第77話 人界の魔王・下
Rを始末したルナは眼下に視線を向ける。亡骸を踏みにじり、穏やかに彼に声をかける。
「さて、お兄ちゃんはそろそろ立ち上がれるようになったかな?」
「舐めるな……!」
階段の下でランスロットが剣を頼りに立ち上がる。何かがおかしい、再生能力が鈍っていると気付きながら対抗策は何も浮かばない。
なら、どうするか? 決まっているだろう、相手がどれだけ強くても”頑張る”しかない。
「ふむ、教えてあげるけど基本的に他者の異能は毒だよ? それじゃ空絶から耐え切ったとは言えない。一方で、君の光は僕の再生を阻害するほどじゃない。だって、そもそも切れてすらいないもの」
「どこまでも、お前は……ッ! あまり人を侮辱するな。Rの仇、取って見せる……!」
階段を一歩一歩踏みしめて上がってくる。だが、その歩みは酷く遅い。ルナはもう一人を見る。
「まだ生きているね? お姉ちゃん。とはいえ、四肢をくっつけることもできないご様子。……イヴァンだったら無理やりくっつけたよ。それか頭だけになっても噛みついてくる。アイツ、相応しくないとか言っちゃったけど、それでも人間にしては並外れた精神力を持ってたんだねえ」
トリスタンは四肢を切断されて転がっている。空絶の毒が抜けず、手足を再生することもできていない。格下だから勝てない、当然の構図だ。
「あは、そんなに睨みつけないでよ。お兄ちゃんが上がるまで暇だからお話ししよう?」
「……貴様と語る言葉など!」
あまりにも舐め腐った態度にトリスタンがキレるが、ルナは笑うだけだ。
「好きなんだろう? ランスロット君が。分かるよ、汚いものに触れると心が腐る。そんなところに彼と出会ったら、そりゃあなびくさ。いい男だと思うよ、僕も。まあ、恋人が居るから浮気はしないケド」
「何を関係ない話を……!」
くすくすと笑うルナは悪魔のささやきを投げかける。それは神の試練ではない、ゆえに悪魔の契約は裏切られない。
ただ、ルナの方に相手を慮ってやる理由などないだけで。
「ねえ、このまま死んで満足? 彼と一緒に暮らしたくはない? どうせ、君たちが僕に勝てるはずなどないのだから。ねえ、簡単な取引だ。『黄金』を渡してくれれば、カンタベリーに居場所を用意してあげよう。3国から刺客が放たれるだろうが、心配要らない。僕の名において守ると約束してあげるから」
「……ッ!」
トリスタンは声が出ない。頷いてしまいたくなる悪魔のささやきだ。ルナの討伐など、そもそも無理筋なことはわかっていた。
ルナ・アーカイブス、その力の全容さえ掴めぬ魔王。1人で出て来たのは絶好の機会? 馬鹿な、三人相手でも間違いがないから彼女は姿を現したのだ。
「ふざけるな! お前は人を殺したんだ、ルナ・アーカイブス! だから、お前とは一緒の道は歩めない」
「ランスロット様……」
ランスロットが満身創痍の身であれど叫ぶ。血を流し、それでも戦うために階段を一つ一つ踏みしめる。
「君も、人を殺したのに?」
だが、ルナはその想いすらも嘲笑う。
「――ッ! 違う、僕は……!」
「カープ・シェキハと言う名前を見なかったかな? 236段目、左側の壁の上から10番目だ。そこに彼の名前がある。僕と初めて会ったあの街で、君が殺した男の名だ」
それは残酷な真実。人を殺すのが悪ならば、”悪を裁く”ことすら〈悪〉に他ならない。どれだけ正義を尊ぼうと、実行すればその行為は悪に堕するのだ。
ならば、この世のどこにも正義はない。”口先だけ”だ。口だけの者以外に正義を名乗ることは許されない。
「違う、お前さえ……お前さえ居なければ!」
ランスロットが光輝く。空絶の毒を光で灼き消した。……駆け上がる。
「――絶対に倒す! 皇月流・奥伝【神威】ッ!」
そして、最高の一撃を放つのだ。
「ふむ、技術は良い。だがね、極めるだけでは駄目だ。アルトリア・ルーナ・シャインと同程度の技量であると認めよう。……けれど、けれどだ。人を超越しなければ意味がない」
その一撃は空中で止められていた。始めに見せたサイコキネシスで剣の柄を狙われた。身体の軸が止められてしまったならば、もう動けない。
「そう。あの人は出来たぞ? 身体の軸が止められたならば、自らの肉を引きちぎっても振りほどいて見せた。見えず、聞こえない攻撃でさえも勘で対応した。何より、魔力強度が足りんがゆえに皮膚一枚にすら届かないはずの攻撃を届けて見せたんだ」
そう、前の世界で会った殺戮者は不可能を可能にした。ルナを傷付けるには攻撃力そのものが足りなかったのだ。
なのに、通した。無理を気合いと覚悟でぶち破る――それこそがルナの求める英雄の姿。それが基準となってしまっているから、アルトリアでさえ及第点。
「彼らに比べれば、君はただ才と努力に任せて剣を振っているだけの凡愚だよ」
「……アーカイブスゥゥ!」
彼がもがく。だが、いくら光り輝こうとも無意味で。そして、地に足が着いていないからもがくことさえ満足にできない有様だ。
「わめくなよ、宙に浮けば歩むこともできん有様で」
ルナがやれやれとため息を吐く。期待外れだと言わんばかりに。
とはいえ、舐められたままで人は終われないものだ。忘れてはいないだろうか、黄金遣いは3人居ることを。
「答えを言っていませんでしたね。私はランスロット様とともに生きます。お前を倒して!」
傷口を焼き潰して接着させたトリスタンが立ち上がる。雷を纏い、自らを弾丸として最大の攻撃を撃ち放つ。
「これが私の全てを込めた一撃……【レールガン・回天】!」
文字通りに自らの身を賭した特攻は。
「邪魔だ、月読流……【桜吹雪】」
無数の斬撃によってランスロットとともに階下に叩き落とれた。覚醒さえしていないのだから、この結末は当然だった。
「まだだ……!」
「まだ、私たちは……!」
それでも立ち上がって階段を登ってくる。異能は強力に発現させるほど毒になる。その意味では、桜吹雪は空絶を使っていなかったから弱い類に入る。
だから立ち上がれたと言ってしまえばそれだけだが、しかし立ち上がれるような浅い傷ではない。彼らはまだ遊星主と同レベルの再生速度を誇るステージまでには程遠い。
「アハ! 素晴らしい! 力の差を理解してなお立ち向かうか! 人のために? 誰かのために? そして、敵を倒してハッピーエンド? 諦めず困難に向かうというわけだ。楽な道に逃げれば、好いた男と添い遂げられると言うのにな!」
二人が駆ける。明らかに限界だ。動きがぎこちない。魔道人形のサポートが意味をなさないまでに肉体が損壊しているのだ。
死んでいないのは、魔道人形の回復能力が死の淵に押しとどめているのみに過ぎない。
「「……」」
声も出せない。だが、剣を振るうのだ。二人そろって、ルナの喉首へと剣先を向ける。
「――では、もう一つの資質を試そう」
パチンと指を鳴らした。
「なッ!」
「……く!」
その瞬間、切っ先の前に人が現れた。状況を理解する暇もない。そもそも激痛で頭の中は真っ赤に染まり、何かを考えられもしない。
けれど、人を傷つけるわけにはいかないと強引に剣先を止めた。その無理筋で自らの命を落とそうと。
「あは。すごいすごい、やはり君たちは勇者だね。そのダメージ、剣をふるうだけでも奇跡なのに、それを途中で止めるなんて筋繊維の数が足りないよ。不可能を可能にして見せたわけだ」
ルナの盾にされたのは少女だった。二人の少女が訳も分からないまま、手を組んで祈っている。反応できない、死にかけて何をしていいか分からないままに目を固く閉じている。
その二人の目と鼻の先で、刃を止めた二人は血を吐いて倒れ伏した。
「まあ、種明かしをするとこの子たちも団員だ。可愛いだろう? 実は顔で選んだんだ」
二人の少女が頬を染めた。まったく何も分からない状況の中、ルナの言葉には耳を傾けているらしい。
「こんな子にメイドでもしてもらったらさ、最高だと思わない? 僕としては美女よりも可愛らしい娘の方が愛着が湧くんだよね」
ルナはけらけらと笑っている。もう勇者は倒れたまま指すら動かせない。
彼女たちの方は何もわからず突っ立っている。状況を見れば盾にされたことは分かりそうだが、それについて思うところはなさそうだ。
「何を馬鹿なことをって思ったかな? 盾になれと言われてなるような奴はシンパでも千人に一人も居ないと思うかな。ならば、2000人から募集をかければ良いと言うだけのことだよ。実際、志願者は13人も居たんだぜ」
いきなり空間転移させられた二人は訳も分からずに目をつむっているままだ。ルナがその女の子二人の頭をぽすぽすと叩く。
「うん、もう目を開けていいよ。君たちとは初めましてだね。まあ、止まらなかったら僕が止めたんだが、人間と言うのは死にそうになっただけで心臓が止まることもあるらしい。だから死亡してもかまわないと、書類に判を押してもらったわけだ」
「……あの」
少女がおずおずと声を上げた。そう、彼女は何も知らされていない。
ネットを通してルナ・アーカイブスのために死ねる人間が募集された。それに応募し、いくつかの面接を通って合格し、呼び出されてどこかの部屋に通されたのが彼女たちだ。
そして、その部屋で祈りを捧げていて、気が付いたらここに居たという寸法だ。
「なに、全ては終わったと言うことだよ。安心してくれていい。死んでもいいというからには、僕のそばでメイドでもしてもらおうと思ったんだ。モンスター・トループも回収済だが小間使いが入用なものでね」
「あ……はい!」
パっと笑顔を花咲かせた。それこそ人気取りのために高いところに登って命を落とす若者がいる。他にも山を登って死ぬ者、そして悪戯で命を落とす者も老若男女問わずだろう。
ならば、鋼鉄の夜明け団に命を預けるのは良い取引ではなかろうか。名声を求めるならば、ルナ・アーカイブスのそば付きは望もうと得られない地位だろうから。
「さあ、勇者たちよ。人を想う、その気持ちは伝わった。その行動そのものには非難もあれど、君たちは真に誰かを救うために立ち上がった勇者だった」
死したランスロットとトリスタンに向け、ルナがふわりと微笑む。
その顔に悪意の一切は見えない。そう、悪意は欠片もないのだ。本心からそう思っているし、彼らのことを尊敬さえしている。
「アーカイブス様。あの……死んでますよ?」
少女がおそるおそる言った。だが、ルナは頭を振る。
「その力、人のために役立てよう。人類生存のため、【キャメロット】の騎士となるがいい。その想い、そして力はここに残っている。僕が最終決戦の場に立たせてやろう!」
ガシャリ、とどこからともなく工具を取り出した。試験は二段階あった。騎士として相応しい実力を示せるか。そして駄目だったとしても、その心を試した。
それだけの力はなかったとしても、彼らは心を示してしまった。ゆえに改造する。足りない実力は補うのだ。全ては人類を救うと行動した彼らを支援したいがため。
「さて、二人は下に落ちた人を回収してくれ。その間に応急処置を済ませ、アームズフォート内で手術を開始する。君たちも一緒に来てくれ」
そう、だからこれはルナの祝福だった。死体を改造し、そして操る。これがルナが最終決戦に参加するための秘策。
そう、騎士はまだ5人しか居ない。参加の意を示したコロナとプレイアデスを足しても7だ。二人のためならと参加する気はあるミラだが、それでも8。あと5人も足りない。
ここで身体を手に入れれば、アルカナとルナが参加できる。それで10、残りは3となる。奪わなくてはいけない『黄金』も同数だ。
残り3……一つの枠は確定している。あとの2つをなんとかどうにかしなくてはならないわけだ。その答えがこれだった。この勇者を改造し、妖精騎士と仕立て上げ穴埋めを。
ともかく、二人の少女は残りの勇者パーティの元へ行き、ルナは死体弄りを開始した。
「あの……生きてますか?」
おずおずと聞く声。だがその声で意識を取り戻した二人は飛び起きる。使えなくなった銃を捨て、ナイフを取り出す。
「貴様、何だ?」
「え……ええと……」
言い淀む。どこぞの町の誰かと言うのはあるのだが、先ほど夜明け団に加わるのを許されただけで実感はない。
ゆえに名乗れる名前もなかった。何だと聞かれて本名を言うの違う気がするし。
「……あの」
「夜明け団ではないのか? だが……」
両者に困惑が降りる。かつかつと階段を降る音がする。
「おや、まだやってたのか」
二機の『黄金』を引き連れたルナが階下に降りてきた。
「……ランスロット! なぜ、ルナ・アーカイブスの後ろに……ッ!? トリスタンも!」
「待って。二人とも、死んでる」
「なんだと。ルナ・アーカイブス、勇者の遺体を汚すか!?」
「僕も聞きたいな。その理由次第では、許さない」
二人、ナイフを構えた。銃は駄目だった、ならば、この階段を活かして飛び回り縦横無尽に翻弄するまで。勝てる気はまるでしなくても、勝つ気だった。勝たなくてはならないのだから、道理を捻じ曲げるのだと。
「ふむ。勇者ね、その異名は今や相応しくない。魔女に命を絶たれ、しかしそれでもなお魔女の力を持って人類のために戦う死者。――ゆえに、彼は妖精騎士ランスロット、そして妖精騎士トリスタンだ」
何も悪びれずに言う。その瞳に意思は宿っていない、完全なまでにルナの操り人形だった。
「貴様ァ!」
「許さない!」
二人が跳び上がる。が、ルナの手が横に振られた瞬間壁に叩きつけられた。気絶した二人をランスロットとトリスタンが背負う。
「行こうか。最終決戦まで遊んでいる時間はない。人類の未来は今の瞬間にも閉ざされようとしているのだから」
パチリと指を鳴らす。風景が変わる、空間転移だ。そこはもうアームズフォートの中だった。
「さて……残りの騎士をどうするかが問題だな」
つぶやいた。