第106話 終わりの始まり
"それ”は突然に来た。空に浮かぶそのスクリーンに、視界を埋め尽くすほどに拡大されたルナの姿が映る。人間では難しいレベルの大規模魔術だ。
ドラゴンが空を支配していたころは不可能だったことを、今やルナは誰はばかることなくやらかしている。
「愚かな人類よ、滅びの時が来た」
髑髏の椅子に座り、肩肘をついて睥睨するように天空より人々を見下す。その姿はまさに魔王。人界に滅びを撒く魔王である。
「世界が終わる。猶予は7日間、助かりたくば僕を止めて見せろ。けれど、それが叶わなければ『黒の心臓』が世界を消す」
映像が切り替わり、磔を映す。彼は完全に死んでいる。四肢を十字に楔で繋がれ、心臓には黒く鳴動する槍が刺さっている。
「ああ、コレは王都製の強化人間だ。世界の滅びにはこの世界由来の魔力が必要だから利用させてもらった。……アルカナ」
若い女が出てくる。ニコニコと柔和な笑みを浮かべながら、そのまま死体の目を抉った。どろりと黒い血が流れだす。そして、引き抜いた眼と血を慎重に瓶に入れる。
「さあ、これから『黒の欠片』の威力をお見せしよう」
女がルナに小瓶を渡す。巨大な魔法陣が浮かび上がる。
すると瓶が消える。その瞬間を映した直後、次は黒い霧に覆われる街が映し出された。霧の切れ間からは荘厳な建造物たちが見えた。……そこは紛れもなく王都だった。
「……3、2、1――」
起爆した。それは霧を吹き飛ばし、一画に致命傷すら与える攻撃だった。王都の中において最も大きく、最もきらびやかである王宮にまで大きな傷が刻まれる。
「さて、これで本気度合いを分かってくれたかな?」
霧を吹き飛ばした――それは大変な事態である。王都が霧に覆われてから今日まで、晴れた日など”ない”。それは他の街とは事情が異なるからだ。ただの街では、”魔導機械の核たる魔導機関を作っていない”。
正確には【王都】と【夜明け団】が独占しているのだが、つまりは魔物の引き寄せやすさが根本から違うのである。霧がなければ大陸中の魔物を呼び寄せかねない。
王都とは晴れたら最後、無数の龍によって食いつぶされる都であった。が、今や龍は存在せず災厄は未だ地に伏せている。
皮肉ではあるが、団が実行してきた作戦により生き残れる目はあるのだ。もっとも、晴れたのは霧であって瘴気ではない。
そう、これから王都は街中で生まれるだろう上級魔物に侵攻される。
「もちろん、これはろくに醸成も調整もしていない代物――これが本物の何万分の一だとは考えないことだ」
三日月の笑みを浮かべる。今、王都の幾多の守護をまとめて吹き飛ばして見せた爆弾など、余禄でしかない。つまりはあれほどの惨事を引き起こしておいて、ちょっとした余興だと言っている。
「『ラストストーリー』を始めよう。全ては闇へ消えゆくのみ。ならば、最後に一花咲かせてみるがいい」
映像が遠ざかっていく。彼女たちの姿は見えなくなり、闘技場のような施設を移す。そして寂しく岩が転がる荒野へと。――それは、浮かぶ島だった。
「ここまで来れたら相手をしてあげよう」
映像は遠ざかり、遠ざかり――空は元の静寂を取り戻した。
【夜明け団】首魁のルナ・アーカイブス。だが、これは夜明け団の人間も聞いていない。いきなりの宣戦布告だった。慌てない者がいるはずがない。
「お、おい。どうすんだよ。ヘルメス卿が俺たちを滅ぼすって」
「ヘルメス卿の言……我らは見苦しくないよう、最期を迎えるべきかもしれん」
「お、おい。それって――」
「自決するべきか、するまいか」
ルナ直属の『星将騎士団』にあってもそれは同じだった。関わった時間の少ない、後から加わったせいでほとんど教育も受けていないレメゲア・ストラとアステラ・シルトも大いに悩んでいた。
「けれど、言われるがままにただ死ぬのはごめんだ」
そして、シュトレ・ファラ。彼らはオーダーの序列を貰っていない。それだけに、ヘルメス卿を神に等しい存在としてしか知らない。関わりが薄い。直属の上司だが、先輩に従うのみでろくに会っていないのだ。
「シュトレ……ヘルメス卿の言葉に逆らうか?」
「だけど、俺は大人しく死ねなんて教育は受けてないね。お前こそ頭が固すぎるんじゃないか、アステラ」
「あのお方の言葉に逆らうなど許されん」
「――ッ!」
「ちょ、待てよ二人とも。殺気立つなよ、ここで殺し合うつもりか?」
間髪入れずに答えが来る。
「「それもいいかもな」」
二人は暴走している。考えすぎて、ブレーキが壊れてしまったのだ。だから、激発する。どうにでもなってしまえ、どうなろうと結果は変わらないと。
「やめておけ」
声がかけられた。彼らはまだ半人前で、けれど数が少ない今は絶対に失うわけには行かない金の卵。ゆえに数字持ちが同行している。
「サファス様」
シックスの数字を持つ元第4世代。そして、もう一人。
「あの人はいつも重要なことは適当にしゃべる。あまり四角四面に受け取ると馬鹿を見るぞ」
クーゲル。第0世代『月下の猟兵』の異名を持ち、ルナ直々の教育を受けていた彼は今や第七星将の座を持つ魔人。関わった時間も長いだけによく知っている。まあ、才能がなかったのか、同僚は第5位の壁の向こう側に居るのだが。
「あの方のお考えは深淵だ。俺たちにわかるようなことじゃないのさ。とはいえ、これはO5も知っていることかどうか。今は上の指示待ちだな」
「クーゲル様、それは本当のことでしょうか。ヘルメス卿の本心は人類の抹殺にはないと」
「さてな。だが、一つ言えることがある。ブラック・コアなどがあるとして、それを本当に使う気があるのならあいつは使っている。あの人が動くときはすでにして手遅れだ。その爆弾が全てを闇に葬る――そのときにしか我々には察知できない。わざわざ意味もなく猶予をくれるような人じゃない」
「ならば、私たちがヘルメス卿をお止めするということですか? ……手加減、してくれると」
「あの人は手加減しない。だが、全ての力を使いはしないはずだ。我々はいつでも動けるようにしておくべきだろう。本来の任務、『鉱十都街』攻略は上の決定を待ってから行う。それでいいな、サファス?」
「いいだろう。お前の判断を支持する。ラストストーリーに我々の出番があることを期待して待つことにしよう」
彼らは軍人だ。だからこそ、上の人間の判断を重んじて勝手なことはしない。方々が勝手に大騒ぎして滅茶苦茶になっているが、自身は動かない。それは事態を混とんとさせ悪化させることしかないと自重している。
「いや、君たちの出番はない」
転移魔術……いきなりルナが”そこ”に現れた。
考えてみればうかつだったのだ。ついさっきまで最高権力者に近い位置にいた彼女が彼らの居場所を知らぬはずがない。待つのではなく、移動するべきだった。
「さて、向かってこないということは舐めてるのかな? それとも、飼い主に捨てられればなにもできない犬だったのか」
いかにルナとて転移魔術など得手でもなければ、簡単に使えるような代物ではない。転送完了にはいくばくかの時間がかかる。
だが動揺する彼らは、発動のためにしまっておいたアーティファクトを羽織る時間まで許してしまった。千載一遇の好機は失われた。
「この大舞台に君らの出番はない。あのヘヴンズゲートにおいて最後まで立つことができなかった君たちには」
けれど、殺気を前にしてはやることは一つ。……相手を倒す、何者であろうとも。もとより”人でなし”、決断力にだけは溢れている。もっとも、その決断ですらこれだけの時間と相手の殺気が必要だったが。
「ならば、自らもたらした力で滅べ。この『アイス・エイジ』の寒獄に飲み込まれて……!」
真っ先に牙を向けたのはサファス……この場で一番数字の上位であるオーダー。氷を操る能力者。そして。
「時よ、凍れ――『タイムグレイシア』」
己の力が及ぶ領域での絶対加速能力を第6世代の改造で手に入れた。あらゆるものが凍結し氷に閉ざされる世界を目にもとまらぬ神速で支配する。その速さは音速の数十倍にも及ぶ。
「その程度の加速に追いつけないとでも?」
氷の結界による目くらまし、そして小細工は不要と正面突破を狙い――だが、ルナの一刀により領域ともども真っ二つになった。
「狂月流……【鏖禍】」
人間の認識範囲では使えもしない終末少女の技、666の魔法と剣技を同時に別々に制御し一つ一つをかみ合わせたその一撃は魔力を併用して範囲を広げた斬撃……異能との融合剣技である狂月流は抵抗すら許さない。
「さて、残り4人。いや……1人かな?」
間髪入れずに飛ばした斬撃でシュトレとレメゲアが切り伏せられた。この期に及んで殺気なき者など立ち会う必要もないとばかりに。
「……サファスが稼いだこの時間、有効に活用させてもらった。『アンリミット・クレセント』――我が結界は張り巡らされた。共に逝こうか、先生殿!」
氷が崩れて姿を現したのは無数の鎖と牙の結界。隙間などない、安全圏などない。己を含めたすべてを惨殺する絶死結界。こうでもしなければ対抗できないと考えた。
元から持ったアーティファクトに加えて『次元接続』という新たな超能力を手に入れたクーゲルでさえ、己も捧げずにルナに勝つ道筋を見出すことはできなかった。
「始めから死ぬつもりで誰が勝てるものかよ。月読流千刀鳳閃花が裏、狂月流……【剪刀砲戦火】」
ただ一振りの刀が暴虐を解き放った。後の残るのは砲撃戦、どころか”一度撃った場所には着弾しない”ジンクスなど何の意味もない殲滅戦による執拗な爆撃の跡だった。
「そして、お前は何もしないんだね」
アステラだけは偉大なるヘルメス卿の言葉に従って、滅びを受け入れるようにどっしりと腰を下ろしていた。
「私はあなたの裁きに従います」
最後に残った何もする気のなかった彼も切り捨てる。育て方間違ったかな、とこぼして。
「さて、次か――」
そして、ルナは転移魔術で別の場所へ向かう。