第95話 利用された英雄 side:新城
騒音が聞こえる。砦の内部ならば竜が滅ぶ前から通信に不自由していないから、報告は聞こうと思えば聞ける。……が、聞く気にもなれない。
「……新城様」
メイドの一人が声をかけてくるが無視した。高級な葉巻を取り出し、火をつけ胸いっぱいに煙を吸い込む。やはりものが違うと味が違う。高級品と言うものには理由がある。
「敵が来ております。指揮を、新城様」
「不要だ。もはやどうにもならん」
ざわざわとメイドたちが騒ぎ出す。敗北宣言を聞けばこうもなる、ただおこぼれを求めてここに来た顔がいいだけのハイエナどもめ。逃げたいが、どこに逃げていいかわからないといった顔をしている。ああ、笑える。
「静かにしておいた方がいいんじゃないか? 彼女は抵抗しないなら命だけは助けてくれるだろうさ。無理やり連れてこられたとか言っておけばいいんじゃないかと思うね」
こいつらがどうなろうと興味はない。どうせ生まれた街を捨て、豪華な暮らしを求めてこんなところにまで来た女どもだ。薄汚れた欲望が顔に出ている。
「まあ、俺は処刑されるのは変わらないのだろうが――」
それは分かっていた。ルナ……俺は彼女が有名になる前に会っていた人間で、そして魔城を見た唯一の人間だろう。だからこそ、”魔女”に目をつけられた。どこから情報を得たのかなんて、考えることすら無駄だろう。アレはそんな次元ではない。
「さあ、お客さんが来たようだ。歓迎しようじゃないか」
そう、こうなるのは分かっていて魔女の手を取った。どうせ取らない未来などなかったのだろうが――罪は、変わらない。彼女からの指令は的確だった。
自分も、彼女に応えるだけの能はあったと己惚れても良いのかもしれない。瞬く間に勢力を築き、酒も女も……この世の享楽全てを手にした。そして。
「時間切れだ、諦めろ」
自らに言い聞かせるように宣言した。
己の栄達は時限爆弾付きだった。魔女は俺に邪魔な奴らを集めさせておいて、丸ごと始末する気だと初めから見当をつけていた。
魔女とルナ、どちらが上かなどと益体もないことを考えていた時期もあったが。どうやら化け物の方は見た目相応に可愛らしいところもあったようだ。
「――やあ、新城君。久しぶりだね?」
ドアノブをむしり、ルナが入ってくる。寒気がする。あれが自分にとっての死神、享楽の終わりを意味する魔女の使者。
「久しぶりだな。お変わりない様で」
「そうでもない、今は片手片足なんだ」
「そうか。俺は車いすがなければ動けもせん。手も足も使えんものでな、見れば分かるだろ? ボロボロでな、君のは見た目上分からないがコツでもあるのか」
「コツじゃなくて値段だよ。良いものを作る方が金がかかるだけという話さ。これでも君が壊してきたものの総計よりも高価でね」
「なるほどね、ままなるものではないがこの世の真理ではあるか」
一息つく。そして、メイドたちが倒れた。
全く訳が分からないが、ルナのやったことに決まっている。胸が上下しているところに見るに生きているらしい。ガタガタ震えているばかりで目障りだったが、生かしておくとはやはり優しいことで。
「さて、では聞かせてもらおうか。君はなぜ人類軍に下ったのかな?」
本題に入った。これを聞きたかったらしいが、特に面白い理由ではないんだがなと苦笑する。
「下った、とは身もふたもない表現だな。間違ってもいる、その名を使っているだけで別に誰かに薫陶を受けたわけでもない」
「人類軍の指導者、君も会ったことはないと?」
「そんなものはないと言っているんだよ、ルナ。確かにここを作り上げたのはある人が仕向けたものだがね、それはどうしようもないと言っていた」
「へえ、君を動かす者ね。僕が見た限りでは、君は自分以外に従いそうもないと思ったものだけど」
「あの時だって上の命令に従っていただろう? 俺は単に命令を受けてそう行動するしか能のないつまらん男だよ」
「新城君はここのボスだと聞いてたんだけどね」
「ある意味では真実だ。が、俺は魔女の言に従っているにすぎんよ」
「え……? 魔女――」
ルナの表情が凍る。
「やはり会ったことがあるな。あなたですらあの存在に逆らうことができないのか」
「まさか。アレは殺したよ」
「……あの消失、できるのはあなただけかと思っていたが――あの後も言葉は届いていた。生きているさ」
「君らしくない誤りだね。あれは死んだ。手紙でも届いたなら、それは網が生きているというだけの話。まだ3年も経ってない――アレが10年くらいの未来を読めないと思うのなら間違いだよ。だって、僕が殺したもの。殺した、確認もした。絶対、アレは死んでる……! 死んでるんだよ!」
死んだはず。死んだはずだと繰り返す。あのルナでさえ手中に置く魔女の手管は……ああ、恐ろしいことこの上ない。とはいえ、俺はここで死ぬのだから関係ない話だが。
「彼女からの言葉だ。私を守ってくださいね、とのこと。気に入られたようだな」
ギロリ、と睨まれた。やれやれ、ここには俺しかいないからいいものの、そんな表情は他人に見せるものではないぞ? まるで飼い主に殴られた犬みたいな顔じゃないか。
「最悪な気分だ。死者は死者として冥府にいればいいものを。でもね、アレは生き返らない。僕の権能は『破壊』だ。僕の手で破壊したあれは絶対に生き返らないんだ。もっとも、死者の復活なんて僕もどうすればいいか知らないけどね」
彼女は答えを求めていない。自分に言い聞かせているだけだ。……あの魔女が死ぬなどありえんことだ。あの存在を知ってからは、君がまるで年相応にちっぽけな子供に見える。
ご愁傷様、とは言わないよ。どうせ、俺はここで死ぬ。ま、あの時の後遺症で車椅子から動けもしない人間の最後としては上等だろうとも。
「では、さっさと殺してくれ。そのために来たのだろ? 命じられたことは果たした。対価も既にもらっている。こんな身体で、このご時世に良い思いをさせてもらった。ああ、思い残しなど――」
「うるさい」
新城の体は塵になって消えた。『ワールドブレイカー』能力による完全破壊は一片の蘇生の可能性すら残さない。
一方、レーベは一直線に”そこ”に向かって走っていた。
すると、仁王立ちする男が見える。そこはこの砦の中でも奥の奥だが、全ての道に通じている。進んでいけば必ず会える位置に待ち構えていたが、まったく無駄な用心だった。【夜明け団】は壁からお邪魔した。無論、壁は蹴り壊したから罠など関係ない。
「ああ、見つけました。何と言いましたっけ。ええと――」
「【殺人機】の加藤威人。まさかここを襲撃するとは思わなかったぞ、夜明け団……【爆炎の錬金術師】よ」
魔人、それも誰もが知る要人暗殺、粛清のプロと知られた相手に一歩も引かずに殺意をまき散らす。【剣闘死】ごときとは違う、本当の意味で強力なネームド。夜明け団と対峙することのできる人間だった。
「それは古い呼び名です。今は【黎明卿】とお呼びください、女みたいな名前の方」
「ッチ。嫌味か、貴様。ここは多くの人々が暮らす場所。壊して灰燼と化す気か。夜明け団が殺人者の集団になり下がったとは寡聞にして聞いていなかったよ」
「そりゃあ犯罪者の集団にいたら最新情報は聞き逃しますよ。大体私なんて昔から人類のためにならない害虫を駆除していたでしょう? 団は何も変わっていない。ただ、ルナという戦力を手に入れただけの話」
「……ふん、貴様らの意に従わねば害虫か。偉くなったものだな」
「当然。私たちが人類を守っているのだもの。『レイティ』、『クライスラ』、『セプトレヒ』――この三つの街だけで数十万の人々が死にました。なぜ死んだのかはご存知でしょう?」
「さて、お前たちの役に立たなかったとかかね?」
しれっとうそぶく。この男が参入した時期から見て、先に挙げた三つの街の虐殺行為に参加している。二桁では足りぬ兵士たちを殺害したはずだ、それだけの実力と殺意を持っている。
「その街々が蓄えてきた物資は今ここに。それだけで罰する理由になるでしょう?」
殺し、略奪し我が物に。レーベにはその思考が分からない。他人が作ったものなど、しょせんは古い物。最新で、だからこそ最も強力なものは自分で作るしかないと思っているからこそ彼女は錬金術師だ。他人の物で満足するという思考がない。
「酷いものだな。我々は滅んでしまった街の人間たちが使えなくなってしまった物資を有効に活用しているだけというのに」
かたや【殺人機】には、そもそも思考などというものが分からない。思う? なんだそれは。自分にあるのは殺すという殺意のみ。命令のままに殺すことしかできない単一の機能しか持たぬ機械人形。
この言葉もただ相手の思考を機械的に推察して揺さぶりをかけているだけだ。自分が何を言っているかすら理解できぬ男である。そのすべては殺すためだけに発揮される。
「ああ。実を言うと、どうでもいいんです、そういうことは。というか、私はあなたにさえ会えればそれで良かった。ねえ、殺意というものを極限まで追求した殺人剣よ。なかなかに恐るべき戦果ではないですか。Sクラスを1人、そしてAクラスに至っては30人です。究極の域まで至った殺意が人の死を嗅ぎ分ける。あなたであれば、アーティファクトの鎧すら隙間だらけに見えるのでしょう?」
しかし、それは――レーベとて同じ。粛清対象の言い分など一々聞いていられないのだ。殺害対象の気持ちなど考えていたら病んでしまう。
「なるほど、下調べは万全というわけか。案外と……こすっからいな、夜明け団」
「……くすくす。ヘルメス卿――私にとってはただのルナちゃんなんですけど。あの子、実は疑り深くて神経質で心配性なんですよ。ふふ、かわいいですよね小動物みたいで」
「……だから、何だと?」
「ここのことはあらかじめ調べてありました。あの自信満々で今決めましたみたいな態度は、ただそう演じていただけ。実際はきちんと調査は行っていて、作戦があったのですよ」
「まさか、そのようなことはあるまい。貴様ら夜明け団は傲慢がゆえに足をすくわれる。貴様らはいつでも足元を見ない」
「本気でやるときは別です。我々の手が広すぎるがゆえに矮小なお前たちはそう見えるだけ。あなたたちはすでに詰んでいる。ここの不安要素はあなただけなんですよ。あなただけは【星将】を殺す可能性がある。……ゆえ、私が相手する。それがあの子の指令。飛行船に乗る前から知らされていた私がここに来る意味です」
「……大した自信だ。私が貴様に劣るとでも? 私の刃はアーティファクトすら意に介さんと評したのはお前のはずだ。ああ、覚えているよあの男のこと。世にも名高きSクラス。【万象森羅】、全てを操る男だったか、その名は私が弑した」
「自慢げですね? そんなことは大したことないんですよ。彼は魔物と戦う人間だったというだけの話。ただのジャンル違い。ええ、あなたのそれは犯罪自慢。ズルをしたことが誇らしいとかいう子供じみた妄想。かわいらしくすらありはしない。正面から向かい合えば、お前はただの犯罪者に過ぎない」
空間に殺意が満ちる。殺人機が戦闘態勢に移行した。
もっとも黎明卿にとってはそれが常態、話している時と様子は変わっていない。そんな儀式めいたものは必要ないのだ。彼女の心はいつだって戦場にあるのだから。
「試してみるか?」
すぅ、と幽鬼めいた足取りで進む。幻惑の歩法、多少の心得がある程度では目の前にいようが彼我の距離を掴めない。けれど。
「はい、どうぞいくらでも。お前程度ではすべてが無駄なのですよ」
黎明卿はおもむろに取り出した試験管を投げた。
(あれは……錬金術の業。爆破か、否ここは地下だぞ。ならば、毒か。毒ならば、斬り捨てる)
思考と動作は同時。毒を切り、飛沫をすべて避けて近づき本人を叩き切るイメージが彼の頭脳にはっきりと映る。イメージできるならばやれる。彼の常。飛沫をよけるなど余人にはただの妄言、しかし彼にとっては造作もないこと。
「あは。馬鹿ですねえ」
そのはずだった。リアルがイメージとずれる。予想が外れた。”斬った試験管は爆発した”。未来のイメージが崩れて行く。何が何だかわからない……
「っあ! ガ――」
爆圧の直撃を受けて腕は使い物にならない。握力が回復するまで数分の時間を要する。これは逃げるしかないと理解して。思考は一瞬、わずかたりとも呆けることはなかったと自負している。
「どこへ行こうというのです? お馬鹿さん」
だというのに、なんだこれは。爆発は彼女にまで届いていた。当たり前だ、だからこそ”それ”はないと踏んだのだから。そんな自殺じみた馬鹿なこと。
それでも、彼女は無事で己の首を掴んでいる。理解できない、行動の意味も――そして瞬間移動のごとき速さも。
「なんで……?」
「お前と私では年季が違う。素人相手に騙してきたお前に、本当の騙し合いは。殺し合いは荷が重かったわね、お馬鹿さん」
「馬鹿な……」
諦める、以前にまだ状況が分からない。自分は負けたのか――? だとしたら、敗因は何だ、弱かったとでも。この自分が……
「では、そういうことでさよならです。来世があったら魔物相手に用心棒張ってくださいね」
そう、単にレベルが違う。彼女の師は【殲滅者】、ルナに恐怖を与えた男だ。人間を超えた機械として覚醒したくらいでは、その弟子の足下にすら及ばない。だから、ここにいる。強力で、強力で――それすら外れて次元の異なる強さを持つ彼女ですら師の足下は見えない。
壁に赤い華が咲いた。
ボスはルナが消し去った、最大戦力は今レーベが壁に染みに変えた。ゆえにまともな戦力は潰えた。この組織に未来などあるはずがなく、犠牲者は助け出され他の人間は一切消されることとなった。
殺人の罪を犯した者など世に必要ない、それが【翡翠の夜明け団】の決定である。
新城さんは魔女にたぶらかされてマフィアの道を歩んでしまいました。まあ最期に厄介払いで殺されることは織り込み済みでしたが、この世界に後遺症のある元軍人に生きられる場所なんて始めからありません。
どうせ誰かがやらされるのだから自分がおいしい蜜を吸っても問題あるまい、とは実は誰でも思うことじゃないかな、と。
誤解されるとあれなので後書きで言ってしまいますが魔女は死にました。ルナが街の人間ごと殺しました。
ただ彼女は拘束されていてリアルタイムで対応できなかったので、1年後以降に効力を発するようなことばかりしています。指示が出されたのは1年前、指示の意味が分かるのは1年後が魔女に関わる人間にとって普通です。この場合もそうでした。