第109話 権限なき会談
夜明け団と王都は裏で繋がっていただけあって、幾度もの――数えるのが不可能なほど会談を重ねてきた。もちろん”上”の人間は外に出ることはない。互いに交渉役の人間を派遣してきた。
その会談は常に夜明け団の方が”下”となってきた。
実力云々ではなく、損して得取れなんてことを王都はできなかったのだ。国内では常に”最も上”が彼らだから。遠慮なんてしないで居丈高に色々と無茶な要求をした。
材料費以下の金で街道作れとか、工場作れとか。そしてそこにつけこんで団は街路に無数の盗聴器や発信機を埋め込んだものだが。
ブラックボックスになっている個所を除いては空からの監視も含めて王都の監視は完全である。もっとも軍事施設と王城の重要区画についてはほとんど情報が入ってこないのは、腐っても人の上に立って弾圧することにかけては長年の歴史を誇ってきた王都である。
「今日はお越しいただきありがとうございます。フェルさん」
会談は常に無関係な街で行われる――ということになっているが、実のところは夜明け団に関係がなければ王都に関係がある。
ここは王都が裏で有形無形の影響力を及ぼしている場所。機関は産業の核、なければどうにもならないから、この二者に関係ない勢力は”奪って使う”犯罪組織のみであるのだ。
「いえいえ、本日はどのような用で? 佐々木さん」
パリッとしたスーツにいかにも交渉がうまそうな王都側の交渉役佐々木耕三に比べて、団側のデーン・フェルはぱっといない印象が強い男だ。それもそのはず、その仕事ははばからずに言えば閉職である。
要求をかわし続ける体力が無くなれば、さらに下に回される立場の彼では仕事ができないと言うのは見た目通りの事実であるのだ。
「ええ……実はですね」
今日のこの会談は佐々木が頭を下げ、必死に頼み込んで実現したものだ。フェルには王都の状況が落ち着くまでは要求は無視し続けろとの命令が出ている。実はここに来たのもグレーゾーンに近いのだが、それは佐々木の手腕と言える。
二人の前にコーヒーが置かれる。街の喫茶店の一つ、こういう少し寂れた店が介入を防げていい。ここを選んだのはフェル……街は王都が選び、どこに入るかは団側が決める。
「あんたら、舐めた真似してくれるじゃないですか……!」
眼鏡をクイ、と上げ威圧する。人を殺せそうな視線とはこのことを言うのだろう。
会談実現のために滅茶苦茶な低姿勢を見せておいて、本番ではこれだ。”言わせたもん勝ち”という交渉の基礎をよくわかっている。
「ふ。はは――で? それはルナという者が勝手にしたこと。我々の方で事実関係を調査して、後に顛末を書類にまとめます」
だが、それだけでブルってハイハイうなづくようではそもそも交渉役として落第だ。
役者が違うのは事実だが、臆すことなく原稿を読むように言いあげた。少しニヤニヤしているのも当然――これは言われたことをそのまま返したのだ。
『ヘヴンズゲート』の時にミサイルをぶち込まれたことに関する追及をそれ一辺倒でかわされた。今度はこちらの番とほくそ笑む。
「それで済むと思ってるんですか……? 我々の受けた損害、どれだけになるか計算するのも恐ろしいのですよ」
「さて、まずは証拠を出していただけますかな。証拠を見せてもらえないようでは、まずもって責任など取りようがない」
もちろんこれも言われたこと。ヘヴンズゲートの時には悔しい思いをした。仲間たちが大戦果を挙げたと言うのに、相手はのらりくらりと魔石を盗んだことは認めず、ミサイルは責任者を更迭したから関係ないと言い放った。
結局のところフェンの力では、王都に対して追及できなかった。
後にスパイに聞いたところ、開発責任者は名前を変えて待遇は何も変わっていないようだ。しかも、現場責任者に大きな責任をかぶせて――そいつはルナが殺していると言うのに、死刑にして責は取らせたから話は終わりという態度だ。
「ふゥー。あなたは責務と言うのが分かっておられないようだ。いいか……? こっちはトサカ来てんだよ。そんな”おためごかし”でごまかせると思っちゃあいけねえなァ……いけねえよ」
「……ッ! だが、証拠を示してもらえないことには何とも」
一瞬、ひるんだ。
「ほらよ」
黒い小さな箱。言ってしまえばUSBだ、そのものとは異なるが。
「そこに奴さんの映像が入ってる。証拠だよ、どう責任を取るつもりだい?」
「さて、私の一存では何とも。とりあえず、持ち帰らせていただいて証拠として通用するか議論させていただきます」
「……いや、ここで見てもらおうか」
「はぁ。いや、それは――」
「かまわねえだろう? 再生機は持ってきた」
「それは、まあ構いませんが――」
言質を取ると佐々木はさっさと起動し、渡した黒い箱を受け取って差す。そこにはルナの宣戦布告が映っている。
「これが証拠だ」
「いやいや、そんなこと――」
ガン、と踵を踏み下ろす。不思議と客はそちらに視線を向けない。……まあ、殺気だっているカタギではありえなさそうな奴らに視線を向けるなど、身の危険を察して余りあるものではあるのだが。
「見た。ならば、感想を言ってもらいましょうかねぇ……!」
「はぁ……感想、ですか」
「団の意思じゃない、あんたの感想を聞きたい。悪いことでもねえだろう。そのくらいの責任は果たしてくれてもいいと思うぜ」
答える必要はない。というか、全てにおいてどうとでも取れる言葉しか返さないのが佐々木の交渉手法だった。が――フェルは佐々木ほどの役者ではない。
「いや、そうは言われても――」
「で、そんな逃げてるばかりじゃなくて、あんたの言葉を聞かせてもらいたい」
「……それは、確かにいきなりだとは思いましたが」
「ほう? いきなり、ねえ。何がいきなりだと思ったのでしょうかねえ」
「いや、突然といえば。そりゃ……」
「つまるところ民を見切るにしても突然過ぎたと」
「いやまあ、民衆は勝手なこと言ってましたが ……」
それとこれとは違うとは言わせなかった。役者が違いすぎた。引き出したい言葉だけ引き出して、他の言葉は抑え込んで言わせもしない。
「勝手な民衆を見切った。だからすべて滅ぼすことにした。まったく、困ったものです」
牽強付会、というには相手が言ったことに無理やり継ぎはぎしただけだし、誘導尋問と言うには自分でそれを切りこんでいる――だが、この会談は文章に起こされるわけではない。言い切って反論を許さなければ有利になるだけの……本質としては議論ですらない争論だ。
「彼女はあなた方の管轄だ。責任を取ってもらいましょうか」
「その責任とやら自体も……」
「先ほど、あなたが認めた。かのヘルメス卿が民衆を見切ったと。であるならば、あなた方は責任を取らなければなるまい」
フェルは意図せず椅子を引いてしまう。もう交渉は終わりにしたかった。ここまでやられてしまえば、撤退する以外に何も考えられなかった。
「とにかく、全ては帰って議論してからになります。その件も含めて、きっちりと報告させていただきますから」
これは、困ったことになってきた。フェルは当初思い描いてきた有利なはずの立場が、今や崖っぷちだと思い始めてきた。
「いいえ、今。ここで答えを貰う。この状況は一瞬の遅れが致命傷となる。タイムリミットを考えれば、1日でさえ失うことはできない」
さらに威圧を。ここでは散々ヘヴンズゲートの時に後で後で、を繰り返して今に至るまで引き延ばしてきたことなどおくびにも出さない。
「いや、だからね。ちゃんと報告しますからって」
「それではいけないのですよ。あと5日……わかっているのですか?」
「分かってますって。こちらの”上”なら1日も必要ありませんから」
「我々の方では私が預かっています。今、この事態で1日失うことがどれほどの損失か、言って聞かせましょうか。私の言葉は王都の総意と思ってもらって結構。だから、ここで答えはもらいます」
もちろん、譲歩を与える許可などない――譲歩したならば処刑してなかったことにするのは王都の方で、命が危険なのは佐々木の方だ。
なんだかんだ、団は交渉役が言ってしまったことを飲むのだから。
けれど、ここでは気迫こそ全てで、そして佐々木は自身の交渉術に自信を持っていた。権限を預かっているとは言っていないし、できないことはしない。
「ああ――もう。急げとも伝えておきますから。とにかく報告しますから」
相手は逃げたがっている。それに思考を囚われて、逃げられればなとでもいいとさえ思っている。ここまで来れば、と佐々木は気合いを入れる。
実は不利なのは一方的に佐々木の方であった。今、王都はしっちゃかめっちゃかで攻められたら終わる。結局のところ交渉を決めるのは正義などではなく武力で、そして王都は武力をきちんと扱える状況にない。
団は未だ王都を攻め落とせるだけの戦力を保有している。
「ここで決めていただきます」
どすん、と座り込んだ。何か結論を引き出すまで帰らないと言っている。
交渉とは後ろにナイフを隠し持って”いつでも殺せるぞ”と殺気を飛ばし合うもの。今、佐々木の手にナイフはない。取り落としてしまったが、気迫で後ろ手に銃の幻影を見せていた。
「うう――」
一方でフェルは自らがナイフを持っていることなど忘れて。
帰らない宣言をされれば、自分も帰る選択肢は浮かばなくなるものだ。人間と言うのは不思議で、空気を読んで、空気を読まない行動は選択肢に上がらなくなる。
「さあ、さあ、さあ――」
「ぐぐ……ぐぐぐ……ッ!」
悩んで、悩んで――そして。
「な、なるべく早くするように私の方からもお願いしておきましょう」
逃げた。これはフェルの、というより夜明け団の人事のお手柄だ。フェルには重大な決断などできはしない、侮られているようだがそんな気質を買われて交渉役になったのだ。
「それは――そういうわけにはいかないんですよ」
何の変哲もない、フェルが選んだはずの喫茶店……一人か二人の客の入れ替わりはあった。だが、全員が席を立つことを見逃すほどフェルは警戒心が薄くない。
なのに、全ての客は銃を構えていて、狙いを付けられていた。
「こ……これは……」
ルナのせいで佐々木の後ろ手にナイフはない。だから、こういう”手”も用意していた。この街全ての喫茶店に細工をするなんて大がかりな仕掛け、そこまでするはずがないと思うからこそはまる。そう、フェルがどこを選んだかは関係ない。”全ての店”に工作は終わっている。
建前の場で本音を持ち込まないように、交渉の場で本物の武力を持ち込むことは許されない。だが、本来”武力を行使できない”とは獲物になるということだ。
金持ちが強盗団に脅された状況を想定してみよう。「私は武器を持っていない。だからそっちも武器を降ろしてくれ。そして金は渡さない」などと通用するわけがない。
禁じ手……というか、犯罪だが手札の一つ。切ってしまうのも効果的だ。
「逃がしはしない。ご安心を、危害を加える気はありません。ですが、ここで何らかの結論を貰わないと開放することはできません」
――このように。力なき者の意見に意味はない、先ほどまで佐々木が立っていた立場に今はフェルが立っている。組織と組織……ではない。実際に銃弾がフェルを狙っている。
「脅迫で言質を引き出して、それが有効だと思うのか、佐々木耕三……!」
「あなたこそ分かっていませんね、デーン・フェル。我々はただあなたに席を立ってもらっては困ると言っているだけだ。何かの言葉を引き出すために脅迫しているわけではない。ご自由にしゃべってもらって結構です」
「ぐ……ぐぐぐ――」
「さあ、翡翠の夜明け団はヘルメス・メギストスの蛮行に対し、どう責任を取るつもりか。答えてください」
「そ……それは。事態の解決をもってでしか……」
「解決と。それでは、被害を受けた王都の損失も解決していただけるということですな。それは良かった」
「……え。いや、私はそんなつもりで言ったわけでは――」
「いえ、私はしっかりとこの耳で聞きましたので。では、このことを王都へ報告させていただきます」
どんな手を使おうが、勝てば官軍。正当性は後でねつ造すればいい。佐々木はむしろ誇るかのような晴れやかな顔をして立ち上がる。
「ま。待って――」
負ければ、負ける。ただそれだけでしかないが、これは確実にフェルの人生と評価においての最大の汚点であり、一生消えない深い傷……
「皆さん、今後は私の護衛をお願いします。さて、通信を」
勝った、と意気揚々と引き上げようとしている彼らを――旋風が襲った。
「あの時、すでに交渉は決裂していた。かのヘヴンズゲートで貴様らが英雄たちの功績を奪い去ったあの時より、戦線は開いていた。我らは無抵抗主義ではない、倒されながらも反撃する機会を待っていただけだ。我々は戦争状態にある」
血に濡れた、体に生えた牙を消す。彼こそ――
「貴方様は、第四星将、【金剛卿】ルート・L・レイティア様。私ごときを助けに……!」
「こいつに使い道があるから回収に来ただけだ。行くぞ」
拝み始めるフェルを放置して、気絶させた佐々木の首根っこを掴んでヘリに乗り込む。フェルもまた急いでヘリに乗り込み、炎上する街の光景に息をのんだだった。
王都と夜明け団の関係の歴史
* I.E. インダストリアル・イラ。西欧で機関を開発、実際に使用された年を0年とした年号
I.E.4年: 機関を西欧から輸入、翡翠の夜明け団の前身となる集団が解析して複製した
I.E.6年: 王都が機関技術を工業的に発展させ、集団はその技術でもって人類の覇権を打ち立てる運動を始めた
I.E.10年: 魔術陣を紙に描き、大量生産する技術が開発された
I.E.11年: 排斥していた亜人種への本格的な戦争を開始する
I.E.16年: 亜人種の殲滅を進める王都と、あくまで国内における覇権を望んだO5が対立する。
I.E.25年: 袂を分かち、彼らは翡翠の夜明け団と名乗り闇に潜んだ
I.E.214年: ルナが夜明け団に参加
I.E.217年: ヘヴンズゲート開始
I.E.217年: ヘヴンズゲートを察知していた王都は襲撃をかけ、ドラゴンの魔石の9割を奪取した(エレメントロードドラゴンの魔石は奪取できず)
I.E.217年: 次の手として侵攻をかけ、公開されている重要拠点を潰した。現在は夜明け団関連の施設へ散発的な略奪が行われている
王都側の認識:戦争は終わり、あとは民衆が勝手にやっているだけ
夜明け団側の認識:停戦など結んでいない。戦争は続いている
I.E.217年: ルナの世界殲滅宣言
I.E.217年: 戦争が終わっていると思っていた王都はルナの先制攻撃に怒り狂い、交渉で色々と財産を吐き出させた後で1年かけて戦力を整備して潰す気である。