第59話 軍事法廷、ルナの弱点
ルナの投石が尊大な老人の頭蓋を砕いたと思った瞬間、世界が白に染まった。光の中で人影が二人分だけ見える。一人は小さく、そしてもう一人は大きい。
――シルエットだけであろうと、ルナが見間違えるはずがない。
そこに居たのはアリスとアルカナ。だが、おかしい。二人は後ろに居たはずで、前に居るわけがない。しかも、向かい合うような状況があるはずがない。
この状況、ルナに危険がない様に動くはずだ。前に居てはまるで敵対しているみたいだ。
真っ白な光が消える。会議室が戻ってきた。二人の顔が見えた。けれど、せっかく見えたその顔は、不快感をむき出しにしていて。
……ルナは踏み砕いたはずの床が治っているのに気づかない。
「――貴様など嫌いじゃ、死んでしまえばいい」
「あなた、キライ。死んで」
そう、言った。
「……ッ!」
ルナは息を呑む。心が砕け散りそうなほどの衝撃。そもそもルナは彼女たちに依存している。酷い言葉を投げつけられただけで死んでしまいそうになるほどに。
これで膝から崩れ落ちなかったのは耐えたからなどではなく……
「――は。”良い”判断だ!」
ルナは槍を呼び出す。『ゴルゴダ』の所有する6本の槍などではない、本物の神威。世界を砕くに足るその神槍を。――明らかに過剰な武装、ルナは暴走していた。
魔導人形は奪われた。それが逆に功を奏した、あの玩具ではこれを振るうことに耐えられない。
「残念だが、その二人が偽物なのは知っている」
槍を振る。世界が砕けた。『ロンギヌスランス・テスタメント』は、この世界にありえざる神の力。世界を滅ぼした魔物を原料に作成されたその槍は、ただ存在するだけで世界を焦がす。
……そも、ルナの力はこれが幻影と見抜いた時点でデコピン一発で壊せたのだが。しかし暴走したルナは自重などしない。
「――っな!? がはッ! 一体、何が……!」
横に並ぶ机の中に一人、魔導人形を纏うも血を吐きつつもがく者が居る。そいつが幻影を見せた奴だ。攻撃を喰らったわけでもなく、”神威に当てられた”ただそれだけで死にかけている。
だが、その異能は脅威だった。
幻影などとと呼ぶには生ぬるい。その程度ならばサティスファクションタウンにもできる者が居た。彼は嗅覚、聴覚に至るまで騙し通し、そして残りの味覚と触覚は消し去ってしまった。それは完璧なまでの白昼夢だ。人間であれば、騙せないはずなどない。
そして、大切な人に大嫌いなどと言われてしまったら、ルナは死んだも同然だ。神の力を持つルナだが、殺すのにはナイフで足りずとも、ただの一言があれば十全に”心を殺せる”。
「くふふ。いや、さすがはかのご老人どもの隠し札。凄まじい力を持っている。正直、僕ではここまでは出来ない。精々が脳内の快楽物質を操ることが関の山だ、これが本当の精神攻撃と言うものだな。いや、本当に胸が苦しくなったよ。あれだけ似ているんだもの」
かつて、ルナは”魔女”を恐れた。あれは人から生まれた人外の化け物だ。モンスター・トループなどはテクノロジーにより人のカタチを捨てただけ。心はまだまだ人間だ。真の化け物からは程遠い。
彼女に脅されて膝を折ったとき、ルナは饒舌になっていた。……まるで、己の不安をごまかすかのように。今も、同じことが起きている。
……偽物と分かっているマネキンに大嫌いと言われただけでこれなのだ。本物にそう言われれば、後は想像に難くない。
「っひ。ヒィィ……」
「逃げるなよ」
禍々しい化け物から伸びた触手が彼を掴む。掴まれ、転倒した彼は振り向いて”それ”を見てしまう。
「……ッ!」
空間を割って触手を伸ばす”それ”はひたすらに”でかい”。おぞましくてらてらと光る肉塊は、まるで山脈のように大きく――彼の足を捉えたそれなど、小枝どころか葉の一枚ですらない。
そんなものに敵うわけがない。『フェンリル』で自爆したところで葉の一枚を吹き飛ばすだけ、全体には何の痛痒も与えないことだろう。
「恐いかな? まあ、コレは敵に〈狂乱〉の状態異常を与える特殊能力を持っている。現れたのが数億分の1だとて辛いだろうさ。誇りたまえよ、SSRクラスの魔物を見せたのは、かの魔女殿に続いてお前が二人目の人間だぜ」
「あ……ああああああああああああああ!」
「まあ、叫んだところで無駄なんだけどさ。いや、感心したよ。まったく、僕の弱点がこの子たちとは良く見抜いてくれる。”心が弱いコイツなら、好きな人に大嫌いと言われるだけで屋上から飛び降りちまう”って? ――大正解だよ」
「っぎ! ギャアアア!」
足を折った。だが、まだ3本ある。次は腕にまきついた。
「君の攻撃をかろうじて免れたのは、僕が人間じゃないからさ。解像度が低いぜ、それじゃ僕らは騙せない。いや、仕草とか言う話じゃない。世間じゃもう4Kから先は進んでいないが、僕らはそのくらいじゃ隙間だらけに見えちまうさ。君は映像その他を操っているんだから」
「ううう……わあっ!」
ルナの解説など聞いていない。彼の心は恐怖に染まり切っている。もはや立ち向かうなんて心はどこを絞っても一滴もない。恐慌に駆られた彼は兜を脱ぎ、銃を抜いて口にくわえて。
「聞けよ」
「ひぎぃ!」
銃を持つ手を触手で握り潰されてしまった。
「それともう一つ。暗殺者には縁遠いツールだろうが、SNSと言うものが世間にはあってだね。『アダムス』だと、あまり使われてなかったりするんだけどね。これが『地獄の門』だと家族や恋人と連絡を取り合ったりしてるものだ。……実は、僕らもやってるんだ」
くすくす笑いながら、戯れに残った足を砕いた。腕が一本残っているから、ずりずりと這って行く。逃げられると思っているわけじゃない、恐怖の源からわずかでも離れたかった。
「あの子たち、可愛いんだよ。たくさん送っても全部に返してくれるし、何万と送ってても一つ多かっただけでドヤ顔で、かわいらしくケンカしたりね? まあ、つまりは人間とは機能が違うからね。君の技が通用しなかったのはそういう理由。もちろん携帯なんか使ってない、僕らが生まれ持った通信機能を使ってるさ」
ふう、とため息を吐く。語り終えた、という顔だ。みじめたらしく這いずるその腕を床ごと砕いた。
「そういえば、彼も幻覚だったんだね? あのご老人どもは生きてるわけか。なら、落とし前は付けなきゃね」
動けなくなった彼を、触手がルナの前に連れてくる。どさりと落とされた。彼はうめき声を上げて……だが身動きすることすらできない。
動かすべき四肢はもはやずた袋以下の肉塊だ。無くなっていない方がむしろ痛ましい。
「それで、雇い主を言う気はあるかな?」
「……」
ぶるぶると首を振った。彼の心は恐怖に屈している。許してくれ、と声なき声で懇願する。隠すつもりなどない、本当にただ知らないだけだ。
相手は国。ならば、これだけの力の持ち主すら駒にできる。国と言うのは、古来より並ぶものなき暴力機構である。ならば、指示元を知らせずに暗殺を実行することも十分可能だった。それどころか、指示すらしていない可能性が高い。そう、それは”忖度”という奴だ。
「じゃ、死のうか。分かっているよ、君が何も知らないことくらい。心が生きているか死んでいるかくらいは瞳を見れば分かるさ。だから、塵も残さず消え去るがいい」
槍を振り下ろす。全力だ、八つ当たりが多分に入っている。地殻が砕けようともはやかまわぬ。それだけの心意気で振り下ろした。
「……アルカナ?」
だが、地を割り地球のコアにまで到達するはずだった一撃が止められた。……それは紅のシールド。アルカナの力だ。
「お叱りはお好きにどうぞ。ルナちゃん?」
ふんぞり返っている。わざと憎まれ口を叩くかのように。ちなみに二人はずっと幻覚に囚われていた。ルナは槍の力で術式を弾き飛ばしたが、この二人はそうもいかなった。
偽物のルナなど切り刻んで脱出口を探していたのだが……時間が経ち、術者の心が砕けた時点で術式は消えた。
「ううん」
ルナはアルカナの胸に飛び込んで甘え始める。
「僕が世界を壊しちゃうところだったね、それは駄目だよ。……夜は、僕の身体を好きにしていいよ。お礼だよ、アルカナ」
「おお。それはそれは。……夜が待ち遠しいの」
アルカナはしっかりとルナの身体を抱きとめる。……少し震えていた。ルナにはまだ偽物に嫌いと言われたダメージが残っている。
「……アリスは?」
くいくい、と袖を引っ張る幼女。
「ふふ、じゃあアリスはその後で僕と一緒にお昼寝しようか。きっと、その頃にはとっても疲れてるだろうし」
「……うん」
笑い会う。……そして、外から悲鳴が響く。アリスは幻覚から目覚めた時点で敵の虐殺を開始していた。
そう、アリスは今ぬいぐるみを持っていない。つまりは絶賛大暴れの最中ということだ。
国なのだ。後詰めくらい、もちろん用意してある。人々の心が荒んだこのご時世、好きにできる部隊の3つや4つなくては政治家などできないから。
その派遣した部隊がこの街の住民と成り代わり、ルナを狙った。そして、今やアリスに刈られる犬に過ぎない立場となった。
殺し、殺されて……因果なことだがそれが戦うと言うことなのだろう。ルナも、そして権力を握る人間たちも、土下座して「協力致します私はただの奴隷と思ってください」などと謙虚なことは死んでも言わない。
――正しいのは自分と信じ、まっすぐ歩いて来た。今更その道を捻じ曲げることなど、何より自分が認められないから。人は、それを傲慢と呼ぶのかもしれないけど。
30分はアルカナに甘えていたルナだが、だしぬけに頭を胸から引き抜く。
「名残惜しいけど、やることはやらなくちゃね」
電話をかける。わざわざ携帯を使ってだ。
〈やあ、臨時大佐殿〉
〈ルナ・アーカイブス。何の用だ? 会議中ではないのか?〉
〈罠だった。敵は全員殺してしまったよ。まあ、それはどうでもいいんだ〉
〈……どうでもいいはずがない、国の人間を軽々しく殺してくれるな。だが、貴様に言ってもどうしようもないのだろうな。それで?〉
〈いや、君宛に僕への伝言が届いているはずだと思ってね。誰だって罠に嵌めて怒り狂わせた相手と電話なんてしたくないだろう?〉
〈私に怒りをぶつけられてもどうしようもないぞ。……だが、うむ。確かに連絡は来ているな。これは……要請か〉
〈要請でも命令でもどちらでもいいよ。どうせやらなきゃ怒られるしね。……で、何さ?〉
〈遊星主の極大魔石を砕き、使用可能な状態にすること。それが一点。もう一つがアーカイブスと名乗る三人組の捕獲命令? 王国での目撃証言あり、と。なんだ、これは〉
〈アハ、さすがに見抜いてくれる。しかし――あの子たちを、ねえ。踏み台のつもりか? ここまでのことをやられて、なお国に従う狗とあれと?〉
〈私に言われてもどうしようもない。そもそも、お前は命令を聞かんだろう〉
〈見ているものが彼らとは違うからね。……さて、一つ目をどうしようか。君に決めてもらおうかな〉
〈命令だ、やる以外にないだろう〉
〈あいつらは事実じゃなくて政治でものを考えてるから分からないのさ。この街に一般人はいない。避難している。……だが、それでも破滅すればどうなるかね。きっと、たくさんの人が嘆き悲しむことだろう〉
〈破滅だと? どういうことだ、説明しろ〉
〈魔石を砕き、全てが丁度良い大きさの燃料になるなんてありえないさ。おおよそ3割ほどかな? 宙に消える。……そして、瘴気となる。工場のフィルターくらいじゃどうしようもない量だぜ。最悪、『白金』にすらダメージが行くかもな〉
〈馬鹿な、『白金』が傷つくと? そんなことさせるわけには行くか! それに、街を瘴気に沈めることも許さんぞ〉
〈ハハ、中々に熱い男じゃないか。いいぜ、魔石を砕くのはナシだ〉
〈貴様と言う奴は……〉
〈さて、臨時大佐殿。君には色々言ってきたし、その中には理不尽なものもあったことも事実だ。だが、僕は君の能力と努力は十二分なものだったと認めている。君のその意志と尽力を称えよう〉
〈改まって何だ? 気持ちの悪い奴だな〉
〈だが、君は相手を間違えた。君が戦うべきは平民への差別や、復讐に派遣された暗殺者などではない――それは”善意”だったのだ。いや、他人からの善意を袖にしろと言っているのではないよ。君が競う相手は地位にあぐらをかく間抜けではなく、努力した上に血や縁を力に変える人間だ〉
〈……私は努力してきた。それでは不服と? 確かに親の代からの繋がりがある人間は多い。むしろ、上に居るのはそういった連中が大半と言ってもよいだろう。だが、腐らず仕事を全うすれば評価されるはずだ〉
〈評価されるのは親からの援助を含めた総合成績だぜ? 二人三脚でやってるようなものでさ。それに色眼鏡と言うだろう。そういうところ人間関係は実に複雑だが、”よそ者は入り込めない”っていうシンプルな掟だけはどこも変わらないものなんだぜ。ゆえに、君の総合成績は”不可”なのだよ。いや、理不尽だね? 足りなかったのが努力でなく血筋だなんて〉
〈……それは私も感じていた。だが、それは私を認めない権威主義者の嫌がらせかと思ってきた。まじめに仕事をやり遂げれば皆の評価も変わると思っていた。だが、ここまでなのか? お前は私を殺すのか?〉
〈いいや、始末は他の人間がやってくれる。やりたい奴にやらせてあげるさ。僕は君から手を引く。さらばだ、最期に君の献身に感謝を〉
〈待て! 嫌だ、死にたくない! 私は、生きて本当の大佐になるんだ! 偉くなってやると、昔死に別れた彼女に誓ったんだ!〉
〈……私は!〉
まだ続く言葉を無視して電話を切った。そして、またかける。今度は『アダムス』の砦の司令官へ。キャメロットの双首領から、【鋼鉄の夜明け団】の団長としての顔に切り替える。
〈やあ、僕だ〉
〈ルナ様、今は会議中のお時間では?〉
〈どうも罠だったらしくてね。命からがら逃げ出した、と言ったところだよ〉
〈おやおや、それは大変でしたな〉
笑い話のような雰囲気。電話の向こうの彼はルナが苦戦するなど夢にも思っていない。
〈いやあ、世の中怖いものだね。ほら背も胸も小さい僕は、恐ろしすぎてどこかに引きこもろうと思うんだ〉
〈どこへ、とは聞かない方が良いのでしょうな〉
〈魔石の生産量を絞れ。僕が居なくなれば言い訳は用意できるはずだ〉
〈は。要請があろうと我々は部隊を出さない、そういうことでよろしいのですな? まあ、ルナ様の加護なしに戦場へ出る奇特な者もそう居ませんからな〉
これから魔石は不足する。地獄の最前線だが、文明の源となる魔石は大半がそこで得られたものだ。
まあ、人類領域に上位奇械などが歩いていればおちおち村も作れないのも事実。開拓村が不甲斐ないとも言えない。生産量が少ないと責め立てるのはあまりにも身勝手だろう。
つまり『地獄の門』が修理中の今や『アダムス』と『ゴルゴダ』が魔石供給の生命線だが、すでにアダムスは堕ちている。拠点とすることもできない。残りは一つ。では、足りなくなった魔石をどうするのかと言えば――こちらから襲撃しに行く以外に回収する方法はない。
――そして、この密談は”その襲撃依頼を断ってやれ”というわけだった。
〈治療のあるなしだよ、僕が居てもそれほど役には立たないさ。大げさに言ってくれるね。ま、後は頼んだよ〉
〈いえいえ我らは皆、ルナ様を奉じて戦っておるのです。ご命令を拝受いたしました〉
そして、ルナは飛ぶ。誰も知らない場所へ高飛びする。
政治の世界は――というより、人類が追い詰められたこの世界は、か。上も下も真っ黒だ、教国の内部に安心できる場所はない。スパイダー型が闊歩する荒野、何もないそこの方が安全と言う笑ってしまうような状況だった。
「ボロ負けして帰ってきたお姉ちゃんを治してあげないと、ね」
呟いた。