第100話 人助け side:ルナ
ルナは飛行船の上にいる。仕事は……実のところ一つもやらなくてもいい。
夜明け団なんてものはワーカーホリックどもの集まりで、仕事があれば成果を出せる。成果を出して名誉を得ることこそが人生の目的だから、僕が仕事を奪うわけには行かない。
ご褒美が仕事というブラックも珍しくない場所なのだ。
「さてさて、成功物語の主人公に会いに行くとしよう。なんとも感動的な話だと思わない? ねえ、ルート。英雄ではなく、富める者でもない彼がやり遂げた偉業はね」
だからこそ、僕しかできない仕事をする。ヘルメス卿としての名前が重要なお仕事。そして特性を活かして――かな。
強さという意味では極まってはいても、それほどの者が必要とされる機会は意外と少ない。……そんなものがいっぱいあったら、とうに世界は滅んでいる。
アルカナとアリスと過ごす時間は大切だけど、そればかりではいけない気がするから仕事はしないとね。
「そうですね、彼には何も力がなかった。魔人でもなく、ただ仕事をこなし続けるだけの凡人だ。カリスマがあるわけでもなく、血統があるわけでもない凡人。彼はどこまで行っても普通の人間でしかない。ですが――」
「それができる者が中々いない。いや、びっくりしたよ。人間、ただ工場仕事をするだけのことができないなんて。あんなビスケットみたいなレンガに満足して、働かないなんて誰が思ったか。その点、彼はまじめに仕事を続け、勤勉をもってついには一つの街を任せるに至った」
「彼は夜明け団の人間としてふさわしいと自分も思いますよ。同じ仲間として見れます。与えられるものに満足し、なにもしないクズどもとは違うこちら側の人間だ。仕事を果たすことを行い続ける――我々はやるべきことをやり続けるだけです」
そういうわけだ。彼は避難民の一人として何ら変哲もない人間であったが、事情があって真面目に働くしかなかった。いや、夜盗じみた真似をしてもよかったがそれは彼の良心が許さなかったらしい。もしくは、そんなことをしても目的は叶わないと悟ったか……正解だ。
「ああ、実に感動的だ。病に侵された娘のため――夜明け団に忠誠を誓って過酷な労働をこなし、資金もためて。成果を上げて上級治療院の使用許可をもぎ取った。けれど、そこでも娘の病気は治せず、かろうじて悪化を防ぐばかり。救えない話だねえ」
「ですから、あなた自らが行かれると」
「そういうこと。まあ、僕ならあの症状もなんとかできるしね」
「なるほど」
ルートは自分ならできるというルナの言葉に疑問を持たない。普通ならとてつもなく傲慢な言い分だ。専門家ができなかったことを、自分ならできると。けれど、それは夜明け団の人間にとっては当たり前でこの世の摂理。ルナこそが万能で、黄金で、ただ一人究極とまで言える人造人間なのだから。
肩で風を切って、その家族が待つ病室へと足を運ぶ。
「ようこそ、おいでくださりました」
平身低頭、というのがよく似合う謙虚な男だ。マメな調整とおごることのない態度で一つの街を治める街長。彼はよくやっている。数字で工場の稼働率を上げることが団では重視され、実際に上げているのだ。
「やあ、加峰洞爺君。我々夜明け団は君のようなまじめに働き、向上心を忘れない男を求めている。だからこそ僕が労いに来たというわけだ」
「それは――ありがとうございます」
浮かない顔。それはそうだろう。娘を治すために頑張っているのだ、偉い人に会うためではない。どんな偉い人に会えても、娘を治せなかったら意味がない。
「で……その娘が君を動かす原動力かな」
……管につながれている。もはや栄養を自力で摂取することすらできない程に弱っている。体はやせ細り、肌の色も悪い。見るからに病人と言った有様で、もう長くないだろう。
「はい。先生が言うには、もはやここから動かせば命を保つこともできない、と」
夜明け団の治療施設がなければ生きることすらできないか弱い命。別に長たる彼をつなぎとめるためでなく、それが団の治療技術の限界だ。夜明け団はできることをあえてしないなんて、絶対にしない。
「……まあ、これは無理だよねえ。普通なら」
末期の蒸気病。体の中身が腐っている。魔力に侵されて能力を得ることができる人間は少ない。そして、彼女はそれを得られずただ朽ち果てるのみ。
「では……」
「ああ、勘違いしないで。僕ならできるから」
この娘は幸運だ。脳が侵されていない。重要器官のいくつかを魔導機械につないで機能を代替することができている。
末期と言えど助からないレベルではなく、使えなくなった臓器は交換可能なもののみ。ならばやれる。……もちろん、僕がここに来て診て取ったわけじゃない、担当医の調査で分かっていたことだ。
「――へ?」
僕がすごい偉い人、というのは彼も知っている。けれど、こんな子供にできるとさらりと言われても……何というか反応に困るようだ。
「この類の病気の治し方は、機能不全になった臓器を入れ替えるしかない。けれど、彼女に長時間の手術に耐える体力はない。体力もなければ気力もないから、改造手術も無駄――なら、さっさと手術を終わらせればいいだけだよ」
魔力に侵された臓器をそのままにしておくと浸食が広がるから取らなきゃいけない。けれど、取ったのならば体力さえ回復すれば自然回復する。ただし、小さな体で身体を切り開き新しい臓器に適応するという大仕事に耐えられたらの話である。
「……可能、なのですか?」
「短時間に手術を終わらせること。ここまでの臓器を代替と取り換えても生きること。この二点それぞれは可能だけど、後者の成功例は大人がほとんどだからやっぱり気力次第になっちゃうかな」
「では、どれだけ生きることができるのですか。娘は――」
「そこははっきりとは言えないけど、やらないよりやった方が長生きできる。どうする? やりたくないというなら、やらないよ。僕がここに来たのも、やってほしいという声があったからだ。君の成果を認め、報いたいという声がね」
「お願いします」
彼は即答した。ここで可能性を取らないならば、ここまで来ていない。全ては娘を治すため、小さな可能性にすらすがって懸命に努力してきた。ここで怖気づきはしない。
「そう。じゃあ、君はどうなのかな?」
言ったのは、意識不明の少女に対して。
「あの、ヘルメス卿。礼夜は意識不明で――」
「本人の希望次第だよ。答えて見せな、生きる意志があるのなら」
こくり、とわずかにうなづいたように見えた。それは弛緩した筋肉により頭が動いただけかもしれないけれど。
「うん、十分。さて、手術を始めようか」
そして、手術の準備をあっという間に終わらせてしまう。というより、準備は担当医に言ってすでに終わらせてあった。単に準備が完了した治療室に彼女を運び込んだだけ。
「手術で重要なのは正確さだ。もちろんある程度の速さも必要だけど、そっちはあまり求められるものでもないからね。速さが求められない以上は、高速の手術なんて医者に求めるのは酷な話さ」
なんて言いながら手が見えないほどのスピードで手術を進めていく。しかも、補助に回ったアリスとアルカナは指示を受けた様子もないのにせっせと補助する。言われずとも必要な器具を渡し、指示を受ける前にガーゼで血で汚れた場所をふき取る。
「だから僕しかできないんだよね。現時点では、という話だけど。そこまでの技術と速さを両立させることができないから、僕が自らここに来たのだよ。やっぱり人間には高位のポーションが使えないから面倒だ」
なぜルナにできるかと言うと、終末少女だからだ。機械のように入力した作業を進め、言葉よりももっと早い電子信号で会話する。言ってしまえば機械人間のようなもの。
「で、終わり」
さささ、と糸で切り開いた部分を縫い合わせる。ここまでで3分もかかっていない。
やったことは担当医がこうすれば助けられると言った手順を高速で再生しただけだ。終末少女なら誰でもできる、とはいえ人間にそれを求めるのはばかげている。
「あとは低位ポーションを用いて体力を回復させつつリハビリだね。筋肉が弱ってる。まあ、その辺はここの医者に任せるよ」
娘を救ってもらった父の崇拝にも達した感謝の念を受けて、そこを後にする。うん、なんとも気持ちいいものだ。救いを自らの手で掴んだ人間と、それを手伝うということ。
もっとも、ここに陥穽がある。……”自分は自分で救え”などと誰が望む? 民衆が望むのは一言二言で救ってくれる正義の味方、もしくは神だ。努力を強要する神など、願い下げであるのだ。ゆえにこそ、ルナに資格はない。
――世界を支配する支配者にも、民衆を救う正義の味方にもなれやしない。
一仕事終えたルナは繁華街に足を運ぶ。
「ふぅ……ん。まあまあ、にぎわってるね」
ここは夜明け団が避難民を囲って工場を効率よく回すために作った街。そして、彼が尽力してきただけあって最も繁栄している街の一つである。そ賑わいが”まあまあ”程度に収まっているのは――計算外があったから。
「ここは、こんなものか。しかし、あれだね――もう少しきらびやかなものを想像してた」
人通りが少ない。……仕事が終わる時間と言うのかはともかく、工場の勤務時間は大体終わっている。それくらいのことは期待していたのだが、あまりいないということは働いている人間がそれほどいないということだ。
働かないから金がない。金がないから何も買えない。買う人間がいないから繁華街がにぎわない。負のスパイラルと言うべきか。
「おじちゃん、たい焼き頂戴」
ぽつぽつと建っている屋台でお金を払ってぱくつく。当然よこにいるアリスとアルカナにも、ついでにルートにも渡す。うん、おいしい――安っぽくて、いかにもたい焼きと言った味だ。わざとらしい甘さがたまらない。
「……んー。あっちには串焼きがあるね」
さすがにこういった安いものを売る屋台はある。が、高級品となるととんとみかけない。そこまでの金を持っている者が少ないのだ。
夜明け団は絶対値で評価する。働かない中でも、こいつはマシだなどと色を付けたりはしない。だから安物しか買えないのだ、彼らは。
「ええ、どうぞ」
ルートが買ってくる。正直、ルートは甘味よりも肉の方が好きだ。最高級は食べ過ぎて飽きたが、やはり安物は安物でそんなに食べる気にもなれないが。
「ん、別に催促したわけじゃないんだけど……からい」
一つ食べてアルカナに渡す。
「やはり苦手ですか、辛いもの」
「味もへったくれもない硬い肉に、香辛料を馬鹿みたいにかけてアホみたい火を通し続けただけ。こんなんよく食べるよ」
「私としてはあのたい焼きこそ、そう思ったんですけどね。人工砂糖のかたまりにしか思えませんでしたよ」
「あは。味の好みだね。ま、そういうのは好きなものを食べていればいい――僕らはそれが許される立場だしね」
「まあ、そうでしょう。散々食べたので柔らかすぎるステーキは少し苦手になりましたが」
「ああ、あれね。ステーキ与えておけば満足するだなんていつの時代の人間だよと。ま、あれもヘヴンズゲートの後片付けで忙しかったからさ。今は好きなものを取り寄せればいい」
「ああ、先生は色々ケーキを取り寄せてましたけど」
「そういうこと。ま、今はチープな味を楽しもう」
まあ、ルナの隣に居るアルカナが楽しんでいるのはルナの食べかけを食べることだったりするのだが。