第10話 お茶会 side:アルトリア
そして、アルトリアは目を覚ます。
「……これは、知らない天井だと言えばいいのか。――ルナ?」
だが、彼女の気配は見つからない。知らない部屋だ。”まとも”な部屋……だが曲がりなりにも元王族だったアルトリアにとっての普通。つまりホテルのスイートルームさながらだ。
そして、手錠の一つもあるかと思えば……そんなものもなかった。服も、あの戦いでボロ雑巾になったはずだが、新しいものに取り換えられている。いつも使っている寝間着だった。
「なにが起きている……?」
危険は感じない。
だが、全くもって意味が分からなかった。普通に考えるなら、あの戦いの後に気を失った自分をどこかのホテルに連れて行って看病してくれた、ということだろうが。しかし、この見覚えのない部屋は解せない。
そばに置いてある服に着替える。これも自分のものだ。
「あいつらは……ありえんな」
仲間の二人は違うと、二つの意味で断言する。
まず一つ、あの二人にそんな甲斐性はない。そして、近くに街などない。百歩譲るとして、その二人が看病してくれたとしてどこか茂みにでも安静にしておく程度だろう。
「ならば、ルナか?」
まあ、彼女ならばどんな不可思議もありえる。もう一人の方の幼女の異能はあのぬいぐるみだろう。しかし、長髪の方は何も見ていない。そちらの異能を使ったのであれば、何も不思議はない。どのような異能が、と疑問は出るが。
しかし、ルナはあれで負けを引きずる性格をしていない。むしろ、あれは予想外を喜ぶ類だ。負けた復讐などは考えていないだろう。ならば、私が放置されている理由は……
「……まあ、あいつは飽きやすいしな。歩けば見つかるだろう」
少し身体を動かして調子を見る。全快だ、不可解なまでに。そして、身体の内から溢れるこの力。なにかしらが起きている。魔導人形の力を失ったはずなのに、その力はなおも強大な存在感を放っている。
扉を開けた。どうやら、この建物は余り大きくない。少なくとも、ホテルではないだろう。音の響き具合からして、2階建てだ。その2階にある部屋も8部屋ほどしかない。
階段を下る。そして外へつながる扉を見つけた。気配を感じて扉を開け、外に出る。
「二人とも、何をやっている?」
扉を出た先は荒野だった。そして、この二人は家の軒先で野宿をしていた。すさまじく違和感のある光景だった。
大の男二人がホームレスのごとき薄汚れた有様を晒している。目頭が熱くなってしまうような光景だ。二人は何も悪くないのに、不甲斐ないとの感傷が先に出る。見た目と言うのは重要だ。とはいえ、それを口にするのも筋違いと自覚しているが。
「ああ、姫様。起きましたか」
ベディヴィエールは頬をかく。自覚はあるらしい。いや、元気いっぱいで清潔なアルトリアの方がこの場合はおかしい。おそらくはルナの仕業だろうが。
「どうもそうらしい。私は何日寝ていた? ルナはどうした?」
「3日です。あの幼女は護衛の二人を連れて家の中ですが、見ませんでしたか?」
「家探しはしていないな。……しかし、3日か。回復にしても、やつれるにしても……こう――不可思議だな。私は何かされたか?」
「さあ? 我々は奴らの胃袋に入るなど御免でしたので」
「胃袋……だと。それは――」
話しているところに、後ろのドアが開く。
「これはアルカナに作ってもらっただけの、偽りの城と言うことだよ」
ルナが姿を見せた。髪が濡れている。……アルカナとアリスも同じく。ナニをしていたかは想像に難くない有様だ。
アルトリアは、ルナは自分と一緒に風呂に入ってくれなかったのに、と場違いな敵愾心を覚える。心なしか、でかい方の女が勝ち誇った表情をしている気までしてくる。
「……では、それが」
とはいえ、それを言っている場合でもない。とりあえず、状況把握が先だろう。ルナの姉に相応しいのはどちらかは……後で決着を付けるべきだろう。
アルカナと呼ばれたそいつ。ルナを後ろから抱き締めている巨乳の女を一瞬だけ睨みつける。
「汎用性という点ではピカイチだ。一応は血液操作というカテゴリーに入るが、実のところこれはいくらでも出せるし色も質感も自在だ。家の一つを作るのも容易い」
こんなふうにね、とルナは笑う。アルカナのことを信頼しているのか、抱きしめられながら柔かい表情をしている。
ルナは警戒心が強い、誰かに触られるなど旅の中では見たことがなかった。自分が触るならともかく、触られそうになったら逃げていた。……私からも。
「話しても良かったのか?」
「別に、知られて困るような能力でもないし。それに、言葉で説明しても誤解を招くだけさ。言葉は万能じゃない。僕のそれにしたって念動力の一種になるのだろうけど、その本質はあらゆるものに干渉可能と言う万能性だよ。先の戦いで見せたけれど、お姉ちゃんは僕が何ができるか分からなかったでしょ」
「その通りだな。だが、お前は隠すと思っていたよルナ。わざわざ弱点に繋がる情報を口にするとはな――何が誰に漏れるか分からない。そこは警戒するものかと思っていたよ」
「そのくらいは教えるよ、お姉ちゃんは勝者なのだから。まあ、そこまで隠す気もなかったのも事実だけれど。……少し、話そうか。お姉ちゃんのミストルテインがどうなったかも教えてあげるよ」
「聞かせてもらおうか」
「なら、どうぞ。入ってきなよ」
ルナが扉を開ける。その家は趣味の良い一軒家に見えて、その実は龍の咢に等しい。アルカナの作った擬態だ、その気になれば家のあらゆるモノが凶器となる。
別に小細工などなくても、中のものをミキサーのように噛み砕けば中身はぐちゃぐちゃだ。『黄金』を失った小娘と、『宝玉』二つごときで生存が可能な空間とは思えない。
「入らせてもらう」
しかし、アルトリアは躊躇わない。まあ、ここでルナを疑うようなら初めからこんなことになってはいない。
たまらないのは供の二人だ。まあ、既に一回見捨てたも同然だが、ここで家に入らないのもどうかという気持ちがある。家の外で待ちぼうけも馬鹿みたいな光景だろう。
「――ああ、くそッ!」
「お……おい、本気で行くのか」
「お前も来い、ガニメデス。何かされたりはせんさ」
「い……いや。まってくれ……!」
引きづられて中に入って行った。
そして、リビングへ。席は悩むまでもない。3つ並べられた椅子と、正面の1つだけがある。ルナは相変わらず供の二人を無視している。
実際のところ、男二人とは全く打ち解けていない。侯爵との戦いでも、侯爵の方に加勢しなかったのは、できなかったから以外に理由はない。後ろから侯爵に撃たれるかもしれない、というのもあったにしろ。ルナは信用できないのは当然の話だった。
「さ、僕お手製の紅茶とスコーンだよ」
ルナが手ずから振舞った。それは山盛りになって、暖かな湯気が立ち上っている。しっかりとした焼き色がついて、とても美味しそうだ。
無論、後ろの二人の男には喰わせる気など欠片もなかった。何が入っているか分からないスコーンなど、向こうにしたって食えたものでもないのだが。
「……芸が多いな」
苦笑する。そんなことができる様子は見せていなかったし、そして自分もスコーンを焼くような女子力は持ち合わせていない。
食べ物を見ると、三日も何も食べていなかったことを思い出した。腹の虫が鳴く。ふわりとただようバターの香り、焼きたてのそれは何よりもご馳走に見えた。それに、真っ白なクリームと赤青2色のジャムがたっぷりと。空きっ腹には、これは辛い。
「……美味いな」
一つ、食べてみた。明らかに慣れた手腕だ。幼い外見に似合わない積み重ねた年月を感じさせる味だった。
しっかりと手順一つ一つを丁寧に熟して……そして、焼きたてをなんらかの手段で時を止めてしまったのだろう。焼きたてを提供するために条理を捻じ曲げるとは、中々に無駄な異能の使い道ではあるが。
「ふふ、ありがとう。あまり仲間以外に食べさせたことがなかったから不安だったんだ。僕の仲間はあまり味覚がまともじゃないからねえ」
「それを言われても困るぞ、ルナちゃん。ルナちゃんの味覚に合わせろと言うのならともかく……小麦も土も同じく粉であろうにな?」
けらけらと笑うアルカナ。そこは学習済だと言いたげな余裕のある顔である。人間なら赤子でも学習するまでもない事実ではあるが。
「栄養なんて不要なのは事実でも、好みの一つや二つは持ってほしいんだけどね」
淡々と言っているが、すさまじい事実だ。なぜなら、人間は魔導人形を纏ったくらいでは食事が不要となったりもしない。
そして、食べ物が不要ならば味覚も不要だ。”それ”は本来なら毒物や身体にいい悪いを見分ける手段だ。もちろん原始的なものだからカロリーが高い、という意味での身体に良いとなるのだけど。栄養が必要ないならば、まさしく小麦も砂も同じく粉だ、違いはない。
「――まあ、気になるだろう方から言っておこうか。『奇械』と『人間』、僕らがどちらに近いかと言えばそれはもちろん人間になるのだけど」
「魔導人形の系譜か? 『黄金』に関する国際条約違反の研究成果――違うか?」
ルナの言葉は嘘八百だが、それだけに納得出来るような〈衝撃の真実〉だ。更に言えば、誤認させたい事実を相手の口から出させると言う詐欺師のテクを使っている。この辺は慣れたもので、ルナの小細工も流々である。
「その通り。実のところ、巫術だの悪魔召喚術だの眉唾物は数あれど、現実を見れば【奇械】に抗う力は【魔導人形】にしかないのは誰もが知っている。そして、僕らもそこは変わらない」
「なるほど。深くは聞かないさ。だが、一つだけ聞かせてくれ……お前たちのような存在は他に居るか?」
「3人居るよ。けれど、もう増えないさ。もう施設も研究員も消滅してしまったからね。僕は始まりにして終わり、『ワールドブレイカー』能力が研究の核ではあったけれど――施設もデータも代えがあるわけじゃない。僕だけが居ればいい、とはならなかった」
「【奇械】の襲撃か……お前たちほどの力を持つ者を生み出せるなら、そこを潰すのは奇械としても当然の戦略だな。しかし、なぜ守らなかった? それだけの力を持つなら……」
「なんで僕が人間を守らなきゃいけないの?」
「……」
「……」
沈黙が流れた。
「まあ、いいか。そして、君も似たようなものになっている」
ルナは話を変える。武についての議論――どちらが正しいか答えが出たわけではない。ただ、ルナは敗者として譲歩したのみ。
理解も共感も不可能だが、しかし共に在ることはできる。どちらが譲ることで、同じ道を歩くことができるのだ。本当の仲間……とは呼べないかもしれないが。
「……どういうことだ? 壊れたはずのミストルテインと何か関係があるのか」
「まさに”それ”さ。お姉ちゃんはミストルテインが壊れたと思っている。ま、僕がご飯を上げなきゃ、そのままくたばってただろうけどね。『覚醒』したのさ、それはもはや以前のそれとは別物だよ。今の姿こそが真なる姿――お姉ちゃんのためにだけある力だ」
「私のため……? 魔導人形は、特定の誰かのためにあるわけではない。血統こそを資格とする偽り――ミストルテインと言えど、契約を解除すれば誰でも使える一振りの刀に過ぎない。王族以外に使えないなど真っ赤な嘘っぱちと、公表したが握り潰された。……だが」
「”もう”違う。痛みを識る剣は今や勝利を誓う剣へと超越を果たした。今までは引き金を引けば弾が出る、そんな銃と変わらない有様だったがね。今となっては身体の一部と言える。腕や足を他人に譲るなんて、できないでしょう?」
「それは……ルナと同じくということか?」
「まさかまさか。全く異なる事象だよ。僕のこれは魔導人形と生贄にされた人間との融合個体――元の人間の意志など残っていないさ。逆に、ミストルテインはお姉ちゃんの意志が全てであり、元のカタチなど残っちゃいないのさ」
「――ふむ」
まったく理解していない「ふむ」だった。ルナは諦めたようにため息を吐く。
「やはり講義は苦手だな。まあ、1,2回使えばわかるさ。ミストルテインにはもう何日かお休みを上げてほしいけどね」
「……そう、か」
ルナが最後の一個のスコーンを口にした。
「うん」
他は全てアルトリアが喰っていた。アルカナが恨めし気な目を向けていたが、どこ吹く風と受け流していた。
「……」
「それで、ルナ。もう一つ、答えてもらうぞ。お前は何のために私と戦った?」
「――」
ルナは、ニタリと笑って見せた。