
ゆえに、彼女は瞳に何も映さない。指令のみを実行する、今も箱舟に残る終末少女たちと同じように。
おそらく、それが神としてより”あるべき姿”なのであろう。永遠を生きるのに一々感情を抱いていてはやるせない。そして、何よりも守るべき祈りがあるから、それ以外など不純物である。
「……貴様か! どこまでも我々の邪魔をしてくれた人界の守護神め! 我ら、生まれたときは同じなれど互いに相まみえることはついぞなかった。ゆえに殺してくれる! 貴様だけは、決してここから逃がさぬと誓う!」
感情すらもない彼女に比べ、竜は激高している。星々が降り注ぎ、今もなお地形を変えている。それは攻撃ですらなく、ただ竜が荒ぶっているというそれだけのこと。
人類と奇械との戦いの歴史。瘴気より産まれし魔物という意味では両者が生まれるずっと以前から争い続けていた。だが、その戦いは害獣の駆除だった、人間が世界を支配していた。
竜達が産まれてからだ、魔物が奇械という強い存在に代わったのは。そして、それは暗黒島がこの世界に訪れたのと時期を同じくする。そして、彼らに対抗するために魔導人形が作られた。
しかし、竜が星々でもってこの世界を支配する荒野の主であるのなら、アインスとて荒野を人界へと作り変えた守護神だ。
両者ともに世界を敷く存在である、故の同格。劣りはしない。
「牽制プロトコル発動……【プレリュード・レイン】」
星々の世界が塗り替わる。発条と鋼と蒸気が荒涼たる星の世界を人の文明にて浸食する。流星と鋼の歯車が、そこかしこで衝突して地響きが上がる。
人類が築き上げてきた歴史は機械とともにあった。この自然が枯れ果てた世界において、自然の恵みは今や蒸気の上がる工場で作られるものとなった。稲に果実? それは工場のラインの中で人口の光を浴びて育つものだろう。
「下らぬ。今更その程度で、我が進軍が止まるものか! その哀れな鉄屑を全て砕き、亡骸を貴様の国へばらまいてやろう! すでに滅んだ貴様の国へとな! 砕け散れ、【ブライト・スター】」
空から降り注ぐ星々は呼吸と同じ生態に過ぎない。空から落とすそれらなど、それでは碌に力もこもっていない。そう、竜であるなら吐息こそが頼むべきものだろう。
その鋭き咢を持つ口から、星型の光が放たれた。それは光であり流星である。要するに超強力な攻撃と言うことで、そんなものを防ぐ手段は人類にはない。アームズフォートならかすっただけでバラバラになる。
「――敵攻撃、着弾」
アインスが塗り替えた世界ごと砕く星の光を何の感情もなく見つめ、そのまま直撃した。落下するどころか塵と化す。
……が、この程度で終わるのならば遊星主クラスの戦いではない。
「再生完了。敵戦力がデータベースに比類なき強敵であると確認しました。抹殺プロトコルへ移行、撃滅します……【シンフォニア・アース】」
瞬時に全身を再生したアインスが、更なる領域へと世界を塗り替える。それは敵の再現、理解することにより模倣し利用することこそ人の性にして人類史。
人にとって壁の外は毒が吹き荒れる死の土地。ならば、アインスはここを奇械にとっての死地としよう。荒野を酸吹き荒れる機械の墓場へ変えるのだ。
「ふざけるなよ、その程度の猿真似で。雑魚どもならばともかくこの我を! 星源竜を! たかが毒ごときで殺せると思うてくれるな! 【ブライト・スター】!」
酸は機械竜の鱗を侵し、腐食させ黒く変えていく。だが、ひび割れて鱗が落ちると同時に新しい鱗が生える。ダメージこそ与えていても、これでは希望など見い出せない。
砕け散れと、叫んで放った星の光がアインスを打ち砕く。
「……再生完了」
だが、アインスは回復する。そもそも感情がなければ痛みも死も関係がない。ただ力尽きて壊れるまで命令を実行する。
……彼女には、何も効果がなかろうと関係がない。
「チ。この程度で何が出来ると言う!? 不愉快だ、さっさとくたばるがいい。貴様など、我らの世界でならば敵ではないのだ!」
「浸食率2.6%、効果を確認」
アインスは成果を読み上げた。だが、それは絶望的な事実だった。殆ど効いていない、というか2~3%を推移しているのは、再生が働くまでの一瞬のダメージを算出している。敵の再生能力は毒を遥かに凌駕しているのだ。
それが意味することはつまり、このまま何時間粘ろうと竜を打倒できないこと。それは本当に嫌がらせレベルにしかなっていないのだ。
「無駄なことを。重ねた年月と恨み、その代償を己が身体で払うがいい! 完全に息絶えるまで、何度でも死に尽くすが良いわ! 【スターライト・エクスティンクション】!」
竜の全身が光り輝く、その光があらゆる全てを絶滅させるのだ。アインズの眼前には30に分かたれた光の束が迫る、そのうちの一本にでも触れれば消滅することだろう。
……そして、その光はサーチライトのように獲物を求めて疾駆する。アインスが展開した世界にも修復不能な傷が刻まれ、残るのは毒霧でもなければ荒野ですらない消滅した暗闇。
「コアの損傷、30%に到達。条件が満たされました。殺戮プロトコルを実行します。……ものみな全て、優しき闇の中で眠れ【イマジネーション・ソナタ】」
ここに来てアインスは更なる力を解放する。レイン=雨、アース=土。それは人類が歴史の中で克服したものだ。世界が枯死して雨が降らなくなったから、土地ではなく工場で食物を作った。そして土が汚されて生物が生きていけなくなったから壁で覆ってその中の環境を改変した。
そして最期……人は想像の世界の中で一人で生きていくことができるようになった。それはネットワークによる生命の営みの拒絶だろう。”そこ”でこそ、人は一匹の動物ではなく高等霊長類として生きていける。
ならばこそ、それは抱擁と拒絶である。好きな人とは一緒に居たい、そして嫌いな人なんて関わりたくもない。拒絶されたものは別の世界へ放逐しまえ。自分の世界には不要だと排除する。
「なんだ、この闇は……! 我が【スターライト・エクスティンクション】の光がその世界に届かんだと。いや、貴様の姿すら感知できん! これが我らを封じてきた3柱の力か!」
噴き上がる闇。何も見えない、聞こえない漆黒が静かに空間を浸食する。竜は全ての光を集中させて突破を試みるが、その光は虚しく闇の中へと聞こえる。
「……」
アインスは何か言ったのか。だが、少なくとも星の竜には何も聞こえてなどいない。何も感知できない。技を使うにも魔力が必要だが、しかしその波動すらも飲み込まれているのだ。
「ぐぐ……! ぬぐぐ……!」
全力で光をぶつけるが、何も効果がない。いや、あるのかもしれないが星の竜には分からない。
その闇が広がるスピードは鈍い。距離を取れば追い付かれることはない。そして、他の侵入者を始末した仲間を頼ればどうとでもすることができるだろう。
「ふざけるなよ、我が臆するものか! こうなれば、真っ向から勝負を決してくるわ!」
だが、星の竜はそれを選ばない。逃げて仲間に縋るなど、どうしようもない弱者のやることだ。決して退きはしないと逆に闇に突っ込んだ。
裏を言えば、アインスの闇がどのような性質であろうとも、この土地にある限り遊星主は死なない。復活できる。復活すらできない完全なる消滅は神の所業である。ならば、無謀ではなく勇気と呼ぶべきだろう。
「ぐ……があああああ!」
苦痛に叫び声を上げるが、竜は生きている。一切合切消滅させる? カードゲームではないのだ、それには全て力の多寡が関係する。
どんな異能であろうとも、力の格が違えばそもそも無力。そして、同格であるならば”嵌める”必要がある。星の竜は覚悟を決めて特攻した、ゆえの拮抗だ。
「どこだ……どこに居る!? 白金よ!」
口の中が焼けても構わぬとどこかへ向けてブレスを放つ。だが、あてずっぽうでは当たらない。
ならば、と――勝負を賭けることを決心した。
「どこまでも隠れると言うのなら、この世界ごと食い破るまで! 我らが闘争の歴史に終止符を打とう! この一撃でもって終末をくれてやる!」
竜のアギトに膨大な光が集まる。エクスティンクションの数倍を凝縮して放つ最大の必殺技で、この闇の世界を切り裂く気だ。
そして、応じる声が届く。断絶した世界には声が届かないが、竜はこの世界に乗り込んできた。だから今度は届いた。
「……極大魔力の集中を確認。【ソナタ】消滅確立96%、プロトコルに従い妨害コードを起動。出なさい、『ナイン・オブ・ソードバレル』」
9つの刃が拡張領域から出現する。それはルナが作った超兵器、一つ一つが『鋼』すら圧倒する自立して動く剣。白金にしか搭載できない強力な武器だ。例えばツインスパイラルブラスターはリーダー機である鋼専用だったように。
しかし一つの武器で戦局が決まるほど戦争は甘くない。どちらが勝つか知りたければ双方の魔力量を調べるのが早くて正確だ。なれど、ごくわずかでも勝率を上げられるならとルナは数多くの装備を与えた。
「フルオープン・コンバット! 貫き、敵の核を抉りなさい!」
闇は竜の体表を削り続けていた。そして刃は砕けた鱗の向こう、筋肉まで深く抉った。9本の剣が突き立つ竜の剣山が完成だ。
「っか! だが、今更これで止まるものか! 破滅の光に焼かれて消えろ、【輝煌黎明斬】!」
だが、その程度で終わること戦いではないのだ。コアを抉られない限り戦い続ける、これは奇械と人との生存競争。全ての力を出し尽くして殺し合うのだ。
竜の放つ光は闇を切り裂き、天をも焼いた。首を動かし、天球のこの世界を両断する。
「……ッアアアア!」
アインスが苦痛に叫ぶ。例え人であったことすら忘れようと、コアは自らの魂そのもの。それが砕けつつあるのだ、苦しくないわけがない。
たとえ本体に当たらずとも関係がないのだ。肉の器を壊すのとは違う。これだけの力で作った領域は、肉体よりも純粋な力の結晶。この世界を砕けばアインスもまた砕ける。
「長い付き合いだった。その血肉、我が内に」
ひび割れ崩壊する闇の領域。自壊していくアインス。竜はアインスを噛み砕き、嚥下しようと首を伸ばし……
「あぐ。……アアAAAaaaaaAAaAaAA! シス……テムに……深刻な障害を発生……確認。不明プロトコル【フィナーレ】が起動します。起動停止……停止できません。警告、警告、ただちに使用を中止、この場より退避してください。……あぐ! がああAAAaaaAAaAAA!」
アインスの様子がおかしくなる。まるでバグでも起きたかのように、不随意にビクビクと脈動する有様はとてもではないが見ていられない。
何かが起きている。この最終戦争において、何かが仕組まれていた。
「何が起ころうと、もう遅い! そのコアではもはや復活も果たせん! いさぎよく消えよ、人界の守護者よ!」
噛み砕こうと、牙を突き立て――
「いや、まだだ。月読流【鳳閃花】」
声の調子が違う。少女の声帯でしゃべろうと、それはあらかじめプログラミングされていただけの別人の声だった。
取り出した刀で一瞬にして全ての牙を切り裂いた。そう、その動きこそルナが作ったプログラムである。致命傷を受けたときに発動するように仕組まれていた。
「っか! だが、死に体で何ができる!?」
一瞬にして牙を生やすがそれでも遅い。一刻も早く敵を紅葉おろしに変えようと爪を振り下ろす。
「十分な時は稼いだ。起動しなさい、白金専用オーバードウエポン……『フェンリル・ブラッドレヴァンティン』」
竜は、その刀を一目見る。柄、刀身問わずに無数の線が刻まれた漆黒の刀。だが、見開くことでその線は無数の紅き瞳だったことが分かる。
ぎょろぎょろと蠢く紅に濡れた瞳は、紅い涙を流して――瞳同士で連結して脈動する。
「消えるがいい、世界の病毒よ。月読流【鎌鼬】」
飛ぶ斬撃が閃いた。
「ッチ! ――馬鹿な、なんだそれは!?」
頬にわずかな傷を刻まれた竜は距離を取る。漆黒の領域にも真向から立ち向かったはずの星の竜が。それほどに悼ましく病んだ波動……フェンリルよりもおぞましい最終兵器。
使えば己自身すらも殺し尽くす最悪の刃。あらゆるものを呪い殺す最悪の魔剣。
「抵抗も、逃亡ですらも無駄……お前は既にこれに触れている」
「……ギ! ぐが……がああああ!」
修復したはずの牙が醜く腐れた。それだけではない、浸食は口どころか頭にまで達し――
「馬鹿な。我が負けるのか……? この力、人類のものではない。貴様たちか。お前たちはどこまでも我らに立ち塞がるか。――破壊神よ!」
吠え、復讐を誓い……されど崩れ去る。復活した暁には必ず殺すとルナ・アーカイブスに宣言した。
まあ、ルナ本人はアインスの戦いなど見ていないから彼の宣言も聞いていないのだけど。
「……ア。アアアアアア!」
そして、禁断の力の代償は使用者にも及ぶ。諸共に殺し尽くす兵器だ。
例えば核抑止論というものがある。簡単に言えば世界に2国しかない場合、どちらも核を持っていれば戦争は起こらないという理論。使わない理由? だって共倒れになるから。
ただそれだけの理論だが、文明の発展に伴い攻撃力が上がれば、争いの果てに待っているのは強力すぎる武器による共倒れだと端的に示している。
ブラッドレヴァンティンも同じ。遊星主すらも殺す毒は、いくら白金でも耐えられるわけがないのだ。
「痛……い」
ただそれだけぽつりと呟いて、人類を守ってきた少女は腐って消滅した。ブラッドレヴァンティンも、地面に突き立つ前に己の毒により自らをも滅ぼした。ただ塵の一つすら地上に落とすことなく、一つの戦いは決着した。