ex9話 そこに居たもの、来た者
「奇遇だな、こんなところで」
九竺達チーム【光明】は暗黒島に来ていた。闇に閉ざされた島に、わずかな痕跡すら残さず忍び込んでいた。
そこは生還する者のいない魔の島。災厄以上のアンタッチャブル、人間が関わってはいけない土地であった。他の人間などいるはずがないのに、声をかけられた。
「あんた、何してるんだ? ……なあ、【殺戮者】よ」
もはや【翡翠の夜明け団】はガタガタだ、情報規制も何もない。ルナの遺言こそ秘されていたものの、ヘヴンズゲートの成果、衛星からの写真はすでに情報屋に知れている。掴んだ【災厄】の本拠地はバラされた。
だから、驚いたものの意外ではなかった。彼がここに居たことは。
「ふん、あいつも詰めが甘い。あの恐ろしき【災厄】どもが人類の存続の危機に何もしないままでいるとでも? 隙があれば滅ぼすさ。しかし夜明け団と王都の戦争の隙を突かれるわけにはいかなかったのでな。相手をしてやっていた」
あいつ――ルナ。死んだことになっている彼女。ここに居る面々はルナの幼さを知っている。神と盲目してはいない。
実はけっこう行き当たりばったりなのも知っている。友達のように思っている。
「……ッ! その傷――」
振り返れば、そこには穴だらけの彼がいた。
その体は焼け焦げて呪いに黒く染まり――そして、巨大な孔があった。かろうじてつながっているだけの手足、そして重要器官をこぼして喪失したおよそ生きているとは思えない姿だ。
「……ふん。少し、骨が折れた。まあ、そろそろレーベの奴が星将どもを連れてくるだろう。お前たちもここに来たのなら合流するがいい」
その声には疲れがにじんでいる。
普段の彼を知る者から見れば驚愕に値するだろう。殺意の塊でしかなかった彼が、それ以外の雰囲気を纏うことなどありえないことだった。
まあ、それが【災厄】8体の相手をしていたからだとすれば、いくらなんでも無謀と思う他ないが。
「どうするつもりだ? 夜明け団は」
「それは向こうに聞け。俺は知らん」
にべもなかった。
本当に知らないのだ、この魔力渦巻く暗黒島に通信など届かない。彼はルナと決闘じみた殴り合いをした後、ルナとの戦いで傷ついた星将たちが傷を癒すまでずっと“ここ”で戦い続けていた。
ゆえに知る由もないのだ。そもそも夜明け団がブラック・コアを得たかすら知らない。信じては、いたが。
「俺たちはとりあえず【災厄】を何とかしなきゃならんと思ってここまで来たが……あんたも似たようなもんかよ」
情報がないのは九竺も同じことだった。
さすがにルナの遺言の内容までは流れてこない。タイミングそのものは偶然だ。だが、S級冒険者の嗅覚は“ここ”こそが正念場と察知した。それは彼らが築いた経験によるもの、嗅覚だ。
「ルナは思い通りにならなかったら世界の一つも消すさ。そうなっていないのなら、まだ翡翠の意思は生きているということだ。あいつらが諦めないのならば、〈黄金〉に至る手伝いをしてやるとも」
けれど、友達だから分かることもある。
ルナの性格から逆算すればまだ捨てた状況でないのは分かる。彼女は重要なものが王都に簒奪されることがあれば、そいつに爆破の一つも仕込んでおく性格だ。やると確信していた。
そうなっていないのだから、まだ予定通りに進んでいるということ。そして、彼は時間稼ぎをしていたのだろう。災厄が世界を滅ぼす、そのタイムリミットを。
「そう……か。あんたは――」
「少し疲れた。ああ、あいつらも来たようだ。先に行け」
死んだように、目を閉じて。
「……ああ」
そして、“それ”が来る。空を切り裂き飛来するそれ。
九竺たちは冒険者だ。たとえ一般の冒険者が下級魔物たる犬を狩るその日暮らしの駆除業者のようなものだったとしても、S級たる彼らには冒険が本職である。この暗黒島に痕跡さえ残さず侵入することができた。
しかし、【翡翠の夜明け団】は違う。彼らの本質は魔人、そして破壊者である。コソコソと忍び込むなんて真似はしない。
ゴゴゴゴ、と轟音がする。爆音が連続して鳴り響いて地の鳴動のような揺れが鼓膜を揺らす。
――飛行船にロケットをくくり付けぶっ飛ばして空の領域を侵す。
向かい撃つ黒霧……ここは【災厄】の本拠地、ド派手に侵入されたからには反撃する。愚かにも災厄の領域を我が物顔で飛来する飛行船は一瞬で破片一つ残さず、粉みじんに消し飛んだ。
否。一つ、影が飛び出した。弾道ミサイルに似ているそれ。飛行船中央部に収納されたロケットが爆発に耐え、爆炎の中を突き進む。
飛行船では耐えられるなどと思ってはいないが故の、二段構えのロケット式超高速突破だった。
「……オオオオオ!」
【反逆を翻すモノ】サタン。災厄の一柱がそれを追いかける。油断などない。傲慢などもはや捨てざるを得なかった。
人類を滅ぼせず、ただ一人の人間相手に邪魔され人類殲滅の絶好の機会にも関わらず座視するしかなかった。
――もはや、後はない。
いつの日か世界を滅ぼすことを夢見て……などと言っていられる状況では、もはやない。人類は己らを害する術を手に入れた。
この機会を逃せば、人類は地上を支配するかもしれないのだ。魔物たちを燃料に代えて文明を築き上げる、そんな未来を許せないと思うからこその正念場だ。
「コロス。……ココデ、コロス!」
――倒さなければ!
必死なのは人類だけではない。【災厄】たちも己の存在を賭けて敵を滅ぼそうとしていた。
絶滅するのは向こうの方だ、と。命をぶつけてでもここで人類最強、最後の戦士を倒す。そうすれば、仲間が全ての生命を絶ってくれると信じている。
「させない……ッ!」
8人が乗ったロケット。先に飛び出す影が一つ、白露照だ。空中で衝突する。
「あ……! ぐっ! ぎ――アアアア! まだ……まだ、私は――己一人で成し遂げたことなんて、なにも……!」
槍の一振りでサタンの死力の一撃を真っ向から砕いた。
物質化した闇、反逆の呪により死の運命を押し付ける“触れれば数秒で死に至る”漆黒の闇を跡形も残さず消し去ったのだ。
それだけではない。絶対であったはずの暗闇が晴れ、ひび割れたサタンの姿が現れる。
「オ……オオ……オオオオオ」
空洞のような、虚ろな木霊のような声。しかし、べったりとした怨念がこびりついた、精神を闇に閉ざす金切り声である。
「あ……ぐ……アア! 私は、私はァ」
残った右腕が砕け散る。槍の代償、ヒビが胸にまで浸食して――
「お前を、倒せば――」
空中に浮かぶ槍を見る。もう、掴む腕はない。両の足の感覚はとうに消失して、踏ん張るべき地面ははるか下。
自信と自負に溢れた星将たちの姿に憧れた。それでも何かをしたい、やり遂げたいと思ったその心だけは嘘ではなくて。
「……おお!」
歯で、噛んだ。しっかりと掴み、敵を見る。倒すべき敵――生まれた時より幽閉され、ルナを倒し
たときは不意打ちだった。やりとげた実感はない。
それでは”何かを果たした”という感慨を持てなかった。だから、命と引き換えでもいいから、一つだけでも人生の中で“やり遂げた”と思いたくて。
「同感だ、あいつらにばかり手柄を建てられてたまるものか。俺も、【災厄】殺しに――星将、最初のォ!」
槍を掴む腕。触れたそばから砕け散る。それがどうしたと力を込める。クーゲル。ヘヴンズゲートに参加した第4世代、にも関わらず新たに加わったサファスよりも数字が下位であった。思うところはあった。
だから、ここで果たす。槍が、アリよりも鈍いスピードで、だが確実に敵の核へ埋まっていく。
「オ……オオ……オオオオ!」
サタンは人類を滅ぼすために生まれ落ちた。世界を破壊するために。だから“ここ”が転換点。最終地点。
これを逃せば己らは滅ぼされるだけ。ゆえに、今――この敵を、命を使ってでも滅ぼさなくてはならないと理解していた。
――瞳に宿る暗い炎が交錯する。
「あは。私も、やりましたよ、お母様。【災厄】を――」
槍は闇ごとサタンを貫いた。照、かわいらしい笑みを浮かべて。クーゲル、皮肉気な笑みで。槍、だけが落ちる。
ロンギヌスを振るえば、待つのは死以外にあり得ない。魂すら残さず砕け散る完全消滅だ。
「……ホロベ、ジンルイ、メ――」
苛烈な赤い瞳が輝く。燃え尽きる前のろうそく。闇が、爆発して――槍は地面に突き刺さる。それは誰かが持たなければ効果を発揮しない。
ただの硬い槍となったロンギヌスが暗黒島に深々と刺さる。もはや、使えはしない。一仕事を終えたサタンもまた塵となって消える。
――白露照、クーゲル死亡
――【反逆を翻すモノ】サタン、消滅
レーベが叫ぶ。
「残りの災厄は7つ! すべて滅ぼせ! 一片すらも残らず殲滅しなさい。我らが『心御柱』を打ち建てんがため、この地を血で染め上げなさい!」
応えは沈黙。鬨の声などど、そんな余計をしては【災厄】に討ち滅ぼされる隙を与えるだけだ。
7体の災厄の全討伐。絶望的なほどに遠い目標だ。ヘヴンズゲートの時とは違う。あれは時間が来れば衛星掃射砲が全てを焼き尽くしてくれた。
だが、今回は手ずから全てを討ち果たさなくてはならない。
なぜなら、黄金六芒星を絶対錬成するための心御柱は破壊できてしまう。そもそもこの世に破壊できないものなどない。災厄だって槍であっさりと砕けたし、“世界”そのものですら、ルナは壊さないように常日頃から気を使っている。
6人となった魔人は空中でそれぞれ思いの方向に飛んで、【災厄】を倒すための戦いに臨む。