ex7話 『現在』の抹消
人工衛星『魔天牢』が墜落した――その別の場所に、ある男が足を踏み入れていた。
「さて……ここか」
見渡す限り一面の砂漠。この風景が他とは違うところなど何もない。違和感があるとすれば、それは勘違いに他ならない。
「10年や20年どころではないな。自然に飲まれて一体と化したか――が、この【現在】の目はあまねく理を見通す」
足を高く振り上げ――振り下ろす。それだけでクレーターができた。そして、その底には金属の光沢が。装甲に覆われたそれは地下の秘密基地の一部だった。
「さて、行くか」
装甲に指をめり込ませて引っぺがす。腕力だけに頼った技術も何もない力技。それだけにこのような真似は星将の誰にもできない。
それは200年間も誰の目にも見つからなかったO5の居城。大いなる歴史をもつそこを、己より重要なものなどないと確信する彼は我が物顔で歩いていく。
――決して見つからぬはずであった【翡翠の夜明け団】の心臓と呼べる場所に、最後の【ノルン】の姿はあった。
「終わりにしようか、【翡翠の夜明け団】という絵空事を」
〈君は世界の全てを支配する気かね?〉
電子音声が返ってくる。それを発しているのは脳髄のみで生きながらえる人の身を捨てた魔人。裏の全てを取り仕切っていた【翡翠の夜明け団】――その総帥。
「それができるのは、この【現在】を置いて他にない。過去も未来も人の認識が生み出した夢幻に過ぎん。絶対的な現実は、現在にしかないのだよ」
〈愚かだな、民衆は知恵も力も望んでいない。彼らが望むのはただ安寧であるのだ。何もせずに暮らしていける怠惰こそを願っている〉
彼も夜明け団も、大別すれば悪の側に収まるのは間違いがない。彼らは人々のことなど、全くもって愛してなどいないのだから。
ゆえにその会話は人間性を排除した”支配者”の言葉であった。
「ならば、やはりこの【現在】しかない。民衆に知恵を与えられるのは神しかいないがゆえに」
〈それは不可能である。かのヘルメス卿ですらもできなかったこと……偶然に発生した強力な個体ごときでは望めぬ業だな〉
〈数刻前まで【王都】と【翡翠の夜明け団】こそが世界を支配していた。――しかし、王都が消えたところで貴様が成り代わることなどできはしない〉
「王都はあの魔物もどきに飲まれた。そして、夜明け団に王者たりえる資格はない。民を束ねる覚悟などありはしない。貴様らのことがどう伝わっているかくらいは知っているだろう? 悪鬼羅刹のごとき言いざまだぞ。それができるものは私以外にないのだよ」
〈それがどうした? 醜聞など、真実には関係がない。真実は伝わらないのだ。民衆が信じるのは己に都合のいい風聞でしかないゆえに。そのような移り変わっていく噂話に関わる意義などない〉
「うまく利用してやればよいものを。【過去】を始末してしまえば、もはやあれらに頼れるものはこの【現在】を置いて他にない。私こそが唯一絶対の永世王として君臨するのだ」
〈くだらん、それだけの能力があってやることが”上に立つ”だけか? 無能の上に立って偉ぶったところで何が変わると言う〉
そして、O5は裏から人類史を支配してきた自負をもってそれを言い放つ。
〈歴史など勝者によって書き換えられる儚きもの。我々にとって唯一絶対の価値あるものとは――”勝利”である〉
「否、私は生まれながらに勝利している。ゆえに我は王として君臨する。それが神として生まれた責任であるのだ」
完全に平行線だ。もっとも一般市民の価値観とかけ離れていると言う点では、どっちもどっちであるが。
【ノルン】にとっては神としての自負が全ての自己性愛者で、【翡翠の夜明け団】は勝利の美酒に狂った己が命すら打ち捨てる中毒者だ。
「――ああ、そして貴様らの最期は苦い敗北の味だ。万一にでも、王となりえる異端は排除しておくに限る」
4つのカプセル、そのうちの脳髄の入った3つを破壊した。
「……ッ!」
しかし、気付く――上。上から何か来る。彼らノルンの三人は勝手に王都にあったデータを見ていた。だからその兵器を知っている。
超高精密遠距離ミサイル……夜明け団がプロジェクト『ヘヴンズゲート』において襲来した【災厄】と戦う隙に撃ち込まれたそれ。不完全であるが再現した。ありもので作った複製品であるがゆえに目的地の変更などはできないありあわせだった。しかし数はある――それも6基。
「こんなものを。あの脳髄ども、よくもこんな骨董品を持ち出したものだ。いや、王都では最新兵器だったか……?」
直撃した。もはや場所を割られ秘密基地であった意義がなくなった本拠地と言えど――すぐに不要と総帥の亡骸ごと爆破する選択肢は普通取れるものでもない。しかし、夜明け団はそれをやる。”勝つ”ために。それが目先のものだとしても。
……この戦いが、ルナの遺産には何も記されていなかったとしても。
「ああ、うるさい花火だな」
ミサイルが基地を完全に焼き尽くす。そればかりか地面が陥没する。
すべてが落ちる――脳の維持保管には大量の水が必要だった。技術の進歩とともに不要となったが、基地の下部に流れる地下水脈を使い尽くしたために空洞ができた。崩落し……その空洞に墜落する。
「……埃がついた。不快だな。ああ、まったく馬鹿げたことをする」
見上げる。バラバラになって墜落したそこは数百mの深さである。人間であれば脱出不可能、かのスカイ・ハイでも気流が滅茶苦茶になって上がれない。だが、【現在】は違う。
あらゆる薬物を合成可能な生産工場【未来】とあらゆる特殊能力を扱える究極のハイエンドモデル【過去】、彼らに対して【現在】は何一つ特殊能力と言えるものを持っていない。
「やれやれ、さすがに運動にはなったか」
人類では脱出不可能の断崖絶壁を昇りきってため息をつく。
この男はただ強い――その能力は身体能力が高いこと以外に何もない。けれど、基地の爆破をその中心で受け瓦礫と一緒にフリーフォールしても目立った傷は見当たらないほどに”強い”。
「だが、ダメージがないわけではない」
そして一人の男が降り立つ。高速鳥による輸送だった。
「貴様は――」
「【星将】シュトレ・ファラだ。神を名乗る不届き者に世界を好きにさせはせん」
「ああ、位置が割れたなら来ることもできるか。貴様とて知らなかったんだろう? あの脳髄どもの本拠地など」
「……脳? なにを言っている」
「知らんか、哀れな奴だな。己が仕える者の真実も知らず、道理も知らず。ならば、この【現在】が教育してやろう――神に逆らう愚かさを」
敵は無造作に近づく。技術なんてものはない。武術などと言うものは知らない。ルナはシミュレーションによる身体使用の最適化を図っていたが、それさえもない本能の動きだ。
なのに、ただ何気なく近づいただけなのに、シュトレは反応できない。純粋な身体能力さえあれば、他のあらゆるものなど不要なのだから。
「……速い!」
純粋な身体能力。獣でもなく、人間でもなく、機械ですらないその動き。
「魔人が、神に勝てると思うな。【神の一撃】」
大地すら割る拳がうなる。そのテレフォンパンチは、ボクシングであれば0点と言われるところだろう。しかし、そんなものは関係なく”それ”は強力にもほどがある。
「っちィ!」
シュトレは避ける。
ルナとの模擬戦が役に立った。自分より速い相手の戦い方は知っている。そして、ルナが相手であれば近づかれた瞬間には殴られている。
敵はルナより速いとはいえ、動きが大振りに過ぎるから対応できた。まだ生きている。
「【二撃】」
ぐるんと体をひねって回し蹴り――技の連携など考えていない。逃げ決めなどと言ったが、それは言葉の通りに2回目の攻撃でしかない。しかしその一撃は速く重く……強い。
「ぐ――う……!」
対してシュトレは常に次の手を考えている。さらに意識しなくても敵の攻撃から逃れるためにフェイントをかけながら後退する。模擬戦中に動きを止めれば鞘で殴られる。その経験が生きた。が――
「いい加減にうろちょろしすぎだぞ」
三撃目が来る、蚊を払うような一撃だ。攻撃と言えるかどうかさえ分からないような”それ”。けれど完全には避けられなかった。
敵が強すぎて対応が間に合わない。かすっただけだと言うのに皮膚がえぐれた。
「さすがに強い――」
丸薬をかみ砕く。『賢者の血石』、それは寿命を削るドーピング。シュトレの能力――『クリムゾンファング』が漏れ出して赤熱の爪を形成する。
「ふん、多少は魔力が増えたか。だが、その程度の炎では神には届かない。精々地面でも焦がしているがいい」
「試してみるか?」
挑発を受けて【現在】が動く。否、彼が警戒することなどない。そのステータスの暴力で全てを踏み潰すのが、神の義務であるとすら思っている。
「多少速くなったところで――な!」
「我が能力……『クリムゾンファング』。敵を貫け!」
F1にニトロをのっけて速くしたところでその分ピーキーになるだけだ。ブーストしたところで同じ、どころかもっと悪い。角を曲がることすらろくにできなくなる。けれど――シュトレはさらにブーストをかける。
「き……さ……まァ」
「もっと鋭く! もっと熱く!」
まるでタブレット菓子のようにいくつもかみ砕く。当然その魔力全てを吸収できるわけではないが――威力は増す。
過剰に使用したブーストが己の身体を蝕もうと構わずに。勝利のためなら、一秒後の命すらも要らぬと。
「ち――傷が!」
しかし【現在】は身体能力が高いゆえに治癒機能も高い。けれど、”それは異能ではない”。未だ基地ごと爆破されたダメージが残っていた。そして、シュトレの爪は人類の範疇から外れた彼の皮膚さえも貫いて――
「馬鹿な。神が人間ごときに――」
致命傷。心臓が破れれば【現在】にはどうしようもない。【未来】なら薬物で不死化、【過去】は能力で身体を繕うことができたが――彼は特殊能力は持っていない。
「私の勝利だ」
賢者の血石の負荷に耐えかねたシュトレの身体は灰となって舞う。
「……は。勝利だと? 先に膝をついたのはお前だろうが……」
彼もまた倒れる。仲間のように馬鹿げた手段での延命などできないがゆえに――心臓を貫かれた彼はここで死ぬ。助かる道はない。神とは孤独であるがゆえに。
「それで死んで何になると言うんだ……」
最後に漏れ出たのは心からの疑問だった。
これで王都は完全に殲滅されました。生き残りはいない、O5も消えた以上はもう政治ができる人はいません。これで法が完全崩壊、ヒャッハー世界の到来です。産業の核の機関はもう新造できないので、武力で奪い合う世界が来た。
ただ西欧大陸は上級魔物が闊歩している地獄だからそこよりはマシと言えます。こっちの大陸はまだ両の手より少ない数しかいないから、人間同士の血で血を洗う争いに。
でも落ち着いて話し合える人が居れば、皆で協力できるかもしれない(棒読み)。西欧大陸だともはや安全な場所を探し求めてさまよう日々であり、地上の支配者レースから人類は完全に脱落している状態です。