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第107話 愚者


 夜明け団の支配に抵抗する街の一つ、豪奢なパーティルームの中で仕立てのいいスーツと高価な宝石をあしらったドレスたちの隙間に、少しみすぼらしく思える新品のスーツに”着られて”いる男がいた。


「――はは。いやね、私はこうなると思っていたのですよ」


 その男は気後れもせず、権力者と一目でわかるような派手派手しい男とワインを飲みかわしている。


「そうですとも。いや、麻陽(あさひ)さんのお目は確かでしたな。ははは……」


 麻陽(あさひ)摩分(まわけ)、この場違いな男がなぜこんな場所に居られるかと言うと、この男がパトロンだからだ。

 そして、権力者の思考などどれも同じだ。珍しいものを自慢する――とにかくでかい顔ができれば何でもいいのだ。だから、有名になった彼を連れてきた。見世物小屋の動物のごとく。


「まさか。貧民窟で生まれた私がここに来れるだなんて思ってもいませんでしたよ。いや、出世したものですね。あ、ワインもらえます?」


 見せられている彼は自分が見世物だとは気づいていない。彼が発信した真実を皆が認め、権力の座に座ることを許可されたのだと思って浮ついている。


「おお、そうだ。確か海からとれた天然物の貝があったはず。おい、持ってきてあげなさい」


 彼が話しているこの男がパーティの主催者だ。まあ、彼と言う珍獣を見せびらかすために開いたのだから当然と言えば当然か。サル扱いの珍奇なものを見る好奇心であることに気づきもせずに、麻陽は卑小な自尊心が満たされていくのを感じる。


「ほほう、天然物とは。……珍しいだけで実際は機関(エンジン)製のものでなければ、食べられたものではないと聞きますが」

「それは違うのですよ。確かに開拓民の食べているようなものは食べられたものではありませんがな。海産物だけは天然物に敵わない。一度食べてみれば違いが判るでしょう」


「む……では、一口。……ぐ。ああ、いえ。おいしいですな、これは」


 そう言って彼はもらったものを遠ざける。どうやら潮の匂いが合わなかったようだ。機関は小麦や米といったものの方が得意で、あまり複雑な風味と言うのは庶民の口から縁遠い。


「そうでしょう。今、麻陽(あさひ)さんは原稿を書いていらっしゃるとか。私に先にお教え願いませんか」

「こんな状況になったら、そりゃ筆も乗るってもんでしょう。書くことはたくさんありすぎて一口には言えませんや」


「そう固いことをおっしゃらず。あなたを支援する一ファンとして、興味が尽きないのですよ」

「それを言われちゃ、しょうがありやせんや。ヘルメス卿を名乗るルナ・アーカイブスに新たな異名がつけられるという話をご存じで?」


「いや。だが、世界を滅ぼす発言をしたのだ。異名の一つや二つはついてもおかしくはありませんな。民衆も口々に勝手なことを言い出している頃合いだとは思いますがね」

「いえ、私が言っているのはそういうことではありません。夜明け団の奴らが、新たな異名を送ると言うのを聞いたんですよ」


「ほう。あのテロリスト集団が。まったく、あのような声明を出させて何を考えているのか。世界に害しか及ばさない困った奴らです」

「ええ。その彼らが大層な異名を送ろうとしている、と。人類に牙を向けた反逆者に――ですよ。まったく正気とは思えない」


「ああ、まったく何を考えているのやら。さっさと気狂いは始末していただきたいのですがね」

「なに、いずれ誰かが始末するでしょう。もちろん、そのスクープは必ずものにして見せますよ」


「はは。頼もしい――」


 なぜ彼らがパーティなんかを開くほどにのんきでいられるのか。それは、重要な事態は誰かが勝手に解決してくれるものと思っているからだ。馬鹿げた楽観かと思うかもしれないが、実例があるから馬鹿にできない。”あった”のだ、次があってもおかしくない。

 そう、事実……〈黙っていたらドラゴンによって封鎖された空が解放されていた〉なんてこと。もちろん、民衆はそれを夜明け団の功績だとは認めない。認めたらその利権を自分たちのものにできない。空を使えるようになった事実は認めても、自分が誰かに身銭を切るような真似はしないのだ。




「ふぅ――」


 ワインを飲みすぎてふらふらになった麻陽摩分が寝床に向かっている。好奇の視線を尊敬と勘違いして、がぶがぶとたらふく飲んでいたのだ。もちろん、そんな様をサルめと馬鹿にされていたのは知る由もない。


「おや、大丈夫ですか?」


 ここは人通りもあるが、明らかに酔っているこの男に近づく者はいない。誰しも厄介ごとに巻き込まれたくはない、そして”ここ”はその気質が強かった。何やってんだ、こいつ――と通りがかった者は速足で通り過ぎていく。

 けれど、一人だけ近づく男がいた。ガタイが良く、人好きのしそうな男が困った顔をして大丈夫ですかと声をかける。


「あんだ? 俺に何か用かよ。俺様はあの世界を騒がす大悪人の秘密を暴いた男なんだぜぇ」


 やはり、からまれた。と通りすがりの人々は下を見て歩く。助けようとする人間は居ない。


「うぐ――」


 その時、麻陽は腹に灼熱を感じた。吐く前兆、なんかではない。もっと別の――


「おや、大丈夫ですか? 本当に具合がよろしくないようだ」

「てめ……なにを……」


 ひゅーひゅーとかすれた息が漏れる。通行人の耳には到底届かない。


「心配なさらず、すぐに休める場所に連れて行ってあげましょう」


 がしりと肩を掴まれた。体に力が入らず、動けない。

 だが、声をかけてきた男はすごい力で引っ張り上げて、まるで自分が歩いているように――ただ具合の悪い男に肩を貸すようにして知らないところに歩いていく。

 ”自分は足を動かしてなどいないのに”。無理やりに連れ去られてしまう。


「やめ……どこに……連れて、いく、気――」


 視界がぼやける。通行人はまったく異常に気付いていない。知り合いに肩を貸しているだけにしか見えていないのだ。だれか、助けてくれ――それが彼が気絶するまでに思った最後のことだった。




「……ここは!?」


 目が覚めた。じゃら、と音がする。


「鎖!? 馬鹿な、そんなこと……ッ!」


 薄暗い部屋。だが、一般的に想像されるものとそこは違っていた。明かりを絞っているが、そこは――手術室と呼ばれるもののように思えた。

 ただ、手術台はなく鎖の先は刺さった杭につながっているが。


「お目覚めかね?」


 明るくなった。そして、向こうにはスーツの男が立っている。先のパーティでいたような無駄に宝石を付けているのとは違う、鉄の規律の象徴だ。


「お前ら……【翡翠の夜明け団】か!? こんなことして、どうなるかわかっているのか。記事に書いて全世界に知らしめてやるぞ!」


 もちろん、これは本気で言っている。純然たる本気だ、疑いようの一片もなく――書く気なのだ。この非道を。この期に及んで。


「呆れたな、この期におよんで帰る気があるのか。貴様には」


 向けられるのは蔑み……そしてひたすらな呆れ。


「な……なんだと!? 分かっているのか! この俺にこんなことをしたと知れれば、今に貴様らなど怒れる市民の手で葬り去られるのだぞ」

「そうか。できるといいな」


 指をパチンと鳴らした。


「……」


 装甲服を着た男が入ってくる。顔はマスクで見えない。その無言は酷いプレッシャーを与えてくる。


「な、なんだ貴様ら! いいか、俺がお前らのこと書けばお前らは終わりなんだよ! 今に市民団体がお前らのことをぼこぼこにするんだ。逃げられるなんか思うなよ! 俺の記事は全国規模なんだ!」


 活版印刷どころかインクジェットの技術はある。原稿さえ届けばどこの街でもいくらでも刷れるのだった。

 そして、彼自身の言った通りに彼の記事は有名。ゴシップのためなら命も惜しまない運び屋は吐いて捨てるほどいる。

 救えないところは、そういう運び屋がいても食料を長距離運送してくれる運び屋なんていないところだろう。まあ、一口に言えば運ぶ量と、勝ち得る名声が違う。


「第一問、誰の差し金ですか?」

「は……俺が取材したことだぜ。皆言ってる――がっ!」


 拳が腹にめり込んで、苦痛の声が出る。


「誰の差し金ですか?」

「だから、俺が――ぐっ!」


「誰の差し金ですか?」

「ま、待て。本当に、誰から言われてやったわけでもないんだって。いやいや、話す! 話すからその腕を下ろしてくれ。スポンサーは居たんだ。ちょっとそういう話を聞いて記事にしたら人気になったもんで、それっぽい記事ばっか書き始めたんだ――」


 べらべらと話しまくる。守秘義務とかそんなもの関係ないとばかりに全部話したが。


「それだけか?」


 そう声をかけられて身がすくむ。彼らが求めているのはそんな答えじゃない。”有名になる前のヘルメス卿を陥れる記事が売れたから、後からたくさん書きました。パトロンもいっぱいつきました”ではないのだ。

 なにかすごい組織が、裏から人を操っている――そっちの方が想像しやすい。でなければ困るのだ、それだと人間が駄目だからヘルメス卿は殲滅を決めたことになってしまう。

 この彼は確かに記事としてルナの悪名を広げた最初の人間だ。けれど、誰かに言われたわけでもなく、売れたのは”権力者の醜聞こそ面白い”という民衆の性にのっかったからでしかなく、それが幾多の街に広まったのも財産をむしられた富豪たちの嫌がらせに過ぎない。つまり、誰にも確たる考えはなかったのだ。


 ゆえに彼には尋問する価値などない。

 知っていることは記事に書いてあって、敵対的な商人や権力者のリストも夜明け団には揃っている。全部吐いてしまった。それでも尋問は続けられる。

 ”何か隠していることがあるはず”と信じて、その裏で彼女を貶めた彼を苦しめるのを楽しんで。


 ――だから、”それ”は終わらない。


 彼の何が悪いかと言えば、ろくに確認もしないで醜聞を集めて垂れ流していい気になっていたことなどではない。あるはずがない。それはジャーナリズムだ、誰からも非難されるものではない。だから、彼の間違いとは唯一……外道行為を辞さない秘密結社に喧嘩を売ったことであろう。

 愚かな彼は、愚かな所業の……やってしまったこと以上に罰を受ける。それは、罰を受けるべき誰かが居ると信じられているから。その立場に堕ちてしまったから。



 他方。王都では破壊された街並みを修復するために働く者達がいた。


「親方、なんで王城の修理なんか!」


 喰ってかかるのは若者だ。そこまで学がある人間ではなかったが、どの施設が何のためにあるかは知っていた。

 いや、王城の意義など貴族どもの見栄くらいにしか理解してなかったから機能の一部をかじっていただけに過ぎないが。それでも、この状況で一番早く修理すべきものは分かっていた。


「あーあー! 分かってんだよ、そんなこたァ。壁を治さなきゃ霧が溜まらんってんだろ。だがな、上の命令なんだよコイツは――」


 王都にいる限り、早々緊急に片付ける必要のある仕事などない。ずっと安定していたのだ、ルナが破壊するまで。だからこそ、いざ破壊されたとなると貴族たちが出張ってきて好き勝手言い出した。


「おい、副長。お前が指揮を取れ、俺はちょくちょくとしか戻れねえ」

「待ってくださいよ、親方。無理言わんでくだせえ。俺じゃあんたほど魔法を使えねえ。あんたじゃなきゃ――」


「知っているが、どうも上に呼ばれてるんで無視できねえ。何とか頼む」

「……ああ、もう! 仕方ありませんや」


 かっかっかと笑う。笑うしかない状況だった。優先順位も取れず、ただ好き勝手言い合って一番重要なものは後回し。王城の修理ができたら次は貴族どもの城の修理だろう。そして早く終わらせようにも、親分は説明に駆け回らされてはどうしようもないのだ。

 

 皆が好き勝手なことを言って。

 誰もが自分の仕事で精いっぱいで。

 本当にやるべきことなどどこまでも後回しにされていく……それは世界の日常だった。このルナが引き起こした非常事態にあっても変わらず流れる日常だった。



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