第4話 街 SIDE:アルトリア
村を追い出されたからには別の場所へ向かわなくてはいけない。無駄にしている時間はないのだ。しかし、ルナに舗装もされていない道を歩かせるのも辛いだろうという事情もある。
少し離れているがちゃんとした街で彼女のことを調べてもらいたい。捜索依頼が出ているかもしれないが、ギルドがあるのは街だけだからそこに行かなければ始まらない。
「ルナ、少し辛いかもしれないが背中に乗ってくれないか?」
「アルトお姉ちゃんの背中? ……楽しそう!」
小さな彼女はきゃらきゃらと笑っている。まあ、それが恐怖に歪まないことを祈るのみだが。
「しっかり捕まっててくれ。行くぞ」
背負うと柔らかい感触がある。武人は男社会、筋張ったごつごつとした手に慣れ切っていたが……彼女はどこもかしこも柔らかくてプリンのように崩れてしまわないかと心配しそうになる。
もしも、”むしる”ようなことがあればトラウマだろう。どちらにとっても。だから、細心の注意を払って彼女を支える。
走る。魔導人形は使用しない。慣れているならばある程度の力を引き出せるが、他の二人にそれはできない。装着してついてくる。
「あは! おもしろーい。お姉ちゃんお姉ちゃん、景色が流れてくよ!」
笑っている。中々胆力のある子だと少し笑む。
「ならば、もう少し気合を入れようか!」
私も少しはしゃぎ過ぎてしまった。レインロード街に着くころには……伴の二人は息も絶え絶えになってしまった。
うむ、意味もなく急ぎ過ぎてしまったな。
「しかし、さて……昔は並ばなくともよかったのだがなあ」
門の前は商人や冒険者で列ができている。基本的に流通は街の中だけで完結しているものだ。野菜だのといったものは別の出入り口で近くから搬入され、工場で作れない生活雑貨もあまりない。
だから、ここに居る彼らが売ろうとしているものは必要でもなんでもない物だ。必需品の需要が満たされているから、そんな博打をする。そして暇な街の人間のこと、高値が付く。
危険度も合わせて考えれば、目の前の男たちも一攫千金は夢ではない。……言うまでもなく、9割は夢をつかめずどこかで屍を野に晒すのみであろうが。
何不自由なく暮らせるから芸術品や嗜好品の価値が上がる。そういう意味では、宝石も同じことか。明日、食べられないかもしれない身の上では金銀財宝に価値はない。
「こんな門、意味がないことに誰も気付いていないのだろうな」
そう、明日を知れぬ身……となれば、街の中で砦に立てこもっていても意味がない。そもそも下級の奇械でもこの程度の砦なら壊せるのを誰も知らないのだ。
よしんば衛士たちが頑張ってそれらを退けたとして――この国の衛士では、中級以上は相手にできまい。どうせ、使えるのが最下級の『銅』が精々といったところ。【奇械】の本格侵攻に耐えられる目はないのだ。
こんなもので守られた気になっているなど、ちゃんちゃらおかしいのだ。だが、それをここで口にしても。実際にそれを口にして追放されたのであるが……頭のおかしい女と見られる羽目になっただけだった。
「人が途切れないな」
「ええ、姫様。街の規模としては中級でも、人通りが絶えないわけではありませんよ。村や小さな砦などでは、1か月に1人くらいしか旅人が来ないこともありますが」
「――並ぶの、めんどー。やだ」
ルナが頬を膨らませる。
「悪いな、だが並ばなくてはならないんだ。手遊びくらいなら付き合ってやれるが……ハハ。私は何も知らないんだ、教えてくれるか?」
「うん、いいよ!」
ルナが教えてくれたのはわらべ歌を歌いながら、パンパンと交互に手を合わせるというものだった。歌というものに多少戸惑った。
私は、神をたたえる讃美歌しか知らなかった。こんな、楽しくなる歌など初めての経験だ。
「よし、もう一回だ!」
そして、最後には私の方が夢中になってしまった。
「……僕、もう飽きてきちゃった。別の歌にしない?」
彼女は疲れた表情をしている。しまった、と思う。とはいえ、まだ並ばなくてはならないし、これはとても楽しい。
「ふむ、色々な歌があるのか。……奥深いな」
「アルトお姉ちゃんは何も知らないね。僕が教えてあげる!」
順番が回って来たとき、すで夕方になっているのに気付いて驚いてしまった。……熱中しすぎたことを自覚する。
ついに順番が来た。コネも何もなければ長時間並ばされる。縦割り行政の弊害だった。
「ハハ、かわいい姉妹だな。なんか似てねえし、妹さんのほうは凄い服着せられてるけど、アレお姉さんの趣味かい?」
「そんなわけが……いえ、良いものとは思いますが」
あらぬ疑いをかけられてしまった。ただ、いつもより手早く終わった。まあ、訳アリであっても仲の良い姉妹で無害と見られたのかもしれない。
思い返せば、私たちは互いを疑いあっているような有様だったからな。もはや手遅れとしか言いようがないが、ガニメデスなど私を売るつもりかと疑ってかかっていた。そんな剣呑な連中など、我ながら信用できたものではないだろう。
「――ハハハハ! ま、精々仲良くしてくれや! 世の中、悪いことばかりじゃねえんだ。きっと、あんただってやり直せるさ」
肩に手を置かれた。馴れ馴れしいと思うが、笑って受け流せる。思えば、以前なら余裕がなくて振り払っていた。
もしや、夜逃げした貴族の姉妹と実家付の騎士とでも思われているのかもしれない。まあ、似たようなものだ。姉がそんなものとは比べ物にならない危険物ということを無視すれば。
「ええ、妹は守って見せます」
勘違いも好都合なら黙っておこう。前の私なら訂正して騒ぎを起こしていたかもしれないが、今はルナが居る。
彼女に危険が及ぶようなことはしたくない。
「頼りになるお姉ちゃんで良かったな、お嬢ちゃん?」
「うん!」
ルナは頭を撫でようとする手を案外俊敏な動きでかわしていた。衛兵の男はちょっと哀しそうな目をした。
「では、通らせていただきます」
「まず、両替しましょう」
「そうですね。では、商業ギルドへ――」
「いえ、冒険者ギルドへ行きましょう。多少、手数料は取られますが情報が欲しい。でしょう、姫様」
「それもそうです。では、多少の出費は覚悟するとしましょう」
門の前には案内状が書いてある。この石畳の街はそれなりに広い。魔導人形使いの身体能力を十全に活かせば端から端まで10秒しかかからなくとも、ここまで人間が溢れていればそれもできない。
本当に、街の中の人口密度はすさまじい。姫であったときは隙間もないほど立ち並ぶ人々を見たものだったが、今は視界に100人も居れば人酔いしてしまうようになった。
「……こちらですね」
とはいえ、ルナに弱いところなど見せたくない。カツカツと靴音を立てて、毅然と前を向いて歩いていく。
「――」
てってって、とルナが走ったり止まったりしてそこここに興味を移しながら走っていく。見ていて危なっかしい。
「ほら、迷子になるぞ」
抱き上げたまま歩く。こうすればはぐれない。抱き上げたままでも彼女はアクセサリーにお菓子にと次々興味を抱いて「あっちに行って」だの「やっぱりこっち」だのとせわしない。
散々に寄り道するが、もう時間も遅い。店が閉まり始めるに連れてルナも諦めたようだ。
「――アルトお姉ちゃん、アレ?」
「うむ。……あれだな。残念なことに」
そしてたどり着いた冒険者ギルドは、信じられないほどにさびれていた。扉は錆が浮いていて触れたくない。
「どうぞ、姫様」
見かねたベディヴィアが開けてくれた。
「おや、こんなところに貴族のお嬢ちゃんがよく来たもんだ。何かチンピラに依頼でも持ってきたかい?」
熊のような大男だ。酒の臭気はするが……どうやら酔っているわけではないらしい。ただ掃除が行き届いていない酒場なだけだ。
そして、突っ伏していたのは寝ていただけだった。それこそ客を出迎えるような態度ではない。
「……その前にルナ・アーカイブスという名を調べてほしい」
「うん……? まあ、いいか。いや、載ってねえな。冒険者の彼氏か何かだったりするのかよ」
下卑た視線を向けられる。貴族のお嬢様と冒険者の火遊びでも想像したか。……目に力を込めてそれ以上はほざかせない。
ルナには毒だ。
「ないならば、それでいい」
とはいえ、それは少々予想外だった。 少し、考え込む。
古代文明が残したアーティファクトを利用すれば地の果てであろうと情報は一瞬にして届く。そして、地味に便利なのが検索機能。……キーワードさえ分かれば色々なことが知れる。
とはいえ彼女のことは分からなかった。少なくとも捜索願が出ていないことは確実だ。ということは、貴族の子女という可能性はなくなった。
自分の名前を間違えて憶えている、ということは流石にないだろう。 ――であれば、一体彼女は”何”だ?
やはりスパイ、とは思いたくないのだが。
「ねえねえ、お姉ちゃん。冒険者ギルドって何をするところなの?」
ルナが服の袖を引っ張る。
「ふむ。なんというか……奇械は知っているか?」
「ううん。なあに、それ」
「我々に恵みを与える古代文明、だがそれが滅んだ原因がある。”そこ”では、人間の代りに”機械”が仕事をしてくれるから、人間は働かなくてよかったらしいな」
「ふぅん」
「……だが、ある時どこかから瘴気が溢れて、機械が汚染されてしまった。それが【奇械】、人間を殺すためだけに存在する破壊兵器だ。奴らを倒さなければ人類が滅んでしまう。一方で現代の魔導機械技術を動かすには瘴気の結晶、魔石が必要とされる。それがなければ、この街の機能は動かない。奇械が人間を殺戮する一方で、人間もまた奇械が居ないと生きられないのさ」
「へえ。じゃあ、奇械を倒さないと――食べ物も、着る物もなくなっちゃうんだね? あ、それと魔導人形を動かすにも必要なのかな」
「よくわかったな、魔石がなければ魔導人形も維持できない。そして、新たに作るにも膨大な数の魔石が要る」
「……そっかあ。でも、ここは寂れてるね」
「民主国では、危険を冒す者が少ないのだ。必要な魔石も教国がほとんど独占している。……いや、この国では手に入れようとする者もそういないのだろう。クエストを見る限り、おそらく狩人か日雇い労働者のような仕事しかしていないようだからな」
端で呑んだくれていた男が、手に持つ杯をテーブルに叩きつけて大きな音を立てた。聞き取りづらいガラガラ声でがなり立てる。
「おう、お嬢ちゃんよ。好き勝手に言ってくれるじゃねえか。戦場も知らねえガキの分際でよお」
顔を近づけて睨みつける。やけに左足の足音が硬質で煩い。……見れば木の杖を足に括りつけて義足にしているようだ。
「知っています、あなたなどより……よほど」
アルトリアは睨み返す。
その覚悟の決まった視線に、彼はビビってしまう。何も言えなくなった彼を後目に、店主が口を開いた。
「――チ。用事があるなら早く言えよ。こっちも暇じゃねえんだ」
ルナがケラケラと悪意のある笑みをこぼす。コイツ、やっぱり危ない奴じゃねえかと後ろの二人が疑いを強める。
「宝石の換金をお願いしたい。それと、教国の状況が知りたいのです」
「うちは換金屋じゃねえ。それに教国のことも知ったことじゃねえよ」
「……そうですか。では失礼します」
踵を返した。
「街の人間の認識など、やはりこんなものか……!」
その後、商店を見つけて宝石を換金して宿を取った。そこでも情報は手に入らず、更に足下を見られて安く買い取られた。
この時間ではもう酒場くらいしか開いていないから、宿で味の薄いスープとくたびれたパンを頬張って就寝した。
そう、こんなものだ。街の外には危険が溢れているだけあって旅人は少ない。その旅人のために豪華な宿を建設する必要もないということだ。街に入っても、よそ者には冷たいご時世だった。
この小説お決まりの設定が出ました。魔物は人間を殺す。けれど、魔物が落とす魔石がなければ文明は維持できない。
いつまでも悲劇が連鎖するウロボロスの尾。栄華盛衰とはよく言ったもの、なべて最後は『滅び』である。