第16話 シェルター
息を切らせて走ってきたのは初老の男だった。後ろには若い男がついている。なにか会社の上司と部下を連想させる光景、というかそのままだった。
「――まあ、女子供から先に……ってのはタイタニックでもあるまいしってことかな」
ルナは自分にだけ分かる言葉で呟く。
災害現場でよく聞く言葉だ、「女子供から先に」と言うのは。だが、実を言うとここを見渡しても男の方が多かったりする。
これは、別に女子供を蹴散らしてでも逃げようとした不心得者が多かったわけではない。
単純に、女子供を逃がそうとした男は皆死んだだけの話。家族連れを見ないのがその証拠だ。健康な男で、さらに足手まといも居なかった人間だけが生き残れたという救えない話だった。
けれど、そんな奴は生き残ったところで。というやつだ。家族が居れば彼らのために頑張れただろう、けれど……今ここにいる彼らには誰も居ない。守るものがある人間から死んでいった。
それでも、アハトのようにただ殺意だけが残るわけでもない。ここに居るのは絶望と諦観に支配された終わった人間たちだった。
アルトリアが先陣切って話しかける。
「私はアルトリア・ルーナ・シャイン。かつて【戦姫】と呼ばれていたと言えば分かるだろうか」
初老の男が答える。着ているのは黒の上下スーツ。身なりはまだマシに見える。この太陽すら差さぬ地下で、なんとか努力をした跡が見える。埃は落とされ、シワもできる限り伸ばしてある。
「……”あの”姫君か。――いえ、失礼。私はケント・エクパーダと言います。助けに来てくれたのですか? 軍は?」
矢次早に質問を繰り出す。頬がこけていても、腹は出ている。もしかしたら脂肪のおかげで元気なのかもしれない。
とはいえ、この状況で元気を出せるだけでも大したものだろう。……ルナはその程度のことを評価しないが。ルナを筆頭とした面々は興味なさげに、てんでバラバラに明後日の方向を見ている。
「悪いが、そこらへんのツテは持っていない。来たのは私たちだけだ。どれだけの人が残っている?」
そして、アルトリアはにべもない。可哀そうな人々に同情して、慰めてやるなんてことはできない。それができていれば、人間関係ももう少し温かいものになっていたはずだ。
王は人の心が分からない、とはアルトリアが面と向かって言われた言葉ではないけども。
「なんということだ。……まさか、奇械が攻めて来るなんて思ってもみなかった。教国の奴らは何をやっているのだ。それに、もう一週間は経っているのですよ? 貴族院の奴ら、軍を動かさなくてどうするのだ」
足下を蹴り始めた。憤懣やるかたないという有様だが、怒れる気力がある分だけ良いか。
そして、まあ――軍について言うならその通りだろう。さっさとここを奪い返さなくては喉元にナイフを突き付けられた形になる。アルトリアが破壊したゲートが、軍勢を送り込み民主国の基盤そのものを破壊するはずだった。
「さてな。あいつらにも事情があるのだ、などと言えば良いか? この私が」
冷笑的に言う姫様を、初老の男は人を殺せそうな目で睨みつける。あまりにも皮肉な言い方だった。すべてを敵に回すことに何らためらいがない。
「……【ノストラダムスの姫君】! 滅びを予言していたあなたなら、我々を嗤うのでしょうね!」
「いついつ、と言った覚えはないのだがな。ノストラダムス等とは関係がないぞ、ただ戦場を見て分析しただけだ。それに、さっき言ったがこの惨状はあまり笑えないな。ブラックジョークにもほどがある」
世界の終わりを予言した狂人はこの世界にも居た。そして、あつらえたかのようにルナの居た世界の彼と同じ名前だった。もっとも、彼が予言した”いつ”など、この世界でもとっくの昔に過ぎているのだが。
「世界を救うと? だが、一人でどうにかなるものか! 確かにその男二人は魔導人形を持っているようだが……あのお子様は何だ!? 観光気分か? 役に立たんなら帰れ!」
指差されたルナたちは、全く気にすることなく指遊びを続けている。座り込んで、ちょんちょんと指を突つき合って笑っている。緊張感のないこと、この上なかった。
「……あいつらは、気にしないでくれ」
アルトリアは注意する気もなかった。とてもかわいらしくて、なごむ。が――目の前の男にとってはそうでもないらしい。
「やっぱり帰れ!」
「いや、私たちが帰ればお前たちは全滅だぞ? 我が国の軍隊など、それは言うまでもないからな。……お前だって、本当に助けに来てくれるなんて思っちゃいないだろう」
「……ぐぅ。だが、教国がいる。教国には我々を守る義務がある。なにせ、民主国は奴らが使う武器を作っている。そして、この街が滅べば堰が消えるぞ? 守りを失った民主国は早晩にも攻め落とされる。奴らは我々を救う以外に選択肢がない」
「教国についてなら、お前より私の方が少しだけ知っている。向こうにそんな余裕などないよ。効率を最優先しなくては生きて行くこともできない窮鼠だ。砦を作る必要があるのなら、一度壊して作り直す。リサイクル精神? ものを大事に再利用? 戦争をしているのだ、そんな感傷など大事にしてられない」
余裕がないからまだ使えるものでも捨ててしまう。……それは、おかしなことに聞こえるが発達した文明にとってはおかしなことではない。
現に、現代文明ではコンビニなどでは食品を大量廃棄している。再利用だの、食品を捨てずに丸々使うだのやっているのは時間のある”ご家庭”の中の話だ。経済活動の中に、そんな非効率は存在しない。大量に作って、大量に捨てる。それが最も効率が良いのだ。環境問題だの、もったいない精神だのと余裕を発揮しなければ。
そして、それは……”人間”にも当てはまる。当てはめてしまう。現代日本などとは比べることもできないほどに追い詰められたこの世界では。
「――違う! 誰かが……誰かが助けに来てくれるはずだ。【奇械】と戦う心ある者が……勇者が私たちを助けに来てくれるはず……ッ!」
大の大人が頭を抱えてうずくまる。人助け、とはなんとも心惹かれる正義の行いだが――誰かがそれをやってくれるなど自分勝手にもほどがある。
つまり、救われない。人は、自分のことで精一杯で世界をどうにかする余裕なんてないから。自分のことは自分でどうにかすべきと言う自己責任論だった。
「……」
その姿を前に、アルトリアは何も言えなくなる。なんと声のかけようがある? 頑張れと言えばいいのか? それとも情けないと挑発するか?
ルナを見ても……不思議そうな顔をするだけだ。ルナとしては、ありもしない救いを妄想するよりも、さっさと己の命を見切ってしまえばいいと思うだけ。
〈人生はプラスとマイナスがあって、最後にはプラマイ0になるようにできている〉などと言うのは、いつだってプラスの人間だ。本当のマイナスに落ちれば、もはや引かれ続けていくだけなのだから。――ならば、生きる意味はないと考えるのが合理的だろう。
「でなければ、おかしいだろう!? 奴らが、【奇械】が我々の街を襲った。先祖代々築き上げてきた全てを破壊した。次は救いが来るはずだ。来るのが悪魔だけなどとそんなことあるものか。だって……それはつり合いが取れないだろう」
「――」
かける言葉もなくて、肩を叩いた。そして、ルナに声をかける。
「トラックに食料はあったな? それで何か、温かいものでも作ってやってくれ。……私には、そんな女の子らしいことはできんからな」
「え……? 別にビスケットで良くない? スープ付きだよ?」
ルナは面倒くさそうな顔をした。
「――ルナ。お願いだ」
「ん。お姉ちゃんのお願いなら」
ルナは仲間を連れて出ていく。その際に顔を後ろに向けて言い残す。
「……ああ、そうだ。このシェルターをどうするのか決めておいた方がいい。奇械どもは指揮官を潰されたことで、一旦退却して体勢を立て直すつもりらしい。そして、生き残りの人間たちもここを目指して移動している」
すでにシェルターの機能は復活している。魔導人形では見通せないはずのものも、ルナには見えている。
「生き残りの人間が他にもいるのか!?」
「抵抗勢力があったらしい。劣勢ゆえに散兵戦術を取って逃げ惑っていたようだが……トラックは意外と目立ったみたいだね。まあ、その人たちの分も一緒に作ってあげるさ。どうせだからね」
「宜しく頼む」
出ていった先で、ルナは皆と料理をする。
周りに奇械はいない。だから、大胆に屋外で調理を始める。
「うん。じゃあ、コロナはお鍋に水入れて火にかけてくれる?」
コロナは炭と適当に拾った木材の上に鉄材を組んで水を張った鍋を置く。野外で火を付ける場合、面倒な手順があるものだが……コロナは口から火を吹いた。火力のおかげで雑きわまりない有様でも、問題なく火はついた。
火加減も上々、ぱちぱちと燃え上がる。コロナはそのまま火の番をする。なお、コロナにその役目を与えたのは食材を握らせたら砕いてしまうからだ。
「アルカナはアリスとお野菜をお願いね?」
二人は慣れた手つきで野菜の皮を剥き、ダイス状にカットする。二人はよくルナの手伝いをしている。基本的にルナが作るのはお茶会のための菓子だが、たまには料理を作ったりもする。
終末少女の面々に対する食育は諦めたが、それでも皆がお茶会の雰囲気は気に入っている。わざわざ指示を受け取るまでもない、二人は見ていて安心できる。
「プレイアデスは僕と……うん。肉の下ごしらえをしようか」
ため息を吐く。バランスを保っている瓦礫の上にシールドを置いてある。ラップでも張ってしまえば即席の台所だが、少々ルナにとっては位置が高すぎた。
それを作ったミラはその下で四つん這いになって期待に満ちた目でルナを見上げていた。
「――」
ルナはその上に立って料理をし始める。問題児には何も言えないという闇の縮図がここにもあった。
それはそれとて、手早く料理を進めていく。プレイアデスはパックを剥いて鶏肉を取り出してまな板代わりのシールドに乗っける。
「……ルナ様。首は?」
「ないよ、工場生産品だから。そもそもあってもお料理に首は使わないよ?」
それは完全に同じ形の鶏肉だった。自然に作られたものではない人工的な工場生産品だ。一匹一匹育て上げるなど、ロスが大きすぎる。肉を培養して作ってしまった方が速くて安い。
「黒焦げに……」
「魔術の触媒でもないからね?」
他愛のない話をしながら料理を進めていく。慣れたものだ。この分ではダークマターが出来る心配はない。
「はいはいはいっと」
危なげなく切って、調味料で下味をつけて鍋に落としていく。切った野菜も全て同じように。豪快な男らしい料理だった。
まあ、シチューを作るのなら鶏肉は焼いてから煮た方がうまいのだが……面倒なので省略した。どうせ不特定多数に喰わせる飯だ。
きゃらきゃら笑いながら皆で笑い合う。じっくり煮込んで完成だ。こういう料理は一度にたくさん量を作った方がうまい。かなり適当な作り方だったが、しかし空腹は最高の調味料とも言うだろう。ルナは適当に煮上がった鶏肉をつまんで口の中に放り込む。
「うん、中々に良い味に仕上がったかな?」
レジスタンスメンバーも集合し、アルトリアとシェルターのリーダーの話もひと段落が付いた。
奇械に襲われて滅んだ街。その生き残り達にとっては温かい料理などご馳走以外の何者でもない。それに、コロナとアルカナ辺りは見た目麗しい美女だ。感慨もひとしおで、地獄の中の蜘蛛の糸と言っても過言がない。
が――”リーダー”には、そんな一滴の幸運に耽溺するわけにはいかない。導く者として、安らぎを受ける暇もなく次へと進む必要がある。本当に、”リーダー”というものは損だ。
アルトリアにルナ、そしてシェルターのリーダー、レジスタンスのリーダーの4名が離れた場所で顔を突き合せる。