第102話 かつて助けていなかった者
「――待てよ」
食事を楽しんだ後、声をかけられた。
「誰かな? チンピラとは違って骨があるみたいだから、まあ君ならば僕が相手してやってもいいかな。叩いて終わりはつまらないんだよね」
振り向いたルナは無造作に刀を取り出した。相対しただけで彼の実力が分かった。というよりも――
「俺の顔を忘れたのか……?」
「んん――ああ、あの時の。誰だっけ。というか、妹ちゃんはどうしたのかな」
そう、ルナが人間に関わり始めたときに滅びる街で進化薬を投与した三人のうち一人だった。
一人はその場で死に、一人は永遠に死にぞこなってプロジェクト『ヘヴンズゲート』の現場に出現するも取り逃がし、そして最後の一人……人格を残した彼は人の世界を放浪していた。
「てめえが……てめえがそれを聞くか……!」
激昂する。まるでルナこそが諸悪の根源といった態度は、やはり珍しくもないのだ。
良くも悪くもルナはこの大陸で一番目立つ人間だ。それこそ片田舎の字など見たことのない人間でも知っている。だからこそ、醜聞は付きまとう――真実でも、虚偽であろうと。
「いや、全てが僕の手の内だと思われても困るんだけど。おおよそ僕にできないことはないけれど、僕は知ってることしか知らないよ? それについても人間よりは融通が利くけどね」
「黙りやがれ、この悪魔が!」
左腕に生えた無数の剣を振りかざし、叩きつけようとして――
「下がれ、未熟者。貴様ごときが先生に触れられると思うなよ」
ルートの牙に防がれた。ルートの身体硬度は戦闘態勢に入った瞬間、金属などとは比べられないほどに硬くなる。銃など効きはしないのだ、生身の肌にすら。
ゆえ、牙を出させるとはこの彼も強いということ。決して、侮れはしないとわかった。
「邪魔するなら、てめえから殺してやる!」
「できるものなら――な!」
数合、手を合わせて。
「てめえ、強いな! それだけの腕があって、なんで……!」
「これは……速い? いや――うまいのか。獣のような軌道のくせに……!」
ルートは本気は出していない。けれど、牙を一つしか出してなかろうがルートは翡翠の夜明け団が擁する大魔人、そうそう相対して生きていられるような存在ではない。
「ねえ、君さ――もしかして、妹ちゃん死んじゃった?」
そこに、ルナの声。
「黙れ。ダマレダマレダマレダマレダマレェッ!」
激昂して、さら速くなる。
「獣の瞬発力、そして不規則な軌道か。読み切れん!」
壁を利用して跳ねまわっている。軌道が読めないから、当たる直前に牙でガードするしかない。反撃する余裕がない。
「てめえも、そいつも! すべて殺してやる! ああ、そうだ――あいつを奪ったすべて……ッ!」
「やっぱりね。ねえ、なんで死んだの? 聞かせてよ」
「お前……お前ェ。なんで笑える!? 面白い見世物だってのか、俺が! そうやって面白がるのかよ――俺たちを陥れて!」
「陥れたつもりはないよ。けれど、残念だねえ――甘ったれの咬牙君。僕は君を救ったつもりはない、助かるチャンスを上げただけだよ。君の愚かな怠惰の尻ぬぐいをしてやる気なんて最初からなかったんだ。助けてくれた? だから安心? ……馬鹿じゃないの。自分以外に己を救えるものかよ」
「ふざけんな! 誰が頼んだ、こんなもの――こんな、腕に生えた剣なんかを欲しがるものか! こんなものがあったから、妃花が……ッ!」
「あったから、じゃないさ――君が有効活用できなかっただけの話だろう。君が妹ちゃんを守るのに失敗しただけの話に過ぎない」
「うるせえ! てめえのせいだ――てめえがいなけりゃ……!」
「あの街で二人とも死んでた?」
「この……クズが! ……なら、聞かせてやる。あの後、何が起こったかを――!」
そう、俺たちはあの後に街を脱出して放浪していた。
けれど、俺は今更他の街で働けるほど大きくないし、妹は言うまでもない。街と言うのはたいてい閉鎖的で、即戦力以外の人間なんて求めてない。他のところから来たガキなんて、そもそも入れてくれるようなところですら。
だから、回っていたのは村――魔物が来たらそのまま全滅するような小さく、砦どころか堀すらない吹けば飛ぶ人口数十人の、いつもどこかで滅んで数えられもしないようなところ。
……そこでなら、仕事はある。肉壁は必要だ、低級魔物の二、三匹で滅んでいては外になど行けないがしかし危険を侵したくないのは人情。しょせんは野犬ていどの脅威、数が人間の方が多くて銃を持っていれば犠牲は、大失敗をしても何人かで済む。
そして、そんな村に魔物との戦い方を考えるような教養のある人間がいるはずもなく――とりあえず銃持たせて、なければナイフでいいや。と考え、余所者を突っ込ませるのだ。
俺は”これ”があったから、肉壁でなくつっこんで蹴散らす役をやらされた。なんか強そうだから、お前やれよみたいな感じで言われて、やらされて――それでも生き残った。食い物はくれたんだ、クズみたいな代物でもな。低級魔物くらいならばどうにでもなったさ。けれど。
――あいつらは欲を出した。
低級魔物の魔石では稼ぎにならない。だから中級魔物を倒して荒稼ぎしようとしたけれど、そんなのがそこらへんに転がってればすでに人類は滅んでいる。彼らは探すのに飽きて、ドラゴンを呼ぶことにしてしまった。
まったくもって馬鹿げている。ギャンブルに狂っているわけでもないのに、現実にはそれ以上に悪い事態を起こしている。煙草につける火がないから、倉庫に満載した爆弾に手榴弾を投げつけるような。
もちろん、ドラゴンが倒せるような存在ではないことなど俺でも知っている。妃花が人質にされていたから、村が崩壊するまでは手を出せなかったが――ドラゴンは天敵、来ただけで崩壊したからあいつを連れてさっさと逃げ出した。
そんな扱いをされるのは”そこ”だけかと思ったが、それは違った。街では滞在すら許されず、村では妹を人質に要求された。
もちろん、もうそんなことはさせなかった。魔物を倒せば魔石は手に入る。だから、金だってあるから食い物は買えた。そこらへんの野原で寝るしかなかったが――正直、村レベルでは危険度は大差ない。屋根があるかどうかの差だ。
だが、ある時……妃花は病気になった。薬が必要だった、どうしても。
薬なんて村じゃ手に入らない。だから、街に行った。幸いにも、あいつらは街へ入れてくれて、薬だって買えた。ああ、その時はがむしゃらになって、逃げなくてはいけなかったはずの上級魔物と戦って、勝った。金はあった。
入れてもらうための条件、そして薬を買うための条件があった。ああ、そこはあんたの言う通りさ――助けてくれる奴なんていないんだ。
俺は防衛戦力として駆り出される代わり、あいつは街で面倒を見てもらえることになった。
疑問になんて思わなかった。俺自身は防衛のためとか言われてずっと街の外で魔物を刈らされたし、あいつはベッドで寝させてもらえたから、まさか……あんな――
その日は様子がおかしかった。
奴らは帰ってきた俺を病室へと入れようとしなかった。ああ、たかが風邪で何週間も寝込むなんてあるわけないのに、まだ妃花が風邪だと信じていたんだよ、あの時は。だが、俺は奴らの出した条件を果たしていた、だから退く理由なんてねえだろう?
俺は無視して入ったよ。なに、腕の刃を見せればあいつらなんて逃げてくんだ。あんときは逃げなかったが、それでものけぞってな――割り込んで普通に入ったよ。触れるものを傷つける腕なら、肩で押せばいいだけの話だったからな。
そこで俺が見たものが分かるか? なあ、悪魔。
妃花は、汚らわしい白い液体にまみれて、首を折られて死んでたよ。
ああ、そうさ……なんて言ってたか知らんが、あいつらは妃花に体を要求してたのさ。俺が言うのもなんだが、貧相な体つきのガキだったと思うぜ妃花は。変態どもの巣窟だったのか、それともあんたたちの関係者とも言えなくもない弱者を、力で屈服させるのが楽しかったのかね?
風邪がいつまでも治らなかった? さて、それはどうかね――体力がなくなるまで凌辱されてれば、それはいつも具合の悪い顔をして当たり前だろ。そういうことばっかされてたら、なあ……生きたくなくなったって不思議じゃねえよな? あいつはあの街で、ずっと無理した笑顔を浮かべてたよ、俺の前ではな。
「だから、なあ――夜明け団の魔人ども。俺たちはそんなに罪深かったか? あんな死に方をしなけりゃならなかったほど妃花は悪かったのかよ、なあ! 答えてみろよ!?」
「……ふふ」
それを、ルナは嘲笑した。
「……ッ!」
「騒ぐな、焦るな――ヘルメス卿のお言葉を拝聴するがいい。愚かな人間よ」
最大級の力が込められた拳をルートが防ぐ。激昂にかられたその拳は、返し技で命を刈るのはあまりにも容易い。だが、それをすれば言葉を聞かせることができない。
「何を言うかと思えば。うん、確かに君の妹ちゃんは悪くなかったのかもね。それこそ、その街の奴らは”悪い”。でもね、人にやさしい神様なんていないし、夜明け団は正義のヒーローじゃないんだよ」
「お前たちのやったことだろう!?」
「違うよ、君のせいさ。その街の名前を聞くまでもない、お前は街の人間を皆殺しになんかできやしなかった。そんな気概がないのさ。だからなめられた――適正評価だね。妹ちゃんに何しようが、お前は俺たちに手を出せやしないんだってね」
「俺をこんなにしておいて――言うことかッ!」
「お前にはできなかった。たかが千人、万人単位の敵を前に殺すのを諦めてしまった。民衆を、人の世というモノを敵に回すのが恐ろしくてしかたかった。それで何ができる? 妹を守ることすらできやしない。……そういえば、妹ちゃんはどう死んだんだっけ」
ルナなら殺していた。けれど、彼がやらなかったのは勇気がないなんて言えないはずだ。そう、それこそ優しさとか許す勇気とか言うもののはずだ。
それがあるからこそ、彼は人の道を踏み外さなかった。殺すだけの殺戮者になり下がることはなかった。……それで得られたのは妹の非業の死というのは皮肉だが。
「あ――あああ。殺す。テメエは――ああ……AAAAAAA」
ぐずぐずと輪郭が崩れる。剣が滅茶苦茶に生えて蠕動する。殺意が臨界を振り切れて、人の姿を保っていられなくなった。
「……先生、こいつは――ッ!」
「魔物化。団が作った進化薬を使ってもこうなるか。まあ、崩れかけがどうにか持ち直したようなものだったしねえ――」
ルナはやれやれと肩をすくめる。
「とにかく……倒す!」
うぞうぞと輪郭が蠢く。黒い外装が憎しみのままに刃を形作る。もはや、完全に人から外れてしまった魔物の造形だった。
「O……OAAAAAAh」
手を振った。刃の弾丸が射出される。
「……っぐ! まさか、貫くとは――」
ルートの牙が貫通された。上級魔物をしのぎ、ドラゴンにまでせまる脅威。暴走した力が破滅的なまでの力を行使する。
「これがその街で誕生していたら復讐だけは果たせたのにね。いい迷惑だ、自分の臆病さから目をそらすために恩人を仇と思い込んで。まったく、人間ってのは助けがいのない……ああ、救ってなかったんだっけ?」
「GURRUUUUAAAAAA!」
目にもとまらぬ速度で突進する。
「なるほど、確かに強力だな。だが、それで――?」
タイミングが分かっていれば、速度で上回ろうとカウンターを合わせるは容易。そもそもルートは圧倒的格上のルナを相手に何度も実戦経験を積んだ。強かろうと獣なら問題にしない。
「獣の反射に人間の洞察力……厄介だったが、今となっては反射のみ。多少攻撃力が上がったところで、手間取ることなど何もないぞ」
強力なのは刃の生えた腕。攻防一体の武器……であるならば、まず足から落とす。そこは人よりも多少強いというだけ。スライム状になろうが、人間は捨てきれないのが彼の限界。
全身を変異させようが、そもそもの役割分担からして全く違う”モノ”になることはできない。足を金属化させるなど出来やしないのだ。
「UGUUUUU?」
瞬く間に四肢を絶たれたそいつは、なぜ動けないのか不思議そうにして。
「死ねよ、雑魚」
手に生えた牙で頭を粉砕されて、哀れなそいつはチリと消えた。
補足:ここで出てきた鴻上咬牙君の妹を殺した街の人たちはやっちゃった犯人も含めて生きています。裁きとかもありませんし、ルナも調べようと思えば調べられますがそんなことはしません。
夜明け団が保護、もしくは確保に動かなかったのかと疑問に思われるかもしれませんが、動きませんでした。ルナが言えばしましたが、彼のことは話題に出さなかったので完全放置されてました。