第38話 『地獄の門』は別の意味で地獄
そして、翌日。ルナは少佐に呼び出されていた。
「……一体、何のつもりかね?」
彼は頭を抱えている。ルナはこの砦にとてつもない貢献を行っている。あの襲撃から二日経ったが、しかしこの砦は健在だ。
ここの軍は壊滅状態だった、死亡者は兵の半分以上であるのだから。現代戦の定義では3割の損失を全滅と呼ぶ。それを考えれば、とても戦線の維持が可能な残存戦力ではない。
可能な限り早く撤退しなければならないほどに疲弊していたはずだった。
少佐はガレス・レイスの『黄金』の力を当てこんでいたが、それは裏を返せば通常戦力は使えないということである。なぜなら、生き残った半分以下も、無事だなどと言っていない。四肢を失った者、戦友を失い恐怖に屈した者。
――戦える者など、居ない。ならば、ドラッグを打って無理に出撃する以外に取れる手段もないはずだった。
敵の攻撃は変わりなく続いていた。遊星主の投入はなくとも、サテライト型の何体かと100機ものクリムゾンスパイダー型の波状襲撃は日常茶飯事だ。
では、どうしたのかと言うと……ルナが兵士たちを恢復した。いや、失ったものを癒すのではなく機械を埋め込みアップグレードしてしまった。
改造に挑んだ兵士はもれなく精強か、憎しみに狂った復讐者だけだ。ゆえに、彼らは彼らだけで奇械を撃退した。ルナのもたらした力を使い、そして勝ったがゆえにルナを主と仰ぐ狂信者の集団へとなり果てた。
精神異常者は軍隊には不要と切り捨てれば、今晩にも砦が堕ちるのだ。もはや砦はルナの手に堕ちたと言って問題ない。
そう――下っ端であればルナ様万歳、鋼鉄の夜明け団万歳と叫べば良かったのだが、責任者だとそうはいかない。というか、【鋼鉄の夜明け団】ってなんだ? グループに名前を付けるとは、テロリストの作法か何かかと。
「うん? 必要なことだろう? そして、実際に不可欠だったはずだ。確かに僕を怠け者と呼ぶ人間は居たし、否定するつもりもないけれど。必要な時に動かない愚者ではないと自認している。ねえ、少佐」
「――それは、そうなのだろうがな。それと、今の私は臨時大佐だ。間違えないでほしい」
ぐい、と階級章を示した。砦を守るために、仕方なく発された辞令。更に上からの辞令で、本物だ。まあ、後任を送ろうにも近いうちには無理だろう。そういうものは後継者を育て、時間をかけて引き継ぐものだ。
その後継者は臨時大佐となった彼が抹殺した。
そう、確かに彼は大きく動いた。この砦に彼らを受け入れるという大義名分で上層部を皆殺し、瞬く間に砦の実権を握った。この二日で砦内の軍を動かせなかった理由の二つ目だ。指揮系統が消えたためにCICが動けなかった。
今は、彼が最上位である。そして、軍も動かせるようになった……規模は比べるまでもないし細部まで目が届きもしないが。
「あ、そう。で、少佐。説明してほしいと言うならば答えよう。この砦の今の持ち主は君だ、僕には説明の義務があるだろうから。だが、心を読んで欲しいなどと思わないでほしいな。君のことは君が知っているが、僕は君の心など知らない。しかも、本当に心を読めば殺そうとするのが人間だろ?」
「説明してほしいのはガレス・レイス特務大尉のことだ。それと、貴様は人の神経を逆撫でするな。敵を作りたいとしか思えんぞ、貴様の言動は」
「おやおや。わざとではないのだけどね。まあ、子供の姿をしてるとキツいことを言われることが多くてね。言い返しているうちにこんな口調を身に着けてしまったよ」
「かわいくない子供だな。甘えたいとは思わないのか?」
「恋人同士の甘い会話ならベッドの上でたくさんしてるよ? 教えてあげないけどね。いや、最近は忙しくてベッドにも入れてなかった。今日くらいは”寝よう”かな。あの子たちも、少しだけご無沙汰だしね」
ルナはぺろりと唇を舐め上げる。ぞっとするような色気のある仕草だった。
「――」
少佐は首を振る。さすがにこんな小さな子供を相手にするような趣味はない。普通の女の子をかわいいと思う感性はあるが、ルナは別だ。
自らが人でないことを隠そうとしない錬金術師。治療と名目を掲げ、否……掲げもせずに大手を振って人体を切り刻む。ルナが捨てた、誰かの身体のパーツのことは知っている。そこに、何も怪我のない部分まで含まれていることも部下の調査で分かっている。
「さて、与太話に時間を使わせては申し訳ないね、少佐殿。ガレスのことだったね。彼も、僕の改造手術を受けた一人だ。手術の完了時刻はおよそ15時間後、更に48時間の睡眠をもって起動する予定さ」
「……私は臨時大佐だ。そして、ガレス特務大尉は――その、生きているのか? なんだ、失敗して失われてしまう可能性もあるのではないかという心配もあってな。いや、普通の手術とて絶対に生き残るというわけでもないからな」
「そんな言いにくそうにしないでかまわないさ、少佐。だが、手術というにもランクがある。例えばガンの切除手術であったら、医者の腕がどんなに良くても100%の成功率は保証できない」
「臨時大佐だ。――では、特務大尉は!?」
「おっと、説明が下手ですまないね。ガレスはすでに選ばれている。ただ薬を使って適応を早めているだけのこと。危険のある手術ではないんだよ。この『地獄の門』で、そうさね――100年も戦い続ければ同じ場所にたどり着ける。僕は時計の針を進めただけ、命が脅かされるようなことではないよ」
彼は一瞬だけ黙って、視線を他にやる。
「100年……なるほど。アレは」
「……へえ」
ルナが失言を嗅ぎつけてニタリと笑うと、彼は慌てたように否定する。
「なんでもない、忘れてくれ。特務大尉はすでに手術に成功している、今やっているのは投薬による回復という認識で違わないか?」
「まあ、何もやらないと100年かかるのをないことにすればそういうことでいいのかな……? まあ成功率は100%だ、そこは心配しなくていい。もちろん、それは『黄金』の所有者であり、戦い続けてきた彼であればこそだが」
「これは言っていいのかは分からないのだが」
「……」
ルナは頷いて続きを促す。
「君の手術の成功率はあまり高くないと聞いている」
「それは一方的なものの見方だね。僕としては意思確認ができない人の手術はやりたくなかったんだけど、頼まれてしまったからにはしょうがない。すでに死んでる人だの、頭の一部が欠けてる人だの含めて計算すれば、そりゃ成功率は下がるさ」
「……こちらでの医療技術で救えなかった者を治療していただいたことを感謝する。優先順位を付ければ、捨て置くしかなかった者達だからな」
「いいよ。それに、生き残った人は更なる改造を受けてくれて立派に働いているからね。彼らに手足を授けた身としては感無量さ。僕らは子供なんて作れないからね、中々に感慨深い」
「子供が……? いいや、なんでもない」
「おや、これはこれは。僕も失言だったね、忘れてほしい」
「私は何も聞いてませんとも。では、これからも砦を守るため、協力して頂きたい。ルナ・アーカイブス殿」
「もちろん、君たちが諦めない限り力を貸そう。少佐」
「……臨時大佐です」
そして、アルトリア。ルナに全治1週間と診断され、ならば3日で治すと言い放った彼女。この二日目の昼は、ポッドの中でぷかぷかと浮かんでいなければならないはずだったこの女は。
「……うむ。調子が戻るまでにまだかかるな」
とある一室で組み手をしていた。殴る蹴るの動作は魔導人形が最適化してくれるが、生身で基本動作を習うに越したことはない。
なにより技術面が問題なくても、そう使えるように身体を鍛えなくては、今度は生身の身体が弱点となる。そこを中身を武人にしてまで完成させたのが民主国の兵だが、教国では5年・10年とかかるそれなどやっていられない。
最新の筋トレと実践込みの講義で、それなりのレベルにまで促成栽培して修了するだけだった。が、一応教えはするのだ。リハビリや運動にも丁度良いし。
「ぐぐ。……もう一本、お願いします!」
倒れ伏していた若者が立ち上がる。繰り出したのはリーチの長い蹴り、がっしりとしたこの男に比べれば背の低いアルトリアには有効だ。
が、最低限だけ避けて相手の胸に手を当てる。その瞬間に相手はひっくり返っていた。
部屋をいきなり訊ねたアルトリア。そして舐められるわけにはいかないと得意の威圧をする教官。アルトリアから差し出した手を握った瞬間に、合気で地に沈められた。
「なんだ、教国の兵は生身だと弱いな」
その言葉を皮切りに始まった大立ち合い。偉そうでムカついていた教官を倒したことはスカっとしたが、これだけ舐められて黙っていられるはずもない。
次々に掴みかかって行っては投げられ、そして後ろに座って見ていた者たちもアルトリアに誘われてはしょうがない。記念に一度投げられようとばかり掴みかかって……結果、室内に居た17名全員が地に伏した。
「まあ、生身の武など所詮は余技的な意味が強いが……もう少し歯ごたえがないと慣らし運転にならんな」
重い病状の身体で、17名の軍人を叩きのめしたアルトリアは涼しい顔をしている。人間かと疑うような光景だが、実際に彼女を人間のカテゴリに含めていいかは議論の余地があるだろう。
「抜け出して、何をするかと思うておうたら……あまりヤンチャするものでないよ」
「……む。アルカナか。ルナはどこだ?」
扉を開けて、アルカナが現れた。呆れた顔をしている。
ルナのところにアルトリアの身体状況をモニタしている装置から警告が行き、そしてアルカナがやってきた。
ルナはまだまだ忙しい。まだまだやるべき仕事が残っている。いくら傍若無人でも責任者に説明くらいするし、手術も残っている。
「ルナちゃんなら砦の主殿と話しておるよ。お前がポッドから居なくなるものだから探しに来たのだ」
「それは済まなかった。が、迎えに来たのはお前か……」
「文句がありそうじゃな。しかし、一言二言 言いたいのは妾の方じゃ。何が悲しくて貴様の尻など追っかけなくてはいかん。筋張っていて、硬くて、無駄にでかい」
「貴様には、尻に触れるのは犯罪だと言うことから分からせなくてはいけないらしい。ルナにいやらしい手つきで触るなら……」
「くふ。ルナちゃんを生娘とでも思うておるか? 妾はあの子の全てを知っておるぞ? それこそ……」
「――聞かんと言った」
神速。人の頭など容易に砕く一撃が走った。
「やれやれ。やめろやめろ。せっかく形が整ってきた中身がまた崩れ出すぞ。無駄にルナちゃんを心配させるでないわ」
が、アルカナには効かない。ルナのように人間の域にまで防御力を落としていない。素の防御力だ。
「まったく、貴様には呆れるばかりだ。まあ、我儘を言う齢でもない。素直に帰るとするか」
アルトリアは部屋に帰り、アルカナはルナの元に向かった。