第7話 脅威との遭遇 side:左遷された軍の中間管理職の人
「……くそ。どうしてこうなった」
すでに脱落者が二名。これは、ただの山登りのはずだった。
それは”ここ”までの話だが、しかし確かにここまでは確かにただの遠足だったのだ。単なる山登りであったのだ。魔物と戦闘を行ったが、ここは人類の生存圏の端っこで、武器さえ持っていれば問題ない。
これより先の人外魔境でなければ、徒党を組んだ兵士なら大きな怪我を負うはずもない難易度だ。
きついことなど何もない――軍学校ではもっと重い荷物を背負って、もっと速いペースでの実習が行われていた。
まさか、彼らがそれを受けていないなどあるまい。軍に入ったらまずそこに放り込まれるからだ。うわさに聞く40だかで入った変わり者とやらも例外ではない。しかし、40にもなれば墓場の心配でもするものだが、よく新しい領域に足を踏み込もうと思ったものだ。おおかた、どこかでのたれ死んでいるだろうが。
「おい! 君――問題はないかね?」
忌々しい上司が横柄に声をかけてきた。
漠然としすぎだ。即断即決を求められる軍で、そんなあいまいな言い方をするな馬鹿者――と言ってやりたいが、もちろん立場はそいつが上。
しかも貴族だ。逆らったら処罰されて死刑が関の山。この場で撃ち殺してしまってももみ消すのは容易いだろう。だから仕方なく。
「はい。問題ありません。中佐殿」
と言う。こいつはボンクラだ。失敗し続きで、もはや上にも期待されていない。家柄だけはそこそこの、見捨てられたに等しい人間。まあ、もっとも――
「死んでしまえとすら思われている僕には過ぎた上官か」
「……なんか言ったか、軍曹」
何も言ってねえよ、ロバの耳。
「はい。いいえ、何も言ってはおりません中佐殿」
「それならばいい。貴様はあの野党崩れどもを監視していればいい。犯罪者同士、お似合いなことだな」
「……一層、気を引き締めます」
隊列を崩して進行する兵たちを睨み付ける。座り込んでしまったやつを怒鳴るため、その場を辞した。
僕はこんな、どこをとっても褒めようがない――それこそ人並みとすらいえない懲罰部隊を率いる羽目になった出来事を回想する。
あれは、ほんの二月ほど前のこと。
僕は別の戦場で、別の部隊を率いていた。上にいる足でまと……上官はこいつほどではないが愚鈍だった。
最初は小競り合い程度の戦闘で勝った彼は気をよくして、逃げていく魔物に万歳アタックもとい追撃を命じた。
もちろん”罠”だ。
いや、あれらに知能があるかは怪しいが。地形を見ればわかる――景色の開けたところで戦闘が始まり、すぐ後ろは林。あとはもう確かめなくてもわかる。
林の中は魔物だらけ、さらに敵援軍の可能性すらある。というか、魔物の領域下にあっては人類は劣勢で小さな勝利をかすめ取ることしかできないのが前提。数が違う。
どだい、突撃して蹴散らすなどできやしないのだ。
さすがの僕も死ぬのは怖い。だから言ってやったのだ、多くの魔物が潜伏している危険があります、ここはいったん引くべきかと。
だが、そいつはもちろん聞かなかった。臆病風に吹かれたのなら、そこで立ってろと言い残して突撃した。どの頭で考えれば、そこにいる魔物があれだけなどと思えたのか。
結果はもちろん壊滅だった。
上官殿は真っ先に魔物の手にかかり、負傷。歩けなくなった。大抵の兵士の末路はなぶり殺し……魔物の巣をいたずらに突っついた報いだ。
そして、他の兵たちは歩けなくなったそいつを守るために津波のごとく襲ってきた魔物の餌食となった。最終的には僕も魔物の中に突っ込んでそいつをおぶって撤退した。
死傷者は部隊の7割にまで及び、壊滅状態となった。
そして――僕はその責任を取ることとなった。
愚かにも部隊を扇動し、上官を無視して突入……部隊を全滅させたことの。もちろん、事実とは異なるが軍事裁判によって証明された真実だ。
まあ、それでも彼を連れて帰らなければ謀反の疑いでもかけられて全員銃殺刑にでもなっていたのだから救えない話だ。
そんなわけで、僕は左遷された。このどうしようもない落ちこぼれや軽い罪を犯して元の部隊に戻れなくなった犯罪者どもが集う懲罰部隊に。
「……さっさと隊列に戻れ」
へたりこんだ若者の頭を小突き、皆がいる方向をあごで指し示す。こんなもの、隊列ですらない。同じ方向に進んでいるだけだ。
こいつらは本当に軍の教育を受けたのか疑問に思う。苦虫でもかみしめたような心地だ。
ち、いい気になりやがって。突撃かまして仲間を大勢死なせた無能のくせに――そう、ぼやいているのが聞こえた。
だからそいつの背中を蹴ってやった。嫌な視線が向けられるが、知らないふりをした。
「さて、蛇が出るか、鬼が出るか」
この任務は生きて帰ってくることなど期待されていない。まあ、上も僕などは事実ごと闇に葬ってしまいたいだろう。
この練度では、行って帰ってくることすら困難な道程だ。人類の領域から離れるほどに魔物は強く、多くなる。
「“だから”、僕は生きてやる。上の思惑通りに死んでなどやるものか」
いきなり現れた宙に浮く立方体、それがなんなのかはわからない。
それを調べに行くよう指令が下ったのは三日前だった。王都ではもう何かがわかったのかもしれないが、連絡はない。別に僕らが忘れられているだけでも驚かないが。
思惑など透けて見える。こんな懲罰部隊をよこすからには、とりあえず死んで来いということだ。死ねば、その死体を調べることでこの立方体が何なのか、というかどんな殺し方をするのかわかる。死ななければ死なないで、とりあえず危険がないとわかる。
ここで意地を通して任務も完遂する方法は一つだ。それは”上官を守る”こと。
そして、何がしかの攻撃で兵の損耗が三割――30人の部隊だから9人が戦闘不能になって全滅状態になればいい。この上官殿はなにかあれば真っ先に逃げ出すタイプだ。そして、すでに2名ほど勝手にどこかに行った。これも戦闘不能に含まれるだろう。
事実がどうあれ、どうせ本国に帰ってこれなどしない。つまり、あと7名だ。そして、何かが起これば。魔物がこちらに攻撃を仕掛ければ前提は達成できる。
あとは……大挙する魔物から上官を連れて脱出すればいい。人一人おぶるくらいなら問題はない。魔物を目の前に”戦わなければ”の話であるが、それ以外に方法はないのやるしかない。
「そうとも。あんな奴ら、どうなろうとも知ったことじゃない。僕は生きる。生き延びて見せる」
他の兵の命など、知ったことではなかった。
すでに立方体は近くに見える。一日もかからずに真下につくだろう。宙に浮く“それ”に飛行する術を持たない僕らはたどり着けないが――まあ、その前に何かの反応があることを期待しよう。
だって、そうじゃないと待ちぼうけする羽目になる。まあ、それより前に魔物に囲まれて全滅するのが先であろうが。
呑気なハイキングの最中、出し抜けに風を切る音が聞こえてきた。
「――敵襲! 全員、伏せろ!」
地に伏せた瞬間、墜落音が轟いた。
怒声が聞こえてくる。ならず者どもがぎゃあぎゃあ言っている。内容は聞き取れないが、まあふざけんな、とかその辺だろう。
……伏せろとわざわざ言ってやったのだからその通りにしてもらいたい。
ほとんどの奴らが立ったまま辺りを見渡している。のんきすぎる。そして、のんきの大将軍は目をぱちくりさせてなにがなんだかわかっていない様子で目をぱちくりとさせている。
ただの足手まといなだけ、このほうがマシというものか。
「……制圧射撃、かと思ったが」
先の音が攻撃なら次弾が来ないのは不自然。しかし立方体を注視するが変わった様子は特にない。舐めるほどに見渡してから、辺りを探る。
すぐ近くに着弾していた。草木がなぎ倒されている場所がある。だが、範囲があまりにも小さい。これは――
「おい、軍曹。何が起こった? これは一体」
「……どうやら、向こうから会いに来てくれたらしいですね」
土煙を割って現れたのは二人の少女。いや、一人は童女というべきか――幼い。来ているのは軍服か?
漆黒の軍服……子供が身に着けるには偉く物騒で、そして軍服にしてはやけに生地の質がいい。横のくそ上官が着ているのがぼろきれに見える。僕か? 聞くな。
だが、見た限りの年齢ならばまだ家から出る年齢にも達していないだろう。つまり、見た目通りの子供ではない。ここはただの人間が生きていられる場所ではない。
「出会い。それは水面に浮かぶ影のごとく。ふとしたことで壊れてしまう儚きモノ。影はつかめない。それでも掴まんと欲するなら、汝――手を伸ばせ。悪魔との契約はすぐそこに」
流暢にしゃべりだした。いや、さすがに言葉がたどたどしくなるほどには幼くはない。しかし、こんなよくわからないことをすらすらと……何を言いたいのかさっぱりわからない。
言語は通じているはずだが、話にならない。頭を抱えたくなるが、そんな隙はさらせない。
「くっく。プレイアデス――おぬしの言葉を理解できるのはご主人くらいのものじゃて。実はわしもよくわかっておらんわ」
もう一人は胸を張ってこんなことを言った。胸が揺れて、背後からどよめきが起こった。……馬鹿どもが。
いや、しかし騒がれるのも納得できるほどその外見は美しい。僕としてはもう少し年を食っていた方が。ではなく、と頭を振る。
こいつらはおそらく宙に浮かぶ立方体から降りてきた。落ちてきた。
あの着弾は降りた衝撃を受け止めたために起こったもの。……どんな身体能力があったらそんなことできる? 僕らにそんな身体能力を持つ相手をどうにかできる術は絶無。
こいつらは見た目とは裏腹の、端的に言って化け物に他ならない。その気になるだけで僕らを殲滅できる化け物だ。
「真実は耳に痛く、事実は闇の中。この世に確かなものなどに何もない」
ふい、とそっぽを向いた。どうやら彼女は僕らに完全に興味をなくしたようだ。
いや、そもそもそんなものがあったのか。彼女は最初からどこを見ているかわからない瞳で宙を見ていた。本当に、よくわからない。恐ろしい。
これは……どんなことがトリガーになって襲いかかってくるのかわからない。
「さて、お主ら――なんじゃ?」
もう一人が腰に手を当て、傲岸不遜に問う。とてつもないプレッシャーを感じる。こいつは僕たちのことを羽虫か何かとしか思っていない。それでも言葉を投げかけるのは――
「あなたこそ、僕たちに用があるのでは?」
「ほう? 従ってくれるというなら、楽じゃな」
冷たい瞳からは従わないなら手足を折ってでも従えさせるつもりだというのがわかる。それだけの力はあるはずだ。
いや、できないかもしれない。腕を折るつもりで背骨を折りましたくらいはやりそうだ。そこまで手加減が得意な質には見えない。
背筋に冷たい汗が流れる。一つの言葉を間違っただけで、胴体と泣き別れするかもしれない。そんな奴を相手にするなど最悪だ。ばかげた力に幼い心……癇癪一つで部隊が壊滅する。誰一人として逃げられない。
「僕らの目的は調査です。こうしてあなたと接触できた以上、我々の目的は果たしました。あなたは僕たちに何をさせたいので?」
ゆえに、おもねるしか手段はない。とはいえ、貴族によくあるこびを売られるのが大好きという風にも見えないのが苦しいところではある。
手探りで地雷原を歩くしかないのだ。彼女たちを前にしては人間など紙風船以下に過ぎない。
「ああ、わしらはただご主人に言われてぬしらを迎えに来ただけじゃ」
「では、君たちの主に会わせてくれるのかな?」
「それがご主人の望みであるから、な。まあ、危険なことをさせる気はないがの」
この言いようはと、ほくそえむ。どうやらリーダーが強権を握っているわけではないらしい。それでも慕われている――そんな”上”などあまり想像がつかないが、都合はいい。
現に横のくそ上官は話など上の空で皮算用を始めている。殴りつけてやりたいと思う。
「案内してもらえるかな?」
彼女の言葉は、幸いにもこちらに都合がいい。最初から乗る以外の選択肢はないが、それでも幸先が良い気分にはなれる。
「応とも。ついてこい、ではないの。飛べないんじゃろ? 迎えをよこす」
そう言うと、円盤が降ってきた。乗れ、ということらしい。ふと、上官を見ると。
「くっく。まだガキだが中々の上玉。それにこの建造物を手に入れれば出世間違いなし。俺の時代が来たぞ。これで俺は……」
まだぶつぶつ言っていた。そして、二人を怪しい目で見ている。その視線に二人は気づかない。不幸中の幸いか。いや、不興を買って黙らせてくれるほうがありがたいかな。それで僕らごと八つ裂きにされなければ、だか。
この世界は魔物の数が多すぎて人類が滅亡寸前な上に、どうあがいても対抗できない強力な魔物もいるという最悪な状況です。総数でいえば魔物は人類の数10倍。質のほうは最強クラスの人類なら災害クラスの魔物でも足止めくらいはできます。逃げられませんが。




