第52話 円卓と幕開け
そして、アルトリアたちはしばしの休息を取る。豪華な食事に、大きな風呂。まあ、風呂の方は貸し切りで使っていただけの大浴場なのだが、最前線でやるとなれば贅沢に過ぎる。
遥か大昔、虫が湧いた食べ物で食い繋いでいたような状況とは違う。テクノロジーの発達が、至れり尽くせりの環境を提供する。元王族が居るから特別と言うわけではない。むしろ地獄だからこそ、それくらいはしないと兵士が病んでしまう。
そんな中でファーファとシャルロットは喧々と喧嘩をしていた。まあ、子供同士のそれだ、大したことはない。それに、シャルロットも王族の出身ではあるが今は教国に降った身、実のところ特に権力を握ってもいないため、それほどの問題はない。
ファーファが寝てしまった後、アルトリアとシャルロットはどこかのベランダに出ていた。『地獄の門』では汚染されて使えなかったが、まだここでは『フェンリル』を使用していないために外出できる。
「――悪いな」
アルトリアが用意してもらったワインを口にする。
口の端に笑みが浮かぶ。中々の上物だ。彼女の舌はあまりワインの違いを判別できないのだが、それでも最高級品を飽きるほどに飲んでいた身分だ。とりあえず、上等なものと言うのは分かる。
「いえいえ。むしろ、こんなものでしか御馳走できずに……」
恐縮仕切った顔だ。まあ、アルトリアも見抜いていたが上物であるだけで最高級品ではない。
いくら王族顔をしようが、もはや王族ではないという事実。それ以上に復讐のため、その他を切り捨てたということだろう。最上の贅沢を、などと言う真似すらできないほどに。
「気にするな、下らんマナーなどに気を使うよりもこちらの方がよほど私好みだ」
ぐい、とワインを飲み干した。もちろん、王族のディナーや晩さん会では至る動作にもマナーが求められ、こんな傭兵崩れのような飲み方はできない。
そのまま皿の上のチーズを掴んで口の中に放り込む。男らしい仕草だ、しかもそれが妙に似つかわしい。色気がある。
「……はう」
野性味あふれるアルトリアの所作にシャルロットはメロメロだ。素晴らしい芸術品を目にしたように……であれば良かったのだが、目を輝かせて口の端からよだれを垂らす様は危険人物にしか見えなかった。
ファーファを見るアルトリアはもう少しマシだ。少なくとも、よだれを垂らすことはないのだから。
「危険な視線を感じる。まあ、ルナへのアルカナの視線と比べれば問題ないか」
ここに【キャメロット】の問題点が表出した。どいつもこいつも危険人物……個性的過ぎて、コイツに比べればと大抵なことを許してしまえる。懐が広いと言うよりも、それはただの麻痺だ。
世の中に想像を絶する変態が居たしても、ただの変態が変態でなくなるわけではない。いくらマシだろうと、そいつは変態でしかないのだ。
「ご満足いただけて何よりです。……シェフ?」
「は。軽いものですが。サーモンのカルパッチョと自家製ブルスケッタ、デザートにレモンパイをどうぞ」
出来立ての料理が運ばれてきた。夕食を食べたくせにまだ食べるか、と思われるかもしれないがアルトリアはもはや食べたからと言って太らない。自分の身体など完全にコントロールできる。
「もらおう。……美味いな」
「ありがたいお言葉」
アルトリアとシャルロットはしばしの間、二人だけの酒宴を楽しむ。寝る子を一人残すのは危ないが、そこはガニメデスを置いてきた。
イヴァンはその点、頼りになるはずがない。起きたらどこかから酒をかっぱらって一人でやっていることだろう。
「――月を美しいと思うか?」
「はい。天に輝く月は美しいと思います。……そしてそれは【奇械】に支配された領域では姿を消す。遊星主のいずれかの支配領域と成り果て、人は一瞬すら生きていられない不毛の地と化す」
「私は月を美しいと思ったことがなかった。……奇械か。民主国ではそんなもの、まさに隣国の問題でしかなかったよ。当事者ではないんだ、本当のことではあるのだがな。……それに気づいた私はどうにかしようと協力者を求めた。真実を暴露すれば、国が一丸となれると思っていた。やはり、月の美しさに気づく余裕もなく」
「確かに、民主国の人々は侵攻を他人事と捉えていることは我々にも伝わっております。幾度悲惨な現実を伝えようとも、それは変わらなかった。彼らは己の、そして兵の武技に絶対の信頼を置いているのでしょう。……しかし、それは」
「そう、それは教国が【奇械】と戦争してきた中で既に捨てたものであると言うのにな。……いや、技術開発による代替かな? 今や、己の身体を鍛えることに最低限以上の意味はない」
「はい。魔導人形であれば、2年や3年もかけて武の型を自らの肉体に刻み込む必要はありません。ただ、プログラムを使えば起動するだけのそれに時間を使う意味はない。……そんなものに増長し、奇械の恐ろしさを忘れた愚か者たちをアルトリア様は教え導こうとされたのですね」
「言い過ぎだ。そう出来れば良かったのだがな。私のやったことは問題提起……それすらもうまく出来ていたのかな。結局、私は戦う気のない者からオリジナルを取り上げ、戦う者に与えればいいと思っていたのだよ。真実を暴露して」
「オリジナルは、別に血統がなくても操れる……そういうことですね。私の操る魔導人形を含む6本の槍、ロンギヌスシリーズはカンタベリー王家所縁の者にしか使ってはならないという掟がありましたが、国が滅んだ今や6本中4本の所有者は血を引いていません。それでも、カンタベリー出身の者に使わせてはおりますが」
「――ふむ。まあ、それも良い判断なのだろう。最初から後継者を決めて置くというのは不公平かもしれんが、合理的だ。それに、子に価値あるものを遺したいと思うのも人として不思議ではなかろう。私はそこを掃き違えた」
「それが、民主国があなたを追放した理由。オリジナルを”奪えば使える”と知らしめてしまったあなたへの罰。都合の悪い真実を口にする者を、権力者は疎む。そして、愚かな民はただ権力者に迎合するだけ。……人気取りに失敗したのが敗因ですか」
「矢を何本重ねようが、ただの木では折れるのみだ。鋼の矢でなければ、奇械には通じんよ。民などと言う形のないものに機体をゆだねることに意味はないと思い知った」
「我々は折れるのみの木製の矢でしょうか? それとも、怨嗟を焔とし、命を積み上げて鋼と鍛えた一本の矢になれたのでしょうか?」
「それは、これから分かるとも。奴らが攻めてきたその時に。……そして、お前たちはどこまでも怨念を地獄の窯のように煮詰めながらも、月を見て美しいと思う心を忘れなかったのだな」
「ええ。あなたは美しい。まるで、永遠に天上にて輝く月のように。あなたの光は、私の情熱をかき立てる……ああ!」
「ルナを見て、かわいらしいと思った。おそらく、そんなものは幼少の頃に学ぶものなのだろうな。……私の人生は、ずっと武とともにあった。父や母に悪気があったわけではなかったのだろう。適性が高すぎた、それだけなのだろうな。辛いとも思わず、むしろやりがいがあった。それだけに、それ以外の全てを実感として学ぶことはなかった」
「私の言葉は届いておられないのでしょうか……? まあ、あれだけの強さの秘訣が”一生を武に捧げた”ということなら、いやそれだけじゃ説明になりませんわね」
「世界が広がった。世界は色に満ちていることを知った。それは強い、弱いで二分できるような単純なものではなかったのだ。だからこそ、あの子と一緒に見上げた月のことは今でも覚えている。だから――なあ、心配するな。きっと、何かを美しいと思える心があれば私のような失敗はしないさ」
「アルトリア様……私は」
そこでアルトリアはごほんと咳払いをする。
「さて、腹を割った話し合いと言うのは……こう、人生観とかそういうものをさらけ出すことを言うのだろう? 私は話した。だから、君も話してほしい」
「……アルトリア様。その、なんというか……不器用ですね?」
ここまでの暴露話は全て話を聞くための前振りだったらしい。実は、ルナに聞いたことだった。
あの幼女が知ったかぶって「他人に心を開かせたいなら、まずは己の胸襟を開くことだ。人生観の一つや二つも共有できないのに、互いの何を知れるのかというものだ」と偉そうに言っていたのを真に受けてしまったのがこの行動だ。
「知っている。曰く、私は人間社会に紛れ込んだ異物だそうだからな」
「酷いことを言う方も居るものです。……調べ上げて暗殺してやりましょうか」
すう、と冷めた目が本気を物語っている。本気でやる人間は、一々ことの前に炎を燃やしたりなどしない。ただ、実行するだけだ。
「やめてくれ。一理もないわけではないさ。というか、本性現したな?」
「何のことでしょう? ですが、愛しいお方に己を知ってほしいと思うのも女心。ええ、お話ししましょう。でも、あなたほど波乱万丈ではありませんのよ」
「かまわんさ。時間はまだあるのだから」
「では、お話ししましょうか」
シャルロットは互いのグラスにワインを注ぐ。
「カンタベリーは、父上がおっしゃるには神に守護された聖なる都市だったそうです。お父様も、お爺様からの伝聞と記録から見たのでしょうが。そこには飢えも渇きもなく、常春の気候の中、笑い声が響いていたとのことですが……」
「こんな最前線ではともかく、街ではごく普通のことだな。基本的に工場ででも働いていれば、少なくとも食うに困ることはないだろう。それに、街を覆う壁の機能として温度調整もあるからな。常春の気候は、ただ街の決まり事だ。特に自慢することでもないな」
「ですよね。それと、その神様の像が街中に建てられて、それを祭る祭祀場も厳粛な雰囲気であったそうです。……私、写真を見ても、よく分からなかったんですけど」
「それは一般的な見方だろうな。正直、私は多少ズレた感性をしているようだから言及は避けておくが」
「あはは。実は、私もその神様のことは信じていません。王の血筋とともに戦い、最後の戦いではお爺様に槍を託して逝ったとのことですが、今頼れないのであれば……ね」
「即物的なところは実に教国人らしいな。その意味では私は教国よりの感性と自覚しているが、故郷では浮いていたな」
「……分かっていると思いますが、私はお姫様という道具として育てられました。仮面をかぶり、そして数少ない血族の一人として6本の槍の1つ『ロンギヌス・シャッテン』を扱えるように、と」
「特殊能力の扱い方については中々に堂に入ったものだった。なに、先のアレは相手が悪かっただけだ。君は強い、卑下することはない」
”影に潜る”能力を魔導人形すら使わずに破って見せた先の出来事だ。アルトリアは自分がやったことなのに、相手が悪かったなどといけしゃあしゃあと言い放ってしまう。
「お気遣いありがとうございます。まあ、『黄金』を操るお方にお嫁入りして戦力になってもらおうと、そんな風に育てられましたのですよね。ガレス・レイス様に嫁ぐことになるかと思っていたこともあります。もちろんそれも一筋縄ではいかないことだったでしょうけど」
「確かに、ガレスが誰かと結婚する姿など思い浮かばんな。まあ、本気で頼まれたら嫌とは言わん奴だが……しかし、実力不足だな。ルナに頼らず遊星主を倒す力を得るころには、お前はお婆ちゃんになってるぞ」
「あはは。そんな先のことなんて想像もつきません。というか、断言しますね。そういうことを言われちゃうと、ルナ・アーカイブスの力はどれほどなのかと邪推をしちゃいますよ」
「そもそもにして勘違いされていると思うのだが。私の培った力は民主国で得た力もあるが、重力を操る権能はルナに勝ったことで与えられたものだ。ルナが居なければ、私に力などなかったさ」
「……そこまで? ならば、モンスター・トループも噂も真実?」
「そういう者達を作ったと聞いたな。人の姿を捨て、対奇械性能を『鋼』から『宝玉』レベルに飛躍させる研究の途中経過……そんなことを言っていた。おそらく、あいつは誰はばかることなく『アダムス』でその力を解禁するだろう。ゆえ、情報を得たいのであればそう難しいことはないと思うぞ」
「あなたがそう言うのであれば、嘘偽りはないのでしょうね……」
「失敗したと思うか?」
「え?」
「いや、『アダムス』との間で綱引きがあったのだろう? むしろない方がおかしいと言うものだ。ルナを取られたのが悔しいかと思ってな」
「いいえ。私としては、あなたが来てくれて良かったです。私の勇者様♡」
「いや、私は女なのだが。……女性から告白を受けたことはあっても、見合いに女性が来たことがないのがちょっとした自慢だったのだが」
「あ、そうだ。勇者様。勇者様にお渡ししたいものがあります」
「見なかったことにしたい……あ、いや。ありがたく受け取らせてもらう」
「では、こちらへ。かつてカンタベリーは大陸を支配する大国だったそうです。奇械に削り削られ、その晩年は教国に頼るしか生き延びる術のない小国となりましたが……歴史があり、”神”が居ます」
「ふむ」
神が居る、との言葉に不思議はない。
オリジナルの魔導人形は操者に【聖印】を刻む。その力を振るえば振るうほどに人間離れしていくのだ。ならば、極めれば不死となることに不思議はなく。そして、”そう”なったのならば神と呼ばれることだろう。
「戦い続け、神が次々と命を落としていくに従って封印された議事。そこに秘蔵されていたものを敗戦の際に持ち出しました。……それは【神々の円卓】、12名の神が座っていた聖なる遺物です」
「なるほどな。……だが。いや、なんでもない。見せてもらおう」
何の力も持たないのではないか? との問いは飲み込んだ。その歴史だけで価値ある代物だろう。
だが、実際に力があるのなら教国に没収されて研究されていたはず。そう、それは由緒正しいだけのテーブルに過ぎない。
「それを貴方たちに差し上げたいのです」
「それが報酬と言うことか?」
「いいえ。もう神々が揃うことはないでしょう。教国でも、おそらくは揃えることはできない。もう一度”使う”資格があるとしたら【戦姫】と【水銀の王】にしかない」
「水銀……ルナか」
常温で液体のような個体のような特異な性質を示す水銀は、黄金とはまた異なる錬金術の象徴だ。錬金術により作られた不死薬(詐欺だが)には必ず水銀が含まれる。水銀の王とは、錬金術師を名乗るルナにはお似合いだ。
「あなたに全てを託します。だから、どうか……我々の悲願を叶えてください」
「良かろう。我が目的があなたの目的に沿う限り、私は一切のためらいなく進むのみ。これも、相応しかろうさ」
アルトリアは、由緒正しきその円卓を撫でた。