第7話 侯爵の死 side:アルトリア
ルナと同じ幼女が出したのは悼ましい外観をしたぬいぐるみだった。何の変哲もないイルカの上半身、だがそれに反して下半身はやけに生々しく毒々しい触手が蠢いていた。
そのおぞましい咆哮により、侯爵の手の者は全滅した。侯爵もまた、供に支えられながらも地に沈む。
「うぐ……ッ!」
吐き気がする。頭で何かが蠢いている感触がする。何か、悼ましいモノに見られているような気がする。
……いや、これは勘違いか。恐怖が呼び寄せた狂気だ。萎えた足を無理やり立たたせて正面を見る。狂気を振り払う。
ただの余波でこれとは、と驚愕した。やはり、ルナは。そして、あの者もルナの仲間か。
「なぜ、邪魔を?」
幼女が、新たに出てきた少女を睨みつける。
この幼女もフリフリを着ている。……ルナのと同じデザイナーだろうか? しかし、同じ幼女だとしてもルナとは大分印象が異なる。浮かべているのは常に冷たい表情。
転がって呻いている者たちが生きているのは――彼女の言と合せて考えれば、もう一人の少女が妨害したからだ。……あっけなく砕け散った結界のようなものがわずかに見えた。
「くはは。ルナちゃんは虫けらどもを殺してなかったろうが。わしもそれに従うべきであろうと思っての」
そして、こちらは少女の可憐さと豊満な肉体の妖艶さが見事に同居している。そして、装飾こそ大人しめだが、ルナとコンセプトが共通するような服を着ている。これも、おそらくは同じデザイナーだろう。
ルナと同じく人をからかうのが好きそうな顔をしているが、こちらの方が厄介そうだ。諧謔を含んだ言葉が弄ぶ余裕さがある。大人なのは外見だけではない。
「ああ、そう」
幼女が、ふい、とそっぽを向いた。あの二人はあまり仲良くなさそうだ。それでも少女がけらけらと笑っているのを見るに、それなりに良い関係なのだろうが。
「二人とも、ありがとう。丁度いい手加減具合だ」
けらけらと笑うルナは二人に手を振った。気心知れた言葉をかわすまでもないといった関係に見える。満足したのか別の方向を向く。
ルナは誘うように手を伸ばす、ベスキオ侯爵に声をかける。
「さあ、お前はどうする? オッサム。手駒は全滅、そしてお前自身とても腹の中身がかき回されたような心地だろうさ。『宝玉』の回復能力があれば後遺症こそ残らないにしても、まさに満身創痍だ」
「――」
供の男は死んだのだろう、ピクリとも動かない。彼の骸を横目に、ベスキオ侯爵は立ち上がる。他は動けもしないか、無意味にもがいているだけだ。意識が残っている様にも見えない。
ベスキオ侯爵の光を映さない濁った目が風景を映している。彼も、正気が残っているようには見えない。
「狙われたのは君だ。しかして君が生き残った理由は明らかだ。なあ、友の犠牲を無駄にするつもりではないよな? あの一瞬、彼がとっさに君をかばった。ゆえにまだ、君は戦える。……戦えるはずなんだよ」
ベスキオ侯爵の視線が動く。ルナに固定される。誘うように伸ばされた繊手は、しかし凶器の一種だ。閃けば、首の一つも飛ぶ。
「……ヒィィィィィィィィィィィィ!」
恐怖で頭がおかしくなってしまったのか、言葉は意味をなさない。だが、それは逆に恐怖以外の余計な感情が削ぎ落されたと言うことでもある。
余計な夾雑物もなく、邪魔をする理性すらも失った。ゆえにベスキオ侯爵の身体は今やただ一つの目的に向けて動く機械として最適化された。
「ィィィアアアアア!」
これぞ、開眼『無我の境地』。もはや彼に意志はない。ただ、恐怖に全てを支配された彼は、しかし本能には従わず脅威を降すためにルナに向かって”刀”を振るう。
――仲間から託された折れた刀を。主だけは助ける、という供の遺志。ならば、無茶だろうが”やる”しかないだろう。
「良い目だ。そう、くだらんプライドなど捨ててしまえ。もはや『宝玉』がどうのも関係がない。貴様では空間転移の異能など、どうせ扱いきれんのだから投げてしまえ」
「アアアアアア!」
神速の踏み込み。そして、ルナが牽制に放った大小の礫など気にも留めない。もはや小細工は通用しない。
「そうだ、貴様の武の極みを見せてみろ! 仮にも頭を張る気概があるのならば、僕も受けて立とう。この始まりにして終わりの『ワールドブレイカー』に牙を立てるがいい!」
「シィア!」
唐竹割、と見せかけて剣筋を変化。縦横無尽に襲い来る。空間転移でも使ったのかと見間違うが、全ては技術だ。そもそも鍵となるアイテムは打ち捨てられている。
絶妙な力の操作によりルナの喉元を狙う。その”絶対切断”の力はすでに証明されている。ルナの防御力でさえ、それは貫ける。
「……ふ。この程度では届かんよ」
ルナは滑るように後ろに下がった。それも魔導人形で実行可能な技だ。ロケットこそついているが基本的には加速装置、魔法のように空を飛ぶことが本領なのだ。
それでも、あそこまで自在に飛べるのは歴戦クラスのそれも『黄金』でないと無理だ。如何に武器があろうと、届かなければ通じることはない。
「アアア!」
侯爵は更に剣筋を変化させる。一歩を踏み込んで、喉元に斬撃を喰らわせる。どこまでも見上げた執念、ただ殺すためだけに奔る刃は一瞬たりとも止まらない。
「良いな。流石だ――この僕に刀を抜かせたな!?」
だが喉を突き刺すはずの刃は、刀に受け止めた。
その刀はアルトリアも見たことはない。つまり、相手から奪ったものではないルナのオリジナル。手本を見せてやるとばかりに使っていたそれではない、あれこそが本当の武装なのだろう。
その武器ですらも”絶対切断”の異能はじりじりと斬り進んでいく。
「――ッ!」
「なに……ッ!」
絡めて、奪った。ルナの手から刀が飛んでいく。おそらくはアレも剣術の一つだろう。
とはいえ、ルナの握力は『宝玉』位階を超えている。ステータスで上回る敵を倒すのが武と言うのならば……武の極みと言うのもうなづける。
ルナの首に手が届く。
「死ぬがいい……!」
執拗に首を狙っている。間違いではない、心臓はもう回復している。倒せるとしたらそこだろう。だが、ルナは笑みを浮かべている。
勝利を確信している笑みだ。
「しかし、究極では意味がない。超越でなければ届かない。我が究極を見せてやろう、月読流抜刀術……【風迅閃】」
いつの間にかルナはもう一本の刀を取り出し、構えていた。先に放ったベスキオ侯爵よりも、その一撃は先に届く。
彼は武人だった。その技術は一流、そして壊れた心が無我の境地にまで至り、余計な夾雑物の一切が無くなった。今の彼は剣聖の領域にあったのだろう。
「――ッ!」
だが、ルナには敵わなかった。嘆く暇もなかったろう。侯爵の首が地面に落ちた。
「無我の境地は武の到達点だが、僕とて別のやり方で到達点に至っている。ならば、『宝玉』が『黄金』に敵うわけがないのさ」
ルナは落ちる首としっかり目線を合わせていた。あれもルナなりの賞賛なのだろう。
「……で」
くるりと、こちらを向く。侯爵の手下は全て全滅した。命こそ助かっているが、何もできはしない。そも、侯爵自身だけは死んでいる。
頭がなければ何もできない。この様では撤退すら怪しいところだ。
「……クス」
笑う。ルナが、こちらを見て笑っている。
「クスクスクスクスクス……」
ルナが私を見つめる。すでにベスキオ侯爵の首には興味を失くしたようだ。
「ねえ、どんな気持ちかな? たったの数日。だけど数日間は仲の良い姉妹をやっていたね、楽しかったかな?」
「――私は……!」
私は、何を言おうと言うのだろう?
「疑わなかった? 疑いたくなかった? お姉ちゃんはとても楽しそうだったよね。何の衒いもない手遊びが。ただ一緒に食卓を囲むことが。家族というものに憧れていたのかな」
ルナは、とても楽しそうにしている。その笑みはいつもの笑みと何も変わりがない。街でケーキを食べさせたときと同じ顔で……
ルナの態度は何も変わらない。今と同じ態度で、同じ表情で一緒に遊んだ。日々を過ごした。
けれど、彼女は今血の付いた刀を持っている。ベスキオ侯爵の首を刈った刀を。
「ルナ。それでも。……それでも、私は……!」
「くすくす。楽しかったよ、お姉ちゃんとの姉妹ゴッコ! ふふ。……うふふ。あはははは!」
嗤った。
「化け物め! 姫様を騙していたのか!」
ガニメデスが魔導人形を纏い、特攻する。自らの能力すらも分かっていない彼が、ベスキオ侯爵を下したルナに挑むなど失笑の極みだが――本人にとってはどういうことではないのだろう。
殺せると信じ、剣を振り下ろす。
「……」
そして、ルナは何もしない。受け入れるように、ただ佇む。後ろに控える二人は面白くなさそうな顔をしている。
つまり、ルナの命令なのだろう。攻撃をそのまま受け入れる気だ。
「死ねェ!」
剣がルナの頭に振り下ろされる。髪に触れる。その勢いのままに切り伏せる。
「…………あ」
そして。ルナが。死んでしまうところを。想像。して――
「『ミストルテイン』……ッ!」
身体が勝手に動いた。能力を発動、重力を無視してUFOじみた軌道を実現する。髪に触れたところから、肌に触れるその一瞬の間にガニメデスを弾き飛ばす。
「……えっ? な、なにが――姫様……?」
転がるガニメデスは現実を理解できていない。あまりの衝撃に食べたものを吐いてしまっている。立ち上がれないようだ。
「やっと、戦う気になったかい? ねえ、お姉ちゃん……!」
そしてルナが、新しく取り出した刀を振り下ろす。