第3話 異変 side:アリス
ルナ様がおかしい。
いきなり「……死ぬ!」なんて声を出したものだから急いで行ってみれば、頭を撫でられた。
ルナ様から触られることは図書館でツンツンされるときだけだった。今まで無表情だったのに、変になってからは表情豊かに、色んなものに驚いていた。
アルカナの奴に舐められている時なんか、頬を染めて逃げる気もないのに逃げようとするフリだけしていた。あんな醜態は、以前では考えられなかった。
いったい何が起きたんだろう。そんな疑問が浮かんだけど――
「それは――べつに、どうでもいいよね」
そうだ。私たちはルナ様に言われるがままに魔物を倒し、この【エッダの箱舟】を築き上げてきた。言われたことしかやってないし、それでいい。自分の意志で動く必要などどこにもない。
今はルナ様の部屋でずっといっしょに居られる。それ以上望むことなんて何もない。そもそも何かがほしいと望んだこともない。
――閉じた生。ルナ様の近くに侍り、命令に従う。それだけでいいし、それ以外は必要ない。
「ふむ。緑、つまりは酸素があるということ。これは知的生命体が存在する可能性を示す。どころか――”人間”すら存在していることもあるだろう。この転移が誰かの意志によってもたらされたものなら、意思疎通が可能な生命体がいるはずだ。神の被造物が居たとして。そして、それらを害する殲滅対象があって呼び出されたのなら、目につかないのはおかしい。それはたぶん、巨大で暴力的なはずだから」
船の下の緑を見ながらルナ様が考え事をしている。これも変。だって、いつもは椅子の上にふんぞり返って微動だにしていなかった。
確かに移動するときは歩いていたけど、それも機械みたいな動きだった。なんだろう、これは――人間らしくなった、とでも言えばいいのか。
「ルナ様、もっと」
こんなふうに頭を撫でてくれることなんてありえなかった。苦笑して、動きを再開することも。
「アリスはどう思う?」
「……?」
首を傾げた。何を聞かれているかよくわからなかった。頭を撫でられるのはとても気持ちがいいけれど――そんなことを聞いているのではないだろう。
「この緑を見て、どう感じる?」
「……みどり」
空中ディスプレイに投影された木々を見る。どう感じるも何も――
「みたことないから、どれがなんなのか――わからないよ?」
「種類を聞いてるわけじゃないんだけどな。目に優しいとか、安心するとかないのかな」
「……なんで?」
背景は背景だよ。何が変わったのかわからない。いや、他の世界で見た灰色とは違うのはわかる。けれど、その違いは特に気にはならない。
どうでもいいものだ、それは。
「いや、なんでと聞かれても――」
「ルナ様は植物がすきなの?」
そうは言うけど、背景は背景でしかないと思う。砂漠は砂漠で、廃墟は廃墟。初めて見たけれど、それが植物であっても何も感じない。……どうでもいい。
「そうだね。砂漠よりは、よほどいい」
「そう」
なら、私も植物は好きかな。ルナ様が好きなら、私も好き。
「ルナ様。このせかいは、ほろぼすの?」
「……しないよ」
ルナ様は少し考えて、そう言った。どのみち、私たちはルナ様の言葉に従うだけ。今までは渡った世界をすべて滅ぼしてきたけれど、この世界を滅ぼさないというならそうする。
ただそれだけだ。そこに矛盾はなく、何かを考えることもない。
「ねえ、ルナ様?」
「何か不満があるの? アリス」
「あるわけないよ。でも、ルナ様にはふあんがあるのかな、と思って」
「なんでそう思うのかな」
「だって、ずっとここにいるから」
「調べ物をしているだけだよ」
「アルカナのやつにされたこと、気にしているんじゃないの?」
「……奴、って」
「ごめんなさい」
ルナ様はこの言葉遣いが気に入らなかったようだ。次からは使わないようにしよう。
「でも、気にしてるんでしょ? いやだったら、私が――」
始末するよ、という言葉は飲み込んだ。
「嫌じゃないよ。ただ――ちょっとびっくりして。少しだけ時間がほしかったの。でも、大丈夫だよ。ちゃんとみんなとお話しするよ。僕はルナ。この【エッダの箱舟】の主にして、ツクヨミ騎士団、団長。だから、僕は……」
ここで言葉を切って、私を見た。
「……?」
「僕が背負う。僕が決める。みんなのことが大好きだから、絶対に大丈夫。僕が生きたい場所はここだから。だから、アリス。そばにいてね」
「はい!」
「さて、僕は疲れてしまった。もう寝るよ」
「はい!」
私の頭から手が離れる。少し残念。で、ルナ様は動かない。どうしたんだろう? ベッドに行くんじゃないのかな。
「……あの」
ルナ様が不思議そうにしている。……ああ!
「ひざのうえにのったままだと、うごけないよね」
ベッドの上に移動する。ルナ様は目をぱちくりさせて驚いている。何やら葛藤した後におずおずと口を動かす。……とてもかわいいと思う。
ルナ様はよく私のことをかわいいといってくれるけど……一番かわいいのはルナ様だと思う。
「あのね、アリス。近くに人がいると眠りづらいから、自分の部屋で寝てほしいな。……ダメ?」
「あう……」
上目遣いに見つめてやると慌て始めた。このまま押し通せばいけそうな気がする。でも――ホントに困ってるみたいだし。
「だめ?」
もうひと押しだけ。
「うぐ……!」
ルナ様、百面相を始めた。
この体は幼女だから別にいいのかな。でも、元々は男だし犯罪なんじゃ。いや、でもこの子が望んでいることだし。というか、それは完全に犯罪の道……いや、でも……違う。僕は男おとこオトコ――でも、この子のためなら女になっても……いやいやいや、変な方向に向かうな。僕……
そんなことを呟いているのが聞こえた。
そして、あごに手を当てて更にぶつぶつ言い始める。……そう言えば、ルナ様の言う”男”ってなんだろうと少し疑問に思った。
「ルナ様、ごめんなさい。こまらせて。ひとりでねるね、おやすみ」
困らせたら嫌われるかな? そう考えたらとても悲しくなって――私は外に出た。私は私の部屋に行ってさっさと眠ってしまおう。それには何の意味もないけれど、時間は早く過ぎるから。