第2話 夢じゃない
これは――夢じゃないな。僕はそう結論した。
アリスを撫でる手を止めずに考える。
さすがに6時間以上もこんなことをしていれば、他のことにも思考が向く。夢だと思っていたから髪の感触を楽しんだり、匂いをかいだりしていたけれど――さすがに、6時間以上も夢を見続けるのはおかしい。
まあ、原理的にはおかしいところなんてないのかもしれないけど、経験上夢を見たとしても中身は10分程度だった。それ以上は見たことがない。
それも、ここまで感触がはっきりとした夢なんてありえないと断言できる。経験則でしかないけれど。
痛みがないにしても、”これ”が人間の体ではないからというだけで済む。
終末少女――VRゲームでも何でもないポチポチゲーだから実際の戦いは想像しがたいが、世界をも滅ぼせてしまうような魔物をただの5人チームでのべ万単位になるほどなぎ倒し、その素材から無数の装備を作り出し、魔物のカードを創造して取り込み、秘薬により何段もの進化を経た存在だ。
そんなもの、チート以外になんと呼べばいいのか。そのスペックを持っているとしたら、この異常も説明できる。
「何にしても、善後策を考えようか」
まずは地理が知りたい……思った瞬間に頭の中に船内の3D地図が展開された。
もはや頭の中にグー○ル先生がいる気分だ。まあ、どちらかというと脳内電子書籍に収められたマニュアルか。検索かければすぐに飛べるから扱いやすい。外側を向いたカメラを検索、そして映像を部屋の空中プロジェクターに表示する。
頭の中のモニターに映すこともできれば、こうして機械を使うこともできる。つくづく、人外の身体である。
「外には山が広がっているのか。まあ、今は後回しかな」
とりあえずは、船内のことをなんとかしなきゃならない。
外より中だ――終末少女は僕を含めて全部で12人。攻撃力が一番ヤバイのはここにいる無害なアリスだけれど、それはあくまでゲームシステムの範囲ででしかない。
全員が全員、殲滅力という意味では十分ヤバイのだ。それから先は本人次第。最低限の力があれば、あとは扱い方しだいというのがこの僕の持論である。まあ、ジョジ○の影響だろうけど。
そういうわけで、少し歩き回ろうかと決心する。船内に地図との誤差がないか調べたい。あと、他の子と会うなら一対一がいい。会ってない子まで信頼する気は――さすがにないから。
「おさんぽ?」
立とうかな、と思ったらアリスが首をかしげる。できれば一人で回りたいのだけれど。
「アリス。ちょっと待っててくれる?」
「……ヤ」
首をふるふると振る。かわいい、じゃなくて危険かもしれないんだけど。
「えっと……」
「いっしょに、いく」
その目は絶対に譲らないと言っていた。
「ああ、うん。行こうか」
そういうことになった。まあ、しかたない。かわいいアリスのおねだりを断るなんて、できやしない。
「じゃあ、始めはアルカナのところかな」
彼女のモデルは”吸血鬼”。
そう、終末少女にはそれぞれモデルが設定されている。終末少女の本体は図書館に収められた本、そしてそこに記載された情報である。
もっとも、吸血鬼といっても終末少女そのものに生殖機能はない。だから、同族はもちろんゾンビなんかを作ることもできないわけだが――逆に狼に蝙蝠という定番どころならいくらでも作れる。
生命ではなく命のない操り人形、もしくは武器とも呼べる存在だが。ネズミ算でなくとも際限なく生み出す人形はそれだけで厄介に過ぎると言えよう。
あの子が敵に回れば、この船を制圧することもできるはずだ。
このアリスはただ破壊するだけだから。ちなみにアリスのモデルはキメラだ。よくわからないお人形のような継ぎ接ぎのナニカを召喚して戦う。
たぶん、本気を出せばこの船など一撃で沈められてしまうだろう。返す返すも、僕に好意を持ってくれていて助かった。
「さて、僕の運命やいかに……なんてね」
そう、アリスに聞こえないようにつぶやいて……予想は裏切られることになった。
「ご主人~~。いい香りじゃあ~~~」
ものすごい勢いで嗅がれている。というか、木に登るサルみたいにぐるぐる体の上を回られている。というか、身長はこの子のほうが大きいくらいなんだけど。……器用だなあ、と呆れかえる。
「……いい加減にやめてくれないかな」
この子もいい香りを全身から発している。こちらが嗅がれる側だけど、ここまで密着すれば匂いも柔らかさも十分以上に伝わってしまう。
そして、アリスにはない豊かな胸がたゆんたゆんと当たりまくっている。
ただ……この恥ずかしい吸血鬼とは五十歩百歩の思考とはいえ、僕は口に出さないだけの分別はある。というか、甘やかされている小さい子みたいで純粋にすごく恥ずかしいという思いもある。
はたから見れば甘やかされる子供だろう、これ。……いや、変質者に付きまとわれる幼女か? お巡りさんを呼んだ方がいいのだろうか?
「ふ、笑止。止めたいのならば力でもってなすがいい。しょせん、この世は弱肉強食――やるべきことも、望んだこともすべては力で押し通すしかないのだから」
キリ、と顔を作っている。こいつは恥など一切感じていないようだ。
上気して赤くなった顔でひたすら顔やら腕やらをなめまわしている。舌の感触が肌から伝わってきてヤバイ。
これ、男の身体じゃなくてよかったかもしれない、などと血迷ったことすら思い浮かぶ。つうか、こんな性格だったのかコイツと睨みつける。 キャラストーリーでは猫を軽く3重はかぶっていたようだ。高校生くらいの可愛い……しかし人を食ったような女の子、というような雰囲気はすでにない。
「うん、かっこいいことは言わなくていいから」
とりあえず、アリスを手で止める。
アリス自身はおろおろとしているだけだが――後ろで馬とライオンをつなぎ合わせたような異形の人形がグルグルうなっている。
それ、エフェクトからいってビルくらい簡単に消し飛ばせる代物だったよね?
「ふふっ。頬を染めるご主人の顔は格別じゃなあ。だが、ほれ――汗の味は嫌がってなどいないぞ? 甘露甘露。くく、これほどうまいものも他にないのぉ」
「にゃあああああああ!?」
背筋がべろって! ぞくっとして、わけがわからなくなる。
思い切り腕を振り回したくなるけど――さすがにアルカナに当てられない。普通の人間にあてればつぶれたトマトのようになってしまう。
「やめないと怒るよ!?」
具体的に何するかは全然思いつかないのだけれど!
「ふっふっふ。――断る!」
断言した。迷いがない。
「アルカナ。ルナ様がいやがってる」
アリスが抱えるかわいらしいふぐ? の人形が口らしき部分をガバリと開く。いつのまにか代えたらしい。光が集まっていく。収束砲、じゃなくて――
「アリス、ストップ! 船内でそんなの使わないで」
穴が開くから! 一直線の穴が。
「うん、じゃあ――こわさないようになぐるから」
アリスは抱えていたフグを地面に落とす。落とした人形は地面に当たる直前で消えて、代わりに後ろに人間みたいな部品がついてるロボっぽい人形が立ち上がる。
……これ、僕ごと潰す気じゃないか?
「そういう過激なのはいいから!」
「ふふん、表情ができて、本当によくなったものじゃ。無反応なのに舐め続けても面白くなかったからの。いや、本当にうれしいよご主人」
やっぱり、この子は変態だと得心した。
そして、アリスと違って胸が大きいためすっごい当たる。柔らかいものが身体に当たってぐにぐにと変形しているのが伝わってくる。当たってるから気になるんだけど!?
「……」
なんか、人形の殺気が強くなった気がする。
「えっと……降りてくれない? 本当に」
「かっかっか。まあ、アリスを本気で怒らせてもなんだからのう。今日のところはここらが引きどきかの。で、ご主人様よ――何しに来たのじゃ? 指令ならいつものように図書館にでも呼び出せばよかろうに」
けらけらと上機嫌に笑うアルカナは僕を放して一歩後に下がる。
そのままスカートをつまんでくるりと一回転、カツンと足音を立て直立し、八重歯を見せてにやりと笑う。それは舞台の一幕のような光景だった。
「様子を見に来たんだよ。僕の様子が変なのは見てわかるだろう?」
「なるほどの。まあ、わしの身体に異常はない。それに様子もいつも通りじゃろ? なあ、アリスよ」
「うん。でも、いつもはもっとおとなしかったよ?」
アリスがじとっとした目でアルカナを見ている。しっかりものの子供がちゃらんぽらんのお姉さんを叱っているような光景。……眼福だ。
「いや、ご主人様のかわいい顔がころころと表情が変わるの見ておるとテンション上がっての。ま、引き際はわきまえておるよ。ご主人様に嫌われたくはないからの」
「なら、すこしはおちついたら?」
「それはできん相談というものじゃ。ぬしとてわかるじゃろう? しょせん、わしとおぬしは同じ穴のむじ――」
「ロボ君、ごー」
ロボットのような綿っぽいナニカがアルカナを踏み潰した。
「……アルカナ!?」
「大丈夫じゃよ。しかし、こんなじゃれあいはよくあることじゃろうて――いや、ご主人の前では控えておったか」
紙のように潰れたアルカナがぴょんと立ち上がる。ダメージはないというのが頭の中で表示される。さすがグー○ル先生。
「もんだいないよ。ほんきでやってないから、きずつくほどのダメージじゃないもの」
「それでいいの? 痛くない?」
「くく。苦痛など――五感のうちでは最も弱く儚いもの。特段苦しいと感じたことはないの。いつぞやの醜悪な匂いをまき散らす魔物こそ苦慮しておったよ。いや、わしアレだめ。人一倍鼻が利くのも考え物じゃな」
ひらひらと嫌そうに手を振った。
「ああ、『赤玉螺旋花ラフレシア・プレシア』か。アレってそんな酷い匂いなのか? あいにくと、嗅覚を使った記憶もないが」
そのモンスターはSSRレアだ。説明文に臭いとか書いてあったのは珍しいから覚えている。
ゲームではアクセサリー扱いだった魔物カードはガチャやイベントで手に入り、大体は敵キャラが流用されている。ラフレシアもイベントのレイドボスで、ランカー報酬だ。もちろん持っている。
「酷い臭いじゃったの。いや、あんなもの取り込みたくないからの。やれといわれなくて助かった。感謝しておるよ」
いや、終末少女はああいう毒とかデバフ系はレベルが上がると意味がなくなる脳筋ゲーだったから。そういうことを考えて装備させなかったわけじゃなかったんだけど。と内心では思う。
まあ、喜んでるなら口に出さんでもいいか。と決めた。
「うん。あれはやだ」
アリスがこくんと真剣な表情でうなづいた。ああ、うん。そういうことなら今度から気を付けます。
「僕はそろそろ退散するよ。アルカナ――また今度。うん、次はほどほどにしてね?」
「うむ。ほどほどにはとどめるよ。ほどほどに――のう」
くっくっくと悪い表情を見せる。ああいう表情もいいな、なんて思うのは体が幼女になっても男の心がちゃんと残っている証かな。
「もう、いこうよ。ルナ様。かくにんはすんだでしょ?」
アリスが腕を組んでくる。
「最後に一つ。何かあるかもしれないから、心構えだけしておいて」
そもそも状況が分かってない。ここがどこかということでさえ。それは――この子たちにとってはいつものことかもしれないけど。
「うむ、確かに……のう。――緑なぞ、初めて見る。ここは確かに今まで滅ぼしてきた世界とは違うようじゃ。だが、わしらはご主人に従うだけじゃて。滅ぼせというなら滅ぼす。待て、というのならいつまでも待とう。ま、やれるのは露払いくらいではあるがの」