第90話 決死
一匹、殺さない程度に痛めつけて動けなくさせた僕は足を他に向ける。
「さて、一番危ないのはスペルヴィアかな。あの子一人とその他だけじゃきつい――というか、本当に残り一人になってそうだね。早く行かないとそこから砦を壊される……ん?」
だが、足を掴まれた。
「へえ、アスタロト。なんでそんなことをしてるのかな。地を這う虫けらみたいに哀れな有様で、意味もなく足を掴んでる。それで何秒か時間を稼げたのかな。仲間のもとに行かせたくないとでも、お前が――魔物が。仲間のために? 自分の身をなげうって? 馬鹿馬鹿しい、魔物にそれだけの知能はない」
それを蹴りつけた。放置して行こうとして。
「……ああ、そこまでうざったいと潰したくなってくる。もしかしてだけど、できないとでも思ってるのかな? 僕はね、君くらいなら中身をぶちまけてあげるのも簡単なんだよ。もしかして、お前――自分より仲間のほうが大切だとでも人間らしいこと、思っちゃったりしてるのかな。魔物のくせに」
ルナの瞳に危険な光が宿る。
〈高速飛翔物体を確認。2秒後に着弾〉
オペレーターからの全体通信。2秒? 対処は間に合わない。空を見上げて。
――砦からはずれた場所に着弾した。第1指令室を潰されたことが仇になった。それさえなければもっと前に気付けたはず……いや、たらればを考える余裕はない。
場所はレーベとヴァイスが戦っているあたりだが、直撃を食らわずとも他の子たちも影響は免れまい。指示を出さなければ。そうだ。
「お前ごときに構ってる時間はないんだよ!」
僕の足を掴む両腕を、もろともに踏み潰した。そいつにノイズが混ざるが、知ったことか。死ぬなら死ねばいい。ここで潰したとて代わりは用意できるのだ。
〈大規模魔力波動を確認〉
魔力波動――詳細を精査する余裕はオペレーターにはないが、それが何を意味するかなど考えればわかる。こちらも全体通信で返す。
〈着弾位置を探られたぞ。弾着観測だ! 次は砦に打ち込まれる。オペレーター、大規模魔術行使の痕跡を調べろ、王都だ。そして詳細な地理を送れ〉
消去法だが、間違ってはいまい。うちにもないような超高精密遠距離ミサイル、しかも攻撃範囲威力ともに大規模にすぎる。”開発”などできるのはうちか王都の2択しかないのだから。
いっそのこと僕自ら手を下すか? いや、王都まで行く手段がない。この世界は穴が開いたスポンジのようなもの――『ワールドブレイカー』能力で空間跳躍などすれば、スポンジ自体が世界の外側に広がる虚無の圧力に耐えきれずに砕け散る可能性がある。
ならば、別の手段で移動手段を用意すればいい。そういえば箱舟で絨毯爆撃もできるが、あまり”そういう”のはよくないだろう。……よし、決めた。
〈スペルヴィア、サタンは無視。渡した賢者の石で【ワームホール】を作れ。王都に跳ぶぞ〉
言いながら槍を出す。
それこそ『ロンギヌスランス・テスタメント』……僕の奥の手としている”それ”。アリスとアルカナの三人そろって初めて使える、夜明け団にはそういう設定を説明しておいた。
一人でも使えるのは――ま、後付けはよくあることさ。思わず虫の息にしてしまったアスタロトの説明にも使える。
[……access〈body condition〉](身体データにアクセス)
[……delete〈right arm〉](右腕を削除)
コードを入力。文字通りに肩から手まで消した。
終末少女は実体を持った情報生命体、やろうと思えば体の一部分を消滅させることもできる。これはダメージとは違う。例えるなら、ネコが爪を隠すようなもの。
実のところは腕を消そうが問題ない。
「さて、もう少し――ッ!」
衝撃波を出すほどの速度で走る。明らかに【災厄】すら超えるスピードだった……そして。
「させるものかよ、【災厄】!」
僕にはすべてが見えている。正確には上空の箱舟が記録していて、そこにアクセスできる。あの場の皆がアレの操る闇に潰されたのは見ていた。さらなる追撃。あの一撃で、渡したアーティファクトも砕けたことも知っている。
「っらァァァ!」
ロンギヌスを足で掴む。ぐるんと回って、勢いをつけて――叩き込む。
[……delete〈left leg〉](左足を削除)
と、同時に掴んでいた足を消す。片足? それが第1世代相当の筋力であったとしても、一本の足で体重を支えるのはたやすいことだ。僕ほどのレベルならばそう不自由もない。”構え”というものができなくなる欠点はできるが。
スペルヴィアが自分の目の前に【ワームホール】を作った。聞こえないほど小さな詠唱、それほど彼女は弱まっていて。だが、それでも空間転移の用は果たす。
「よくやった!」
飛び込む。そして、そこに出る。研究施設というのは、異本的に専門家でなければどこも似たようなものに見えてしまう。
けれど確かにそこは『王都』で、そして先ほど新兵器を撃ち込んでくれたその場所なのだ。
「――ああ、本当によくもやってくれた。お前たちはどうせ命令に従ってるだけなんだろうけどね。それでも僕たちには文句を言う権利はあると思うんだ」
ざわざわと騒いでいる者たちを見下ろす。まさか反撃されるとは思いもしていなかっただろう。技術者に護衛……それも銃を持っているような雑魚だ。まともに抵抗などできやしない。
設備は、まあ金にあかせて作ったものだ。すさまじくごちゃごちゃしている。一目では区別もつかない。
「……ああ、”これ”か」
表情を歪める。僕とてアルカナほどでなくとも魔術は扱える。
だから、ミサイルの砲台がただの火砲術式を積み重ねただけと分かる。というか、火砲術式を演算して弾着位置予測を行い微調整? すさまじく面倒なことをやっているねこいつら。
けれど本当の意味で”惨い”のはその弾丸の素材だ――人間が使われてる。絶望に相転移した吐き気のする魔力が匂う。
「さすがにこれは酷いんじゃないかな? 君たちと僕たちとは方針が違うとはいえ、これはね――僕らのがさしずめ献身・名誉・勝利とすれば、君らのそれは憎しみ・痛み・破壊じゃないか。つか、どうせ君らとて嫌々やってんだろ。君たちは命令されたから仕方ないで済まして、上は君たちが勝手にやったと。彼らは誰を恨めばいいんだろうね。救えない話もあるものだ」
銃が撃ち込まれるが、もちろんそのようなものは僕には効きはしない。アーティファクトの前に銃弾など弾かれ、どこかに消えるだけだ。
「核となっているのは拷問された人間の悲痛と絶望だね。それを破壊現象として錬成変換する、それも一人や二人分じゃないね。容量からして20人以上かな。あれ、数時間の生存に必要な器官以外は腑分けされてる――ただの人間だから、もうポーションで回復させることもできやしないじゃないか。そもそも拷問で砕かれた心は再生しないしね」
やれやれと肩をすくめる。ああ、本当に嫌なものを見た。人間の心の闇というやつかな――まさか、進化薬をこんな風に応用発展するなんて。
「その業と悲痛、己が身をもって受けるがいい」
砲台に手を当て、そこから術式で干渉。点火装置を探る――恐怖をまき散らす精神干渉魔術、いや共振魔術か。恐怖が恐怖を呼び、感染が感染を繰り返して極限域まで到達し、溢れ出す。それがこの”新兵器”の仕組みであった。
「――『起爆』」
材料となった人間どもの精神が、共振により砕かれる。もはやこれの爆発を止めるすべもない。
僕はその悲嘆に飲み込まれる前にワームホールに飛び込んだ。あの規模の爆発が王都で起これば阿鼻叫喚、混乱するばかりでもう何もできまい。これ以上ヘヴンズゲートの邪魔はさせないよ。
「うん、これで良し。さて、スペルヴィア。君の治療をした後は、他の子たちを……」
元の戦場に戻ると、その彼女は砂となって崩れ落ちた。
「……」
どうやら僕が見たときには半分死んでいた。というか、ワームホールの維持に命を使い果たしたのだろう。あの場で賢者の石を自身の生存のために使っていたら、いやそもそも使わなければ生存の目はあった……のに。
「アリス、”やれ”」
彼女は奴らを睨みつける。表現が正しいかどうかはともかくそういうことだ。力を行使すると、【災厄】が退いていく。なるほど、僕もああすればよかった。あとで褒めてあげなきゃね。
〈オペレーター、邪魔が入らないうちに衛星を発射しろ〉
〈了解、射出シークエンスを開始します〉
どうやら、この場は何とかなった。……あまりにもあまりなボーダーライン、というか完全に境界を踏み越えてしまった気もする。人間の側に肩入れしすぎだと、自分でも思う。
「ま、いいさ。魔物は間違いなく僕らの敵であるのだから」
とはいえ、それを踏まえても。
「みんな、いなくなっちゃったね」
これでは、ほとんど全滅に近い。僕としては酷くまれなことだろうけど、苦虫を噛み締めたような顔をした。
そういう顔をしなかったのは、僕が有能だからじゃない。初めから他人に期待していないだけだ。初めから期待しなければ失望しない。自分の分というのはわきまえている。
部下に、”自分のようにちゃんとしてくれ”なんて思うほど子供じゃない。そもそも自分をそう大したものと思っていない。……僕の生徒たちは課題に応えてくれる、僕自身よりよほど有能だ。
「成果はあった。けれど――ッ!」
衛星が発射され、空高く飛ぶ。
というか、ここまでやったのだ……失敗させはしない。どうせ、アルカナの能力があれば推進装置のない荷物ですら衛星軌道に乗せるのはたやすいのだ。
まあ、そこまでさせたのだからあの子も労わなきゃいけないかな。
ま、なんにせよ。
「プロジェクト『ヘヴンズゲート』は完遂された。物語はまだ続く」
続いていく。僕には終末少女としての本能など感じられない。魔物に対する敵愾心? そんなものは誰でも持っている。そもそも、僕が持つべき本能は”破壊”。汚染されたこの世界の破壊である。魔物が居る、というのはそういうことだ。
けれど、壊してしまえばいいとは思えない。この世界に回復できるだけの体力があるのかなんて分かりはしない。僕の専門は死体処理で、外科治療も安楽死も領分ではないから。ただ未知数のそれを、予想などできない。
「みんな、鮮烈な物語で僕を楽しませてね――?」
でなければ、助ける意味がない。
そして僕らは上空から舞い降りる高速飛行鳥に回収される。これから飛行船が来る手はずだが、予定していたほどの生き残らなかった。……寂しくなるね。
やっとヘヴンズゲート編が終わりました。
世界を決定的にかき回すためとは言え、50話もかかるとは思いませんでした。
たぶん地球で置き換えるとユーラシア大陸消滅くらいの衝撃ニュース。信じない人もいっぱいです。