第9話 不本意な戦い(後) side:アルトリア
ルナが8本の刀を両手に持ち、交錯させた。だが、これですらも牽制――8刀1槍の言葉が正しければ、この後に本命の”槍”が来る。
しかし、この刀も気を抜けば首を刈ってくる。
「8――確か、東洋の言葉では無数を意味すると言う……!」
「その通り。最も本当の無数であれば、八百万と言うのだがね。しかし、獲物が尽きるなど甘い期待を抱くなよ。月読流……【竜爪】」
そのまま投げた。4本×2の刀が飛翔する。
「だが、私を甘く見るなよ。ルナ!」
竜の爪がごとく迫る刃――その半分を叩き落す。だが、2セット目は微妙な時間差がかけられていた。両方を一息に落とすことなどできはしない。
「――っおお!」
ゆえ、アルトリアは前方に転がる。竜の爪痕が深く刻まれ、赤い血が流れるがまだ終わっていない。動けるのだから、まだ戦える。
だが、ルナの本領はこれからだ。8刀1槍、ならば”槍”こそが本命なのは当然のことだ。
「そして、これこそが僕の槍『ロンギヌスランス・テスタメント』。世界を終わらせる、僕の異能だ」
それは神威すら感じさせるまでに圧倒的な力を秘めた黄金の槍。ルナの魔導人形としての位階が『黄金』に等しいものであるならば、あの刀が主武装ではおかしかった。これこそが真の力。
決定的な隙を晒したアルトリアに凄絶な一撃が届く。回避不可能、防御不可能……神の断罪の一撃だ。
「まだだ。まだ、終わりはしない……! お前の思い違いを正すまでは! 負けはしない。そして、最後に必ず勝つのは私だ!」
吠える。そして、”使う”。牽制の一撃だと分かっていたからこそ、技は温存しておいた。かわすも受けるもできないのなら、真っ向から迎え討つしかない。
正論を超えた狂気の論理だが、アルトリアは本気だ。本気と信じて、だからこそやり遂げる。
「月読流、神槍……【因果断絶】」
「皇月流、奥伝【神威】」
絶対のはずの一撃を、拳が砕く。砕かれた光が山に降り注いで斜面を削り取っていくが、それでもアルトリアは生きてそこにいる。
ありえないことだった。ルナの攻撃は異能も使わずに生き残れるようなものではなかった。
「――あは! すごいねえ! まさに奇跡だ! そのミストルテインに残された魔力では、どうあがいても砕かれていたはずだ! 生き延びる道理などないと言うのに! だが、甘いのはお姉ちゃんの方さ。月読流……【鎌鼬】ッ!」
ルナの攻撃は全てが殺意の一撃だ。月読流に虚と実など存在しない、全てが必殺の一撃だ。必殺でありながら布石ということはあるが、フェイントも防御を抜く一撃もない。竜爪も因果断絶も、殺すためだけの技だ。
そして鎌鼬は最速の一撃。絶対のはずだった神槍の一撃を破られてなお、その次の瞬間には刀を持っている。確実に殺すまで、必殺を叩き込み続けるその思想。絶死がマシンガンのごとく連続する。
「甘く見るなと言った!」
しかし、アルトリアは既に飛んでいた。ただの一瞬で、10kmを踏破して空の彼方まで。鎌鼬は何も存在しない空間を薙いだ。
ルナは上を向く。とんでもない加速だ、ゆえにこそその異能の想像は容易い。
「なるほど。ミストルテインの力は重力を断ち切る異能か……古今東西、上へ攻撃する術理は存在しない。ほぼ無敵に等しい力だね。最強と、もてはやされるのも納得できる」
「その通り。魔導人形は魔術の力で飛ぶが、私の”これ”は魔法だ。空中戦で勝ち目があるとは思うなよ」
何の不思議か声が届く。そのまま会話する。
「しかし……さて。流石の月読流ですら、90°は想定していないぞ。まあ、当てるとなればいくつかあるが、それでは届かんしな」
「そうだ。今のうちに降参するか?」
だが、本題は90°と言うことではない。なんなら空間転移を使えば普通に上方向に攻撃できる。
そういうことではない。真に恐るべきはただの一瞬で雲の向こう側まで上がる速度。それが空から降ってくるということだ。
――堕ちる瞬間を見極める? 米粒どころかノミよりもよほど小さな敵の姿を目視して?
「あは、面白い冗談だ。こうすれば対等だぜ?」
ルナは空に足を付ける。そして、彼女に向き直る。前に見せたサイコキネシスを使えば容易いことだ。
異能により90度の角度など無効化した。そして、ノミよりもよほど小さい? 終末少女の眼なら、はっきりと敵手の姿を捉えている。
「そして、もう一つ。僕の槍は見せたでしょう? その砕けかけた装甲と身体で、二度目を耐えられるかな」
ミストルペインは崩れかけだ。連日の酷使に加え、ルナとの戦闘により耐久はとっくにマイナスを振り切っている。
今動いているのが奇跡だ。ゆえに、ぶつかれば勝つのは自分とルナは鼻で笑って見せた。
「――だが、勝つのは私だ」
「いいや、僕だ」
二人、己が勝利を口にする。
「皇月流【天啓】が崩し――【天堕刻印】」
元となった技はかかと落とし。だが、それはミストルテインの異能を十全を活かした神の杖だ。瞬間、流星が堕ちる。
「月読流風迅閃が裏、狂月流……【諷神閃】」
そして、神威とともに振るわれる槍が交錯する。
「「……!」」
激突、上空にて山すら砕かれるほどの衝撃が奔る。全てが終わる。まるで核でも堕ちたかのような有様だ。切り刻まれた山が消滅する。
二つの流れ星が落ちてクレーターができた。何の理不尽か、下の者たちは生きている。街から離れているため人々に危害はないが、それこそが異常と言える。あの攻撃の威力は半径3kmはクレーター化し、そしてその外側ですらも衝撃で”薙ぎ倒される”だけの力があった。
「いやあ……ふふ。……あは。あははははは! まさか叩き落されるとは思わなかったよ、凄いねえ。たとえ『黄金』と言えど異能だけでは不可能だ。使いこなしてるね」
だが、声を上げたのはルナの方だった。
「なにせ、こいつらが死んでいないのだから。僕はそんな心優しくなどない。お姉ちゃんの仕業だろう? 当然」
二つのクレーターがぽっかりと穴を空けている。その中からルナの声がする。ふわり、と浮き上がる。
ルナに被害を抑えるなど、そんな気遣いを期待する方が間違っている。ならば、成し遂げたのはアルトリアだ。
「とはいえ、こいつには手が届かなかったわけだ。さすがにそこまでの余裕はなかったみたいだね。それとも、殺すつもりでやればあるいは……かな?」
ちゃら、と手の中の宝石を揺らす。これさえ破壊できればゲームエンド、心臓を貫かれても生き残っていたルナの回復力の秘密を探る必要もない。
けれど、それを壊すことはできなかった。ヒビこそ入れたが、それだけだ。後はもう、タイムオーバーを待つだけ……
「とはいえ、楽しい時間も終わりだ。決着をつけなければね――」
刀を抜く。槍はどこかに行っていた。
「まだだ、と言ったはずだ」
アルトリアが立ち上がる。すでにミストルテインは崩れ、本人さえも面前に晒していた。もはや魔導人形の加護はない。魔導技術にて鋼をも持ち上げる剛力を与える魔法の業は失われている。
……なのに。
「まだ――私は諦めていないぞ。ルナ」
もはや用を成さない鎧を、身を振るって落とした。残るは左の手甲、そして足部のいくらか。裸にも等しい有様で拳を構える。
これでは投げられた石に当たるだけで傷を負ってしまう。そんな不安に過ぎる状態で、しかし姫君は毅然と前を向く。
「では……続行と行こう」
ルナは元から鎧の一つも身に着けていない。ただの人間の体のまま魔導人形の異能を発揮していた。鋼など一つも纏っていないのに、それ以上の守りを頼まなければ人前にも出れないルナの習性だ。
「……」
言葉では通じない。勝った方が、意を通す戦いだ。
「月読流……【千刀鳳閃花】」
そして、ルナは生身が相手でも手加減しない。それは無数の飛翔する斬撃。ただの人間となったアルトリアには視認することもできない。それが人間のスペックだ。
「――」
だが、走る。目がかすんで何も見えずとも、目の前に居ることは知っている。本当に、ただ馬鹿正直に前へ向かって走る。最短で、最速で、一直線に――人間の走るあくびの出るような速さで。
「……ッ!?」
攻撃を外した。ミスをした、というのも違う。普通はかわすなり防ぐなりするものだろう。ゆえにルナはそれを計算に入れて技を放った。
完全に予想外だったその動き。アルトリアにはいくつもの傷が刻まれるが、致命ではない。いずれ出血多量で死に至ろうと”今”死ぬ傷ではない。
「だが、抜けられるような欠陥技と思うなよ?」
だが、それで攻略できるような千刀鳳閃花ではない。ただの二歩分寿命が延びただけで、それで攻略したなどと思うのは大間違いだ。
その奇策が策の全てならば、三歩目で粉みじんとなる運命なのだから。
「ならば、押し通る!」
極限の集中でもって、その三歩を埋める。そう、致命でなければそれでいい。ただ、最後に一撃を打ち込む力が残っていればそれでいい。
「皇月流【廻那】」
ルナの宝玉を狙った一撃は――
「防がないと言った覚えはないな?」
そう、宝玉を狙う一撃をわざと見逃すほど甘くない。腕でガードした。攻撃を当てたアルトリアの拳にひびが入る。
「――」
もはやアルトリアには何もない。ミストルテインは壊れ、気力も尽き果てた。最後の一撃も無為に帰した。もはや絶望しかない。
否……絶望すらもあるものか。そんなものを感じる気力ですらも先の一撃に捧げた。残るものは何もない。全てを失った真なる”無”。それが今の彼女である。
「では、終幕と行こう」
ルナが跳び上がる。そう、先の彼女と同じように。重力を操る術持つ業を、ただの力技で再現する。ただ地面を蹴るだけで、高度10万kmに到達した。
「君の技で葬ってやろう。もっとも、”それ”を僕の技にまで昇華させたがね。君のことは忘れんよ、技とともに我が心へ永久に刻もう。【天堕刻印】が崩し――」
サイコキネシスで天空に足場を作る。
刀を投げる。と、同時……天から暴星が疾る。大地すらも蹴り砕かんと、遥か彼方から跳び”降る”。
「……」
アルトリアは声も出せない。それが堕ちたら誰も助からない。アリスとアルカナは問題ないが、他の全てが死に絶える。
そう、ルナの言う通りに終幕だ。これで物語は終わる。ルナはこの世界に見切りをつけて去るだろう。もとより我慢強い性格ではない。この世界の隅々まで探すような周到さは持ち合わせていない。
だというのに――
「まだだ」
声がする。
「まだ終わらん」
ありえない。魔導人形もない。そして、最後の力さえ使い果たしたと言うのに、”声が”。全てを失ったはずのアルトリアの声がする。
「――”勝つ”のは私だ」
終わったはずの息吹が再起動する。彼女はかの殺戮者と同じく、法則すらもあざ嗤う破壊者。
絶対の不可能を踏破する破綻者にして、英雄である。
「だが、出来るかな? 狂月流……【龍顎乃天堕】」
手加減はない。そんなルナは酔狂ではない。怪しく目を輝かせるアルトリアに向かって全力の一撃を叩き込む。
「皇月流【神撃】」
信念がため、法則すらも殴り壊してただ征かん。
ただの人間の一撃が、理をも超えてルナを撃つ。ルナが、止まった。大地すらも砕く一撃は、しかし何も壊さなかった。
あれほどの加速が嘘のように静まり返っている。
「……なるほど。お姉ちゃんもアイツと同じか。しかも、宝玉だけを砕くか。凄まじいことをするものだ」
カウンターに威力は要らない。相手の攻撃そのものを返す技だ。宝玉は粉どころか塵すら見えないほどに砕かれた。
にも関わらず、ルナの身体には衝撃一つなかったのだから理不尽にもほどがある。まさか、この期に及んでこちらの身体を気遣うとは、とため息を吐く。思わず攻撃を中断してしまった。
「でも……」
ちら、と自分で”止めた”刀を見る。龍顎――二つの牙。蹴りは下顎、防いだところで上顎が自分諸共に敵を貫く業だ。
一歩間違えば自分が自分の技で貫かれるし、間違えずとも同士討ちの自爆技。しかし、自らを犠牲に大物殺しを狙う【翡翠の夜明け団】の総帥には相応しいアレンジだろう。
「さて、アルカナ。我儘を言ってもいいかな?」
「ふむ。まあ……ルナちゃんの身体を好きにしてよいのであればいくらでも」
「いいよ。じゃ、お願いね」
「うむ――」
「……ルナ様」
「そんなに睨まないでよ、アリス。アリスは、後で……ね?」
「うん……」
きゃらきゃらと、場にそぐわない女の子の笑い声が響いた。戦闘が終わる。世界すらも破壊しかねなかったたった二人の戦争は、ただの一人も犠牲者を出さずに幕を下ろした。