第12話 おふろ side:アルカナ
アルカナはルナをじっと見つめる。ルナは一糸まとわず、しかしそれを気にせずにはしゃいでいる。
ここは露天風呂――に見せかけた風呂場だ。入っているのは別に温泉ではないし、上に見える太陽はアルカナが再現した映像だった。木々のざわめき、そして心地よい風に至るまで……全てはアルカナの創造物だった。
「……ぐふふ」
覗いているわけではない。というか、アルカナは普通に女風呂に入っている。アリスと一緒に入るルナを盗撮するプレイはしたことがあるが、それはそれで良いものだ。ルナは頬を膨らませはするけども、怒らなかった。
そして、こうなるのもいつものことだ。しかしアルトリアは引いている――というか、叩き出そうとしたのをルナに止められた。
「くふふふふ……!」
ルナはパシャパシャと水音を立てながら犬かきをしている。真っ白なお尻がぷかりと浮かんでいる。
あまり行儀が良くないが、こう言った行為を好んでやりたがり、そしてアリスがその真似をする。小さな胸もお尻も晒されているが、あいにくアルカナはアリスのそれには興味がなかった。
「――ふぅ」
そして、その光景を見つめるものがもう一人。アルトリアだ。あの後、お願いしたら一緒に風呂に入ることになった。
アルトリアは三日も風呂に入っていない。対してルナは先ほどまで風呂に入っていたのに逆戻りだ。それでもこうまであどけなく遊べているのだから。
「……ねえねえ。お姉ちゃん」
ゆらゆら浮かびながら、お尻を振りながらこちらに来る。ルナは幼女らしく、唐突に興味の対象が切り替わる。
ちょこちょこと手招きして、そのまま……にこ、と笑って潜ってしまった。
「行儀が悪いと叱らねばならないのだろうが」
「そう言うでないよ。ここはわしの作った家、それっぽく見せかけているだけの異能の産物じゃ。家の中までうるさく言うことはあるまいて」
アルカナは悪意のある笑みを浮かべる。ルナが手招きしていたのはアルカナもだ。そして、その意味も理解できている。
潜る。ルナは気泡を纏って、その様はまるで天使のようだ。子供らしく出るところも出ていないが、染み一つない肌は透き通っているのがはっきり見える。
「……む、来いということだったか」
アルトリアも潜る。それは一生で一度もしていない経験だった。少し、否……かなりわくわくする。
水中で目を開く。湯の中でルナの姿が見える。アルカナのように目の構造を弄れないからぼやけて焦点を結ばないけれど、輪郭は見える。
「――」
ルナが何かしらを手の形で伝えている。もう片方の手はアリスの手と繋がれていた。こうしていると、本当に無邪気な女の子に見える。
「……」
口を開こうとするが、ごぽ、と言葉は泡になって消えていく。中々に面白い感覚だった。プールでの水泳の経験はある。だが、風呂で潜水するとなると変な感覚があって、思わず笑みを浮かべてしまう。
「――」
アルカナがちょんちょん、と脇を突く。ぐー、ちょき、ぱーを繰り返している。
「――」
ルナを見ると、ぐーを真ん中に出していた。振りかぶる。これはあれか、最初はグーと言う奴か、と思い至る。
手信号でもなく、暗号でもない。ただ友達だからなんとなく分かる。ああ、なんと楽しいのだろう。
こんな子供じみた遊びが、宝物みたいで。
「――」
ルナが拳を突き出した。
「――」
アリスもそれに倣う。
「――」
アルカナも同時に出して。
「……ッ!」
アルトリアだけ少し遅れた。勢いを乗せた拳がごぼりと気泡を叩く。
「「「「――」」」」
ぐーが二名、ぱーが一名、ちょきが一名。お相子だった。くすくすと笑い合う。4人でじゃんけんなんかしたら、相子になるのは当然だ。でも、なぜかおかしい。
2回、3回、4回目でアリスが勝った。ルナに抱き着く。
「……ぷはっ」
アルトリアが真っ先に水面に顔を出した。他も浮き上がってくる。
「ははっ」
笑ってしまった。何も賭けていない。負けるのも勝つのも何も意味がない。けれど、何も意味のない行為がこんなにも楽しい。
「ああ、これが年頃の女の遊びと言うものか」
感慨深げに呟いた。
「いやあ、これは小学校低学年レベルではないかの?」
「中学生だってやると思うよ? 知らないけれど、箸が転がるのも楽しいお年頃って言うじゃない」
「……アリスは、ルナ様と一緒ならなんでもいい」
誰からともなく、笑い出す。
「――うわっ!」
湯をかけられた。ルナが手を拳銃のカタチにしていた。ほとんどが別の方向へ飛んでしまっているが。
「やったな」
真似して湯をかける。きゃらきゃらと笑い声が響く。
「……ふっ」
アルカナが弾くような水流をアルトリアに浴びせかける。無駄に完成度が高く、少し痛いくらいである。
「ぬ。――やる気か」
アルトリアが応じる。ぱちゃぱちゃ、がパシュンに変化した。アルカナに対して手心を加える理由はなかった。普通に痛いレベルの水流を叩きつける。
「あはは。アルカナに一斉砲火だ」
ルナがアルカナに湯をかけ始めるとアリスもそれに倣う。相変わらず幼女らしく、撃うというよりかけるくらいのそれだ。
「ぬおおっ! 集中砲火は反則じゃろうに!」
笑い声が外まで聞こえていた。
そして、数刻後。
「悪いな」
食事を存分に楽しみ、すっかり身だしなみを整えたアルトリアが薄汚れた旅装の二人に声をかける。
この二人は話が終わったらすぐに外へ避難していた。忘れてはならない、アルトリアは楽しんでいたが”それ”はアルカナの武器だ。
「いえ。こちらこそ、姫様一人に任せてしまってもう――」
しわけありません、か? 本当に? いや、あの家はアルカナの牙城。人外の魔物の巣窟だ、頭のおかしいアルトリアの強さはともかく、この二人では抵抗すらもできはしない。
そんなところに入らない、からと言って謝る必要があるか? 食べるかと問われれば全力で首を横に振るが、豪勢な食事まで楽しんでいた姫様を相手に?
ベディヴィアとしては流石に癪だから謝りたくなかった。
「私から頼めば何か食事は用意してくれると思うが……」
「不要です、姫様。幸い食料はいくらか焼け残っています。それに、必要なものも壊されるようなヘマはしておりません」
「そうか。ありがとう、そこらへんはお前の手柄だな。ただ、焼けたのが街で買えるようなものに限るとはいえ余裕がないのは事実だな。3日も寝てしまったと言うべきか、それとも3日ならば問題ないと言うべきか」
ベスキオ侯爵の最初の一撃で野営道具は破壊されていた。二人が荒野で野宿しているのはそれが理由だ。必要なものは埋めて難を逃れていたが、それ以外はほとんどがパアだ。
「姫様が三日で起きたのは行幸でした。1週間、2週間は耐えられなかったかもしれません」
「その時はルナを頼ればよかろうに。あいつも、腹を減らした者を前に餓死しろとは言わんだろうよ」
「……変なものが入ってそうな気がしますがね」
「まさか。恐らく”ブリック”でも寄こしてくれるさ」
「はは。そいつは殴れば人が殺せると評判の奴じゃないですか。しかも糞マズく、噛み砕かないと飲み込めないからいつまでもエグミが喉の奥に残ってるアレ。食べ物と言うより資材でしょうに」
「その言葉は……食ったことがあるのか?」
「よくある根性論と言うやつですよ。なんか、ああいうのを食べ続けることで我慢強く屈強な兵士ができるとか教官が仰ってました。……教官が食べているのは見たことがありませんがね」
「下らん妄言だが、民主国らしいエピソードだな。渇いた笑いしか出て来んよ。我慢が貴い場面もあるだろうが、なんでもかんでも我慢させればよいというものでもあるまいに」
「……姫様! そんな糞マズいレーションで盛り上がっている場合ではないでしょう!」
ガニメデスが叫んだ。
「なんだ、ガニメデス。方針ならもう決まっているだろう」
「それがおかしいと言っているんです。あの化け物のことを信用する気ですか!? アレは、可愛らしい姿をしていても腹の奥では何を考えているか分からない魔物です」
「……」
アルトリアは黙る。ベディヴィアを見る。
「そうですね。私も賛成です。何か秘めた目的があるのかもしれない。民主国だけじゃない、人類すべての災いとなるかもしれない。……少なくとも、それだけの力はあるかと」
ルナは怪しい。当然だ、そこを疑わないでどうする。幼女の姿をしているから、はい疑えませんなど馬鹿らしいにもほどがある。意図して幼い言動を取っている気配がぷんぷんする。
「いいや、それはないさ」
だが、アルトリアは断言する。
「姫様! あなたは騙されているのです!」
「そういうことではないさ。確かに、人類を滅ぼすことをやらかすのはありえるさ。大体、今やっている戦士を集めて強襲をかける作戦なんて諸刃の刃だぞ? 負ければ人類側に後はない。見方を変えればまさに人類を全滅させるための作戦だな」
「ならば!」
「だが、ルナにはできんよ。あいつにそこまで考える頭はない」
断言した。
「……は?」
「いや、あいつは腹黒に見えて刹那的で享楽的だ。私と戦ったことにしたって、深い考えなど何もなかろうよ。……まあ、あいつは弱い人間の意見など聞かんだろうことは事実だがな」
腹黒と言うのは欠片も否定していなかった。しかも、弱い人間の意見を聞かないのだから救世主からは遠い。とても信用できる人物評ではない。
そして、信用する理由がそんな”計画”を実行できるほど周到な人物ではないからというものだ。そんな気長な計画を進められない、そんな子供だアレは。
「――本気で?」
そんな相手に従い、人類救済を目指すことは正気とは思えない。どこで落とし穴が空いているか分からないし、ルナの気まぐれ一つでひっくり返る。
「勘違いしているな。私は、ルナに”させてもらう”わけじゃない。彼女の指示通りに動けば万全と? 違うな、あの子は私を王と呼んだのだぞ?」
「……」
ベディヴィアは息を呑む。アルトリアは本気だ。何があろうが、貫き通す気だ。例えルナが裏切ろうが、殴り倒して人類救済を成す。
この目に惚れた。彼女ならば世界を変えることができると思ったからついて行った。そうだ、彼にとっては言われるまでもなく彼女こそが『王』である。可哀そうな姫君などではない、最強の戦士にして革命家。
「私はやるぞ。これまで何をしていいかわからなかった。徒に騒ぎ立てた挙句がテロリスト扱いだ。だが、今は違う――人類を救う道筋が見えた。【奇械】が恐ろしいという事実を誰も分かってくれないと、ただ嘆いた日々は終わりだ」
「その強い【奇械】を全滅させると? 11人の戦士――集まるとお思いで?」
「何を言っている? ベディヴィア。集めるのは10人だ。……お前も参加できるようになってもらわなくては困るぞ。強くなれ、ルナと戦えるくらいにまで」
「無茶無謀……と言っても、聞いてくれませんね。姫様は」
「ああ、私はやると決めたことは必ず成し遂げてきた。必ず、最後に勝つのはこの私だ」
決意を固めた。
「……」
無視された形のガニメデスは離れて散歩していた。混ざれなかったのだ。
「倒す? 人類の敵を……【奇械】を倒すなどと馬鹿げた妄想だ。そんなものに協力する人間など居るものか……!」
がしがしと砂を蹴りつける。戻ることは出来はしない、反逆者として追われているのは相変わらずだ。けれど、ここにも居場所はなかった。
ハッキリ言ってついていけない。彼にとってはベディヴィアだって十分に化け物だ。手も足も出ない、本物の化け物だ。社会からつまはじきにされた者たちの中にあって、彼だけは仲間もいなかった。
「なぜ……なぜこうなったんだ。私は、私はどうすればいい……?」
頭を抱える。完全にホラー映画の被害者の絵図だった。人知を超えた相手を前にどうすることもできないが、しかし”ならば逃げてしまえばいい”というのでも出来ない。そこも、ぐだぐだと理由を並べて危険地帯から逃げない被害者と同じだった。
そして、それを見る目が2対4個。
「あれはあれで、良い演出の一幕かの? 化け物同士の戦は、それを描写する一般人の視点が必要であろうの」
「アルカナもよく分かって来たね。彼は彼で必要だ……代わりはいくらでもあるにしても。さあ、新たな英雄譚を始めよう。一章は幕を降ろした。英雄は魔女を下し、魔女の業を手にした」
「ならば、次は手駒集めじゃな? プロジェクト『ヘヴンズゲート』でやったことをもう一度。あの戦いでは魔人どもを集め、育てた。今度は騎士か?」
「駄目だよ、アルカナ。そこは同志と呼ばないと。……魔王に対抗するためには、材料を集めて魔女に渡せばそれでいい。そもそもテクノロジーの発展など、RPGの要素ではないだろう。強い武器を作るために素材集め、そして仲間集めこそが王道だよ」
「舞台装置を作るのは黒幕の役目であると言うわけか。わしらが”そう”する、と。ふむ。……深いな。――しかし、本当に良かったのかの?」
「何が?」
「ルナちゃんが毎日磨いていたアレを、あの女に喰わせてしまって」
「レンが得た魔石。大切なものだけど、使われない燃料に価値はないよ。お姉ちゃんなら、十分に彼女を継ぐ資格はある」
レン=ジェリーフィッシュ。彼女はルナ自らが再改造を施した魔人だった。その流体の身体には物理攻撃は通用せず、引き裂いたところで分裂するのみ。スペックで言うなら間違いなく最強の魔人だった。
強大な力と引き換えに10分も持たない身体――だが、彼女は見事に龍種の王たるエレメントロードドラゴンの一柱、【彗征龍ストームドラゴン】を倒してのけた。
その魔石をアルトリアに食べさせた。あのまま消滅するはずだったミストルテインはその力で復活したのだった。
「……やれやれ。またルナちゃんは忙しくなるかの」
「そうだね。でも、ちゃんと後でいくらでもお相手してあげるよ。終末少女は腐った世界を滅ぼすのがお仕事……とか言っても、その実体は下手すれば1か月で1時間しか仕事しないとかもよくあるしね」
アルカナはルナを抱きしめている。そして、ルナはアリスを抱きしめている。誰にも見られていないから好き放題だ。
ちなみに、ルナには女風呂に入れて嬉しいなどの感情はありません。浮気を疑われたら精神を病んでしまうので必死です。アリスとアルカナの裸を見られるのは例え女だろうと嫌がりますが、浮気を疑われるよりはマシということでそうしました。
アリスとアルカナがルナを監視している理由は、それしかしたいことがないという理由が6割だったり。4割はもちろん悪い虫が付かないように。……前の世界で殺戮者と水着でアレコレしたせいで余計な危機感を持っています。