第8話 力の差 side:新城
一枚の円盤が落ちてきた。それは目の前で急激に減速して地面に横たわる。
「……これは」
人を楽に10人は乗せられそうなそれは芸術品のような――しかし兵器のようにも見える。それは黒色を基調とし、銀色のラインが複雑に絡み合いながら走っている見たこともない円盤だ。
見るからに魔術を応用した品であることは分かる。しかし、これほどの品はいったいどれだけの値が付くのか。どれだけの力を有しているのか想像すると背筋に悪寒が走り抜ける。
「乗れ」
と、いつの間にか二人は円盤の上に乗っている。女の子の方は我関せず、お嬢さんの方はニヤニヤと笑ながらこっちを見ている。
「…………」
こんな貴重品に乗るなどと、今まで感じていた恐怖とは別の意味で怖い。しかし、上官殿は当たり前のように乗っていった。靴の泥を落としすらしていない。
「乗るぞ」
ぶつくさ言っている部下を睨みつけてから、靴底の泥を丁寧に払ってからそれに乗る。お嬢さんのニヤニヤ笑いがニタニタといえるまで濃くなった。
「危ないぞ? 寝ておけ」
彼女がそう言った瞬間、体が押さえつけられた。……上昇している。それもとんでもないスピードで。この重さは、あまりの加速によるものだ。
「くく、プレイアデス――ご主人は緑を気に入っていたようだぞ。目に焼き付けておいたらどうだね」
「む。そうか」
と、だけ言って食い入るように見始めた。この二人はまったく堪えちゃいない。
「……っが! ぐぅぅ――」
正直、そんなほほえましいものを見ていられる気分じゃない。内臓が圧縮されて気持ちが悪い。体の中身が全部出てしまいそうだ。とんでもない、というほかない。
……これが彼女たちにとっての”普通”と言うのなら。なるほどその実力差には笑ってしまうしかない。
「くっく。ずいぶんとお疲れのようじゃな。なあ、兵隊さんたちよ」
そう言って嘲る。激高しそうな奴は加速にやられて寝ている。
「もっと――速度を落とせないのか?」
敬語を使えるような余裕などあるわけがない。死なないので精一杯。
「いや、わし操縦法知らんし。自動操縦でな、これ」
「あと、どれだけ――」
「ん? いや、もう着くぞ」
ふわ、と胃が浮いた気がする。
「うぐ……ッ!」
なんとか、リバースは免れた。……僕は。異臭が鼻につく。ふと、後ろを向いてみると地獄絵図。大の男がうめきながら這いずる様はまるで煉獄の窯をひっくり返したよう。
やめろ、せっかく耐えたのにつられるだろうが。
「ええ……と。この場合はどうすればいいんじゃろな?」
「風の吹くまま。闇を退けるのは光――しかし、闇の中にも安らぎはある」
「うむ。これはわしにも分かったぞ。つまりほっとけ、と。名案だ」
「そう」
「ん……で、プレイアデスよ。いつまで見ておるのだ。いや、ご主人が木々を見て喜んでたのは誓って本当じゃが、そうも純真に見つめているのを見るとなんか騙したような気さえしてくるのじゃが」
「私たちは、幾多の世界を滅ぼしてきた」
「まあ、そうじゃな」
「ここは、その世界たちとは違うらしい。けれど、その”違い”が私にはわからない。時折、全てを壊したくなる。あのお方はそれを望んでいないのに」
「プレイアデス。おぬし」
「どうすればいいのか、わからない。壊せばいいのか。それとも、我慢すればいいのか。私が我慢するだけで済むなら、それでいい。あなたは――感じたことがないの?」
「……普通にしゃべれたんじゃな」
「…………ッ!」
怒ってそっぽを向いた。
いやいやいや。すごいことを聞いてしまった。とんでもない奴らだと思っていた。
この”世界を壊す”というのは疑いもなく比喩だろう。しかし、それでも……壊したはずだ。なにかを。それはおそらく――ものや個人といったレベルには収まらない。
その子はどこから取り出したのかもわからない錫杖を見ている。おそらく、それも破壊兵器。都市など一瞬にして塵に帰してしまうに違いない。
「魔術師……!」
そうだ。身体能力をもってなにかするわけでもない。あれだけの身体能力はただの余剰。おまけでしかないとしたら。どれだけの力を持っているのか。想像することすらできない。
そして、小さいほうの彼女はそっぽを向いたまま――本当にそのままこちらには何の興味も示すことなく森を見続けた。
そして、大きいほうもまた、座り込んでうとうとし始めた。警戒心のかけらもない――というか、実際に不要なのだろう。象は足元の蟻など気にしない。結局、そのまま彼女たちは一切の興味を示すことはなかった。
3,4時間ほど経つと。
「さて、もうよいか」
そう言うと、むくりと起き出して歩き出す。小さいほうも無言でついていく。これは……僕らにもついてこいということだろう。
ついていかなければ、このまま置いて行かれそうだなと独り言ちる。そうできれば、どれほどありがたいか。
「行くぞ。中佐殿は丁寧に運んでやれ」
比較的顔色のよさそうな奴に言い捨てると、僕はその辺でくたばっている一人に肩を貸して歩き出す。嫌な役目は人に押し付けるに限る。
中佐殿の近くにいたやつらは嫌そうに――え、俺がやるの? やだよ、お前がやれよ。という目を他に向けるが一斉に”お前がやれ”という視線を向けられる。仕方なさそうに、顔をゆがめながら、それでも丁寧に運んでいく。
「くれぐれも落とすなよ? 軍法会議にかけられるからな。ああ、あと足のほうも誰か持ってやったらどうだ」
また、押し付け合いが始まる。そして、押し付けられたのは顔色の悪い少年。いや、曲がりなりにも回復している数は半分程度なので調子のよい奴などいないが。
無視して前を見る。連れて来られたこの場所だが、きちんと観察できたのは初めてだ。腹の中がひっくり返らないよう抑えるので大変だったから目に入らなかった。
「……うわ」
ヤバイ。というのが感想だった。それ以外に何を言えばよいのか。壮麗とか壮大とかいうレベルを超えて――僕らが足を踏み入れていいような領域には思えない。
廊下……塵一つ落ちていない。いや、そもそもこれはどういった趣向なのか。磨き上げられた金属……これはいい。
なんか普通に国宝レベルの武具に使われていそうな質感だが、そこはそれで理解の範疇と言える。だが、描かれている紋様は妖しく濡れたような光を放っている。
それは本来ありえない。
魔術効果を紋様として刻み込む魔術式は人類発展の礎となった技術だ。その技術がここでも使われていると考えれば、物理法則としては不思議はない。
だが、それは普通”光らない”ものだ。特殊な一部の武具でなければ……攻撃が通用しない魔物に対して生命のすべてをつぎ込んでも倒すための魔力の過剰投与により引き起こされるのが発光現象だ。
いわば必殺技、そんなものを防衛のために使うのであれば――それは……一般的に国家予算の無駄使いというものだ。それだけの金を無為にしている。
ここは宙に浮かぶ箱の外縁部でしかない。つうか、そんな歩いていないから奥のはずがない。これだと何をしようが効果など期待できない。
まあ、御国は裏でどんなことをやっているか知れたようなものではないが……さすがにこれを傷つけるほどの攻撃力はないのではなかろうか。部下に目を向けると。
「いつまで歩くんだよ、これ」
愚痴っていた。まだ内臓を揺さぶられたダメージから回復しきっていないのだろう。
無理はないとは思うが、それでも――こいつら、能天気だなぁ、なんともうらやましいことだ。と黒い感情が浮かんでくる。
中佐殿のほうを見る。
むにゃむにゃと気持ちよさそうに寝ている。
運んでいる兵士は青い顔だ。まあ、落としたら首をはねられかねない。やらせたのは僕だが、さすがに同情する。
一番いいのは、ここでのど元を掻っ切っておくことか。などと思うが――
「そこまで思い切れもしないか。中途半端だな、僕は」
そこは想像にとどめておいた。
1時間も歩いたような気もするが、実際は半分にも満たないだろう。
万全の調子で歩けばさらにその半分の時間で済んだはずだ。まだダメージは残っているらしい。目の前をどこまで遅く歩けばいいかわからないといった感じでちらちらと振り返っていた彼女らは疲れた様子もない。
僕たちを壊滅寸前まで追い詰めたアレも彼女らにとっては単なる移動手段に過ぎなかった。
とぼとぼと歩く廊下の前に巨大な扉が現れる。鮮血めいた邪悪な光が扉を覆っている。魔導の心構えなど何一つない僕だが、これはわかる。
”これに触れたら死ぬ”。要するに爆導式を仕掛けたワイヤートラップ。僕が知っているのと違うのは、これが発動したら最後骨も残らないだろうということだけ。
「さあて、ご主人はこの先で待っておる。この先は一本道ではないからの。はぐれるなよ?」
女が後ろを向いてけらけらと笑う。裏を読めば、はぐれれば命の保証をしないということ。もっとも、これを口に出しては部下どもは恐慌に陥るだろうが。そんな元気があれば、の話ではあるが。
「貴様ら、しっかりついてこい。この方たちに無駄な手間を取らせるんじゃないぞ。もし、かけようものなら――僕が真っ先に粛清してやる」
脅しをかけるくらいでちょうどいい。いや、これは僕の調子も狂っているのかな。らしくない。
不安に駆られた状態で脅しつけるのは良くない。水を火にかけたら沸騰するくらいに当たり前のこと。少し、深呼吸する。
「さて、皆。まだ調子の悪い者もいるだろうから、回復したものは支えてやれ。ああ、それとこいつを頼む」
そして、彼女たち二人のすぐ後ろに立つ。大きいほうの彼女はわずかに首を傾げ、小さい方は全くもって無反応だった。




