第76話 人界の魔王・上
襲撃に来たモンスター・トループこそ撃破したが、代わりにトラックを破壊された。どこかの街に潜伏する選択肢もあったが、彼らは街で出会った少女の言葉を信じてどことも知れぬ場所を目指して飛ぶ。
一路、その方向を目指して飛行する。夜明け団に知られようと構わない。相手が襲撃準備を整える前に”そこ”へ着くだけだ。特攻かもしれないが、しかし勝利の気概だけは失わずに征く。
「――速いな」
ランスロットが兵士の二人と手を繋いで飛んでいる。いや、男色の毛があるわけではない。速度に劣る『鋼』を連れていくにはこうするしかないだけのこと。
トラックとは比べるまでもないスピードだ。あと1時間もせずに世界の果てまで行けそうだった。
「ですが、行き過ぎると人類の生存圏から外に出てしまいます。奇械の跋扈する魔界……足を踏み入れてはなりません」
「ま、境界線が引かれてるわけじゃないし、僕らも慣れてないから気づかないうちに超えちゃいそうだけどね――」
「それはない。その前に、何かが見えるはず」
「ふん。よほど信頼しているのだな。彼女が拗ねるぞ」
「――ローラン!」
「ははは、お姫ちゃんがお怒りだ」
「怖い怖い」
「……はは」
「ランスロット様も笑わないでください!」
和気あいあいとした雰囲気をRが崩す。
「漫才はそこまでだ、貴様ら。何かが見えてきたぞ」
それは音もなく時を刻む時計塔。誰にも見られぬ塔が荒野にひっそりと立っている。周りには風化した建物痕などもない。……ありえない光景だった。
人類は街の内側に閉じこもるものだ。ゆえに、荒野の中に一つ立つ建物など考えられない。それは、異常だ。
「……なんだ、これは?」
見れば見るほどなんの変哲もない時計塔。だが、中身は何も分からないという異常さがあけすけになっている。センサー類を何一つ通さないそれには、最高峰のシェルター技術が使われていることだけが分かる。
それだけでも”何かある”と声高に主張している。最高峰ということは当たり前に高価ということだ、それだけの金をかける理由を推測するのは当然だろう。
「入るしかないでしょう」
「変なところで度胸があるね、ランスロット……いや、向こうからお招きだ」
見ている前で、ひとりでに扉が開いた。
いくらシェルターだろうと密閉されていなければセンサーの妨害はできない。内部の熱源をサーチすると、人一人分の熱源があることが分かる。そいつは最上階で待っている。
「皆さん、行きましょう。高貴なる光輝とともに悪を討て『ブリスタブラス・カリバーン』」
全員魔道人形を纏い、階段を登っていく。そこは階段のみで構成された時計塔、幅は魔道人形3機分はある。
……十分チャンバラできる広さがある中を、一段一段踏みしめて昇っていく。奥から反応はないが、何か仕掛けられていたとしても不思議はない。油断はしない。
それにしても壁が傷だらけだ、否、これは。
「……ジニー・マーケンス? 誰のことかな」
聞き覚えのない名前が多数刻みつけられているのだった。狂気的なまでに幾多の名前で埋め尽くされていたそれが、傷に見えていた。
そう、隙間のない傷に見えたそれは、全てが名前であった。
「知った名前を見つけました。ティトゥス・アインス、かつてルナを利用しようとし、しかし最期にはルナから切り捨てられた男。……他にもいくつも聞き覚えのある名前が並んでいます」
トリスタンは情報畑らしい博識さを見せる。つまり、ここにあるのは鋼鉄の夜明け団の構成員の名前なのだ。
だが、腑に落ちないところは知っているのが3割に満たないこと。残りは、一体誰のことを言っているのやら。それは”鋼”ではなく”翡翠”の夜明け団に居た団員の名前なのだが、彼女たちにそれを知る術はない。
……それでも、ただ、進んで行く。
「だけど、馬鹿みたいな防護だよ? ほら」
アストルフォが銃を召喚してぶっぱなす。しかし、壁には傷一つ付いていない。さすがは最新鋭の装甲だった。
「何かの呪術か? 破壊したほうがよいかもしれんな」
「……いえ、虎の尾を踏むのはやめておきましょう。気配が強くなっています」
「早く来い、というわけか」
「相手は一人。罠だとしても、食い破る他ありません」
階段を登っていく。ちょうど666段、昇りつめた先に彼女の姿が見えた。
「――よく来たね」
少女、ルア・アーカの姿がそこにあった。鉄パイプの椅子にちょこんと腰かけている。あの時と同じジャージを着ている。
「ルア? なぜ、君がそこに」
「ランスロット様! 近づいてはいけない、彼女が。いえ、奴が……!」
トリスタンがランスロットの腕を掴み、そしてアストルフォとローランがアサルトライフルを掃射する。武器も持っていない少女に容赦のない攻撃だが、相手がそれであればむしろこんなものでは足りない。
「……え?」
止めようとするランスロットをよそに銃弾は無慈悲に少女へと向かう。惨劇を予想した瞬間、弾丸は空中で止まった。
「うるさいなあ。君たちに用はないんだ」
彼らの手から銃が落ちる。何かに喉元を掴まれ、吊り上げられた。あがいても、掴む手を探してもそこには何もない。抵抗すらできず……
「下で、いい子にしていてね?」
放り投げられ、階段を転がり落ちていく。
「ふふ、久しぶりだねえ。お兄ちゃん? ああ、それほど時間は経っていないか。こういった時間間隔といったものは苦手だよ」
くすくすと笑う彼女。だが、二人を苦も無く倒してしまったのは彼女に間違いはなく――
「どういう……ことかな」
ランスロットはまだ状況が飲み込めていない。
「ハハハ、鈍いねえ。こういうことさ、かわいい女の子だからって顔だけで信頼しちゃうと痛い目を見るぜ」
ルアの身体が縮んでいく。それに伴い、髪は漆黒に。そして芋っぽいジャージはゴスロリに変わる。ふわりと広がった紫色の髪が夢のように舞う。紫の瞳は裁定者のように揺るがない。
「服の印象を変えちまえば、意外と人の見分けって付かないものなのさ。そして、トリスタンちゃんは情報を知りすぎているから混乱したね? 顔が似ていても、年が違うからと見逃した」
そう、その姿こそ手配書で見たルナ・アーカイブスの姿そのもの。年齢を2才上げ、髪色を変えて服を変えた。それだけで騙された。
……まあ、年齢を変えるのはこの世界で遭遇する事態ではない。変装ではなく骨格そのものが違った。知っていればそんなことと思うような単純なことでも、知らなければ対応できない。それはルナ・アーカイブスであろうと同じことだから、失点ではないだろう。
「なぜ、あの街で僕たちを助けた?」
「それは見解の違いだね。あのままでは街の人間全員が殺されてしまっただろう? 君たちがやるかどうかはともかく、”できた”はずだ。僕が助けたかったのは彼らのほうだよ」
「……祖父を殺した理由は?」
「うん、祖父? ああ、アレか。アイツか。だって、弱かったもの。あのレベルじゃ遊星主を殺す騎士たりえない。信じられるかい? 百年もかけてなお、今の君より弱かったんだぜ。無駄に年を喰ったものだ、適当に棒を振って得られる真理などありはしないと言うのに」
「――ルナ・アーカイブスゥ!」
「おや? 怒らせてしまったね。ううん、事実を言っているだけなのに割といつもこうなる。君たちは現実認識能力にハンデでも抱えているんじゃないかな」
異能を使い、光り輝きながら剣を振るうランスロット。この塔には採光窓が一つもないが関係ない。覚醒した今の異能ならば、自ら光り輝くことができる。
「貴様だけは、生かしちゃおけない! ……皇月流【木陰】」
上から下への切り落としの一閃。相手が低身長であるがゆえに使いづらい技はいくつもあるが、これならば威力を十全に乗せられる。
姿に騙されず、全力の一撃を叩き込んだ。……そのはずなのに。
「やはり、この程度か。弱いなあ、人間達よ。お前たちは弱すぎる。意思も、力も及ばない。この滅びつつある世界、強者でなければ救えんと言うのになあ」
ルナ・アーカイブスは微動だにしていない。魔道人形を纏うこともなく、生身の身体にその一撃を受けたのにも関わらず傷一つない。
絶望的なまでの力の差であった。
「……え?」
「モンスター・トループを派遣して君らを育てた。ちょうどいい程度の敵と戦わなければ、成長も何もないだろう? しかし、期待外れだったな。それとも皇月流の使い手であるならば、ここから成長を見せてくれるかな?」
ルナが刀を召喚する。刃を鞘の中に納めたまま、柄を握る。……抜刀術が来る。それも、刃圏に入らなければ傷も負わないような生易しいものではない。
「――っぐ。来い!」
ランスロットが飛びのいて敵の攻撃に備える。どこからでも来てみろと言いたげに待ち構える。
一人でルナの攻撃をさばき切れるつもりである。無論、ルナに他の2人を狙わない理由などないのだが。
「これくらいは防いでくれよ? 月読流……【桜花・空絶】」
けれど、空間を飛び越えた一撃までは予想外だった。8の斬撃が、空間を飛び越えて3人に迫る。
「……きゃあっ!」
トリスタンは雷撃で焼き尽くそうとしたけれど、その斬線は全てを消し去る。目指した相殺を何も果たせぬまま、ただの1撃で腕と足を切り落とされ転がる。
「舐めるな……! 皇月流【驟雨】!」
そして、ランスロット。全てを消し去る力を持つのは斬線だけ、下か上からぶっ叩けば壊せると早々に気づいて二つまでを破壊した。だが残る三つ目に胸を切り裂かれて階段を落ちていく。
「……ぬん!」
だが、Rだけは拮抗した。闇を体中から噴出して斬撃そのものを破壊する。空間を飛び越えて首筋から跳んで来た斬撃は頭を下げてかわした。その斬撃は、さらなる跳躍を果たす間もなく闇に喰われる。
「なるほど、それが民主国の切り札か。精神汚染のリスクのために封印された『黄金』。確かに操者は異能に影響を受ける、それが”闇”と来れば汚染という表現も分からんものでもないがね。……だが、一つ聞いておきたいな。ラモラック・ギネヴィア」
「……」
仲間にも教えていない姓。彼はシャルロットと血縁を持つ。その関係性は伯父と姪、そこまで近い間柄でもないが知らない仲ではない。
多少の気質は見知っている程度には深い仲だった。だが遊星主との決戦に全てをかける彼らから離れた、それはついて行けなかったから。
けれど、争いからは逃げられなかった。行きついた果ては民主国の裏稼業だ。逃げ出した先に救いはなかった。
「シャルロットは君のことを責任感のある人だと言っていた。それがある時カンタベリーを離れ、民主国の狗となったと聞いた。何か事情があったのだろう、と彼女は言っていたよ。聞かせてくれないかな」
「……」
それでもRは黙ったままだ。誰にも、何にも知らせない。自らのことは話さない。
「なるほど。ま、シャルロットは殺して奪ってくれていいと言っていたがね。事情を聞けとは頼まれてない。助命を願う声の一つもないとは酷い姪だね? 言うだけならタダなのに」
「アイツは無駄なことをしない。そして、俺は俺の成すべきことをやるだけだ。無駄口を叩くな、ルナ・アーカイブス。貴様は無駄が好きなのか?」
楽しげだったルナの表情が消える。ちゃり、と刀を鳴らす。あくまでさっきのはお試しでしかないと主張するように。
合理主義者にとって、無駄が好きなど論外だ。それは、挑発の言葉でしかない。
「……ふぅん。ここで死んでおく?」
「ただでは死なん。年長者として、あいつらに何かを残してやらねばならんだろう。……せめて腕の一本だけでももらって逝く」
「そう、ならばその闇の力で、この僕を斬ってみるといい。君の剣筋が真っすぐならば、あるいは届くやもな?」
「どこまでも舐め腐ってくれる! ならばそのそっ首、もらい受ける! 【レヴナント・レイス】!」
剣に宿るのは闇。それも全てを喰らいつくして破壊する闇だ。未だランスロットには遠い域にある異能の行使。
桜花・空絶を軽々と食いつぶした”闇”が一点に凝縮する。威力だけで言うと空絶をも凌駕するそれがルナの首を容赦なく刈った。
「……間抜けめ、それは影だ」
切り裂いたはずのルナがゆらめきながら消えていく。それはただの蜃気楼。本物は別の場所に居る。……椅子の後ろに。
「どこだ!?」
「狗では英雄にはなりえない、お前に興味はないよ。手向けだ、せめて亜流ではなく月読の秘奥にて送ってやろう。狂月流【鏖花】」
それは真の意味での異能と武術の融合。空絶などは空間転移と絶対切断を合わせただけで、術技としてはむしろ劣化さえしている。
これは満開の花、8つの花弁。『ワールドブレイカー』の破壊の力を乗せた逃げ場のない一撃がもたらす回答は、絶死以外にありえない。逃げる方法はない、打ち破るには真っ向から迎え撃つ必要がある。
「かわせぬなら、相殺するまで! 【レヴナント・スクエア】!」
先と同じ一撃を計4つ。彼は全力で迎え撃ち――しかし、一つの花弁すらも相殺できずに五体を切り裂かれた。放たれたが最後、決して逃がられないのが狂月流であるがゆえ。
力なく断片となった血肉が落ち、転がる。もはや動くこともない……