第36話 喧嘩屋の葛藤
騒ぐ声が、砦の奥の一室にまで響いてくる。楽しげな声だ、混ざれないのが残念に思うほどに。アルトリア達に明け渡されたそこは、もともと上級将官用の客室だった。
シックなホテルのような誂えだったそこは、今や怪しげな錬金術の実験室と化していた。
アルトリアの眠るポッドが中央に。それは緑色の液体に満たされ、中の身体にはチューブが繋がれている。期待する光景があるかもしれないが、その下から3分の2までは布に覆われているから男子を部屋に入れても問題はない。
ガニメデスは疲れ果てて床で寝ている。戦場でも彼はファーファに守られていて、実は何もしていないのだが。まあ、ベッドをファーファに譲っているのはせめてもの誠意だろう。
そして、相手が歓迎する雰囲気があっても別々の部屋で寝るほど不用心ではない。ルナがそこらをほっつき歩いているのは、単に刺客を返り討ちにできるからだ。
「――イヴァン、来い」
ベディヴィアがイヴァンを扉の前まで連れ出した。まあ、二人は寝ているのだが気分と言うやつだ。そして、やはり遠くには行けない。
「んだよ? また、さっきの話かよ」
不貞腐れた顔をしている。事実、イヴァンは先の戦いで荷物下ろしで戦線への到着こそ遅れたものの、上級奇械を複数破壊していた。傭兵としては一流の戦績だ。
ゆえに、自分も戦えると言う気概を持っている。それだけの力を実感していた。もっとも、小型の『スパイダー』型にすら手間取っていたのは昔の話、見違えたその力についてよく考えることはなかった。
ただ速く走るだけでレールガンの照準から逃れ、ただ木の棒のごとく剣を振れば奇械どもは爆散した。その強力な力を、何も疑問に思っていない。
「それはもういい。もはやお前は日常になど戻れないようだからな。……それも覚悟の上か?」
「……? なんのことだよ」
イヴァンの顔に疑問符が浮かぶ。
「それが貴様の選択であれば文句はないがな。しかし……お前はどうも何も知らないようだな。哀れにな」
「おいおい、待てや。自分で納得してないで分かるように話せや」
「貴様はすでに人間ではない。それは、一部では『聖印』と呼ばれていたかな。オリジナルの、それも『黄金』位階ともなれば凄まじい力を持つ……その力は操者にも及ぶことは知られている」
「何言ってんだ? 馬鹿かよ。そんな余計なもん要らないね。自分の力で勝負するのが”漢”ってもんだろうがよ」
ベディヴィアは反論を聞きもせずに淡々と話を続ける。
「基本的に、こいつの進行は遅い。しかも、異能を使えもしないお前では特に何も影響はなかったはずだった。だがな……イヴァン。貴様は今の自分を人間だとでも思っているのか? 確かに空を飛び地を駆け、鋼鉄を引き裂くその力は魔導人形の力だろう。が、引き抜かれた腕が治るなどどう考えても人間の所業ではないだろうに」
「……俺が人間じゃねえっつうのか?」
流石のイヴァンも厳しい顔になる。何も覚悟などしていない、初耳なのにもはや自分が人間ではなくなってしまったなどと。
確かに力が欲しいかと言われて首を横に振るかと言えば否だろうが、そういう問題ではない。何も聞いていない。
「思い切り握りしめてみろ。ただのペン立てだが、金属製だ」
「――ま、やってやるよ」
それは耳障りな金属音を立てながらへし曲がった。明らかに人間技ではない、まだ魔導人形は着ていないのに。
つまり、それは異常な力を持った証である。人を外れた証左だった。
「理解したか? お前には短期間ではあり得ないほどの聖印が刻まれている。何をやらかしたか、吐け」
「いや……特にやったことなんて。そういや、嬢ちゃんに治癒してもらったっけか。あんたにちぎられて腕やら足の調子が悪かったからな。でも、治してもらっただけだぜ?」
「原因はそれだな。アレは魔女だぞ? イヴァンお前も馬鹿なことをしたものだ、奴が人間の尺度で動くものかよ。奴にとっては人間の身体など柔く脆い病巣のようなものだろうが。いい加減の足手纏いを”直して”もらったんだ、感謝しておけ」
「待てよ。俺は人間だぞ。俺は、人間として戦い抜く。それが漢だ。漢の誇りだ。……その誇りを汚すのは誰であろうと許さねえ」
イヴァンはベディヴィアの襟首を掴み上げる。睨みつけるが、掴まれた方は意にも介していない。自らを掴むその腕を冷たく見下ろしている。
「ならば、本人に言うことだな。俺としては納得できたから、もういいさ。その聖印の量ならばもはや日常には戻れん」
「――アイツはどこだ?」
「……分かるだろう? あいつは反応を隠していない。今のお前ならば魔導人形を纏わずとも探知が可能だろうさ」
「向こうか」
イヴァンが走っていく。すぐにそこにつく。どこまでも人外の脚力だった。……”外”で一人黄昏ている彼女のもとへ。
「おや、珍しい。君が自分から来るなんて」
けらけらとルナが笑う。パーティから離れて一人黄昏ていた。そういうものが好きなくせに、自分がその一員になると居心地の悪さを感じる矛盾。
それはまあ、人間だの非人間だのではなく、ルナがボッチ体質だからなのだろうけど。
「ベディヴィアに聞いたぜ。俺に聖印とやらを刻んでくれたんだってな」
「……聖印? ああ、強化措置か。初心者を戦場に連れ出したのでは卑怯者の誹りは免れないだろう? それに、傭兵ギルドから証まで貰ったんだ。それくらいの力は、ねえ。最低限に届かずとも、ないよりマシだろうさ」
感謝しろと言わんばかりの言葉だった。イヴァンはルナの胸ぐらを掴み上げる。小さいルナだ、身体が浮かび上がって足が付かない。
「そんなもんは頼んでねえよ」
「うん? その不出来な身体を治してあげたんだけどねえ。気に入らなかった?」
笑うルナに邪気はない。けれど――イヴァンとしては許せない。それは”治す”なんてことではないだろう。
「治せよ。元に戻せ」
「直せ、と言われてもねえ。まあ、この場合は聖印を抜けばいいってことかな?」
ルナの手には刀が現れる。一閃した。
「っあ! がああ!」
腕がぼとりと落ちる。強くなったとはいえ、その戦闘技術は何も変わっていないのだ。それだけでは本当の意味で強くなどなれない。
「さて、後は左腕と右脚かな。不便に戻りたいのは理解できないけど、まあ、なんだ。レベル30からスタートするのは許せないタイプと考えれば、納得はできるかな?」
ルナは淡々と他も落とそうとする。後は適当に繋げて動けなくなれば元通りだ。……イヴァンにちぎられ、機能を失ったまま回復に相当の時間が要る。ルナが”やった”覆水が盆に帰る。
「……やめろ。こっちに来るな! 『デッドエンド・ダインスレイフ』! 俺を守れ」
叫んだ。イヴァンにはまるで訳が分からない。見た目通りに無邪気な幼女だと思っていたわけじゃない。けれど、彼はアルトリアとの一戦を見ていなかった。
こんな、仲間を斬るような奴だとは思わなかった。いや、その目は仲間などと認めていない。まるで、モルモットを見るような目だ。
「次は左腕かな?」
躊躇のない剣閃が走る。魔導人形ごと切り落とす気だ。
これは治療行為だ。”元に戻す”のならば腕を一度切り離した上で聖印を破壊する必要がある。もちろん、ルナの異能ならば聖印を破壊できるし、手足を落とすのは暴力があれば誰でもできる。
「――やめろ!」
そこにエメラルド・ガーディアンが割り込んだ。その異能は『バリア』。ルナの一撃とて受け止められる。それが結界を破壊するために振るわれたものでないのなら。
「その刀を降ろせ! 我々は仲間だぞ、ルナ・アーカイブス!」
ガニメデスがイヴァンの危機に駆け付けた。彼は不穏な空気を漂わせるベディヴィアとの話を聞いていた。そして、後を付けて追いかけた。
「いや、別に殺そうとしていたわけではないけど……」
「やはり殺す気だったのか? 役立たずは死ねというのか!? 違うと言うのなら、答えて見ろ!」
「んん……まあ、勘違いでもないのかな? 力なき者は死ぬ。戦場の掟だ」
「ならば私が守る!」
ルナはくすりと笑う。別に殺す気なんてなかったけれど、ここでガニメデスを見るのも悪くない。
こいつはただ異能を知っているだけ。実際のところファーファの『アルテミス』があれば、彼の力は必要ない。事実、先の戦場でも何もしていなかった。
「守れるかな? 君に」
ほら、ルナの一撃で結界ごと切り裂かれた。わずかに切り裂かれた頬から血が流れる。
割り込みして斬線をずらさなければ、耐えられないほどの一撃だ。今のガニメデスでは受けた攻撃を逸らすことも、ピンポイントでの結界強化もできない。
「――そして、一撃を防いだだけでは意味がない」
重ねての攻撃が来る。今までのガニメデスではどうしようもなかった。
「守るんだ!」
ゆえに、連続発動を可能とした。誰かを守るために無茶をする、青臭いが、案外どこでも通用するのだ。
「けど、勝ったと思われるのも癪……」
次の斬撃を繰り出す――はずが、動きを感知して止める。
「そっちがその気ならなアアア!」
イヴァンが殴りかかる。だが、ルナはそれで殴らせてくれるほど優しくない。
治療行為と称して斬りかかる幼女はどうしたらいいか分からないが、ただ斬りかかる幼女ならぶん殴ってしまえばいい。
意味の分からない状況から、意味が通ればイヴァンは迷わない。
「だが、僕が刻んだ聖印は三つ。そして一つ潰した。残り二つでは、あくびが出るぞ」
そして、一度敵意を向けた者にルナは容赦しない。
壁になっているガニメデスはグレーゾーンだから殺す気はない。けれど、拳を握って自らに向かうのであれば殺す。解体してその核を貰うことにしよう。最初からルナは、イヴァンには相応しくないと思っていた。
「知ィるかァァ!」
逆の手がルナを殴り飛ばす。斬り落としたはずの手だった。そして、それは聖印が二つでは足りないはずだった。それだけの回復能力など望めない。
ゆえに答えは一つ。浸食が進み、ステータスが上がっている。ルナを殴れたのはそのためだ。
「俺は! 俺の力で進む! それが〈漢の花道〉と、憶えて行きやがれ!」
天を指さし、宣言した。そして、聖印の浸食を進めたのはイヴァン自身の力だ。一度埋め込まれ、そして失われた。ならば、同じことをするだけだ。それは、初めから機能の一つだから。
「……ちょっと意味が分からないのだけど。まあ、納得したのなら良かった」
ルナは身体をバネのように跳ねさせ、立ち上がる。ぱんぱんと、ドレスについた土を払う。ダメージはない。
「へん。もうテメエにゃ何も頼まねえよ」
「あ、そ。別に、好きにすればいい」
「――?」
何やら終わったような雰囲気が流れるが、ガニメデスにとっては全てが謎だった。誰か説明してほしい。
「じゃあな、ガキんちょはさっさと眠っちまえ」
「とはいえ、僕はまだ納得していない……歯を食いしばれ」
ルナがその顔を殴り飛ばした。イヴァンは打ち上げられた魚のごとく地面に転がる。
「おやすみ、イヴァン」
ルナは飽きたみたいにどこかへ行った。
「……あ、イヴァンの残りの聖印を破壊するのを忘れてた。ま、いいか」
ぽつりと呟いた。
『聖印』はいきなり出した単語ですが、この世界観に共通する概念です。改造人間は基本的に外科的、錬金術的に”魔力を身体になじませている”に過ぎません。
改造手術も、アルトリアがルナ戦の後に強くなったのも、全ては魔力を身体に通しているだけです。それぞれアレンジを加えているため、翡翠の夜明け団では『進化薬』、魔導人形は『聖印』と呼称しています。
つまり、表面的では様々ですが、共通する心理としては同一です。